第16章 荷と通行証
炉が冷え始める時間。
夕暮れが工房区を染める頃、仕事が一段落する。
槌の音が遠のく。
金属が冷える音に変わる。
エイドは荷を整えながら、その変化を感じていた。
朝と夕の音は違う。
朝は起きる音。夕は沈む音。
ミレイが手首の風の輪を緩める。
スウィフトが一日の仕事を終えた合図だ。
「……今日も、よく働いた」
ミレイが小さく言う。
疲れじゃない。達成感だ。
キーラは帳面を閉じる。
閉じ方が、満足の音だ。
「明日、パイロットのところへ行く」
ノアが頷く。
「……荷を受け取りに」
「そう」
キーラは短く答えた。
「上層への荷。それと推薦状。それが通行証になる」
リュミエルが窓際で光を揺らす。
「上に行くのね」
「行くわ」
キーラは頷いた。
「ここでできることは、もう十分」
エイドは槍を担ぎ直す。
封印状態のランス。
上に行けば、何が待っている。
まだ分からない。
だが、準備はできている。
*
翌朝。
パイロット工房は、すでに炉が入っていた。
煙が太く立ち上る。
早い仕事だ。
キーラが扉を叩く。
叩き方は昨日と同じ。仕事の叩き方。
「開いてる」
パイロットの声。
扉を開けると、パイロットが荷の前に立っていた。
木箱が三つ。布で覆われている。
「来たか」
「来たわ」
キーラはすぐに答えた。
パイロットが顎で荷を示す。
「これが上層への納品物だ」
ノアが前に出る。
「……中身は?」
「魔道具。上等品」
パイロットは短く答えた。
「商館への納品。期限は三日」
キーラが眉を上げる。
「三日?」
「余裕を持たせた」
パイロットは肩をすくめる。
「お前たちが上層で商売を始める時間も要るだろう」
キーラの目が細くなる。
細め方が、値踏みの形だ。
「……優しいのか、計算高いのか、どっち?」
「計算に決まってる」
パイロットは即答した。
「優しさで商売してたら、炉の火が消える」
ノアが小さく吹き出す。
「……それ、名言ですね」
「名言じゃない。事実だ」
パイロットは炉を見つめた。
「お前たちが上層で成功すれば、俺の荷が早く届く。早く届けば、注文が増える。——全部、計算だ」
キーラが笑う。
笑い方が、気に入った音だ。
「なら安心ね。計算できる相手は裏切らない」
「裏切る理由がないからな」
パイロットは荷に手を置いた。
「荷は丁寧に扱え。壊れたら、値が付かない」
ミレイが前に出る。
「風で運ぶ。傷は付けない」
「頼む」
パイロットは頷いた。
そして、懐から紙を二枚取り出す。
「推薦状と、通行証の申請書だ」
キーラが受け取る。
受け取り方が丁寧だ。
紙を開く。
推薦状には、パイロットの署名と封蝋。
申請書には、必要事項が記入されている。
「これで、通行証が出る」
パイロットは言い切った。
「ギルドに持って行け。即日発行される」
ノアが静かに言う。
「……ありがとうございます」
「礼は要らない」
パイロットは手を振った。
「仕事だ。——商売だ」
キーラは紙を懐にしまう。
しまい方が速い。
「じゃあ、行くわ」
「待て」
パイロットが呼び止めた。
キーラが振り返る。
パイロットは炉を見つめたまま、言う。
「……上層は、ここより厳しい」
キーラが黙る。
「金の流れが違う。人の目が違う。——信用の形も違う」
パイロットが振り返る。
「お前たちは中層で信用を作った。だが、上層では——また最初からだ」
エイドはその言葉の重さを感じた。
重さが、警告の形をしている。
「分かってる」
キーラははっきり言った。
「分かってるなら、いい」
パイロットは頷いた。
「気を付けろ」
キーラは何も言わずに頷いた。
頷き方が、約束の形だ。
*
ギルドに着いた。
マリクがカウンターにいた。
書類を整理している。
キーラが推薦状を出す。
「通行証、出して」
マリクが顔を上げた。
顔を上げ方が、驚きの音だ。
「……もう上に行くのか」
「行くわ」
キーラは頷いた。
マリクが推薦状を受け取る。
目を通す。速い。
「……パイロットの推薦か」
「そう」
「あいつが推薦するなら、本物だな」
マリクは呟いた。
そして、申請書を取り出す。
記入欄を確認し、署名を求める。
キーラが署名する。
ノアも署名する。
エイドも署名する。
ミレイも署名する。
リュミエルは——署名しない。
精霊に署名は要らない。
マリクが書類を確認し、印を押した。
「通行証は、今日の午後に出る」
「今日?」
キーラが眉を上げる。
「即日発行だ」
マリクはきっぱり言った。
「パイロットの推薦は重い。信用がある」
キーラが頷く。
「じゃあ、午後に来る」
「待ってる」
マリクは短く答えた。
そして、声を落とす。
「……上層では、気を付けろ」
キーラが目を細める。
「二人目ね」
「二人目?」
「パイロットにも言われた」
キーラは肩をすくめる。
「そんなに危ないの?」
マリクが真顔で答える。
「危ない」
マリクは断言する。
「中層は"仕事"で動く。上層は"金"で動く」
マリクは言い切った。
「金で動く場所では、信用も金になる。——裏切りも、金になる」
エイドの喉が鳴る。
裏切り。
その言葉が、重い。
「分かった」
キーラは頷いた。
「気を付ける」
マリクは何も言わずに、書類を引き出しにしまった。
*
午後。
通行証が出た。
紙は厚い。
封蝋が押されている。
ギルドの印。
キーラがそれを手に取る。
手に取り方が、慎重だ。
「これで、上に行ける」
ノアが静かに言う。
「……上に行けば、見えるものが変わります」
「変わるわね」
キーラはすぐに言った。
ミレイが小さく息を吸う。
「……不安、ある?」
「ない」
キーラは迷わず答えた。
「不安があっても、行く」
リュミエルが小さく笑う。
「強いわね」
「強くないと、生きられない」
キーラは言い切った。
エイドは通行証を見つめる。
この紙が、扉を開く。
上層への扉。
上に行けば——何が待っている。
プラムの手がかり。
裏の出航記録。
そして——
エイドは分からない。
だが、行くしかない。
キーラが振り返る。
「明日の朝、大型エレベーターへ行く」
ノアが頷く。
ミレイも頷く。
通行証を手に、彼らは宿へ戻った。
夕日が工房区を染める。
炉の煙が立ち上る。
明日、ここを離れる。
上に行く。
エイドは槍を握り直した。
ランスは、まだ重い。
だが、明日には——
何かが変わる気がした。
夜が来る。
最後の夜。
中層での、最後の夜だった。




