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月の刃 海に風  作者: 神崎真
本編
4/13

第4話

 水平線上に姿を現した島は、予測していたよりもだいぶ大きなものだった。

 切り立った崖に囲まれているようだったが、海面よりもかなり高い位置に森と呼べるほどの樹木が密生している。

「期待できそうじゃないか」

 目の上に手のひらで庇を作りながら、ガイが呟いた。

 あれほど緑があるのであれば、それだけ成長に必要な真水も存在しているのだと考えられる。

「もし水がなかったとしても、汁気の多い果物でもあれば助かりますな」

 食糧管理を一手に引き受けるタフは、手すりから身を乗り出すようにして目をこらしていた。その他の者達も、島を目の当たりにして活気が出てきている。誰もが一刻も早くたどり着こうと、それまで以上に元気良く働き始めた。



 島のまわりはやはり崖によって海面から遠くへだてられていたが、彼らは落ち着いてゆっくりと周囲を巡っていった。仮に上陸できそうな地点が見つからなかったとしても、この船には有翼人種のガイという存在がいるのだから、その点は気楽なものだ。

 幸いにも三分の二ほど過ぎたところで、崖が内側にむかってえぐれ、狭い入江を形成している部分にゆきあたる。

 さっそく小舟を下ろし、コウとトルードが水夫を連れて上陸していった。

 待つほどもなく、結果があらわれる。

 固唾を飲んで見守る船上からも、崖を調べていた仲間達が活気づいたのが見えた。あったぞ、水だ! という叫びとともに、その手がぶんぶんと大きく振られる。

 船上でも全員が歓声を上げた。拳を突き上げる者、互いに肩を叩きあう者などであたりはいっとき騒然となる。気の早い人間は指示が飛ぶより早く空の樽を用意しに走りだしていた。

「みんな、ご苦労様。少なくとも明日まではこの島で過ごすことにするから。手の空いた者は自由に上陸してくれてかまわないけど、武器を持っていくのは忘れないように」

 後甲板からジルヴァの声が降ると、それを受けてユーグが指示を出し始めた。まずは船をこの位置に係留するべく、重い錨が投げこまれる。それから小舟が戻ったら積み込めるよう、幾つもの樽が運び出され始めた。

 それらの仕事ぶりをしばらく眺めていたジルヴァだったが、やがてなにも問題はないと判断したのか、ガイを促す。

「ユーグ」

 忙しく指揮している副船長に一言断って、二人は階段を下り船長室へと向かった。

 後甲板の下、右舷の船尾側にある扉を開けて内部に入ると、むっとした空気が彼らを出迎えた。ジルヴァを寝台の上に下ろしたガイは、船尾と船縁側の壁にある窓を押し開ける。そうして扉の方は閉め、戸板に開いた小窓にも(とばり)をかけた。

 ジルヴァが深々とため息をついて、寝台に上体を倒す。長い三つ編みが敷布の上で蛇のようにうねった。

「お疲れさん」

 戻ってきたガイがわずかな隙間に腰を下ろした。その重みを受けて狭い寝台が沈む。大きな手のひらが無造作に伸ばされ、ジルヴァの頭をぽんぽんと撫でた。

「水があって良かったな」

「んー……」

 枕に半ば埋もれた顔からは、くぐもったような呻きしか洩れてこない。

 進路を変え島に寄ることを決定したジルヴァだったが、そこに水があると確信していたわけではなかった。そうするより他ないと思ったからこそ選んだ道だったが、もしここで水が見つからなかったなら、この先の航海はかなり厳しいものになっていただろう。

 この船の乗員全ての命を預かる彼は、それだけの責任をその肩に負っている。しかも迷いをあらわにすることは許されていなかった。船長である彼が不安な素振りを見せれば、それは即、下の者の動揺に繋がる。経験を積み、それなりの自制心をそなえた幹部級の者達ならばともかく、下級船員や臨時雇いの水夫達の心は特に揺らぎやすいものだった。

 ジルヴァの指示に従えば助かるのだ、と。そう信じさせることができなければ、少ない水を巡って奪い合いさえも起こりかねない。空間の限られた船上でそんな事態が生じれば、助かる人間さえも助からなくなるのは目に見えていた。故に彼は、動じることなく悠然と、いつも通りの姿を皆の前で演じてみせていた。ガイを従え、ゆったりと寝椅子に横たわり、時には軽口すら叩きながら。

 幹部の何名かは、そんな彼の演技に気がついていただろう。そしてそれがそれほどの精神力を要するものだったのかもだ。

 だから、

 無事に水を見つけられた今、よほどのことがない限り、しばらくはそっとしておいてくれるはずだった。

「なんか飲む?」

 ガイの問いかけに、小さな頭がふるふると動く。

「そんじゃちっと寝るか」

 立ち上がろうとする服の裾を、突っ伏したまま伸ばされた腕がつかみ止める。

「……腰、いたい」

「りょーかいっ」

 応じてガイは床に手を伸ばした。下ろされていた足を持ち上げ、寝台の上でうつぶせになる姿勢をとらせる。それから腰のうしろに両手を当てた。体重を掛けるように押すと、とたんにうめき声があがる。

「猫っかぶりも大変だよなあ」

 腰から下半身にかけてを、ぐいぐいと強弱をつけてもんでゆく。

 ジルヴァは一日のほとんどを座るか横たわるかの姿勢でいざるを得ないため、腰は痛むわ血行は悪くなるわ、気をつけていなければ皮膚は擦れるし関節は固まるしで、実際のところ大変だったりするのだった。故にこうしてこまめに筋肉や関節を揉みほぐし、筋力が落ちないよう日々の鍛錬も怠らないでいる。

 商人として取引の場にのぞむ彼しか知らぬ者達は、ジルヴァを華美な装いを好む艶麗な佳人だとしか思っていない。それはもちろん望むところであるのだけれど。

 しかしどれほど浮世離れした、時に魔物と称されるほど神秘的な雰囲気を身に帯びる彼であっても、実際のところはやはり、現実を生きるただの人間でしかないのだった。

「ひと休みしたら島に下りる?」

 膝と足首の関節を曲げ伸ばししてやりながら、ガイがそう言葉をかける。

「う……ん、下りるー」

 ジルヴァの返答は、眠気すら感じさせる力の抜けたそれだった。

 枕を抱えてうなっているその姿は、もはや色気もへったくれもあったものではない。こんな様子を目にしたならば、妙な誤解をしている連中も一発で納得してくれそうなものなのだが。しかしジルヴァがこういった態度を見せるのは、ごく少数の人間に限られているのだった。

 ―― ついでに言うならば。

 たまたま扉の近くを通りかかった水夫のひとりが、室内から聞こえてくるくぐもった呻きと寝台がきしむ音を耳にして、真っ赤な顔をして立ちすくんでいたりもしたのだが。

 実はそれも、この船ではそう珍しくない光景だったりすることを、扉の内にいる二人は知るよしもなかった。


  ◆  ◇  ◆


 切り立った岸壁の隙間から流れ落ちる水は、川と呼べるほどに多くはなかった。せいぜい手を洗うのにちょうどいいといった程度か。だがそれでも時間をかければ充分に、必要なだけは確保できる量だ。

 水を受ける簡単な樋を作り、樽に貯められるよう位置を定めたあとは、交代で見張りをするように命じる。

「コウ、こっちから上がれそうだ」

 あたりを探索していたトルードが、崖のむこう端から手を振ってきた。

 高い崖が直接海に落ち込んでいる島の周辺で、このあたりだけがわずかに内側へ落ちくぼむ形になっていた。そこに砂が溜まり入江を形成しているのだが、狭い砂浜の後ろにはやはりむき出しの岩肌が、大人の背丈の何倍もの落差を形づくっている。トルードが立っているのは、水を見つけたのとほぼ反対の、波打ち際に近いあたりだった。どうやらそこに亀裂があり、岩の間を伝って登っていけるらしい。

「何人か連れて行け。武器を忘れるな」

「判ってるっての」

 お前らついてこいと、手早く何人か選び出して割れ目にとりつく。大柄な体格に似合わず身軽に登ってゆくのを見送って、コウは肩に通して持っていた弓を手にとった。ここはなんの情報もない、まったく未知の島である。どんな危険があるか知れたものではなかった。腰に下げた(えびら)の矢羽根をいじりつつ、あたりに鋭い視線を投げる。

 やがて真上の崖からトルードの声が降ってきた。

「そこ、危ないからよけてくれ!」

 なにごとかと見上げたそのすぐそばに、人の頭ほどもある塊が降ってくる。ドスンと鈍い音をたて、それは砂の上を転がった。

「トルードッ」

 反射的に数歩退いて怒鳴りつける。

「だからよけろって言ったろ」

 反省した様子のない楽しげな笑い声と共に、さらに数個同じものが投げ落とされる。

 それは海辺でよく見られる、固い殻を持つ木の実だった。割れば豊富な水分を含む果肉がたっぷりと詰まっている。持ち運びがしやすいため、水の代わりにと積む船も多い。

「大当たりだぜ、この島! さすがは船長(キャプテン)、良い勘してる」

 崖の縁から頭がのぞく。

 童顔を気にして髭を伸ばしているトルードだったが、そんなふうにしているとまるで効果はなかった。脳天気なその言い草に、コウは表情には出さぬまま内心でため息をつく。

 が、次の瞬間、彼は弓を引き寄せ鋭い目で海上をふり返った。トルードもそれに気づいたのか、表情を引き締め顔を上げる。

 両者の緊張はすぐに解かれた。

 羽ばたきの音と共に、ガイが波打ち際に舞い降りたのだ。その両腕にはもちろん、彼らの船長がしっかりと抱かれている。

「とと……っ」

 水飛沫に追われるようにして、乾いた場所へと上がり、そのまま砂を踏んでコウのもとへと歩み寄ってきた。

「お疲れさま。様子はどう?」

「今のところは、なにも」

 問いかけてくるジルヴァに、コウは短く返答した。

「船長、これこれ」

 崖の上からトルードが木の実を持ち上げてみせる。いかにも嬉しげなその仕草に、見上げる二人の顔がほころんだ。

 コウは流れ落ちる水を器に受け、ジルヴァに差し出す。

 船上で飲むよどんだ汲み置きとは違う、新鮮な水だ。よく冷えているとまではいえないが、それでも船乗りにとっては最高の味である。

「ん、おいし」

 受けとったジルヴァは半分飲んで、残りをガイの口元へ運んだ。

「上に行った連中が、なにか獲物を見つけられると良いんですが」

「そうだね。新鮮な肉があるとみんな喜ぶだろうし」

 崖を見上げるジルヴァにガイが問いかけた。

「上がってみる?」

 持ち主の意志によって体積を変えるその翼は、今は邪魔にならない程度の大きさで背中にたたまれていた。濃い茶褐色を基調にところどころ混じる白い羽毛。長く伸びた風切り羽が、猛禽類の持つ力強さとしなやかさを見る者に感じさせる。

 有翼人種である彼がいることで、ジルヴァの行動範囲は飛躍的に広がっていた。なにしろガイが乗り組むまでの彼は、桟橋が整った設備の良い港でしか下船することができなかったのである。それが今ではこうだ。

「うん」

 空になった器をコウに返し、ジルヴァはガイの首に抱きつく。

「お気をつけて!」

 手を振る水夫達の顔を、羽根の起こした風が叩いた。途中で何度か岩肌を蹴って、二人の姿は崖の上へと消える。

 手をかざしてそれを見送ったコウは、視線を下ろすと同じように上を見ている部下達を眺めた。

「今日はここで夜を明かす。焚火の準備をしておけ」

 その言葉に、手を止めていた男達は慌ててそれぞれの作業を再開した。

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