第1話 ショートカット ~7H,546yPar5
高台になったティグランドに二人の男が上がり、目の前に右ドッグレッグのロングホールが広がる。そのまさしく犬の足ごとくの曲がり角、フェアウェイは狭く、右コーナーのバンカーは鰐が獲物を襲うように大きく口を開け、左サイドには松林が待ちうける。その背景には色取り取りに紅葉した山々がコースと美しく紡ぎ合ってるが、先にティアップした男の目には入っていないようだった。
…相変わらず、堅いな、湯浅君、今日の出来とこの風なら、ショートカット狙っても。
このサンシャインヒルズゴルフ倶楽部、誰もが認める実力ナンバー1、スクラッチプレイヤーの西條は、アドレスに入った湯浅がスプーンを手にしているのとフォローの風を感じ、そう思わずに入られなかった。それに加え、スタンスとフェースの向きに微妙な乱れまで目にし、
…安全策の時ほど緩み勝ち、フェアウェイをキープできればいいが。
そんな西條の危惧をよそに、湯浅はティショットを放ち、少し厚めのインパクト音に続き、軽く舌打ちした。およそ冷静で紳士的な湯浅らしくなく。
…くそっ、捕まり過ぎた、どうもこのホールは苦手だ。西條さんに、もう少しも隙を見せてはならないのに。
この日は、ストロークプレイの予選を勝ち上がった上位16人がマッチプレイのトーナメントを繰り広げるクラブチャンピオン戦の第3日、このラウンドが27ホールマッチの準決勝、勝負は25ホール目の7番までもつれていた。
その湯浅の舌打ちどおり、勢い良くやや左に出たボールは、途中からフックがかかり、深いラフへと消えた。そして、落胆した湯浅に変わり、ティグランドに立った西條は見事なドライバーショットを放ち、右コーナーのバンカーをキャリーで越え、難ホールを手懐ける事に成功し、6番でやっと一つ返し2ダウンとした湯浅の息の根を止めた。
…湯浅君はスイングもしっかりしているのに。もう少しメンタルを強くしないともう一皮剥けない。
強さの裏付けなのか、西條は相手にそんなことを思いやる余裕さえあった。
その日の帰り道、ハンドルを握る湯浅の顔は曇り勝ちだった。ベスト4進出、しかも優勝した西條に結構食らい付いたのだから、ハンディ7の身にとっては胸を張ってもいいようなもの。
それでも、湯浅の聡明な風貌の眉根は寄ったまま。それは、フックしたティショットが原因でなく、これから帰る家庭が問題だった。
父が開業医だった湯浅、自身も後を継ぎ、医者になり美容整形の看板を上げ、時代の流れもあり、繁栄させていた、そして、一人息子の正彰も2年前に医学部に合格し、これからは、趣味のゴルフにより打ち込めるかと安堵していたが、一週間前のこと、専門を選択する時期を迎えた正彰から、
「僕、外科に進むよ、大学の救急医療で勉強したいんだ」
と思わぬことを告げられたからだった。
…あいつは下らぬヒューマニズムに酔っている。
最近、国内外のドラマでそういう分野にスポットを当てたものが持て囃され、そのヒロイズムが強調されている。
…実際の現場は、もっと過酷で生易しいものじゃない、この頃は医療ミスを騒ぎ立てるものも多いし。
そんな苦難の道を選ばなくても、自分の下にいれば、順風な人生が保障されているのに。
今まで、はっきりと話し合ったことはなかったが、そうしてくれるものと思っていただけに、落胆の気持ちに反対する思いが重なる。
…あれから、全然話していないが、今日は疲れた、話し合うのはまた今度にしよう。
と、そんな気弱な所はスプーンのミスショットが尾を引いたのかもしれない。
その夜、クラブの手入れをしている湯浅の部屋のドアを正彰がノックした。
「ねぇ、久しぶりにゴルフ連れてってくれない?」
正彰が小学校の頃、練習場へ出掛けようとすると一緒に行きたがり、自然とゴルフを覚え始めた。素質があったのだろうか、見る見る上達し、高校へ上がる頃には、シングルに成り立ての湯浅を凌ぐほどのショットを見せ、ラウンドでは、ショートゲームやマネジメントで、辛うじてスコア的に父親の威厳を保っていた。
最近は大学が忙しく回ってなかったが、珍しいことを口にする。
「ああ、行こうか。…日曜なら何とかなるか?」
「うん、父さんに合わせるよ」
ちょうどあのクラブチャンピオン戦から一週間後、やはりサンシャインヒルズでインスタートのハーフを終え、二人はクラブハウス内のレストランの席に着いた。
BLTサンドを注文し終えると、湯浅は正彰を見遣った。
「どうだったんだ、スコアは?、あまり良くなかったみたいだが…」
「うん、46。…久しぶりだから、こんなものだよ」
「正彰は何でもドライバーを握るからな。…あの狭い14番でも振り回して、OBだっただろう。あそこは、そんな無理をせず…」
二人で回った時のいつもの会話、湯浅は小言のように注意点を話し出したが、正彰は話を遮った。
「父さん、僕、別に美容外科が嫌いじゃないよ、劣等感を持った人の手助けをする立派なものだと思ってる」
「だったら、おまえ…」
「父さんが心配するのは分かるけど、僕、一度医療の原点というものを見てみたいんだ、甘いって言うとは思うけど、僕何も知らないから、厳しい現場で命ってものを勉強したいんだ」
…そんな簡単な職場じゃない、とても大変な毎日だぞ!
窘めようと正彰に顔を向けたが、見つめ返してきたその瞳に曇りはなく、むしろ、その真摯さに湯浅は驚いた。
…こんなに大人の顔してたんだ、正彰って。
言い掛けた言葉を飲み込み、湯浅は先に視線を外し、窓へと泳がせ、スターティングホール脇で盛りとなった紅葉を見つめた。
気持ちが吹っ切れたのか、後半のアウトになると正彰のドライバーショットは冴えを見せ、本来の弾道を、晩秋の晴れ渡った青空に煌かせ、コースのトラップを避けるようにしてフェアウェイに置きに来る湯浅のボールを始終オーバードライブした。セカンドも決して無理をせず、時には花道に落としでもパーを重ねる湯浅に対して いつもピンを見つめ、積極果敢にクラブを振り、時々オナーを手にした。
そんな正彰のゴルフに湯浅は競いながらも、どこか魅せられ応援するような思いが募っていた。
…いいゴルフじゃないか、若さに満ちて気持ち良い。
そして、迎えた7番、ややアゲンストの風が吹き始めたティグランドで、正彰はコーナーのバンカーを見つめる。
…あの縦長のバンカーを越えるにはキャリーで260はいるぞ、それにこの風、どうする?、正彰。
湯浅は一週間前の自身の攻め方と重ねた。
そんな湯浅にお構いなく、正彰はドライバーのフェースをバンカー方向に合わせる。迷うことなく始動されるテイクバック。
…いい背筋だ、それに深いタメ。
高校の頃、コース所属のプロを唸らせた美しく伸びやかなスイング、甲高い済んだインパクト音を響き渡らせる。
「グッショット」
堂々と挑むことの誇らしさを滲ませるようなピンと胸を張った見事なフィニッシュをキープしたまま、ボールを見つめる正彰に、滅多に褒めることのない湯浅が思わず声にした。
その姿勢通りの強い意志を持った球筋だったが、少し高すぎたのか、バンカー近くになると失速し始める。
「越えろ!」
やはり湯浅が声を掛けるが、それも空しく際どくバンカーの土手に辺り、コロコロと転がり戻された。
それでも、正彰は悔いの表情一つ見せることもなく、否、むしろ清々しい顔をして、ティグランドから降りてきて、本人よりも悔しがっていた湯浅をはっと気付かせる。
…うん、そうだよな、若いのだから、そうやってぶつかればいい。始めから逃げるより、ずっと気持ちいいじゃないか。それにライが良ければ、良い所に出せるし、あんな攻めもいい。
フェアウェイを歩き出した正彰が一段と大きく見え、羨ましささえ感じた。
青々としたフェアウェイの色が、枯れ草色に染まり始めた12月、月例会の最終戦、各月の優勝者とポイント上位者で行われる、いわば、この年の優勝者を決めるようなもの。
どの参加者も一段と気合の入った表情を見せ、スタート前の準備に余念がない。
そんな中、本命の西條は数本のクラブを手にドライビングレンジへと足を向ける。20ばかしの打席はほぼ埋まり、いい緊張感を醸し出している。
…おや、誰かな、いい音響かせて。
と西條が目を向けた先に、人一倍ドライバーを振っている湯浅がいた。
「おはよう…、すごいデモンストレーションだね、皆を威嚇しているのかい?」
甲高いインパクト音を残し、ボールが250yの表示を軽々と越していくのを見ながら西條は軽い口調で話しかけた。
「あっ、おはようございます。そんな、威嚇だなんて、オーバーな…」
苦笑いしながら答える湯浅が握っているドライバーに目を遣り、
…ヘッドは以前のキャロウェイのようだが、シャフトが?
「リシャフトしたのかい?」
「ええ、お目に留まりましたか…、1インチ長くしてみました」
「うん、よく飛んでるね、今日は一段と手強そうだ」
「いえいえ、西條さんには敵いませんよ、これは、ちょっとした7番対策です」
微笑を浮かべるも忌憚なく話す湯浅から、どことなく自信のようなものが窺える。
…この前のミスが薬になったのか、考え方変えたのかな。挑むことの喜びを見出そうとするように、あの慎重な湯浅君が。……これはドライバーの飛距離より、もっと怖いな。今日は湯浅君をマークしたほうが良さそうだ。
空いた打席に入った西條の背中に気合が漲った。