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まだホールアウトには早過ぎる…  作者: パーシモン響
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第2話 ツーサム ~18H、420y、Par4

 17番ホールでパターを手にしグリーンに向かう三枝は、ピンの下に付いた自分のボールが3mにも満たない距離であることを確認すると軽く頷いたが、満足そうな表情ではない、むしろ悲しげなものに染まっているように見えた。

…このホールだったな、私が初めてホールインワンをしたのは。それでも、あいつはそれを見ても恐れることもなく負けじとピンそばに付けてきたっけ。

冬の早い日暮れがコースを紅く照らし、その池越えのショートホールを一際美しく染める。


 三枝の脳裏は、これから挑むバーディパットのことより、その思い出に占められているようだったが、グリーンはおろか、周りのラフやバンカーにも他のボールはなく、ワンサムでのプレイだった。

その寂しさのせいで、三枝の顔が曇り勝ちなのではなく、それは2週間ほど前ある女性から呼び出された話に遡る。


 三枝はあるスポーツブランドの衣料品を中心に扱う商事会社に勤め、40代半ば、営業部門の中心として働き、牽引役という存在である。

呼び出してきたのは、担当地域は違うが、同じ営業の同期、弓削弘蔵の妻、久美子。学生時代からの交際から結婚し、いつも弓削の傍で朗らかな表情を浮かべている彼女であったが、会社帰り駅前の喫茶店で向かい合った今はげっそりとやつれ、深刻なことだと三枝は覚悟した。

それでも、切り出された話に思わず、驚きの声をあげた。

「そ、そんな信じられない。あのタフなあいつが余命3ヶ月だなんて…」


 弓削は親友と言える相手、良い意味での好敵手。それは仕事の上だけでなく、ゴルフにおいてでの意味合いが大きい。

違う大学出身ではあったが、学生時代にお互いゴルフ部に在籍していたのが縁、色んな大会で顔を合わせ、競い合った。幼い頃から父に手解きを受け、洗練されたゴルフを身に付けた三枝に対し、高校では野球をし、それを下地にしたパワフルな弓削のプレイスタイルは対照的であったが、スコアでは凌ぎを削る腕前だった。

大学4年の最後の大会になった関東学生連盟会長杯でも、プロ志望を表明している者を差し置いて、二人で最後まで優勝を競い合い、ライバル心を燃やした。

ゴルフは趣味の域を越え、生甲斐といえるほど好きであった三枝であるが、プロという道は想像し難く、誘いのあった今の会社に入る、そして、入社式で再会した弓削も同じ考えだと知り、意気投合した。

それからのゴルフは、会社関係でのコンペは二人でベスグロを取り合い、社会人選手権やアマの競技会でも度々顔を合わせ、お互いを意識し、目標とした。

そんな間柄ではあったが、一歩グリーンを離れると、繊細な三枝と正反対で豪放的な弓削は馬が合い、共に妻子が出来ても家族ぐるみで親交し、二人の仲は深まった、そして、どちらからとはなく言い出し、ここ10年ほど前から、年に一度12月になると、プライベートのツーサムでラウンドし、純粋にゴルフを楽しみ、やはり勝ち負けを競い合った。

それはホールマッチで争い、大概最終ホールまで勝負はもつれた。しかし、その伯仲した戦いに比べ、賭けるチョコレートは僅かに戻ってくるクラブハウス脇の自販機の缶コーヒー一本。

コーヒーで温められた息をより白く吐きながら、憎まれ口を叩き合うのが常で、

「今日のコーヒーは格別に美味いよ、俺の18番のセカンドには恐れ入っただろう?」

「ちっ、俺のドライバーのほうが飛んでいたのに…」

「だから、お前はまだまだ青いんだよ、…ゴルフはあがってナンボのものさ、アハハ」

「くそっ、…来年は見ておけよ」

ささやかなコーヒーは至福の味やより苦味の利いたものに昇華し、勝負の余韻に浸りあうのに一役買った。

…その弓削が病魔に蝕まれてると!、そういえば、最近ゴルフで一緒になることもなく、会社で顔を合わせた時も顔色が悪く見え、気にはなったが、まさか!


 「肝臓ガンなんです、もう手の施しようのないほど転移しているらしくって…」

涙ながらに話す久美子にかける言葉は三枝に見当たらない。

「それで…、毎年の12月のあのゴルフなんですが、今年もこれだけは行きたいと…、とても18ホール回る体力は残ってないのですが、せめて最終ホールだけでも三枝さんにご一緒して頂きたいと申しまして…。それが済めば、思い残すことなく病院に入ると…」

「あいつ、弓削は症状のこと分かっているのですね?」

ハンカチで顔を覆った久美子は、微かに首を縦に振った。


 三枝はホール毎に、数々の思い出を巡らせクラブを振った、スコアなどは二の次で感傷に流されそうなものを友の為とグリーンを目指し、とうとう17番…。

 カップインしたボールがカランと音を立てたが、こんなに無味なバーディは初めてだった。

…どんな顔をして18番に行けばいいんだ?、俺もずっとこのゴルフを楽しみにしていたし、今年は、コーヒーを奢らせると意気込んでいたのに……。


 三枝は18番に続く細いカート道を歩きながら時計を見た。

…ちゃんと来てるだろうか?、ちょうど約束の時間になったが。

二人の好みが一致したこのゴルフ場、支配人に事情を話し、最終のツーサムを予約した、そして、三枝一人で17ホールを回り、特別にフェアウェイまでカートを乗り入れることを許された弓削と18番で合流することにしてある。


 「どうだ?、ここまでのスコアは?」

「ああ、イーブンだ、今日の俺は手強いぞ、去年のようにはいかない」

「それは楽しみだ。…俺がオナーでいいな」

カートに乗って待ってればいいものを、ゴルファーのプライドだろうか、弓削はドライバーを杖にして、ティグランドに立っていた。

二人とも病気のことは触れなかった、否、触れられず、少しでもこの時間、このラウンドを大切にしようという思いでいっぱいだった。

素振りもせずに、しばらくじっとフェアウェイを見つめてからスイングを始めた弓削、いつもの力強さは影を潜めたが、リストターンを上手く使うスイングは、そのまま、紅い空に白くドローの軌跡を描いた。

「グッショー!」

「ふん、そんなに飛んでないさ、200も越えてないだろう…」

三枝はそれには答えずに、自分もティアップした。最終ホールらしく広いフェアウェイ、だが、230y越えるセカンド地点からは下りのライになり、グリーン手前にはせせらぎが流れる難しいミドル。

…左サイドにポジション取って、高いフェードでグリーンを攻めたい。

純粋にホール攻略に没頭した三枝、狙い通りにドライバーを放った。

「グッショー!、…流石、俺が生涯のライバルと認めた男だ」

やはり律儀に、ティグランドの端でボールの行方を見つめる弓削が言った。


 ティアップするドライバーは、まだ打ち易かったのだろう、前傾の深くなるアイアンは体に堪えるのか、弓削は、グリーン傍に来るのにだいぶ手こずり、ようやく5打目のアプローチをOKに付けた。

それに引き換え、計算通りにパーオンした三枝、二人の影が長く伸びるグリーンでバーディラインを読む、6mほどのスライスライン。

だが、それは涙に滲み、ラインがぼやけ、ボールの後からカップを覗きこむ姿勢のまま中々立ち上がれない。

長く細い息を吐くと、やっとアドレスに入ったが、ラインは見えてなかった。それでも、三枝は気丈にパットした。

…入るな!、入ると終わってしまう。

業と負ける訳には行かないが、終わらせるのも嫌という複雑な思いが募ったもの。

そんな三枝の気持ちが乗り移ったのか、1m以上もショートした。

「どうした?、得意のスライスラインじゃないか…、俺に同情か、そんなものは入らんぞ」

弓削は言葉を荒げたが、それには応えずに、意を決したようにボールに近づき、三枝はマークもせずにボールをピックアップした。

「おい!、そんなの俺はOKしないぞ、ちゃんとパットしろよ」

気色ばむ弓削に三枝は、そっと近付き、肩に片手を置き、ボールを差し出した。

「この頃、目が悪くなってな、…日暮れ時で良くラインが見えないんだ。…それで、日没順延ってやつだ。また来年、続きをやろう」

そして、そのタイトリストを握らせると、そのまま肩を貸して、カートへと歩き出す。

「あの会長杯で見せた粘りはどうした?、ピンチのときほど強い弓削じゃなかったか……、治療受けて、もう一度やろうぜ、奇跡があるかもしれない。俺たちのゴルフに終わりはないさ」

「……ああ、そうだな。……ありがとう、三枝。…でも、今日のコーヒーは、お前が奢れよ」

「ちっ、それとこれは話が別だろう…、アハハ」

涙交じりの笑い声がグリーンサイドで沸いた。


 3ヶ月と宣告された弓削の命、医者が驚くほどの頑張りを見せ、また次の秋を向かることができたが、二度とティグランドに立てることはなく、木枯らしが吹き始めた頃、静かに息を引き取った。

その弓削の枕元には、あの日の三枝のタイトリストが見守るように置いてあった。

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