精霊の愛し子は愚者に捨てられる
◆
『ラズリ。早く君に会いたい。王立ブリリアント学園で待っているよ』
一足先に学園へ入学したパイルから送られてきていた手紙には、いつも私への優しい言葉が綴られていた。
昔の彼は、精霊と話す私を気味悪がらず「ラズリには見えないお友達がいるんだね」と頭を撫でてくれる、誠実で優しい人だったのだ。
だが、入学から半年が過ぎた頃から、その手紙はぱったりと途絶えてしまった。
そして今日、私は王立ブリリアント学園に入学した。
彼に何があったのか。
昔のように笑ってくれるだろうか。
不安と期待を胸に学園の門をくぐった。
学園の門を抜けてすぐのところに訓練場があった。
ラズリが訓練場をふと横目に見ると、そこには婚約者のパイルが剣を振る姿があった。
「おっ、パイル様!今日も素晴らしい太刀筋ですね!」
「ああ。俺の手にかかれば、この程度の動きは造作もない」
取り巻きの令息たちに持ち上げられ、得意げに金髪を揺らして笑うパイル。
その顔に、かつての誠実な面影はなかった。
彼は知らないのだ。
彼の剣術の才は、決して彼自身の才能だけで成り立つものなどではないということを。
「……おい、お前。こんなところで何を見ている」
木剣を置いたパイルが、私に気づいて顔を顰めた。
その瞳には、彼の周りを飛び回る精霊たちの姿など微塵も映っていない。
「パイル……久しぶり、だね。手紙、ずっと来なかったから心配で……」
「ああ、ラズリか。気安く話しかけるな。」
冷たく鼻を鳴らすパイルに、私は息を呑んだ。
私を見る彼の目は、まるで価値のない石ころを見るように冷ややかなものに変わっていたのだ。
学園に入学してからの数日で、私は彼が変わってしまった理由を知ることになる。
『光の聖女』、ニア。
光の精霊を従え、強力な治癒魔法を操るとされる男爵令嬢。
パイルは私への手紙が途絶えた半年前から、そのニアにすっかり夢中になっていたのだ。
光の力を持ち、容姿も美しい彼女は、彼にとって最高に「見栄えのいい」存在だったのだろう。
「パイル……あの、今度の新入生歓迎会……一緒に、エスコートして……」
「は?歓迎会?……俺はお前みたいな地味な女を連れて歩く気はない」
廊下で勇気を出して声をかけた私に、彼は面倒くさそうに吐き捨てた。
「歓迎会には、ニアをエスコートすることになっている。彼女こそ俺にふさわしい、本物の宝石だからな。お前は適当に隅の方で大人しくしていろ」
本物の宝石。その言葉が胸に深く刺さる。
聖女ニアを何度か目にしたことがあったが、私の目には、ニアの背後にいる光の精霊が、彼女に怯え、無理やり力を使わされているように見えていた。
だが、その事実を誰が信じてくれるだろうか。
「私が、綺麗なドレスを着て……ちゃんとした令嬢になれば、きっとパイルも昔みたいに……」
来週に迫った新入生歓迎会。
この日のために、私は夜空のように美しい瑠璃色のドレスを用意していた。
昔のように、もう一度私を見てほしい。優しかった彼に戻ってほしい。
そんな淡い期待は、歓迎会の当日にあっさりと引き裂かれることになる。
◆◆
学園の新入生歓迎会、当日。
身支度を整えるため、学園の控室に持ち込んでいた瑠璃色のドレスは、無惨な姿に成り果てていた。
「あ……、あぁ……」
ビリビリに引き裂かれたシルクの布地。
丁寧に入れられていた銀の刺繍は乱暴に引き抜かれ、ご丁寧に上から泥水までかけられている。
もはや、ドレスとしての原型すら留めていなかった。
「あらあら、どうしたの?ずいぶんと『お似合い』の雑巾じゃない」
絶望して立ち尽くす私の背後から、鼓膜に障るような甘ったるい声が響いた。
振り返ると、純白のドレスに身を包んだ『聖女』ニアが、パイルの取り巻きの令嬢たちを引き連れて立っていた。
「ニア、さま……。これ、あなたが……?」
「人聞きの悪いことを言わないでくださる?私はただ、パイル様が『あんな薄気味悪い女が俺の隣に立つなんて反吐が出る』と仰っていたから、不燃ゴミの整理をお手伝いしただけよ」
ニアはコロコロと上品に笑いながら、扇子で口元を隠す。
ニアの言葉を聞き、私の心は完全に折れていた。
パイルが、私を反吐が出ると言った。
その事実だけで十分だった。
「……もう、いい」
「え?」
「もう、どうでもいい……っ!」
顔を覆い、私は逃げるように控室を飛び出した。
歓迎会の華やかな音楽が遠くで鳴り響く中、真っ暗な自室に逃げ込み、ベッドに丸くなって声を殺して泣き続けた。
翌日。
なんとか心を奮い立たせて教室へ向かった私を待っていたのは、さらに陰湿な地獄だった。
新入生たちの間にはすでに「ラズリは聖女ニアを嫉妬から虐めた」「精霊が見えるなどと虚言を吐いている」という悪意ある噂が完全に広まっていたのだ。
誰の言葉も信じてもらえず、机には心無い落書きが刻まれ、教科書は水浸しにされていた。
目に見えない精霊たちがどれほど私を守ろうと寄り添ってくれても、周囲からの悪意は私の心を確実に削っていった。
数日後。
心身ともに限界を迎え、教室に入ることすらできなくなった私の前に、ついにパイルが姿を現した。
「ラズリ、こんなところにいたのか。探したぞ」
学園の廊下。
パイルはいつになく優しい声で、私の肩を抱き寄せた。
「パイル……っ」
「ひどい顔をしているな。……辛かっただろう。さあ、一緒に来い」
パイルの温かい言葉に、張り詰めていた糸が切れ、瞳から安堵の涙が溢れる。
彼だけは、真実を分かってくれるのかもしれない。
昔の優しい彼に戻ってくれたのかもしれない。
そんなすがりつくような思いで、私はパイルに手を引かれるまま歩き出した。
しかし、彼が私を連れて行った場所は、全校生徒が集まる昼時の大食堂の中心だった。
「え……?パイル、ここ……」
「皆の者、聞いてくれ!」
パイルは突然私の手を乱暴に振り払い、大観衆に向かって声を張り上げた。
「俺の横にいるこの女は、己の虚栄心を満たすために愛しき聖女ニアへ陰湿な嫌がらせを行い、見えもしない『精霊』を騙る大嘘つきである!」
生徒たちが、汚いものを見るような目で私を取り囲む。
その中には、勝ち誇ったように笑うニアの姿もあった。
パイルは私を見下ろし、この上なく冷酷な声で告げた。
「愚かな女よ。お前のような底辺の石ころが、俺のような黄金に寄り添うなど身の程知らずもいいところだ。俺は本日、この場をもって貴様との婚約を破棄する!」
大歓声と、私への容赦ない罵声が大食堂に響き渡る。
パイルはニアの腰を抱き寄せ、取り巻きたちと共に去っていった。
冷たい視線の嵐の中、私はただ一人、冷たい床に崩れ落ちた。
◆◆◆
公開処刑とも言える婚約破棄から数日。
人目が怖くて足がすくみ、教室へ向かうことができなかった私は、気がつけば人気のない旧校舎の裏庭園をふらふらと彷徨っていた。
「……私、何のために生きてるんだろう」
ぽつりとこぼした呟きは、誰の耳にも届かない。
その時だった。
「そんなところに突っ立って、何してるんだ。お前もサボりか?」
突然、ぶっきらぼうな声が降ってきた。
ビクッと肩を震わせて視線を上げると、庭園の大きな木の下に、一人の少年が座り込んでいた。
このブリリアント王国では『不吉の象徴』として忌み嫌われる、漆黒の髪と瞳。
長い足を投げ出し、気怠げに本を読んでいたその少年は、面倒くさそうに私を見上げていた。
彼が着ているのは、私と同じ新入生の制服。
確か、アダマント帝国からの留学生だという噂を聞いたことがある。
「あ……ご、ごめんなさい。邪魔、するつもりは……」
慌てて逃げ出そうとした私は、次の瞬間、信じられないものを見て目を見開いた。
少年の広い肩に、見たこともないほど澄んだ魔力を持つ精霊が、ちょこんと座って彼にすり寄っていたのだ。
「あの……あなた……精霊が……」
「あ? ああ、こいつらか」
少年は自分の肩を指差した。
「俺はこいつらの姿は見えねえし、声も聞こえねえ。だが、そこに『いる』ことだけは分かる。……おい、お前ら。今、俺の肩に座ってるだろ」
少年がそう問いかけると、精霊がポフッと彼の頬を一度叩いた。
「一回叩いたから『YES』だな。で、今来たこの女は、お前らの仲間か?」
精霊が再び、少年の頬をポフッと一度叩く。
「なるほどな。お前、精霊が見えるのか」
私は息を呑んだ。
姿は見えないし、声も聞こえないのに、精霊の存在を信じている。
精霊と意思疎通ができている人間に、私は生まれて初めて出会ったのだ。
「……私、ラズリって言います。精霊が、見えるの。でも……誰も信じてくれない。嘘つきだって、皆に……」
怯えながら紡いだ私の言葉に、少年――ニクスはため息をついた。
「この国の連中は、はっきり目に見えるものしか信じねえからな。本物の宝石ってのは、暗闇の中でこそ真価が分かるもんなのに、目が腐ってやがる」
ニクスは本を閉じ、立ち上がって私の前に歩み寄った。
長身の彼に見下ろされ、私は思わず身をすくめる。
だが、彼の漆黒の瞳は、私ではなく、私の背後に隠れるように寄り添っている無数の精霊たちを真っ直ぐに見据えていた。
「おい、精霊ども。こいつは嘘つきか?」
精霊たちが一斉に、ニクスの背中をパタパタと二回叩く。
「『NO』だそうだ。なら、お前は嘘つきじゃねえ」
ニクスはあっさりと断言した。
「お前は本物だ。ただ、周りの石ころどもが、お前の価値を理解できねえだけだろ」
パイルに「価値のない石ころ」だと捨てられた私の心を、ニクスの不器用な優しさが温かく溶かしていく。
「……っ、うぅ……ぁっ……」
顔を覆い、私は庭園の真ん中でついに声を上げて泣き崩れた。
ニクスは慰めの言葉をかけるでもなく、ただ面倒くさそうに頭を掻いていた。
しかし彼は、私が泣き止むまでその場を動かず、吹きすさぶ冷たい風から私を守るように、静かで大きな壁となって立ち尽くしてくれていた。
◆◆◆◆
ニクスと出会ってから、私の学園生活は少しだけ息ができるものになった。
相変わらず教室での風当たりは冷たかったが、昼休みや放課後になると、私は決まって旧校舎の裏庭園へ向かった。
そこにはいつもニクスがいて、私の周りの精霊たちが彼の頬や背中を叩いては、無言のコミュニケーションを取って遊んでいる。
「おい、引っ張るな。髪が抜けるだろうが」
姿の見えない風の精霊に髪を悪戯され、面倒くさそうに顔をしかめるニクス。
その不器用なやり取りを見ているだけで、凍りついていた私の心は少しずつ温もりを取り戻していった。
だが、そんな穏やかな時間は、唐突に破られることになる。
「おいおい。日陰者がどこに隠れているかと思えば、不吉な黒髪の留学生と密会とはな。お似合いの底辺どもだ」
耳障りな嘲笑とともに裏庭園に現れたのは、パイルとニア、そしてその取り巻きたちだった。
「パイル……!」
「パイル様、私怖いですわ。あの黒髪の方……とても不気味な魔力を感じます」
ニアがわざとらしく身をすくめ、パイルの腕にすがりつく。
私の周りにいた精霊たちは、凄まじい怒気に怯え、ブルブルと震えていた。
「安心しろ、ニア。あんな気味の悪い色の連中、俺の剣で掃除してやる。……おい、留学生。その汚い石ころは俺が捨てたゴミだ。そんなものを拾うとは、アダマント帝国の連中はよほど物好きと見える」
パイルの心無い言葉に、私の肩がビクッと跳ねる。
だが、ニクスは立ち上がると、パイルをまるで道端の虫でも見るような冷ややかな目で見下ろした。
「……捨てたゴミ、ねえ。大食堂での騒ぎの噂は聞いてるぜ。大した証拠もねえのに、侯爵家の令嬢を公衆の面前で吊るし上げて婚約破棄。おまけに学園中を扇動していじめの主犯とは、ずいぶんと野蛮な国だな、ここは」
ニクスの低い声が、庭園の空気をピンと張り詰めさせる。
「なんだと?辺境の留学生風情が、この俺に説教する気か!」
「説教じゃねえ。事実を言ってるだけだ。俺はこれでも、アダマント帝国の第一王子でね。我が国の王族が『保護』している恩人に、これ以上陰湿な嫌がらせをするっていうなら……外交問題として、お前の家ごとこの国の上層部に抗議するが、それでもいいか?」
「っ……!」
『外交問題』。その重い言葉に、パイルの取り巻きたちがざわめき、一歩後ずさった。
いかにパイルが学園で持て囃されていようと、一介の貴族にすぎない彼が、強大な軍事力を持つアダマント帝国との間に亀裂を生めば、家が取り潰されるどころの話ではない。
だが、パイルは引き下がらなかった。
これまで「天才」としてすべてを思い通りにしてきた彼は、己の力を完全に過信しきっていたのだ。
「はっ!笑わせるな!不吉な黒髪の分際で、偉そうに吠えるな!我がブリリアント王国において、絶対的な正義は『力』だ!第一王子なんてロクに剣も握ったことないだろ。」
パイルは腰の訓練用の剣を引き抜き、ニクスに切っ先を向けた。
「俺と決闘しろ!俺が勝てば、外交問題の件は撤回し、その女と共に学園から這いつくばって出て行け!」
「……パイル、やめて!ニクスは関係ないでしょ!」
私が悲鳴のように叫ぶが、パイルの耳には届かない。
彼は自分が負けるなど、これっぽっちも思っていないのだ。
これまで彼が誰にも負けなかったのは、私の精霊たちが彼を守り、剣筋を補正していたからだというのに。
精霊の加護を失った今の彼は、ただの『少し剣が使えるだけの傲慢な男』でしかない。
だが、パイル自身も、そして彼のまやかしの才能を信じ切っているニアや取り巻きたちも、その決定的な事実に気づいていなかった。
ニクスは向けられた剣先をじっと見つめ、やがて呆れたようにため息をついた。
「……いいぜ。その安い挑発、乗ってやる。だが、お前みたいなメッキだらけの石ころから奪うものなんて何もねえ。俺が勝ったら、お前がどれだけ中身のねえ空っぽな野郎か、その身に叩き込んでやる」
「ほざけ!訓練場へ来い、今すぐ俺の剣でひれ伏させてやる!」
激昂したパイルが背を向け、取り巻きたちを引き連れて歩き出す。
「ニクス、だめだよ!私のために、あなたが傷つく必要なんて……!」
私がすがりつくようにニクスの腕を掴むと、彼は私の頭にポンと大きな手を乗せた。
「勘違いするな。俺が腹を立ててるんだ。……あんな中身のねえ見栄張りに、お前みたいな本物がコケにされてんのがな」
ニクスの背中を、精霊たちがパタパタと力強く叩く。
その心強い音に背中を押されるようにして、私たちは決闘が行われる訓練場へと向かった。
◆◆◆◆◆
放課後の訓練場には、騒ぎを聞きつけた大勢の生徒たちが集まっていた。
「あの留学生、パイル様に決闘を申し込んだらしいぜ」
「バカだな。パイル様の剣術に勝てるはずがないのに」
周囲がパイルを讃え、ニクスを嘲笑する中、決闘の合図が鳴り響いた。
「死なない程度に手加減してやるよ、黒髪野郎!」
パイルが高らかに宣言し、自信満々に地を蹴ってニクスへと斬りかかる。
だが、その一撃がニクスに届くことはなかった。
「……は?」
パイル自身が一番驚いていた。
彼自身の剣のスピードが、足の踏み込みが、かつての彼とは比べ物にならないほど遅く、鈍かったのだ。
これまではラズリの風の精霊が剣筋を加速させ、土の精霊が足場を固めて完璧なバランスを保っていた。
その『恩恵』が一切ない彼の動きは、ただの「素振りが少し得意なだけの素人」そのものだった。
「どういう、ことだ……?体が、重い……っ!」
「遅えよ。止まって見えるぜ」
ニクスはあくびが出そうなほど単調なパイルの剣を、最小限の動きでひらりと躱し、柄の底でパイルの腹を軽く小突いた。
それだけでパイルは無様にバランスを崩し、泥だらけの地面に這いつくばる。
「おいおい、俺をひれ伏させるんじゃなかったのか? 『天才』が聞いて呆れるな」
観衆からざわめきが起こる。
無敵だったはずのパイルが、まるで手も足も出ずに遊ばれている。
その信じられない光景に、一番焦ったのはニアだった。
(嘘でしょ……!? パイル様が負けて、あんな黒髪の留学生に私が平伏させられるなんて、絶対に嫌!)
パイルという後ろ盾を失えば、彼女の学園での地位も崩壊する。
焦燥に駆られたニアは、背後に繋いでいた光の精霊を無理やり引き寄せ、強い命令を下した。
(あいつの目を見えなくしなさい!今すぐに!)
「やめて、ニア!!」
私の悲鳴と同時に、ニアの周囲から強烈な閃光が放たれた。
それは訓練場にいた全員の目を焼くような、極めて悪質で強力な目眩ましの魔法だった。
「ぐっ……!?」
不意の閃光に、ニクスがわずかに目を庇う。
その一瞬の隙を、パイルは見逃さなかった。
「もらったぁぁぁっ!!」
なりふり構わず振り下ろされたパイルの剣が、ニクスの腕を激しく打ち据え、皮膚を引き裂いた。
鮮血が空中に舞い、ニクスの制服を赤く染める。
「ニクス!!」
私が叫んだ直後だった。
血を流しながらも、ニクスの漆黒の瞳は全く揺らいでいなかった。
「……外野がしゃしゃり出てきやがって。どいつもこいつも、卑怯で薄汚い連中だな!」
ニクスは流血した腕を庇うこともなく、そのまま強烈な蹴りをパイルの腹に叩き込んだ。
「がはっ……!?」
くの字に折れ曲がって吹き飛んだパイルは、地面を数メートル転がり、白目を剥いて完全に気を失った。
勝敗は決した。
だが、その神聖な決闘を外から穢した代償は、あまりにも大きかった。
『――パリンッ!』
空気を切り裂くような高い音が響いた。
ニアが光の精霊を縛り付けていた魔力の鎖が、粉々に砕け散った音だった。
「え……?」
精霊は誰よりも純粋だ。
精霊たちに愛されているニクスを傷つけるため、強制的に力を使わされた光の精霊は、ついにニアを見限ったのだ。
光の精霊はニアの元からふわりと離れると、一目散にラズリの元へと逃げ込んできた。
「嘘、私の光が……消えた……どうなってるのよ!!」
ニアが叫ぶが、彼女の体を覆っていた神々しい光のオーラは完全に消え失せ、彼女はただの力を持たない少女へと成り下がってしまった。
「ニクス! ニクス、ごめんなさい、私のせいで……!」
私は気を失ったパイルにも、力を失って座り込むニアにも見向きもせず、腕から血を流すニクスへと駆け寄った。
「泣くな。こんな擦り傷、大したことねえよ」
「ダメ、血が止まらない……っ、お願い、誰か彼を助けて!!」
私が涙をこぼしながら強く祈った、その瞬間だった。
私を囲んでいた無数の精霊たちが、そしてニアを見限った光の精霊までもが、一斉にニクスの傷口へと集結した。
『――!』
大観衆の目の前で、眩いほどの瑠璃色の光と、温かな金色の光が渦を巻いた。
これまで目に見えなかった精霊たちが、私の強い祈りに呼応して、その姿をはっきりと物質化させたのだ。
「な、なんだあれは……!」
「精霊だ……精霊たちが、あの少女を囲んでる!」
光が収まると、ニクスの腕の傷は跡形もなく消え去っていた。
奇跡の治癒魔法。
ニアが使っていたものなど比べ物にならない、純粋で強大な本物の奇跡。
その圧倒的な光景を前に、周囲の生徒たちはようやくすべてを理解した。
嘘つきはパイルとニアの方だったのだと。
パイルの才能も、ニアの光もすべて偽物であり、精霊に愛された『真の愛し子』は、彼らが価値のない石ころだと蔑んできたラズリだったのだと。
「……ほらな」
ニクスがゆっくりと立ち上がり、私の涙を乱暴に、けれど優しく拭った。
「やっぱりお前は本物だった。俺の目に狂いはなかったぜ」
「ニクス……」
「この国の上層部には、決闘への不当な介入と、我が国の王子への傷害未遂としてきっちり落とし前をつけさせてもらう」
ざわめいていた大食堂の観衆たちが、恐怖と後悔で一斉に青ざめる。
目を覚まし、ふらふらと起き上がったパイルは、私の周りを囲む無数の精霊と、冷ややかな目で見下ろすニクスの姿を見て、絶望に顔を歪ませた。
「俺の国では、精霊の愛し子は国宝扱いだ。お前みたいな本物の宝石を、こんな目利きのいねえ陰湿な国に置いていけるか」
ニクスは、私の手を強く握りしめた。
「俺の国に来い、ラズリ。お前の本当の価値は、俺が一生かけて証明してやる」
その漆黒の瞳は、どんな宝石よりも力強く、私を安心させてくれる確かな光を放っていた。
「……はいっ」
私はもう、下を向かなかった。
愚者の黄金に縋っていた過去の自分と決別し、私は夜空のように不器用で優しい彼の手を、しっかりと握り返した。
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