第5章 教会での審議
リーベの教会は、街の中心からわずかに外れた場所に建っている。
市場の声も、港の騒音も、ここまでは届かない。風の通り方だけが、街の外の時間を思い出させる。
この街において、教会は統治機関ではない。
宗教国家の大使館に近い立場として、信仰を持ち込む場所だ。権限はない。だが、言葉はある。――言葉は、いつだって後から効いてくる。
会議室は簡素だった。壁に掲げられた紋章と、円卓。それ以外には余計なものがない。
席に着くのは数人だけだが、この場の内容が外へ出ることはない。
「――交易都市リーベに、未契約の光の中位精霊が来たと噂されております」
神官補佐官のノアが、淡々と切り出した。
ノアは二十代前半の女性だ。黒髪を長めに整え、派手さのない外套を着ている。口調は淡々としている。
「夜間の照明補助」
「子供の恐怖反応の緩和」
「随伴――“ついてくる”形での誘導。声の報告も一件」
ノアは視線だけで紙面を追う。
「魔法学校、魔術師ギルド、港湾管理組合。現時点で、正式な保護や契約の動きは見られません」
「当然だ」
神官長プラムが、短く言った。
プラムは五十代の男性だ。白髪が混じる髪を後ろに流し、装飾を抑えた式服を着ている。声は低く、人を引き付ける話し方をする。
「この街は魔法使いの街だ。彼らは精霊を“対等な力”だと誤解している。……誤解のままでも、街は回る。だから正さない」
机上の資料に指を置く。
指先の動きが、言葉と同じくらい冷静だった。
「問題は位階だけではない。属性だ。光――照らす。見せる。理解させる」
一瞬、沈黙が落ちる。
沈黙は恐れではない。確認だ。全員が、同じ危うさを共有しているかどうか。
「光は、信仰の言葉として強すぎる。政治の道具としても強すぎる」
「隠したものを、等しく見せる。隠されていた罪も、秩序も、嘘も、全部だ」
背後の神官が、低い声で補足する。
「見せるということは、暴くということです」
「そうだ」
プラムは頷いた。
「だから教会は“管理”ではなく“保護”という言葉を使う。言い換えだ。だが、言い換えには意味がある」
「管理は力の宣言だ。保護は責任の宣言だ。……責任は、逃げない者だけが口にできる」
この街を動かす権限はない。プラムはそれをはっきり認める。
認めた上で、別の刃を出す。
「我々に、この街を支配する権利はない。だが――神意の解釈を示すことはできる」
「精霊は、神の意志を宿す存在だ。個人が所有し、利用するものではない」
異国の思想だ。だが、異物ではない。
精霊が“便利”であるほど、便利の裏側にあるものを恐れる者は、どの街にもいる。
ノアが静かに問いを置く。
「未契約であることが、最大の懸念ですか」
「そうだ」
プラムは即答した。
「契約されれば、魔法使いの管轄になる。彼らは“理解”と言うだろう。理解の名で囲い、研究し、分類する」
「逆に、契約されないまま離れれば、今度は誰の責任にもならない。……責任が空白のまま暴れる可能性もある」
誰かが言いかけて、飲み込む。
プラムは、そこで一度、言葉を切った。
切ってから、ゆっくり続ける。
「教会としては、“保護の提案”を行う」
「命令ではない。要求でもない。だが、提案には形がある」
「拒否される可能性も含めて、ですか」
「含める」
プラムは目を伏せない。
「精霊が拒むこともある。それもまた神意だ。……ただし」
そこで声が少しだけ硬くなる。
「その事実が表に出れば、この街はその精霊を“価値”として測り始める」
「価値化は早い。市場は速い。速いものは、自分たちが正義と思い込む」
脅しではない。予測だ。
予測は、戦争より静かに人を動かす。
「我々がするのは、選択肢を用意することだ。精霊にも、この街にも」
「選択肢がなければ、人は一つの答えに飛びつく。……飛びついた答えは、だいたい間違う」
そして、プラムは最後に一言だけ、祈りの形を取らない言葉を置いた。
「光は、人を正しくしない。――正しさを、あらわにするだけだ」
会議はそれ以上続かなかった。
結論は、すでに共有されている。
人々が席を立ち、部屋を出ていく。扉が閉まる音が、やけに軽い。
ノアが最後に立ち、廊下へ出ると空気が少しだけ変わった。遠くに、街の生活音が戻ってくる。
ノアは歩きながら、外套の襟を整えた。視線は上げない。見回さない。
見てしまえば、判断が遅れることがある。役目は判断ではなく、報告だ。
指定された場所は、港湾区と住宅区の境目。
管轄が曖昧になる場所。秩序の継ぎ目。――継ぎ目には、だいたい何かが起きる。
角を曲がると、待っていた二人が姿勢を正した。教会の人間だと分かる服装ではない。だが、目線の置き方が同じだ。
ノアは一枚の紙を渡す。説明しない。必要ない。
観測を続けること。
干渉しないこと。
魔法使い側が動いたら、報告すること。
言葉にすると長い。だから言わない。
頷きが返り、紙は折り畳まれて袖の内へ消えた。
それで十分だった。
そのとき、背後で街灯がひとつ、淡く光った。
魔術式の光ではない。輪郭が、わずかに柔らかい灯り。
ノアは足を止めかける。だが、見上げない。
見てはいけないものを、見ないことも役目の一つだった。
喉まで上がりかけた言葉を飲み込む。――祈りに似た何かを。
精霊がどう思っているか。
自分がどう感じているか。
それを考えるのは、役目の外だ。
ノアは歩き続ける。
背後で、誰かの足元を照らす灯りが揺れていることを、振り返らずに感じながら。
教会の言葉は、まだ命令ではない。
だが、もう“空気”として街に降り始めていた。




