〜side yu〜魔法少年の誕生
ユウは気分が落ち込んでいた。
原因は憶えていなかった。
そもそもそれを探す方法を彼は知らなかったし、そういう思考の組み立て方をまだ知らなかった。
彼はまだ13歳だった。
悪い気分を回復する方法については考えることが出来たけど、平均的な13歳がそうであるように、それが正しいことはほとんどなかった。
ユウはイライラした気分を抱えながら街を歩いた。
彼の身体にはまだ大きすぎる学ランを着て、背中には巨峰色のリュックサックを背負っていた。
そのリュックサックは入学式の前日に母親が買ってきたもので、ポケットにLOVE&PEACEと書いてあった。
2階建のCDショップの前でユウは足を止めた。
ガラス窓から見える中の様子は、彼にとって良いものではなかった。
人の数が多すぎた。
ユウはCDショップに入ることを諦めて、道の向かい側に身体を向けた。斜向かいにある小さな花屋の前に、背の低い男が座っていた。
ちょうど外に展示してある花に埋れて、男は趣味の悪い創造物といった趣だった。
迷彩柄の上下のジャージに、頭には深草色の帽子を被っていた。
パイプ椅子に座っていたが、身長はユウより低いように思われた。
ユウの身長はちょうど彼の年齢の平均くらいだった。
「花を買いにきたのかい」
とその男は言った。
帽子を目深に被っていたのでほとんど表情が分からなかった。
男はユウの目をじっと見ていたから、ユウは彼が自分に話しかけたのだと分かった。
人通りが少なく、ユウと男は静かな声でも意思の疎通が出来た。
「違うよ」
とユウはいった。
「それなら占いをしていかないかい」
と男が言った。
占いは、ユウの落ち込んだ気分を晴らす手がかりになるかもしれないものだった。
その手段を、彼はすでに考えていた。
「いいかもしれない」
とユウは言った。
「かもしれない?」
「つまり料金しだいだということ。僕は中学生だからお金をあまり持っていないんだ」
「君が中学生だということは分かっていたよ。制服を着ているんだもの。500円でどうだい」
男はそう言って、いかにもな筒を取り出した。
おみくじなんかが入っていそうな六角形の木で出来た筒だ。
「いいよ。ちょうど小遣いをもらったばかりだから500円なら払える。ところでお兄さんはどうしてこんなところで占いをしているの」
とユウは訊いた。
「こんなところとは花屋の前ということ?それともこの街でということ?」
「前者。花屋の前で儲かるの?」
「儲けることが俺の目的ではないから問題ないよ。それに俺はここでよく花を買うし、オーナーはよく知った人なんだ。占いくらいしたって構わないってさ。君がもしそのことを気にしているのならね」
「儲からないのに占いをするの?」
「俺はまだ儲ける必要がないからさ。でもこのことはもう少し君と仲良くなれたら話すよ。花の匂いは言葉を正直にさせる。もし俺に隠し事をさせたくなかったら薔薇の花でも持ってくるといいよ」
「バラ?」
「冗談」
男はくすりと笑った。
ユウはからかわれたような気持ちになって、目の奥がかっとした。
「さて」と男は言った。「じゃあ始めようかな。君、この筒を振って」
ユウは男に笑われたことですっかり占いなんてする気がなくなっていたのだけど、今さら撤回することも出来なかった。
ユウは言われた通りに筒を振った。
「君の悩みは何?」
男は言った。
「分からない。けどなんだか調子が悪い。気分が落ち込んで、イライラする」
ユウは筒を振りながら言った。
「オーケーオーケー。それじゃあ筒をひっくり返して」
ユウは筒を逆さに向けた。
蓋に空いた穴から1本の赤い棒が出て来た。
「それを手に取って」
と男は言った。
ユウはその通りにした。
ユウが右手に菜箸ほどの棒を持つと、男が立ち上がって拍手をした。
「おめでとう」
と男は高い声で言った。「魔法少年の誕生だ」
ユウはまた目の奥が熱くなるのを感じた。
「からかうなら帰ります」
とユウは言った。
「からかってないし、冗談でもない。君の調子も元に戻る」
そう言って、男はユウが左手に持った筒を取った。
「その棒は君にあげる。しばらくはそれを使うといいよ。いずれはそれなしでもこういうことが出来るようになる。見てて」
男は左手に持った筒をユウの視線の高さに突き出した。
ユウはそこから顔を背けかけた。
瞬間、彼の持っていた筒が赤い炎に変わり、ユウの顔の前の温度が上がった。
ユウの額と鼻の頭には汗が流れ、目には薄く涙が浮かんだ。
「俺の名前は誠。明日もここに来てくれ。君の名前はそのときに聞こう」
筒はあっという間に燃え尽きて、黒いかすが男の左手からこぼれ落ちた。
「もし来なかったら?」
とユウは訊いた。
喉はカラカラにかわいて、両目の涙は今にも溢れそうだった。
「来るさ。魔法が使いたくない人間なんていないもの。もしそんな奴がいたら、そいつの向上心と探究心はヤモリと一緒だって笑ってやるよ」
「お金を」とユウは言ってズボンのポケットに手を突っ込んだ。「払うよ。500円」
「受け取らないよ。だってまだ俺は君の悩みを解決していないからね。だけどそれをする自信があるよ。だからお金は、そのときでいい」
ユウはポケットから手をだした。
元よりポケットには1円も入っていなかったのだ。
「また明日」
と男は言った。
ユウの肩がピクリと揺れた。それから黙って男に背中を向けて歩き始めた。
「君、CDショップに用があるんじゃないの」
と背後に男の声が聞こえた。
ユウは5歩ほど無視して歩いたけど、思い直してCDショップに戻った。
CDショップから出たとき、花屋の前には男もパイプ椅子もすでになかった。