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光の呼び名  作者: アルエル
序章
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第7章 いつもの距離


見られている。


夜気の薄い冷たさが、屋根瓦の縁に溜まっていた。リーベの街灯は相変わらず均一で、海風に揺れもしない。魔術式の灯りは、感情を持たない。だから、余計な揺れは目立つ。


――私の灯りは、揺れる。


揺らさないこともできる。薄く、薄く、街の光に紛れるほどに落とすことも。けれど完全には消せない。消せば消したで、探す者の意識が鋭くなる。


屋根の上。人の気配が薄い高さ。見下ろせば、港の方で荷の擦れる音が遠くに響き、路地の奥で誰かの笑い声が薄く弾ける。暮らしの音はいつも通りだ。


視線が二つある。


ひとつは、祈りの匂いがする。規則のように整った意識。距離を保ちながら、結論だけを拾おうとする見方だ。守ると言い、包むと言い、最後には“管理”へ落ちる視線。私を救うためではない。秩序の形へ戻すための眼差し。


もうひとつは、冷たい。


位階を測る。捕まえる手順を並べる。人を巻き込む損得まで含めて、最短を探す意識。あれは戦場で覚えた目ではない。狩りの目だ。


どちらも、まだ触れない距離にいる。追ってきているわけではない。けれど、見ていること自体が宣言だった。


――お前をとる、と。


私は光量をほんの少しだけ絞った。街灯の帯に混ざる程度に。輪郭を削り、灯りの端を薄くして、瓦の影へ落とす。


精霊は、普段は見えない。


人間が「見よう」としなければ、私たちは生活の風景に溶ける。見えるのは、現象だけだ。火が燃える、風が騒ぐ、水が満ちる。灯りがともる。誰もがそれを“自然”として受け取る。


だが、例外がある。


見ようとしていないのに、こちらが視界に割り込む者がいる。


今夜の二つの視線のうち、冷たい方は、私の灯りに反応する魔術が出来ている気がした。こちらが薄くしても、見る方法を知っている。街灯の均一さの中から、私の揺れだけを拾う。


厄介だ。


私は息を吐く。精霊に息は要らない。それでも、呼吸の形は落ち着く。旅の途中で、同じ状況は何度もあった。宗教国家でも、魔法使いの街でも。追われ、測られ、価値を付けられ、名前を付けられ、檻の準備をされた。


でもそうなった時のリュミエルのやり方はいつも決まっている。


わざと追わせる。疲弊させる。逃げ切る。


力を振るう必要はない。人を傷つける必要もない。

勝ち負けではなく、手応えのなさとして。時間を奪い、集中を削り、徒労だけを残す。


追う側は、やがて気づく。


無理だ、と。


そうなれば大事にはならない。追う価値のある精霊は「消えたこと」になる。噂と一緒に、街の闇から関心が薄れていく。私はまた、街を観ればいい。市場の流れ。港の音。人の暮らし。


それで、いい。


私は瓦の上を滑るように移動し、屋根の端から端へ渡った。行き止まりを使わない。袋路へ入らない。必ず逃げ道を残す。自分の灯りが街のどこに落ちるかを把握したまま、動線を繋ぐ。


祈りの視線が、少し遅れる。追うことに慣れていない。距離を取ることには慣れている。

冷たい意識が、一定の間隔でついてくる。無理をしない。焦らない。準備の呼吸で、私を“獲物”として捉え直している。


……準備、か。


私はふと、違和感を噛んだ。追っているのに、追っていない。狙っているのに、急いでいない。こちらに悟られないことを優先しているような、慎重さ。捕まえるための狩りではなく、捕まえるための“仕込み”をしている目。


それでも、私の選ぶ手は変わらない。


暴れれば、街が壊れる。

壊れれば、人が怪我をする。

怪我をすれば、死ぬこともある。


論外だ。


この街は、人が歩き、働き、眠る場所だ。私が憎むべきものはここにはない。

追う価値を、削る。

そのために、私は逃げる。


……そのはずだった。


遠くで、少年の気配が揺れた。


港の方角ではない。居住区の奥。魔法学校のほう。まだ距離はある。私が意識を向ける必要もないほど離れているのに――気配だけが、ひっかかる。


弱い。幼い。けれど、こちらへ伸びる“つながり”がある。


見ようとしていない。

それなのに、こちらが視界に割り込む――そういう種類の揺れ。


私は一瞬だけ、灯りを固くした。自分の揺れを止め、輪郭を削る。街灯の均一さへ戻す。少年の意識に触れないように。


距離を保つ。


それでいい。


私は少年を巻き込みたくない。彼は街の暮らしの側にいるべきだ。危険な方へ寄せる理由がない。私が見られているのは私の問題だ。人間の子どもにまで、背負わせるべきではない。


……なのに。


気配は消えない。むしろ、ほんの僅かに強くなる。こちらが灯りを薄くしたことで、逆に“欠け”が目立ったかのように。少年が何かを探すでもなく、ただ、胸の奥で引っかかりを持ったまま、こちらを遠くで感じ取っている。


私は思う。


選ばれし者は、静かに選ばれる。

何かをしたからではない。

ただ、見えてしまったからだ。


胸の奥に小さな苛立ちが灯った。苛立ちは焦りを呼ぶ。焦りは光量を上げる。上げれば狙われる。


私は灯りを揺らさない。揺らさないまま、移動する。


今夜も、いつもの距離で。


祈りの視線と、狩りの視線。

その両方を引き連れたまま、街の上を滑る。追わせる。疲弊させる。逃げ切る。


そうして、何もなかったように観察に戻る。


――それが、精霊のやり方だ。


私はそう信じて、屋根の影へ身を沈めた。

信じたまま、少年の揺れだけが胸の奥に残っていることから、目を逸らしながら。



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