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月の刃 海に風  作者: 神崎真
本編
2/13

第2話

 海賊船が黒い点にしか見えなくなる頃になって、ガイは敬愛すべき船長を嘆息混じりに見下ろした。

「積荷全部よこせってのは、ちょっとばかしせこくなかった?」

「そうかな」

 寝椅子に身を横たえたジルヴァが、けだるげな視線をむけてくる。落ちかかる髪をかき上げている仕草を見て、ガイは自身の帯を探った。

「あいつらのせいで余計な労力を使わされたんだよ。見返りは意地でもとらなくちゃ。こちとら商人だもの」

 商売人たる者、ただ働きなど言語道断。働かされた分の報酬はなんとしてでももらわなければ、と。そう告げるジルヴァの声は、先刻までの威圧感すら漂わせた、冷たく張りつめたそれではなかった。響きの良さはそのままだが、砕けた感のある話し方がぐっと柔らかな印象をもたらしている。瞳に浮かぶ光もまた同様に、鋭さを消した穏やかなものだ。

「なるほどねえ」

 隠しから櫛を取り出したガイは、断りもなくジルヴァの頭へと手を伸ばした。

 高い場所で風に吹きさらされていたため、長い銀髪はかなり乱れてしまっている。座った状態で椅子の座面をもおおってしまう、船上生活においては邪魔以外の何者でもないだろう非常識な長さのそれを、ガイはひとまとめにしてくしけずり始めた。非常識といえば、着ているその衣服も同様である。膝下まで達するゆったりとした上衣(シャツ)に、同じくゆったりと余裕を持たせ足首で絞る型の脚衣(ズボン)。上衣の腰は房のついた飾り帯で締めており、上からは丈の短い胴着をはおっている。大金持ちの姫君でもあるまいに、海上を行く商船でこんな非機能的な格好などしていては、仕事どころか日常生活すらおぼつかないはずだった。

 だが、冒険商人モーフリシュ商会の代表であり唯一の持ち船の船長でもあるジルヴァは、そんな格好を長いあいだ貫き通してきていた。そして今後も変わらず続けるつもりでいる。

 少なくとも彼は、たとえ髪を切り動きやすい衣服を身にまとったところで、こなせる仕事などなにひとつ増えはしなかったのだから。

「ま、水と食料は残してやったんだし、いっか」

「そうそう」

 判ってるじゃないかとうなずくジルヴァの後ろで、髪を梳き終えたガイが今度は編みこみに着手する。

 一段高くなった、後甲板(クォーターデッキ)へと上がる階段の脇に、ジルヴァの寝椅子は置かれていた。進路を決める際や天候を見る必要がある時などは、操舵室のある後甲板に上がることもあったが、だいたいにおいてその場所が、船長である彼の定位置となっている。甲板上を一目で見わたせるそこは、逆に言えば甲板すべてから見ることのできる位置でもあった。実際、嵐と戦闘と、たて続けに起きた騒ぎの後かたづけにいそしむ船員達の目からも、彼らの姿は丸見えである。

 けだるげに横たわる見目うるわしき船長を前に、そばの木箱に腰かけ、その髪を手入れしている配下の青年。人並みはずれたたくましい背を丸めるようにして、髪を編んでいくその手つきは、ちょっと意外なほどに器用で手慣れたものだ。そんな光景に一部の水夫達は、まるで見てはならないもののように懸命に目をそらしたり、あるいは逆にちらちらと興味深げな視線を向けたりなどしている。

船長(キャプテン)

 呼びかけに、ジルヴァが顔を上げた。身体の方は寝椅子に寄りかかったまま、そばに立つ副船長の方へと顔を向ける。

「ああ、ユーグ。怪我人の様子は」

「ザギとアサークが掠り傷を。あとナジャルがちょっと」

「ひどいの?」

 ふと眉をひそめたジルヴァに、ユーグはため息をついてかぶりをふった。

「いえ、怪我そのものはたいしたことねえんですが、なにしろ若えもんで」

 ようやく見習いを脱したばかりというような経験の浅い水夫は、初めての戦闘ですっかり怖じ気づいてしまったらしい。

「やれやれ」

 ジルヴァもまた呆れたように肩をすくめると、背後へと視線を投げた。

「ちょっと待った。もう少し」

 ガイは二人の会話にもまるで頓着することなく、手を動かし続けていた。ややあってゆるく編みあげた最後に、鮮やかな色合いの飾り紐を結ぶ。

「おし、できた」

 長い三つ編みを肩から前へ流してやり、ガイは木箱から立ち上がった。軽く尻をはたき、そうして横たわるジルヴァをしみじみと眺める。

「んー、やっぱただ編んだだけじゃ寂しいよなあ。次は細布(リボン)でもいっしょに編み込んでみるか」

 上から巻きつけるのもありかな、などと顎に手をやってひとりごちている。

 その言葉を受けて、ジルヴァはくすりと笑った。思わずこぼれたといった風情のそれは、まるで子供のように邪気のない微笑みだった。華奢で小柄な彼がそんなふうに笑うと、本当に年端もいかない少年であるかのように見えてくる。

 まあ、ただの子供と思うには、彼はいささか美しすぎる容貌であったのだが。

「まあそのへんを試すのは今度にするとして、とりあえずナジャルのとこ行こっか」

 そう言いながら、ジルヴァは両手を差しあげた。

 ゆとりをもって仕立てられている異国風の衣装は、袖にもひだが寄せられており、ふくらんだ薄い布が細い腕を包むように揺れていた。刺繍や飾り(ぼたん)といった華美な装飾こそなされていなかったが、上質な布をふんだんに使った贅沢なつくりだ。

 かがんだガイの首にその腕がまわり、そうしてジルヴァは再び寝椅子から抱き上げられる。

「船倉?」

 ガイが数度ゆすり上げるようにすると、ジルヴァの視線がわずかに上になる位置で落ち着いた。曲げた肘に半ば腰かけるようになった体勢は、よほどの体格差と抱きかかえる側の膂力がなければ辛いものだ。だが抱く方も抱かれる方も慣れているようで、危なげなく安定している。

 頬すら触れそうに近い距離で、濃紫と金褐色の瞳が互いの姿を映していた。

 しかしそれも一瞬のことで、ふたりはなんの感慨も見せず視線をはずし、傍らの副船長を同時に見下ろす。

「かな?」

 問いかけるようちょっと首を傾げた船長に、ユーグはなんとも言い難い表情でがりがりと頭をかいた。

「ふたりとも、もうちょっとまわりからどう見えてるのか、気にしちゃもらえませんかね……」

 そう言ってあたりに視線を投げると、水夫達の何名かが、はじかれたように目をそらした。みな良く陽に焼けた浅黒い肌の持ち主ばかりだったが、それでもどことなく赤くなっているのが見て取れる。

 以前から乗り組んでいる古参の船員はともかくとして、航海のつど契約する臨時雇いの水夫達などは、完全にこの二人の関係を誤解しているようだった。傾城の美女とはかくあらんと思わせる絶世の美貌を備えた年若き船長と、片時もそのそばを離れることなく、献身的に身のまわりの世話を焼くたくましい青年だ。邪推するなという方が無理というか、むしろそうでもなければこの以心伝心ぶりには到底説明がつかないと言えるともいうか。

 そもそもガイがこの船に乗り組むまでの数年間、歩くことのできないジルヴァの足代わりをユーグが務めていた頃には、そのような誤解を受けることなど一度としてありはしなかったのだが。

 ……見た目の問題だけじゃないよなあ、多分。

 などとユーグは内心でため息をつく。

 確かにこの二人が並んでいると非常に絵にはなるのだが、原因はけしてそこにあるのではないだろう。

「どうって……別に今は猫なんざ被ってないよな」

「うん。さっきみたいな交渉の時ならともかく、普段からなんてやってられないってば、あんなの」

 じゃあなんで? と二人して顔を見合わせている。

 ようやく少年期を脱したばかりのこの若き商船船長は、既に己の美貌を最大限活用し、取引を有利に運ぶことを知っていた。非常識なほどに伸ばされた長い銀髪も、異国風の非効率的な衣装も、つまりはそのための道具立てというわけなのだ。目を引く美貌と澄んだ声が織りなす話術、正式な取引の場ではさらに装飾品や香などまで駆使し、目の前の交渉相手を幻惑する。そうして時に現実感すらも曖昧にさせることで、彼は場の流れそのものを味方につけるのである。

 幼い頃に負った怪我のせいで、自身の足でまともに歩くことすらできぬ、船乗りとして、商人として致命的ともいえるだろう不自由な身体のジルヴァが、しかし一船を統率する者として部下達から認められている。

 その理由のひとつとして、優れたその交渉能力があげられる訳なのだが ――

 だが、そんな彼も逆に判ってはいないらしかった。取引の場で意識して美しく装うのとはまた別に、そうやってくつろいだ風情で男に身を預けていることが、かえってその無防備さ故に人目を引くのだということが。

 態度を飾ることなく無邪気に笑い、軽口を叩きあうことで、むしろよほどうち解けあっているように見えるのだということが。

 はっきり言って、これでデキていないという方が詐欺である。

「で、ナジャルはどこですって?」

 おそらくはこの状況を引き起こしている最大の要因であろう、どこまでも世話好きで気は優しく力持ちな、要するにはた迷惑なほど面倒見が良いだけの保護者属性の持ち主が、悩みの欠片も感じさせないのほほんとした口調で問いかけてくる。

 ……まあ、これはこれでしかたのないことでもあるのだが、と。

 かつてのジルヴァを知るユーグなどは、最終的にいつもそう結論せざるを得ないわけで。

「こっちです」

 もろもろを呑み込んで先に立つ彼を追って、ジルヴァを抱いたガイは足どり軽く甲板を後にするのだった。

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