僕と幼馴染とおかしな世界
「何で死なないの?」
真っ直ぐに投げかけられた言葉。発した少女はそれが当たり前かの様に、特別表情も声色も何時もと変えてはいない。
だが、声を掛けられた少年はそうではなかった。他の他人なら既に絶望していただろう、そんな毎日を過ごしていたのだが、表情にこれほど出ることはなかったのに、今は真っ青な顔で少女を見つめ返している。
「何で不思議そうな顔してるの? 毎日虐められ続けてる、しかもそれがエスカレートしてるのに疑問に思っちゃ悪い?」
残酷な問いかけに、少年は口をパクパクと喘ぐ事しか出来ない。まるでその愛くるしい唇から紡がれる言葉をなかった事にしたいのか。ただ俯いた。
「ふーん、答えられないのね。まぁいいわ。死ぬ時は先に私に言いなさいよ」
一方的に言って踵を返す少女。幼馴染で、幼い頃は仲が良かった事もあるのだが。今や2人の溝はとんでもなく深いように思われた。
田宮 誠一郎高校2年生。成績も運動神経もトップクラス。少々引っ込み思案ではあるが優しい心根の持ち主だ。ここまでなら非常に異性受けが良さそうではあるが、とある1点がその全てを台無しにしていた。
彼は非常に太りやすい体質をしていたのだ。それを気にして食事制限をし、しっかり体を鍛えているのだが、どうしても余計な脂肪がついてしまう。否、彼が努力している御陰で太っている程度の体型で抑えられているのだ、実際何も気にしなければブクブクともっと太っていただろう。
勿論、それでも中身を見てくれる人は存在するのだが、事学校生活に関してだけは運が全く味方をしなかった。小学生の高学年の時、偶々学年の人気者達に目を付けられたのが運の尽き、引っ込み思案なのも優しい心根も全部が裏目に出て、しかも中学に進学した時仲の良い友達と別の学校になってしまうと言う不遇。
プライベートでは友人達の御陰で悲惨な事になってはいないのだが、学園生活は悪化の一途を辿り、無視されるだけならまだいい方で、殴る蹴るの暴行を加える等日常茶飯事。なまじ成績が良い所為で先生受けが良いのも反感を買ってしう始末。その教師達もモンスターペアレントと呼ばれる親が存在する現代では、彼を職を失う危険を伴ってまで助けようとする者は生憎な事に居なかった。
それでも、彼が不登校にならなかった理由。周りの仲間たちが全力で止めるのにも構わず今の高校に進学した理由もただただ1人の幼馴染の少女の為だった。実のところ勉強を含め彼が努力しているのもその子の為。ひいては彼女と結んだ幼い頃の約束を律儀に守り続けていたからだ。
それも全て無意味だったと、今日件の少女から告げられた。否、そうとは口から出ている訳ではないが、あれはそう言う意味だろう。絶望に染まった少年は、危なげな足取りで帰り道を進む。
「危ない!」
幻聴だろうか、最初少年はそう思ったが、何かが体にぶつかりそれと一緒に地面に転がる事で。幻聴でもなんでもない事に気付く。
「いたたたた。あーもう、死ぬ前に私に言えっつったじゃない! 何やってるのよ!」
初めて見る必死な形相。恐ろしく整った顔ゆえに、それでも少年には美しく見えたのだが、訳が分からなかった。なので、正直に吐露する。
「え、いや。家に帰ってただけだけど」
「……はぁー。この車通りの多い道で赤信号の歩道に入ろうとしてたのだけど」
「あ。ごめん、全然気付いてなかった」
「ボケーっとしてたって事? 貴方らしくもない」
呆れ返った様に返す少女に、それでも現実味を感じれなくて少年は聞き返す。
「えっと、本当に咲ちゃん?」
「……他の誰に見える訳?」
本当に不機嫌そうに返され、あわあわと慌てる。そんな少年を見て少女は再び溜息をつき立ち上がる。
「重症ね、流石に心配だから、い、一緒に帰ってあげるわ」
どもりながら言われた事に、そんなに嫌ならと思わなくもないのだが、どれだけ打ちのめされていようと、否、寧ろ先ほどの少女が本当に心配しているようで、それに縋る気持ちでありがとうと口にした。
「咲ちゃんと一緒に帰るのなんて、数年ぶりね」
「ふん、感謝しなさいよ。後、余り近づかないでね」
そっぽを向いていう少女。少年は再び落ち込みつつも、それでも一緒に帰るという事実に胸を高鳴らせる自分に呆れてしまう。まだ希望を持っているのかと。
数年ぶりに共に帰宅する事になったお隣さんどうしは、その後最後にさよならと言葉を交わすまで一言も喋る事はなく。また、本当に共に帰っているのか怪しむ程の距離を保ったままだった。
「何がどうなっているんだ?」
昨日家に帰った時からおかしい事には気付いていた。何故なら、まるで娘に対するような扱いを家族がしてきたのだから。無論冗談の部類だとまともに受け取って居なかったのだが。現在の状況には流石に異常に気づかざるを得ない。少年は混乱してしまう。
「どうしたの? 誠一郎君」
そうやたら親しげに話しかけてくる少女は、つい先日陰口で少年の事を生ゴミと称していたはずだ。聞くつもりは元より、偶々聞きたくもない陰口を聞いてしまったのだが、故に罰ゲームだとしてもこんな風に密着しながら話しかけてくるなんて、どう考えてもおかしい。
いや、おかしいのは彼女だけじゃない。今日はやたら人に見られるなぁとは思っていたのだが、まるで自分をお姫様かの様な扱いを皆がするのだ。自分は狂ってしまったのか? そう感じるのも無理はなかった。
「いや、花山さん。気にしないで」
「もう、私の事は茉莉って呼んで」
猫なで声に悪い意味で震える少年。心の中で呼ぶ事はありませんと断言する。それにしてもおかしいのは、何時もクラスの中心となっている派手な格好をした人物が小さくなり、何時も小さくなっていた所謂不細工な人達が大きな態度をしている事だ。筆頭は自分と似た体格をしているこの花山 茉莉嬢だろう。ポツリと美男美女って絵になるね等と聞こえてしまい。いよいよ自分の精神を少年は疑い始めた。
「ちょっと! 私の誠ちゃんに何をするのよ!」
聞き覚えのあるヒステリックな声が教室に響く。何事かと少年がそちらを向けば、教室の入口から血走った目で少年を見据える少女の姿が。昨日帰り道を共にした少女の豹変に、少年の混乱は深まるばかりである。
「何よこの不細工」
驚きが少年を駆け抜けた。目の前の豚……失敬。目の前の女は何をほざいたのだ? 学年どころか学校のアイドルとして名高い青山 咲相手に不細工とのたまったのか? 衝撃のあまり固まる少年をよそに。外野も茉莉の方に便乗して咲に酷い言葉の数々を投げつける。
そんな言葉は初めて受けるだろう少女であるが、毅然にも態度を変えず声を荒げる。
「うるさい黙れ! 昨日まで散々せいちゃんに酷い真似してた癖に私は絶対許さないからね」
「何訳の分からない事を言ってるのよ不細工。いいかげ――」
「彼女は不細工なんかじゃない!」
いつぶりだろうか、少年が声を荒げたのは。静まり返る教室に、驚愕の表情を浮かべる生徒達。だが、今の少年にそんな事は何も関係がなく、ただただ怒りをぶちまける。
「僕の事はどう言おうと何をしようと構わない。けど、彼女を馬鹿にしたりする事は絶対ゆるさない!
咲ちゃん、こっちに来て」
怒りのまま教室を飛び出す少年。手首を掴まれた少女も為すがままだ。丁度ホームルームの為近くに来ていた教師の静止も振り切り、屋上へと歩を進める。
無言である。屋上まで来たはいいが、若干とは言え頭の冷えた今では2人とも何を話せばいいのか判断つかなくなってしまっていた。
どのくらいの時間が過ぎたのだろう、ポツリと少女の方から独白する。
「誠ちゃん、もしかして私に怒ってないの?」
「え、何で咲ちゃんに怒る必要がええええ、な、泣かないで咲ちゃん」
いつからだろうか、ポロポロと瞳から雫をこぼす少女に、少年は情けなく慌てるだけだ。そんな少年に構わず、少女の言葉は続く。
「だって、何時も何時も私も守ってくれてたのに、私は誠ちゃんに何も出来なかったんだよ?
何時も1人で耐えて、だから愚痴くらい言って欲しくて勇気を出して話しかけたのに何も返してくれないし」
「……あれってそう言う意味だったんだ」
実はとても不器用なところがあった事を今更思い出す少年。とは言え、まさかあのセリフからそこまで察しろとは、余裕がなくなっていた少年には酷な事だろう。
と、少年の言葉の意味を察しかねたのか、少女が視線で問いかける。苦笑いを浮かべ、少年はそれに応えた。
「いや、単にトドメを刺して上げるって意味かと思ったから」
「そんな事する訳ない! ずっと、ずーっと好きだったのにそんな事しないもん!」
感情が高まりすぎたのか、再び涙を零す少女。だが、少年はそれどころではない。それこそ長年想い続けていた相手から、自分もそうだったと告白されたのだ、大慌てになるもの無理はなかった。
「あわわわわ。咲ちゃん、本当にごめんね」
勇気を出して少女を抱きしめる。今はもう躊躇する理由が消滅したのだけど、それでも一瞬躊躇したのはご愛嬌。抱きしめられると少女はその体を預ける。
「許さないもん、返事返してくれない誠ちゃんなんか」
拗ねたように言う少女。少年は、昔から愛おしいと思っていたのだが、この時はそれまで以上少女の事が愛おしく感じ、胸がいっぱいで咄嗟には返事が出来なくなってしまう。
不安に思ったのか、少女が上目遣いで見つめた瞬間、我慢できる訳もなくその愛くるしい唇を奪った。
「……ぷはぁ。ご、ごまかそうとしても。だ、ダメなんだから」
真っ赤に染まる顔で恥ずかしげに、でも、軽く睨んでくる。少年は幸福感で胸を更に膨らませ。長年の想いを告げるべく一歩少女から離れる。
解放され、一瞬不安げな表情を浮かべるものの、真剣な表情の少年ににわかに少女も緊張感に支配された。
「青山咲さん。僕と結婚してください」
差し出される右手。どれだけの沈黙が辺りを支配したのだろうか。物凄く長い時間が過ぎたような、しかし、もしかすると短かったのだろうか。体感時間の狂った2人には判断つかなかったのだが、それは少女が少年の右手を両手で掴んだ事で終を告げる。
「宜しくお願いします」
パッと視線を上げる少年。目の前には恥じらう少女の姿が。さぁもう遮る物は何もない。少年は少女を強く強く抱きしめ、少女は痛みを感じるものの、それが少年の愛の様で安らいだ笑みを浮かべる。
長い時を経て不器用な2人は、漸く己たちの幸せを掴む事が出来たのだった。
暫くの間は、突然変わってしまった世界に振り回されてしまうのだが、今や向かうところ敵なしのバカップルと化した2人なら仲良く乗り越えて行けるのだろう。
一部始終を目撃していたスズメたちが、祝福するかのように青空へ飛び立っていった。