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光の呼び名  作者: アルエル
ベルカン編
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第14章 封の意味と船長


下層へ降りるエレベーターは、上がるときより速い。


重力が、足裏から背中まで抜ける。

木枠が軋み、鎖が鳴る。

中層の匂い——鉄と油——が薄れていき、代わりに潮と酒と煙が混ざった空気が戻ってくる。


「また来たのか」


エレベーターの番人が呆れた声を出す。

キーラは通行証を見せて、釣り銭を置いた。


「また来るわよ」


エイドは槍を肩に担ぎ直す。

封印状態のランスは、いつもより重い気がした。

重いのは武器じゃない。これから聞く話の方だ。


ミレイが小さく言う。


「……また、あの酒場?」


「そう」


キーラは言い切る。


「ザックに聞くのが一番早い」


ミレイの顔が少しだけ硬くなる。

前に見た、あの圧力を思い出しているのだ。


ノアが小さく頷く。


「……マスターも、いますね」


キーラがノアを見る。


「そうね。また働けって言われるわよ」


ノアは何も言わない。

だが、口元がほんの少しだけ緩んだ。


リュミエルはいつも通り"そこにいる"。

だが光の揺らぎが、わずかに強い。

警戒しているのだ。



酒場は、昼でも暗かった。


扉を開けると、煙が先に出てくる。

酒と汗と木材の湿気が混ざった匂い。

下層の匂いだ。


カウンターの向こうで、マスターが顔を上げた。

布巾を肩に掛け、杯を磨いている。


マスターの目がノアを見つけた瞬間、顔が明るくなる。


「……おお!」


声が裏返る。


「また来てくれたのか!」


ノアが小さく頷く。


「……お世話になります」


マスターが前のめりになる。


「いや、お世話したいのはこっちだよ! また働いてくれないか? いやぁ、今すぐじゃなくてもいいから、時間があるときだけでも——」


「おい」


奥の席から、低い声が割り込んだ。


ザック・ハーケン。

頬の傷は昼の光でも消えない。

海賊船長の外套が肩に馴染んでいる。


マスターが慌てて口を閉じた。


ザックが顎で示す。


「客だ。先に話を聞け」


キーラは迷わず奥の席へ向かった。

ザックが顎で示す。


「座れ」


エイドは立ったまま。

ミレイとノアも同じ。

リュミエルは"そこにいる"。


マスターがカウンターの向こうで、ノアをちらちらと見ている。

また働いてくれないか。

そう言いたそうな顔だ。


ノアはそれに気づいているが、無視している。

今は仕事の時間じゃない。


キーラだけが座る。

そして、懐から封書を取り出した。


封蝋の紋章が、薄暗い光の中でも浮き上がる。

ザックの目が、一瞬だけ細くなった。


「……それ、どこで手に入れた」


「偽造業者の倉庫」


キーラはすぐに答える。


「押収品の中にあった」


ザックが舌打ちする。


「面倒な物を拾ったな」


「面倒だと分かってるなら、教えて」


キーラは封書を机に置く。

置き方が丁寧だ。丁寧さが、値段を上げる。


エイドは槍を握り直す。

封印状態のランスが、手の中で脈打つような気がした。

気のせいか。

それとも、これから来る何かを感じ取っているのか。


ザックは封書を手に取り、封蝋の紋章をじっくり見た。

指先で紋の縁をなぞる。

確認しているのは形じゃない。"本物"かどうかだ。


しばらく沈黙が続く。

マスターが杯を磨く音だけが響く。


やがて、ザックが口を開いた。


「……オークションの招待状だ」


その一言で、空気が冷えた。


エイドが反射で槍を握り直す。

ミレイの手首の風の輪が揺れた。スウィフトが警戒する。


ザックは封書を机に戻す。


「ベルカンの上層区には、非公式の取引市場がある。精霊も、魔道具も、出航記録も——金で買えないものはない」


キーラが前に出る。


「出航記録?」


「そうだ」


ザックは杯を傾ける。


「表の記録にない出航も、裏には残る。誰がどこへ行ったか、何を運んだか。——全部、値段が付く」


ノアが一歩前に出た。


「……私たちが探している人の記録も?」


ザックの目がノアに向く。

値踏みする目だ。


「あの神官長か」


キーラが頷く。


「プラムよ」


ザックは短く息を吐いた。


「表の出航記録には、その名前はなかった」


エイドの喉が鳴る。

なかった。

つまり——


キーラが言葉を継ぐ。


「調べてくれたの?」


「調べたさ」


ザックは杯を置く。


「お前らがセレナの札で動いてるなら、俺も気になる。——だが、表には何もなかった」


ミレイが小さく言う。


「……じゃあ、その人は——」


「裏だ」


ザックが遮る。


「表にないなら、大抵、裏にある。それがベルカンだ」


「裏にはある?」


キーラがすぐに聞く。


ザックは杯を傾けた。


「あるかもしれない。ないかもしれない」


「どっちよ」


「分からん」


ザックは酒を喉に流し込む。


「——だが、裏の記録を見るには、オークションに潜り込むしかない」


キーラが招待状を指で叩く。


「この招待状で入れる?」


「入れるわけがない」


ザックの返答が早い。


キーラの目が細くなる。


「……即答ね」


「当たり前だ。合言葉を知らない奴は門前払い」


エイドが眉を寄せる。


「合言葉? パスワードみたいなものか」


「そういうものだ」


ザックは封書を指で叩く。


「招待状は鍵の形。合言葉は鍵穴。——両方揃って、初めて扉が開く」


ミレイが小さく言う。


「……で、その合言葉は?」


「さあな」


ザックは肩をすくめた。


「俺が知ってたら、もう儲けてる」


キーラの目が鋭くなる。


「知らないの? 本当に?」


「本当に知らない」


ザックは杯を置く。音が短い。


「昔は招待されたこともあったがな。——船長になってからは呼ばれない」


その言葉に、わずかな苦みが混ざった。

見習い時代の話だろうか。

エイドは聞かない。聞けば、話が逸れる。


ノアが静かに言った。


「……では、誰なら知っていますか」


ザックが目を細める。


「さあな。俺が知ってるのは、"オークションが近々ある"ってことだけだ」


キーラは封書を懐に戻した。

戻し方が速い。もう次に進んでいる。


「分かった。——ありがとう」


ザックが眉を上げる。


「礼を言われる筋合いはない」


「筋合いはなくても、言うわ」


キーラは立ち上がる。


ノアがマスターを見る。

マスターもノアを見返す。

マスターの目が、また働いてくれないか、と訴えている。


ノアは小さく首を横に振った。

マスターが肩を落とす。


ザックが奥の席から言う。


「マスター。諦めろ」


「……はい」


マスターは素直に引き下がった。


キーラが振り返る。


「行くわよ」


ノアが小さく頷く。

ミレイはスウィフトに囁く。何を言ったかは分からない。

スウィフトが、ミレイの手首の輪の中で小さく揺れた。


ザックが最後に言う。


「……オークションには、気を付けろ」


キーラが振り返る。


「どういう意味?」


「そのままの意味だ」


ザックは杯を傾ける。


「あそこは、金で買えないものはない。——だが、金で買えるのは"物"だけじゃない」


エイドが眉を寄せる。


「……どういうことだ」


「命も、信用も、未来も——全部、値段が付く」


ザックは杯を置いた。


「お前らが何を買おうとしてるのか知らないが——代償は覚悟しておけ」


キーラは何も言わずに頷いた。

頷き方が、いつもより重い。


酒場を出ると、潮の匂いが強くなった。

港が近い。

船が出る。


石畳が、足音を吸い込む。

下層の石は、中層より柔らかい。

踏まれすぎて、削れているのだ。


キーラが歩きながら言う。


「次は、合言葉を探す」


エイドが聞く。


「どこで?」


「まだ分からない」


キーラは淡々と答える。


「でも、オークションがあるなら、合言葉も必ずどこかにある。——探すわよ」


ノアが静かに言った。


「……裏の出航記録が、そこにあるなら」


「そう」


キーラは頷いた。


「そこに行くしかない」


エイドが前を見る。

下層の路地は、どこまでも続いている。

灯りが少ない。

人の声が遠い。


でも、港の音だけは近い。


ミレイが小さく息を吐く。


「……面倒なことになってきたね」


「面倒よ」


キーラは笑って言った。


「だから儲かる」


エイドは槍を担ぎ直した。

封印状態のランスは、まだ重い。

重さが、これから来る戦いを予感させる。


ザックの言葉が、頭に残る。

「命も、信用も、未来も——全部、値段が付く」


代償。

覚悟しておけ、と言われた。


エイドは覚悟している。

だが、何を失うかは——まだ分からない。


港の音が遠くで響いていた。

船の汽笛。

鎖の音。

そして、波の音。


下層の空気が、少しだけ潮に変わった。



港は、いつも通り騒がしかった。


船が着く。荷が降りる。人が叫ぶ。

鎖が鳴り、滑車が軋み、波が岸壁を叩く。


キーラは港の倉庫の前で足を止めた。


「ここで少し待って」


エイドが眉を上げる。


「何を?」


「人を」


キーラは短く答えた。


ミレイが周囲を見回す。

港には荷運びの人足、船員、商人、そして——見張り。

下層の目が、ここにも届いている。


ノアが小さく言う。


「……誰か、来ますか?」


「来るはず」


キーラは港の入口を見る。


その視線の先から、見覚えのある男が歩いてきた。


白髪混じりの髪。日焼けした顔。船乗りの歩き方。

リーベからベルカンに来た時の船長だ。


船長がキーラたちを見て、目を丸くした。


「……お前ら、まだベルカンにいたのか」


キーラが笑わずに笑う。


「いるわよ。——商売が長引いてね」


船長は荷物を肩に担ぎ直す。

港の匂いが、船長の服から漂ってくる。


「いつまでいる気だ」


「まだ分からない」


キーラは軽く答える。


「でも、そろそろ終わる。——たぶん」


船長が眉をひそめる。


「たぶん、って顔してないな」


「してないわよ」


キーラは頷いた。


船長は周囲を見回し、声を落とした。


「……何か、面倒なことに巻き込まれてるのか」


「巻き込まれてない」


キーラは言い切る。


「自分から入っただけ」


船長が息を吐く。


「……お前らしいな」


エイドがその会話を聞きながら、港の空気を感じていた。

潮の匂い。

木材の匂い。

そして、遠くから聞こえる鐘の音。


船が出る合図だ。


船長が荷物を下ろした。


「用があるなら、早く言え。俺も忙しい」


キーラが一歩近づく。


「船長。一つ、頼みがあるんだけど」


船長が警戒する。


「金が絡むなら断る」


「金じゃない。伝言」


船長の手が止まった。


「……伝言?」


「そう」


キーラは声を落とす。


「リーベに戻ったら、セレナに伝えてほしい。——街に水が必要になりそうだって」


船長の目が細くなる。


「……なんだそりゃ」


「ただの商品発注よ」


キーラはさらりと言った。


「意味は、セレナなら分かる」


船長は唇を噛んだ。

噛み方が、面倒を察している顔だ。


「……お前、何を企んでる」


「企んでない」


キーラはすぐに答える。


「ただ、準備してるだけ」


船長は何も言わずに荷物を担ぎ直した。

担ぎ直し方が、諦めている形だ。


「……分かった。伝えておく」


「ありがとう」


キーラは船長に金貨を一枚渡す。

船長は受け取らない。


「礼は要らない。——セレナには世話になってる」


キーラは金貨を引っ込めた。

引っ込め方が速い。礼儀じゃなく、計算だ。


船長が港の方を見る。


「……あの女、何を考えてる」


「さあね」


キーラは肩をすくめた。


「でも、必要になる。——たぶん」


船長が息を吐く。


「またたぶん、か」


「たぶんよ」


キーラは頷いた。


船長は歩き出す。

港の奥へ。

船が待っている。


エイドがその背中を見送る。


「……あれでいいのか」


「いいわ」


キーラは頷いた。


「セレナなら、分かる」


ノアが小さく言う。


「……暗号、ですね」


「そう」


キーラは頷いた。


「街に水が必要になる。——つまり、火が出る」


ミレイが息を吸う。


「……火?」


「そう」


キーラは港を見る。


「大きな揉め事が起きる。——セレナに知らせておく必要があった」


エイドが眉を寄せる。


「……でも、セレナが来たら——」


「来ないかもしれない」


キーラが遮る。


「セレナは港から離れられない。でも、準備はする。——そういう女よ」


リュミエルが小さく笑った。


「面白い人ね」


「面白いわよ」


キーラは呟く。


「だから厄介」


港の鐘が、また鳴った。

船が出る。

波が岸壁を叩く。


エイドは槍を担ぎ直した。

ランスは、まだ重い。


キーラが振り返る。


「行くわよ。次は合言葉を探す」


ノアが頷く。

ミレイも頷く。


リュミエルは"そこにいる"。


港の音が、背中を押していた。


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