剣と魔法はできたけど。
魔族と人間との戦いは、三十年を過ぎても終わる気配を見せなかった。
そして彼は、魔王との戦いで、全てを失った。
家族、そして故郷すらも。
その後、彼は剣と魔法の鍛錬を重ね、エリート騎士である「聖騎士」の称号を得た。鍛錬の内容は想像を絶する過酷なものだったが、魔王への強い憎しみのみで、彼はそれをやり遂げた。
彼は魔王を倒すためだけに生きていた。そう言っても過言ではなかった。
勇者と共に魔王を倒す旅に出て、幾度も苦難を味わったが、そのときの彼はひどく充実していた。
そして、魔王は倒された。
待ち望んでいた瞬間だった。
彼は勇者達と共に、英雄として迎えられた。
平和になったものの、荒廃した世界。
一刻も早く元の繁栄を取り戻すために尽力する。
それが彼の新たな生きがいとなった。
だが、彼の力と人気を妬む者がいた。
彼が謀反を企んでいるという根も葉もない噂は、直言居士な彼の言動が時の王子に疎まれていたということもあってか、すぐに信用された。
王と彼の同僚がとりなし、死刑だけは免れたものの、聖騎士の称号を奪われたうえに利き腕である右腕の筋を切られ、さらに魔力すらも封印され、田舎へと放逐された。
故郷と家族という拠り所、魔王を倒すという生きがい、世界の復興という新たな生きがい、聖騎士という称号、今まで培ってきた技術、彼はそれら全てを失った。
なにもかもを無くした彼は、なにもかもがどうでもよくなってしまった。
やがて彼は酒に溺れ、周囲から厄介者扱いされだすまでそう時間はかからなかった。
かつての颯爽とした姿はなく、頬はこけ、目の下には隈ができ、無精髭も生えっぱなしだ。未だ三十歳に達していないにも関わらず、彼は一気に老け込んだ。
リチャード・ネイピア。それが彼の名前だった。
放逐されてから半年が経過した、とある初夏の日。
その日は夜から雨が降り始めていた。
いつもの酒場を後にしたリチャードは、雨に舌打ちをしながら、傘を差して家路を辿っていた。
子供の姿が見えたので、思わず足を止める。家と家の隙間に捨てられている子供。なんて事はない、ただの口減らしの一つだろう。
そのまま立ち去ろうと思っていたが、一つの言葉をふと思い出した。
『弱き者を救え』
聖騎士五戒の一つである。聖騎士から除名されたとはいえ、長年信じてきた教えだ。そう簡単に捨てることはできない。
元々から正義感の強かった彼は、子供の側に歩み寄る。
「……おい、そこの餓鬼。起きてるか?」
リチャードの声に、子供は顔を上げた。十歳そこらの少女である。子捨ての類だろう。だが、女は捨てるよりも売るほうが得だと小耳に挟んだことがある。それならば、この少女はどうしたことだろうか。
「……ッ」
少女の顔を見たリチャードは言葉を失う。売らなかった理由、それは一瞬にして把握できた。
少女の耳は尖っていて、指は四本しかない。
この少女には魔族の血が入っている。
そして、少女からは強い魔力を感じた。それは人間の比ではない。今はともかく、いつかは驚異となるだろう。
「……まだ餓鬼だ。可哀想だが」
ここで見逃したところで、いずれは殺される。見つけた以上、自分がやるだけだ。
『魔は決して許すな』
聖騎士五戒の一つである。
リチャードは懐の短剣に手を伸ばす。護身用でしかないが、子供を殺すには十分だ。利き腕もだいぶ使えるようにはなってきている。
「何か言いたいことはあるか?」
「……」
少女は何も喋らない。ただ怯えた目で、リチャードを見つめるだけだ。怯えているのはリチャードの殺気を感じたせいか、それとも単純にリチャードの外見のせいか。
「……怖いのか?」
少女は無言で頷く。
「喋れないのか」
少しの間の後、少女はもう一度頷いた。
少女の顔を見たリチャードは躊躇した。いくら魔族とはいえ、目の前の少女は『弱き者』である。『魔族』の『弱き者』。どちらの教えを優先するべきか。体に染み着いた教えが、少女の命を奪うことを躊躇させた。
そして、少女はリチャードの妹に似ていた。瓜二つとまではいかないが、死んだ妹の面影を感じさせる顔立ちだ。
それが決定打となった。震える少女を後目に、リチャードは短剣から手を離す。
そして、少女に傘を差し出した。唖然とした表情でそれを見つめる少女。
「……どうせボロ傘だ。好きに使え」
リチャードはきびすを返し、自宅へ向かった。
かつての自分なら容赦なく殺していただろう。だが、魔王を倒したことで、魔族への憎しみはいつの間にか消えていた。らしくないし、善いことではないと思ったが、自分はもう聖騎士ではないのだ。別に構わないだろう。
ふと、背後に気配を感じた。
振り返ってみると、傘を差した少女がついてきていた。
見なかったフリをして、足を進める。背後の気配は途切れない。
リチャードが立ち止まると、少女も立ち止まった。いつの間にか真後ろにまで来ている。このまま自宅までついて来るつもりだろうか。
「……おい、餓鬼。俺はそこまで情けをかけた覚えはねぇぞ」
すごんでみると、少女は顔を歪める。今にも泣きそうな表情だ。
「……ったく、めんどくせぇ……」
リチャードは舌打ちの後、頭をかき、少女の手を取った。四本指の小さく柔らかな手。
「今日だけだ。明日になれば追い出すからな」
リチャードは少女の顔を見ないまま言う。が、手を握ったときの反応から、少女が喜んだのはわかった。相合傘をするかのように彼女が傘をこちらに差し出してきたが、無視して足を進める。
郊外の一軒家。この地に放逐されるときに与えれた、小さく粗末な家。
少女を玄関で待たせ、タオルと着替え―リチャードの寝間着―を与える。リチャードは寝室に入り、上着を脱ぎながら髪を乱暴に拭いて、ベッドに倒れ込んだ。
酔いのせいだ。
そう呟きつつ。
翌朝。
リチャードは起き抜けに、居間のソファーに向かった。そこにはぶかぶかの寝間着を来て、ソファーの上で丸まっている少女の姿があった。実に気持ちよさそうに寝ている。いい身分だ。リチャードは舌打ちし、水をコップ一杯飲んでから、朝食のパンをかじる。
しばらくして、少女が起きてきた。その姿を確認したリチャードは、別のパンを半分に割ってから少女に放り投げる。少女は慌ててそれを受け取った。
「食えよ」
少女の方を向かずに言う。が、反応がない。少女のほうを見てみると、受け取ったパンを怪訝そうな目で見ている。警戒でもしているのだろうか。
「食わないなら返せ」
リチャードの凄みのある声で、背に腹は代えられないのか、少女は慌ててパンにかぶりつく。しばらく何も食べていなかったのか、いい食いっぷりだ。
「〜〜〜ッ!!」
喉に詰まったのか、少女は胸を叩き始めた。
「……ったく」
リチャードはコップに水をくんで、少女に渡す。少女はそれを飲み干して、一息ついた。
小腹が満たされたのか、少女はリチャードの前に座り、頭を下げる。
「それで、あんたは何者なんだ?」
リチャードの問いかけが理解できないのか、少女は首を傾げた。
「なんであんたみたいな魔族の子供が、その辺に捨てられてたんだ?」
少女は首を振った。それはそうだ。少女は見たところまだ十歳に満たないぐらいである。自分の置かれていた状況が理解できていないのも無理はない。それに、喋れない相手が何を答えられるというのか。失策だった。
リチャードは考える。目の前の少女は、身寄りがない上に喋れない。明らかに「弱い存在」だ。
だが、喋れないとはいえ、少女からは強い魔力を感じる。
魔力を形とするには二つの方法があり、一つは術具と呼ばれる道具を用いて放出する方法。そしてあと一つが、呪文を詠唱して放出する方法だ。
しかし、この少女は何れの手段も持っていない。リチャードほどの腕前となれば、術具から放たれている微少な魔力も感じることができる。
そう、この少女は驚異ではない。
そして、魔族との戦いも、魔王の死とともに終結した。もはや魔族と対立する必要はない。
リチャードが抱いていた恨みは魔王個人に対するもので、魔族に対してではない。
純粋な親切心。そして、自分を捨てた聖騎士達へのあてつけ。それともう一つ、孤独が生み出した人恋しさ。それらを併せて、リチャードは答えを導き出した。
「……あんたさえよければ、ここに置いてやらんこともない」
少女はぽかんとした表情を浮かべている。
「どうなんだ?」
断られたら、それまでだ。去る者を追う気はない。
しばらくの間、沈黙が場を包んだ。
少女が物を書く仕草をする。ひょっとして筆談がしたいのか。
「ペンと紙か?」
少女は頷いた。机の上に転がっていた鉛筆と紙を少女に渡すと、少女はつたない字を書き始めた。
『おじさんは、どうして、わたしを、たすけてくれるんですか?』
人の言葉はわかるようだ。魔族の血が入っているが、人の言葉を解する。ひょっとしたら混血児なのかもしれない。
「まだおじさんって言われるような年じゃねぇよ」
外見こそ老けているが、リチャードはまだ三十歳に達していない。少女の頭を軽くはたく。
「別に、理由なんか特にねぇよ。ただ助けたかったからそうしただけだ」
なんだか照れくさい。少女のほうを向かずに喋る。
「……で、どうするんだ?」
これで断られたら、なんだか格好悪い話だ。かといって引き留めるつもりはないが。
『よろしくおねがいします』
少女はそう書いて、お辞儀をした。少しほっとするリチャードであった。
「そうか。……俺はリチャード・ネイピアだ。あんたは?」
『エレイン』
「エレイン、か」
リチャードは立ち上がると、エレインの頭を軽く叩いた。
「まぁ、よろしくな」
エレインも頭を下げた。
ともあれ、同居人ができたとなると、現在の収入だけでは生活できないだろう。何せ、現在の収入といえば、かつての同僚からの仕送りのみだ。その大部分は酒代に消えている。
我ながら堕落していた生活だとは思っていた。だからこそ、これはいい機会かもしれない。
「……ちょっと出てくる。すぐ戻るから、その間に服でも洗ってろ」
少女が着ていた服は小汚いうえにずぶ濡れだった。顔立ちは悪くないから、綺麗な服を着せてやれば化けるだろう。思うだけで、買ってやる気はないが。
「洗い場は玄関出てすぐのところに井戸がある。そこを使っとけ」
都市部には水道が通っているが、この周辺は井戸頼みだ。リチャード宅は集落から離れたところにあるため、一つの井戸を独占している。
少女は頷いていたため、理解したものと思い、リチャードは外に出た。目指すは行きつけの酒場。
集落までは徒歩で三十分ほどを要する。まぁ、いい運動だ。
着いたときには昼前となっていた。街道沿いではあるものの、肝心の街道が主要街道ではないためか、どことなく寂れた印象を与えてくれる集落である。周囲には何もなく、ただの平野が広がるだけだ。
目的の酒場に着いた。旅人目当てなのか、昼間から営業しているようだ。夜でも満員になっているのを見たことがないが、昼間なら余計に客が入らないだろうに。
「あら、リチャードさんじゃない。どうしたのさ、こんな真っ昼間から」
案の定、中には女主人しかいなかった。三十過ぎの、少し肥えた女性だ。料理の腕はなかなかで、愛想もいい。店が流行っていないのが不思議なほどだが、リチャードとしてはゆっくりできる今の状況のほうがよかった。
「別に、飲みに来た訳じゃない」
「あら。珍しいこともあるもんね」
リチャードのボトルを出していた女主人は、意外そうな表情を浮かべて、ボトルを元の棚に戻した。
「……仕事を探してる。片腕でできるような仕事、何かないか?」
「仕事? リチャードさんが?」
「悪いか」
「ううん、ちょっと驚いてるだけよ。仕事ねぇ……」
驚かれるのも無理もない話だ。リチャードがここに来てからというものの、何もしない、無為な生活を送っていただけなのだから。
「じゃあ、ここの手伝いしてよ。夜はお手伝いさんいるから、昼間だけでいいよ」
「昼? 客来るのかよ」
「それが結構来るのよ。リチャードさんは夜しか来ないからわかんないだろうけど」
「重いものは運べねぇぞ」
「別に、掃除とウェイターだけでいいよ。っていうか、それ以外に手伝ってもらうところないしさ」
女主人がからからと笑った。実に楽しそうな笑みだ。
他を当たるのも面倒だ。常連ということもあって、女主人とはそこそこ親しい。雇ってくれるというのなら、ここでいいだろう。
「じゃあ、頼む」
「おー。それじゃ早速だけど、明日の十時からよろしく。あと、髭は剃ってくること」
「……わかった。悪いな」
「いいってこと。常連さんの社会復帰は手伝ってあげないとね」
そんなこんなで、契約成立。女主人と握手をして、リチャードは店を出た。
家路を辿っているとき、文具屋に目がいった。
エレインは喋れないが、筆談はできる。意志疎通ができないと面倒だ。ここはひとつ、筆談用の道具を買っていってやるとしよう。
無駄な出費だ。リチャードは頭をかきつつ、文具屋に入った。
家に着いた。いつもなら無言で玄関をくぐるのだが、今日はいつもとは違う。待っているのかは知らないが、中に他人がいるのだ。リチャードは舌打ちしつつ、ドアを開ける。
「……ただいま」
何年ぶりに言う言葉だろうか。玄関をくぐると、エレインが駆け寄ってきた。
「……ほら、やるよ」
お帰りなさいの挨拶のつもりか、頭を下げていたエレインに、先程文具屋で買ってきた物を渡す。
包みを開けていいかどうか仕草で問いかけてくるエレインに、リチャードは頷きで返答した。
文具屋で買ってきた物は、子供の勉強などに使われる石板と蝋石である。書いたら消しての繰り返しで何度も使えるので、筆談にはもってこいだ。
石板を見たエレインは満面の笑みを浮かべ、早速石板に字を書き始めた。
『ありがとう』
エレインの笑顔と、嬉しそうな筆跡。それはなんだか照れくさくて。
「別に、いちいち紙を使われるのが嫌なだけだよ」
なんて吐き捨てて、居間に向かうのだった。エレインがついてきているのが気配でわかる。
散らかっていたはずの居間は片付いていた。思わずエレインのほうを向くと、誇らしげに胸を張っている。
「……お前がやったのか?」
エレインは頷いた。
「……ったく。俺なりの秩序があったのによ」
『しちゃいけなかったの?』
「……まぁ、いつかはやろうと思ってたことだよ」
リチャードはエレインの頭をぽんと叩くと、ソファに座った。エレインが横に座る。
「明日から俺は昼間いないからな。適当に留守番してろ」
エレインが首を傾げた。
「働くんだよ。お前を拾っちまったからな」
『私のせい?』
エレインの表情はしょんぼりしている。こんな空気は嫌いだった。
「違ぇよ。そろそろ社会復帰しなきゃならんと思ってた頃だ。別に、お前のためとか、そんなんじゃねぇ」
さっきから強がりばかり言っている自分に思わず苦笑する。エレインもそのことに気づいたのか、にやにやと笑っていた。そんな彼女の頭を軽くはたく。
「何笑ってやがる」
『ごめんなさい』
エレインはいたずらっぽくはにかんで、頭を少し下げた。
「飯にするぞ。ちょっと待ってろ」
エレインを居間に待たせ、リチャードは台所へ向かう。かまどには数日前に作り置きしていたシチューがある。毎日料理をするのは面倒なので、何日かに一回、日持ちのする料理を大量に作っておく。レシピは酒場の女主人から聞いたものなので、食える味になっている。
シチューを温める。魔力は封印されているはずだが、担当者の情けか、実際のところはほんのわずかな魔力のみ行使できる。そのため、火を起こすのは苦労しない。
温めたら、パンを添えてできあがり。ごく一般的なクリームシチューだ
「ほら、食えよ」
『いただきます』
居間で待っていたエレインに差し出す。自分も食べようと思ったが、彼女の反応が気になって、なかなか皿に手がつかなかった。
エレインは一口食べると笑顔になって、残りをかき込み始めた。口に合ったらしい。らしくないとはわかっていても、なんだか嬉しい気分になるリチャードだった。
リチャードが食べ終えた頃、エレインはすでに食器を片づけていた。掃除のことといい、なかなか気の利くところがある娘だ。リチャードが食べ終えたのを確認したエレインは、石版に文字を書く。
『ごちそうさま。おいしかったです』
こう面と向かって言われると―声は出していなかったが―なんだか恥ずかしくなるリチャードだった。そんな彼の反応が気になるのか、エレインはリチャードの横に座り、彼の表情を窺っている。
ああもう、面倒くさい。
「……ありがとよ」
とりあえずそれだけを告げると、食器を洗いに台所へ向かう。エレインがその後をついて来ていた。準備をするリチャードの裾を引っ張って、石版を見せる。
『わたしがやります』
手伝ってくれると言うらしい。いい心がけといえばいい心がけだ。それを潰すのもなんだろう。
「……じゃあ任せた」
『まかせてっ』
リチャードが場所を譲ると、エレインは胸を張ってやる気を見せた後、洗い物を開始した。それはなんだか危なっかしくて、つい見守ってしまうリチャードだった。彼の視線が気になるのか、エレインは手を止める。
『ひとりでもできますー』
不機嫌そうに頬を膨らませるエレインの姿は、なんだかおかしくて、ついついくすりと吹き出してしまった。
笑うことなど、いつ以来だろうか。
「すまなかった。じゃあ、任せるよ」
リチャードはその場を立ち去って、居間に戻る。なんだかんだ言って、この状況を楽しんでいる自分に気付いていた。
しばらくすると、洗い物を終えたエレインが得意げな表情で戻ってきた。
「……お疲れさん」
とりあえず労ってやると、エレインは嬉しそうな表情を浮かべて、リチャードの横に座った。肩と肩が触れ合いそうな、そんな距離。子供ならではの距離感だろう。彼女の体温が仄かに感じられた。
側に誰かがいることが、こんなに暖かいだなんて思っていなかった。
まったくもう、らしくない。
自分の思考に戸惑いを覚えつつ、リチャードは頭をかくのであった。
翌日。
今日から仕事である。髭を剃り、少しでも小ぎれいに見えるよう髪の毛もまとめた。仕事が終わったら散髪でもしよう。
鏡に映った自分の姿は、どこか懐かしかった。現役時代からすれば、やつれていることは変わりないのだが。
ふと、エレインの視線に気付いた。
「……どうした?」
エレインはこちらをじっと見つめている。リチャードの声で、エレインは我に返ったかのように石版に文字を書きだした。
『こっちのほうが、ぜんぜんかっこいいです』
「……生意気言うなよ。まぁ、伊達に聖騎士やってた訳じゃねーしな」
普段通り振る舞ってみたものの、外見について褒められるとなんだか恥ずかしい。
聖騎士になるには、技量の他に容姿も重要視される。聖騎士とは一種の偶像でもあるのだ。
「じゃあ、行ってくる。昼飯は作ってるから、適当に食っとけよ。危ないから火は使わないようにな」
これじゃ父親じゃないか。
心配故に出た言葉であったが、そんな言葉が出てくる自分に思わず苦笑するリチャードだった。
仕事が終わったのは三時過ぎ。女主人の休憩でいったん店を閉めるそうだ。
彼女が言ったように、客足はなかなかに多かった。街道沿いというだけあって、旅人が昼食を採りに来るようだ。注文取りと食事を運ぶことしかしなかったが、慣れないせいもあり、かなり疲れてしまった。
「……ただいま」
リチャードが家に帰ってみると、返事がない。いや、返事がないのは当然か。エレインは喋れないのだから。訂正すると、返事がないのではなく、反応がない。
怪訝に思って居間に向かってみると、ソファーにエレインが寝そべっていた。気持ちよさそうに寝息を立てている。鍵もかけずに昼寝とはいい身分だ。彼女の手元を見てみると、軍記物の本があった。おおかた暇潰しに読んでいたら訳わからなくなり、結局寝てしまった、というところだろう。
起こそうかと思ったが、気持ちよさそうに眠っている彼女を見ると、それも気の毒な気がしてきた。近くにあった別の椅子に座り、彼女が読みかけていた軍記物を手に取る。何度も読んだせいで、大体の内容は頭に入っている。
眠っているエレインの側で、ただ黙って本を読む。静かな時間が過ぎているが、不思議と寂しさはなかった。
それから少しの時間が過ぎ、窓から射し込む光が橙色になった頃。ようやくエレインが目を覚ました。リチャードの姿を確認するやいなや、慌てて石版を探している。
「……おはようさん」
挨拶と一緒に、テーブルに置かれていた石版をエレインに渡す。
『おはようございます、おかえりなさい』
「鍵もかけずに昼寝とは、いいご身分で」
『ごめんなさい』
エレインがしょぼくれる。こういう雰囲気は嫌いだ。エレインの頭を少し撫でる。
「まぁ、やったことは仕方ねぇ。次からは気をつけな」
『はい』
少しの沈黙。なんだか気まずい。リチャードはなんとかして話題を探す。
「……本」
リチャードの問いかけに、エレインは首をかしげた。
「この本、読んでたのか?」
エレインは頷くと、石版に文字を書く。
『よんでたけど、よくわからなかったです』
「だろうな」
リチャードのからかうような笑いで、エレインは不機嫌そうに頬を膨らませる。
「いや、悪かった」
エレインを慰めるかのように、頭を少し撫でてやる。
平和な、何事もない、ごく静かな日常。
この感覚は、何年ぶりのことだろうか。
とりあえず、エレインが起きるまでの間に考えていたことを言う。
「……本の内容、よかったら教えてやるけどな?」
少しの沈黙のあと、エレインは嬉しそうに筆を走らせた。
『おねがいします』
満面の笑みとともに見せられたその文字は、とても可愛く思えた。
それから一ヶ月が経過した。
リチャードは仕事にも慣れ、徐々に集落の者とも打ち解け始めていた。
エレインのおかげだ。
口にこそ出さないが、リチャードは常々そう思っている。彼の凍り付いた心を溶かしたのは、エレインの無邪気さだったからだ。だんだん娘のように思えてきた。それはエレインも同じようで、たまに冗談混じりに「お父さん」と書くことがある。まぁ、悪い気はしなかった。
穏やかながらも、平穏な日常を送っていた、とある日。
居間で本を読んでいると、鈴の音がした。喋れないエレインがリチャードに来客を知らせるための合図だ。リチャードは面倒くさそうに本を閉じると、玄関に向かう。
「どなたですかね?」
扉の向こうには、知った顔がいた。
ジェームス・ブリストル。聖騎士時代の同僚で、共に修行をした仲でもある。魔族との戦争で大功を上げ、聖騎士四天王に数えられるほどに出世した、有能な男だ。
「リチャードさん、お久しぶりです。お元気そうで何より」
「お前こそな。調子はどうだ、『四天王殿』?」
「もう、勘弁してくださいよ。聖騎士としての力量はリチャードさんのほうが遙かに上ですから」
「ふん、今の俺はただのでくの坊だよ。今の俺にできるのは注文取りぐらいだ。……まぁ上がれ」
ジェームスを家に入れる。リチャードの知り合いということに気付いたのか、エレインが怪訝そうな目でジェームスを見ている。なお、尖った耳を隠すため、誰か来たときは大きな帽子を被らせている。
「……その子は?」
「拾ったんだよ。名前はエレイン。エレイン、俺の元同僚のジェームスだ。挨拶しとけ」
『ジェームスさん、はじめまして』
エレインは石版を見せてからお辞儀する。
「……喋れないんですか?」
「ああ」
「なるほど、リチャードさんがこの子を拾われた理由がわかりました」
ジェームスはエレインの頭を撫でる。おそらく彼もエレインの魔力に気付いているだろう。現役時代はリチャードに一歩劣っていたとはいえ、今では聖騎士四天王に数えられるほどの男である。勘付けないわけがなかった。
「……おかしいか?」
「いえ。いくら魔族といえど、弱き者を救う。やはり、あなたは今でも聖騎士の心を失っていませんね」
「褒めても何も出ないぞ。まぁせっかくのお客さんだ。エレイン、茶の一つでも出してやれ」
エレインを台所にやると、リチャードとジェームスは居間のソファーに座った。
「……で、何の用だ? 恩赦が出たとか、そんなめでたい話じゃなさそうだな」
「正反対です。……師匠が、ゴスホークさんが、お亡くなりになられました」
「……そうか」
ゴスホーク・ロイス。聖騎士筆頭にして、リチャードとジェームスの師。卓越した技術と寛容な心は、聖騎士筆頭の名前に恥じなかった。リチャードが最も尊敬する男である。
「もうだいぶお年を召されてたからな。仕方ないとはいえ……」
「本来ならばリチャードさんも葬式にお呼びするべきでしたが……」
「わかってる。今の俺は罪人だ。罪人が聖騎士筆頭の葬式に出るわけにもいかんだろう」
平静を装っているが、リチャードの心は深く沈んでいた。両親を失って以来、ずっと実の子供のように接してくれた人。そして、謀反の嫌疑を受けたリチャードを弁護してくれたのもゴスホークとジェームスだ。
ゴスホークから受けた恩の数は、両手では到底足りない。いつか恩返しをしようと思っていたが、それはできないまま終わってしまった。
「……それで、国王陛下も体調が思わしくないようです」
「……何が言いたい?」
ジェームスが言おうとしていることは大体把握できた。
リチャードを弁護してくれていた有力な人間は、国王とゴスホークだ。そのうちゴスホークが死に、国王も弱っているとなれば、リチャードを弁護してくれていた人間はわずかになる。
「このままでは、殿下が王位に就かれます。殿下はリチャードさんのことを恐れています。おそらく、あなたを消しにかかるでしょう」
「俺のことをか?」
「はい。殿下は疑い深いともっぱらの評判。おそらくはリチャードさんから恨みを買っていると思われているでしょう。あなたほどの実力者です。本当に謀反を起こされることを恐れているのでしょう」
「ずいぶんと買いかぶられたもんだな。そんな力も野心も残ってないっていうのによ」
「疑わしきは罰するのが殿下です。……僕が伝えたかったことは以上です。気をつけてください」
「……ありがとよ。まぁ、何もない家だけどな、しばらくのんびりしていけ」
ちょうどエレインが茶を持ってきた。いいタイミングだ。
リチャードは茶を口に含むと、これからのことに思いを巡らせた。
王子が自分のことを消しにかかるというのなら、おそらくはジェームスクラスの聖騎士を送り込んでくるだろう。現役の頃ならともかく、今の自分では勝ち目はない。別にこの世に未練はない。だが、未だに魔族への偏見がある昨今、エレインはどうなるというのだ。まだ幼く、そして喋ることもできないエレインを、誰が救ってくれるというのだ。
ならば、ここで死ぬ訳にはいかない。
「……ジェームス」
「何でしょう?」
「俺に何かあれば、こいつのことを頼む。図々しい願いかもしれんがな」
ジェームスもリチャードの心境を察したのか、しばらくの沈黙。
「……わかりました」
ジェームスの返答とともに、リチャードの腕にエレインがしがみついてきた。不安に思ったのか、いつもよりも強く。
「……大丈夫だよ。まだ決まった話じゃない」
「そうですよ。それに、リチャードさんはとっても、とっっっても強い人なんです。心配はいりませんよ」
リチャードはエレインの頭を撫でるも、彼女の怯えは去らないようだった。
それからジェームスが帰るまで、エレインはリチャードにしがみついたままだった。
さらに一ヶ月が過ぎた。
国王は崩御し、王子がその跡を継いだ。一週間の喪が明けると、粛正が始まった。
対象は主に聖騎士であった。多くの手柄を立て、人望もある聖騎士は、片っ端から謀反の嫌疑をかけられ、命を落とすか、リチャードのように流刑となるか、どちらかだった。
宿場町の酒場に、次々と舞い込んでくる、そんな噂話。
リチャードは覚悟を決めた。
仕事が終わると、夜の準備を始めている女主人に声をかける。
「……すまんが、今日で終わりにしてくれないか?」
「……どうして?」
女主人も噂を聞いていたのか、心配そうな表情を浮かべている。
「聖騎士が片っ端から殺されてるって噂があるだろう? ……迷惑をかけたくないんだ」
「……リチャードさんまで殺されるわけ……」
「俺は陛下から疎まれてる。九割九分、追っ手が来るだろう」
思い過ごしかもしれない。だが、用心に越したことはない。ただでさえ彼女には世話になったのだ。恩を仇で返すようなことはしたくない。
「何もなかったら、そのうち戻ってくる。勝手な話かもしれないが……そのときはまた、よろしく頼む」
「……当然よ。リチャードさんがいなくなっちゃったら、女の子の客、どっと減っちゃうから」
女主人は精一杯明るく振る舞っているようだった。こちらを不安に思わせないように。
「すまないな。……今まで、ありがとう」
「……今までとか、そんな水臭いこと言わないで」
「そうだな。……これからも、よろしく頼む」
リチャードは女主人に礼をすると、自宅へと戻る。幸い、右手は全盛期までとは言わないが、だいぶ動けるようになってきた。
もう使うことはないとしまいこんでいた小型剣を取り出す。魔王を倒す旅の中で見つけたもので、剣としても、術具としても一級品だ。担当者が目利きでなかったおかげで没収を免れた品であり、聖騎士の名残を残すものだ。
戦わずして敗れることなかれ。
聖騎士五戒の一つである。引退してもこれらに縛られるなんて、やはり自分は聖騎士として生きてきたのだろう。思わず苦笑する。
数時間後。外は日が暮れつつあった。居間で読書に勤しむリチャードの傍らには、不安な顔を浮かべたエレインがいる。そんな静かな時間は、乱暴なノックによって打ち破られた。
ようやくお出ましか。
リチャードは本を閉じて、剣を懐に忍ばせる。
「……ここにいろよ。出てくるんじゃない」
不安そうなエレインを制し、玄関に向かう。ノック音は続いていた。
「今から出る。あまり急かすんじゃない」
扉を開けると、そこには軍の鎧を着た一団がいた。数は見たところ十人。甘く見られたものだ。
「リチャード・ネイピア殿。謀反の疑い有り、との陛下の命により、連行させていただく」
隊長らしき人物が前に出る。魔力はあまり感じない。
「……拒否すれば?」
「謀反人と見なし、実力を行使させていただく。貴方は聖騎士を勤められたほどのお方だ。完全に謀反人と呼ばれるのは屈辱でありましょう」
「……聖騎士五戒、知っているか?」
「……お戯れを」
「常に神と共にあれ。弱き者を救え。魔は決して許すな。正しき行いに殉じよ。そして……」
懐から剣を抜く。短剣と片手剣の中間の長さで、リチャードが最も得意とする刃渡りである。
「戦わずして敗れることなかれ、だ」
「……残念ですな。それでは、力ずくでも連行させていただく。命の保証はできませんがな」
「上等だ。聖騎士に勝ったとなれば、他の連中に自慢できるぜ」
囲んでいた兵士が前に出てくる。だが、リチャードの武勇伝を知っているからか、彼らは心なしか怯えているようだ。
ならば、先手必勝。リチャードは一気に間合を詰め、一番怯えている兵士に飛びかかる。そして、鎧が保護していない二の腕を斬った。そしてすぐに離れる。
「う、うわぁぁっ!?」
「うろたえるな! 相手は半病人だ!」
隊長が兵を鼓舞する。だが、リチャードは腐っても魔王を倒した英雄なのだ。その名声は、兵を怯えさせるのに十分だった。隊長もそれを悟ったのか、怯える兵を押し退けて前に出てくる。そして、長剣を構えた。
「……いや、無駄な怪我人を出す必要はありませんな。私がお相手いたしましょう」
「いい心がけだな。それでこそ大将だ」
ここで出てくるだけあって、隊長の構えはしっかりしたものだった。魔法は不得手だろうが、剣技だけならそこらの聖騎士に匹敵するであろう。
相手にとって不足なし。リチャードは隊長と剣を交えた。
部屋の外からは、甲高い金属音と掛け声が聞こえてくる。
怖かった。
エレインはクッションを抱き締め、音が止むのを待っていた。
だが、音が止んだとき、リチャードは無事なんだろうか。ぶっきらぼうながらも優しくしてくれた、大切な人。大切な「父親」。
一度気になったら止まらない。エレインはクッションを置くと、部屋の扉をそっと開ける。その途端、音は止んだ。
そこには、うずくまっているリチャードがいた。その前には、鎧に返り血をつけた男。彼も焦燥しているようで、肩で息をしている。
「……流石はリチャード・『ダガー』・ネイピアですな。貴方の右腕。その状態が十分だったのなら、私と貴方の立場は逆転していたでしょう」
隊長が剣を納めると共に、リチャードが顔を上げる。その瞬間、いてもたってもいられなくなって。
「……エレイン!?」
エレインは、部屋を飛び出していた。慌てて取り押さえようとする兵士を隊長が抑える。
「馬鹿、出てくるなと言っただろう……」
リチャードは腹を真一文字に斬られていた。そこから溢れ出てくる血は、彼の服と、床を赤く染めていた。エレインはリチャードにしがみつく。彼の血が、今度はエレインの服を染める。
「……お子さんですかな?」
隊長の声には哀れみが混じっている。
「……違ぇよ……」
リチャードは声を絞り出している。彼の体がどんどん冷たくなっていっているのがわかった。胸の動きも弱い。
「……どこの誰とも、わかんねぇ、馬の骨、だ……」
リチャードの回答。それはエレインを悲しませるのに十分だった。
今までの生活は何だったのか。今まで優しく接してくれていたのは。それは全て、嘘だったのか。偽りの日々だったのか。
「……そうですか。……彼女は無関係だ。そっとしておいてやれ」
隊長が兵士達を下がらせる。そうか、リチャードはこのために。
エレインを救うために。
リチャードを見ると、彼は少し微笑んで、瞳を閉じた。胸の鼓動も止まった。
死んだ。
それを悟った瞬間、今までの楽しかった日々。それらが思い返されてきた。そして、リチャードを失った悲しみ。彼の命を奪った者への憎しみ。それらの感情が溢れだしてきて――。
「……お父さんッ!!!!」
そう、叫んでいた。
ジェームスはリチャードの家に急いでいた。
国王への必死の助命嘆願が功を奏したのか、はたまた魔王を倒した英雄への配慮なのか。ともあれ、疑いは晴れた。国王からの念書もある。
これを見せればリチャードは救われる。
足下を固めるために功のある者を粛正していく国王のことは好きになれないが、彼の「聖騎士の必要がない世界を作る」という思想には共感できる。急ぎすぎな感はあるが、優秀な為政者であることは確かだ。
リチャードの家が見えてきた。捕縛に来た者が乗っていたであろう馬はそのままだ。だが、やけに静かである。もしや、リチャードが返り討ちにしたのか。
いや、いくらリチャードとはいえ、それはない。全盛期の彼なら可能だろうが、今の彼にそれを望むのは無理な話だ。術力を封じられたうえに、腕も十分に動かないのだから。
そっとドアを開ける。玄関にはリチャードの遺体と、そして追手の遺体が並んでいた。追手には外傷がない。術を使ったとでもいうのか。だが、リチャードの術力は封印されているはずだ。ならば、誰が――。
「……エレイン?」
そう。この場に残っているのはエレインだけだった。泣きじゃくっていたのか、目を真っ赤に腫らしている。
ジェームスはエレインに用心させないよう、剣を床に置く。彼の姿を確認したエレインは、よろよろと力なく立ち上がると、ジェームスにしがみついてきた。そんな彼女の背中をそっとさする。
やはり、この少女は恐ろしい術力を秘めている。ジェームスはそれを痛感した。これは間違いなく自分以上の魔力だ。
となれば、追手は何らかの形で彼女から呪詛を浴びせられたのだろう。喋ることができないエレインが、どうやってそれを行ったのかはわからない。
「……大変だったね。本当に、残念だ」
自分が動くのがもう少し早ければ、この事態にはならなかっただろう。尊敬する先輩をこんな形で失うとは、本当に残念なことだ。
それ以上に気になるのが、このエレインという少女だ。呪詛で人を殺せるほどの魔力、放っておけばどうなるかわからない。そして、彼女の精神的な支えであったであろうリチャードもいないのだ。彼女の力が暴走しないとは言い切れない。この惨状もそれによるものだろう。
ここでこの力を押さえ込むのは簡単だ。だが、それはリチャードの意志に反するだろう。
思い上がりかもしれないが、自分が導かねば。
「……エレイン。よかったら、僕と一緒に来ないか?」
その問いに、エレインは小さく頷いた。
十年後、王国の人口は大幅に減少した。
読んでいただき、ありがとうございました。
数年前に書きかけてたやつを今になって仕上げたので、結構読み辛い部分もあったかと思います。
最後の一行はホラー映画的な感じでひとつ。スタッフロール終わった後に、みたいな。




