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光の呼び名  作者: アルエル
序章
6/26

第6章 商人は価値を見る

キーラは、港に近い倉庫街の一角にある小さな事務所で、帳簿を閉じた。


「……噂が早すぎるわね」


独り言のように呟き、窓の外を見る。

夜のリーベは相変わらず明るい。規則正しく並んだ街灯が、均一な光で石畳を照らしている。


人の手で管理された、魔術式の灯り。

揺れない。乱れない。感情がない。


その中に――余計な光が混じっている。


見ようとしなければ見落とす程度の差。

街の光に紛れて、しかし同じ規則には従わない揺れ。

鍵穴から漏れる灯りみたいに、自由な気配だけが残る。


精霊がいる、という話はもう広がっていた。

姿を見た者はいない。

名前もない。

ただ「夜道が少し安全になった」という実感だけがいたるところに残っている。


それが一番、厄介だった。


善意は燃えやすい。

だが、価値になる善意は、もっと危険だ。

値札が付いた瞬間から、人は“守る”より“奪う”ほうを思いつく。


キーラは椅子に深く腰掛け、目の前の男と向き合った。


個人魔術師。

対精霊拘束・遮断専門。


名前は、マルクス。


マルクスは三十代半ばほどの男だ。灰色がかった黒髪を短く整え、目立たない外套を着ている。腰には小道具袋を下げている。


所属なし。

帰属国家なし。

宗教にも、市場にも、思想を持たない。


――金で動く。


「来てくれてありがとう」


扉を開けて現れた男は、周囲を見回すこともなく椅子に座った。

挨拶は最低限。無駄がない。


装備は簡素だが、目が違う。

見えているものの数が多い目。

意識を向けなければ気づかない程度の魔力の流れだけは、隠しきれていなかった。


「依頼内容を」


マルクスは淡々と言った。


キーラは肩をすくめる。


「光の精霊。未契約。中位」

「大まかな居場所は特定済み。ただし、街中よ」


その瞬間、男の視線がほんのわずかに動いた。

驚きではない。面倒の計算に切り替わる動きだ。


「難易度が高い」


即答だった。


「精霊は位階が上がれば、捕縛の失敗率も跳ね上がる」

「周囲を巻き込まない保証はない」


「ええ」


キーラは否定しない。


「だから、あなたを呼んだの」


キーラは指を三本立てた。


「商品に傷をつけないこと」

「街の人間を、極力巻き込まないこと」

「離脱はスマートに、静かに」


指を一本ずつ折りながら条件をつげる。


「報酬次第だ」


「相場の倍を出す」


その言葉で、初めて視線が合った。


「……理由は?」


キーラは、ほんの少しだけ笑った。


「犠牲者は、少なければ少ないほどいいでしょう?」


倫理ではない。後処理のコストの話だ。


「犠牲者が出なければ事件にならない」

「精霊が消えた? 噂と一緒に忘れられるわ」


マルクスは一度だけ窓へ目を向けた。

均一な街灯の中で、自由な光がまだ揺れている。


「……噂が厄介なのは、見えないからだ」


ぽつりと落ちる声。現場の言葉。


「見ようとしなければ、誰も気づかない」

「だが――“見えてしまう”奴が出てくると話が変わる」


キーラは目を細めた。


「選ばれし者、ってやつ?」


「素質か、若さか、偶然か。理由はどうでもいい」

マルクスは淡々と言う。

「問題は、見えた瞬間に“欲”になることだ」


キーラは息を吐いた。

値札が貼られる。

貼られたら、剥がすのは難しい。


「だから、先に捕まえる」


キーラは言った。自分に言い聞かせるように。


「選択肢を与えないために、ね」


マルクスが指を組む。


「精霊の詳細な居場所」

「人が少なくなる時間帯」

「干渉してくる魔法使いの可能性がないか」


淡々と必要事項を並べていく。

話し方が冷たいのではない。無駄がないだけだ。


「全て、情報を揃えてから動く」

「一つでも欠けたら、撤退だ」


キーラは頷いた。


「ええ。隠密作戦よ」

「派手にやる意味はない」


「逃走経路は?」


「船を用意する」

「捕縛後、即座に出港よ」

「売り飛ばし先は、なにもこの国じゃない」


海外。闇市。

ここよりも、ずっとあくどい都市はいくらでもある。


「準備は私がやる」

「あなたは捕まえるだけ」


二人の間に沈黙が落ちる。


共犯の空気ではない。

取引の確認だ。

互いの“線引き”が一致したかどうかの静けさ。


「……一つだけ言っておく」


マルクスが言った。


「中位精霊は、賢い」

「追い詰めれば、何をするかわからない」


キーラは静かに答える。


「だからこそ、早く捕まえる」

「選ぶ前に、檻に入れる」


窓の外で、いつも通りの街灯の光が揺れている。

規則正しく、均一に。


その中にあるはずのない光が、

まだ自由に揺れている。


「さて」


キーラは立ち上がった。


「各々、できることをやりましょう」

「この街に、傷を残さないために」


マルクスは何も答えず、席を立った。

去り際の気配が、薄い。人混みに紛れたら二度と見つからない類の薄さだ。


仕事は始まった。


誰にも祝福されない形で。

値札だけが、正直に増えていく形で。


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