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光の呼び名  作者: アルエル
ベルカン編
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第2章 一部屋の会議


宿は、下層の中では“まし”な建物だった。

まし、というのは――扉がある。窓が割れていない。鍵が利く。そういう意味だ。


入口の木戸を押すと、湿った空気と一緒に、人いきれが押し返してくる。

廊下の奥で咳が跳ね、床板が軋む。宿の中まで下層の息が入っている。


受付の女将は、紙をめくりながら顔も上げずに言った。


「空いてるのは一部屋だけ。今夜だけね。迷ってるなら次の客に回すよ」


「一部屋?」


エイドが声を上げるより早く、女将は肩をすくめた。


「ここは下層よ。部屋が“余る”と思う?」


キーラが、即座に会話を終わらせる。声が乾いている。


「取る。金額は?」


「銀貨二枚。前払い」


高い。パンとスープなら四食分が、一晩の床で消える。

高いのに、これが"まし"の値段だと空気が言っている。さっき門をくぐったときと同じだ。

ベルカンはいつも、理屈を先に置いて、金だけ取る。


エイドは一歩前に出て、反射で言った。


「待って。いや、一部屋って……俺、男だよ」


女将がようやく顔を上げた。目が冷たい。


「だから何?」


一瞬で言葉が詰まる。

怒鳴り返す余地がない。ここでは、それが“通用しない”というだけで終わる。


ノアが小さく咳払いをして視線を逸らした。

恥ずかしさというより、「ここで言う話じゃない」の避け方だ。


廊下の暗がりには、白い影――リュミエルがいる。何でもないように天井の染みを眺めて、言った。


「人間って、こういう時にだけ“性別”を思い出すのね」


「茶化すなよ、リュミエル」


エイドが言うと、リュミエルは肩をすくめた。


「茶化してない。ただの観察。……それに、鍵がある。今日はそれが一番大事」


キーラはエイドを見ずに言葉を重ねる。


「学生じゃないでしょ。ここはパーティ。寝床は資源よ」


「資源って……」


エイドが言い返しかける。

その瞬間、外で怒鳴り声が跳ね、金属がぶつかる音が続いた。下層は、議論の余白をくれない。


ミレイだけが、ほんの少しだけ視線を逸らした。

窓の外を見る。見るが、何も映っていない。

それを誤魔化すように、短く言う。


「……別に。私は気にしてない」


言い方が早い。早いから余計に気にしているのが分かる。

荷物の紐を結び直す手が、ほんの少しだけ余計に動く。


「この区画で別行動のほうが嫌だし。……あなた、一人だと突っ走るでしょ」


エイドは反射で黙った。

章間で言っていた“お守り”が、ここではもう冗談にならない。


キーラが女将の前に金を置いた。


「一部屋。鍵は二つある?」


女将は紙をめくり直しながら、つまらなさそうに言う。


「一つ。壊されたら弁償」


「壊さない。壊すなら――相手の骨」


冗談に聞こえない。

女将がふっと笑って、鍵を投げた。


「好きにしな」



部屋は狭い。

寝台が二つ。床に敷ける毛布が数枚。窓は小さく、外の明かりは入らない。代わりに外の音が入る。

壁一枚向こうで、下層が呼吸している。


キーラは荷を隅に寄せると、床に座って紙と炭を出した。

迷いなく線を引き、数字を書き始める。


「作戦会議。どうやって稼ぐか」


「この状況で作戦会議って……切り替え早すぎだろ」


エイドが思わず言うと、キーラは炭を止めずに答えた。


「切り替えじゃない。最初から割り切ってる」


炭の先が、紙を叩く。


「金がないと上に行けない。上に行けないと情報が取れない。情報が取れないと、プラムの足取りも追えない」


ノアが小さく頷く。ミレイも真面目な顔になる。

“目的の整理”が、ここでは数字になって並ぶ。


キーラは紙の端を指で押さえて言った。


「まず、今日の分の出血」


炭の先が並べる。


「入市税。精霊の測定税。追加負担金。宿。食費。――ここまでで銀貨十四枚。"必須"の出血よ」


エイドが渋い顔をする。


「必須って言葉がムカつくな」


「ムカついても減らない」


キーラは次の欄に、別の数字を書いた。


「で、ここからが“稼ぎ”。一発目はもう終わってる」


「え?」


声を上げたのはミレイだ。


キーラは当然のように言う。


「倉庫代の差額。相場は銀貨六枚。通行証で三枚に押さえて、船長たちには五枚で回した。差額が二枚、五口で銀貨十枚。――全員得した顔してたでしょ」


「相場だけでそんな利益が出るのか?」


エイドが眉を寄せる。


キーラは炭で小さく矢印を書いた。


「港の相場は刻々変わる。今日の“追加負担金”もそう。値が上がる前に押し込めば儲けになる。上がった後に押し込めば死ぬ」


ノアがぽつりと呟く。


「……掲示板も帳簿も。ベルカンは数字が先に動く」


キーラは一瞬だけノアを見る。視線が“使える”と判断する速さだ。


「そう。ノア、あなたは帳簿を読める。こっち側の人間よ」


ノアは少し目を伏せた。褒め言葉が、褒め言葉に聞こえない街だ。


キーラは言葉を続ける。


「最初から金を得ているのはデカい。宿にも当分困らない。——でも、ここで満足しない」


炭が次の線を引く。


「次は中層。上層を目指す。下層だけの情報でプラムを追うのは無理がある」


「上ほど金になる人間が“記録”を作る、ってことか」


エイドが言うと、キーラは頷いた。


「そう。人が多いほど隠れるけど、金が動くほど痕跡も残る」


エイドが小さく笑う。


「……上に行くために稼ぐ。稼ぐために上に行く」


「循環を作る」


キーラが言い切ると、ミレイが腕を組んだ。


「この街に教会はあるの?」


答えたのはノアだ。即答だった。


「ありません」


言い切りが鋭い。

ノアは、すぐに言葉を少しだけ柔らげた。


「こんなところは、教会にとって“扱いにくい”のです。魔術と人工物に囲まれていて、祈りが――守られる前に、値札が付く」


エイドは息を吐く。


「じゃあ、教会の線で探すのは無理か」


「はい」


短い肯定が重い。


沈黙が落ちた。

落ちた沈黙を、ノアが変な方向へ滑らせる。


「……私が、役に立てるなら。すぐにでも——」


次の瞬間、キーラの拳がノアの頭に落ちた。

こつん、じゃない。ごつん、だった。


「痛っ」


ノアが顔を押さえる。


キーラの声は低い。


「その提案はするな」


「でも、私は——」


「自分を大事にしろ。この馬鹿」


エイドとミレイが同時に固まった。

反応できない沈黙――“正しさ”が、殴る形で出た。


エイドが遅れて言う。声が本気になる。


「……やめてほしい。そういうの、この街で一番取り返しつかなくなると思う」


ミレイも、短く頷いた。


「値札が付いたら、外せない」


リュミエルが静かに言った。白い声が、狭い部屋に落ちる。


「守るって、口で言うのは簡単。——でも、止めるのは難しい」


キーラは鼻で笑って、でも視線は逸らさない。


「口で止まらないなら、手で止めるしかないわね」


ミレイが小さく言う。


「……それが正しい場面もある」


耳元で、スウィフトが愉快そうに混ざる。


『そういうことは子を作るためであって、金を作るためにするものではなかろう』


「黙って」


ミレイが、空を叩くようにスウィフトの気配をはたいた。

風が一瞬だけ乱れ、毛布の端が揺れる。


エイドはため息を吐いて頭を掻いた。


「このパーティ、治安悪すぎだろ」


キーラが炭を置いた。ようやく会議が終わる合図。


「方針は決まった。稼いで上を目指す。情報を買う。プラムの痕跡を追う」


外でまた、鈍い音がした。砲声か、樽の破裂か、分からない。

ベルカンの下層では、音の正体にいちいち意味を付けると疲れる。


エイドは窓の小さな暗がりを見た。


「……明日からだな」


キーラは頷く。


「明日から。今日は寝る。ここで寝ないと、上で寝られない」


エイドは鍵を確かめた。

一部屋の鍵が、やけに重い。


鍵の重さは、扉の重さじゃない。

“明日”を買った重さだ。

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