表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光の呼び名  作者: アルエル
学校編
40/77

第31章 ほらと風は吹く


冬の学園は、音が整う。


食堂の皿が重なり合う音。廊下の靴音。暖炉が薪を噛む音。

規則がある場所の静けさは、乱暴な出来事を“整った形”に丸めようとする。


――でも、丸まりきらないものがある。


会議を終えたエイドの胸の奥には、まだ水の冷たさが残っていた。

セレナさんの屋敷の過剰な香り。笑いの形をした圧。

「よろしい」と言われた瞬間に、勝手に流れ始めた道。


旅が決まった。

ただし、今すぐではない。


卒業後。

学園の手順を終えたあとに、外へ出る。

そういう話だ。


だからこそ、厄介だった。

“今じゃない”という余白がある分だけ、考える時間が増える。考える時間が増えるほど、怖さも増える。


(言わなきゃな)


言うべき相手は一人。禁測地で背中を預けた風の子――ミレイだ。


寮の談話室の灯りが見えた。扉の隙間から暖かい空気と笑い声が漏れてくる。

生徒たちは冬の手順に入っている。精霊と対話し、将来を考える。進路を言い合い、迷いを笑い合う。


その声の中に、風が混じる気配があった。


エイドは扉を押した。


壁際にミレイがいた。膝にノート。視線は文字に落ちているのに、耳は周囲を拾っている。

肩にはスウィフト。風で出来た小さなイタチが、暖炉の熱の上を泳ぐように尻尾を揺らしていた。手首の風の輪が、ほんの少しだけ回る。


ミレイは顔を上げる。


「……会議、終わったの?」


「ああ。なんとか」


ミレイはエイドの顔をじっと見た。


「顔、固いよ」


「そうか?」


「そう。蛇に噛まれたみたいな顔してる」


エイドは笑えなかった。

噛まれたのは水に、だ。


ミレイはノートを閉じて膝に置く。逃がさない仕草だ。


「何があったの」


エイドは椅子に腰を下ろし、息を整える。

言葉を選びすぎると詰まる。だから、要点から落とす。


「……卒業したら、旅に出ることになった」


ミレイのまばたきが一つ止まった。止まってから、息が少し遅れる。


「卒業したら……?」


「外。マリネア連邦の中を見に行く」


スウィフトの尻尾がぴくりと跳ねた。風が一筋、暖炉の熱を切って走る。

ミレイの髪がほんの少し揺れた。


「……一人で?」


エイドは首を振る。


「いや。セレナさんが手配してくれた」


「セレナさん?」


「水の座の……ほら、あの人」


談話室に飾ってあった三人の長老の絵を指さして言う。ミレイは小さく頷く。


「……で?どんな人と旅をするの?」


エイドは少し砕けた調子で言った。


「キーラさんと、ノアさんって人。初対面だったけど二人同行してくれるって」


言った瞬間、ミレイの眉がほんのわずかに動いた。

口の中で名前を転がすように黙る。


「……キーラ。ノア」


そして、気づいたように目を上げる。


「……女の人、よね?」


「……まあ、そうなるな」


エイドが苦笑いで頷いた瞬間だった。


ミレイが息を吸って――勢いよく立ち上がった。


「私も行く」


「……は?」


「卒業したら。あなたの旅に付いていく」


エイドは思わず声を落とす。


「待て待て、急すぎ――」


「急じゃない」


ミレイが言葉を切り捨てる。切り捨てたあと、矢継ぎ早に続ける。

ここからミレイの“捲し立て”が始まった。


「まずは前提。あなた、知らない人と長時間一緒にいると黙るでしょ」


「……黙るかな」


「黙る。黙るし、黙ってる間に勝手に背負う」


「背負わ――」


「背負う。禁測地でもそうだった。あなた、守るって決めたら周りが見えなくなるわ」


「見えてたよ」


「見えてない。自分の血の匂いがしてても“あとでいい”って顔する」


エイドは反論の入口を探すが、ミレイはそこに風を吹き込んで塞いでくる。


「一つ。危険。卒業後だからって安全になるわけじゃない。むしろ“学園の外”ってだけで危険は増える。なら戦力が要るでしょ。私、風。スウィフト、風。偵察、遮断、退路、全部できる」


「でもお前、自分の進路は――」


「進路のために行くの」


ミレイはぴしゃりと言う。


「冬の間に精霊と向き合う。卒業後に“どう生きるか”決める。あなたは外を見るって決めたんでしょ? 私だって外を見るって方針に決める。学園の中だけで人生を決めたら、私の風は狭いまま」


エイドは口を開きかけて、閉じた。

確かに、外を見て決めるのは彼女にも必要だ。


ミレイは息を止めずに続ける。


「二つ。旅の同行者がキーラさんとノアさん。二人とも女の人。あなたは気を遣う。余計に気を遣う」


「性別で気を遣うとか――」


「遣う。あなたは遣う。だってあなた、私にも遣ってるでしょ」


「……それは」


「ほら出た。そういうところ」


ミレイは指を一本立てる。論点整理の癖。真面目な子の武器。


「三つ。安心。エイドを知ってる人が一人いるだけで気持ちが楽。これは感覚の話じゃなくて実務だから」


「実務……?」


「実務。判断速度が上がる。あなたが黙って自分で決めようとした時、止められる。『今それ言え』って言える。あなたの癖を知ってる人間がいないと止められない」


ミレイの声が少しだけ低くなる。


「あなた、倒れるまで我慢するでしょ」


エイドの喉が詰まる。

図星すぎて、言い返せない。


ミレイはそこで一瞬、言葉を探し――探した瞬間に本音が漏れそうになるのを察して、さらに早口になった。早口で熱を隠す。


息継ぎの位置を決める前に文が始まって、句読点が追いつかない。ノートの角を指先で叩く音が、トン、トン、と速くなる。考えを整えるためじゃない。自分を落ち着かせるための音だ。


指が一本立つ。二本立つ。三本立つ。

論点を数える仕草が、だんだん速くなる。速くなるほど、頬が熱い。


「大丈夫じゃないのに言う。で、相手が知らない人だと、なおさら言う。『迷惑かけたくない』って顔する。あなた、そういう顔が得意。だから危ない」


「……得意じゃないよ」


「得意。顔がもうそう」


ミレイは言い切って、さらに畳みかけた。


「それに――たぶん二人とも年上でしょ? 敬語になるでしょ? 敬語になるとあなた余計に本音が遅れる。遅れると判断も遅れる。判断が遅れると――死ぬわよ」


最後の一語だけ、音が落ちた。

冗談じゃない。ミレイの風が冷たくなる。


「だから、知ってる人が必要。――私がいると、あなたは言える。『今ちょっと無理』って言える。『休みたい』って言える。『嫌だ』って言える。言えないなら私が言わせる」


言わせる、のところで、ミレイは自分の言葉に自分で照れたのか、視線を逸らして早口を加速させる。


「それに私だって、卒業後のことを決めたい。学園の中だけで“外”を想像して決めたら、絶対ズレる。ズレたまま走ったら、もっと危ない。だから外を見る。外を見るなら、あなたと同じタイミングが一番合理的。……合理的、だから」


「最後だけ弱くないか?」


「弱くない!」


スウィフトが、ミレイの耳元で風だけを鳴らした。言葉にならないはずの風が、意味だけを持って響く。


――彼と(つがい)になりたいのか?


その言葉が心に刺さる。刺さって抜けない。

抜けないから、ミレイはさらに言い訳を積む。


ミレイは一歩近づいて、勢いのまま言い切った。


「だから、私が行くの。卒業後の旅に、知った人が一人いるほうがあなたも安心する。……するでしょ? 合理的。論理的。以上!」

言い切った瞬間、ようやく息が追いついて、ミレイの肩が大きく上下した。


最後に「以上」を付けるのが、いかにもミレイだった。

言い切った途端、彼女は息を吐いて、頬がほんの少し赤い。


エイドはしばらく黙った。


目の前のミレイは理屈を並べているのに、理屈の速度じゃない。

理屈の形を借りた感情だ。


リュミエルが、エイドの背後で小さく息を吐いた。光が一瞬だけ強くなる。

“気づいている”光。けれど止めない光。


エイドはやっと言葉を出した。


「……危ないぞ?」


断る言葉じゃない。怖さの言葉だ。


ミレイは即答した。


「分かってる」


「それでも?」


「それでも」


迷いがない。迷いがないことが、逆に頼もしい。


エイドは正直を出した。


「……お前がいると、安心するのは確かだ」


言った瞬間、ミレイの肩がわずかに落ちた。

勝ち誇る落ち方じゃない。ほっとする落ち方だ。


「ほら」


「ほらって言うな」


「言う」


ミレイは強情に言う。

強情の奥に、刺さった言葉が残っている。


エイドは諦めたように息を吐いた。


「分かった。……ただし、両親とかみんなと話そう。卒業後の段取りも含めて、ちゃんと許可を取って」


ミレイは頷く。


「当然。手順は守る。――それが一番大事」


「怒られるのは?」


「半分こ」


「できるか」


ミレイが小さく笑って、すぐ真顔に戻った。


「……ありがとう」


その一言だけ、理屈じゃなかった。


エイドは視線を逸らしながら言う。


「礼言われることしてない」


「してる」


ミレイは短く言い切る。


「あなたが卒業後に外へ行くって言ったから、私も“卒業後”を考えられた」


それは進路の言葉にも聞こえた。

恋の言葉にも聞こえた。

どちらにも聞こえるのが、一番危ない。


リュミエルが楽しそうに口角を上げる。


「じゃあ、準備が増えたね」


「準備って、卒業までの?」


「うん。卒業までに、精霊との魔法の練習も、家族との連絡の取り方も、旅の間の約束の決め方も準備ができる」


ミレイは頷いた。


「学園の中でできる準備は全部する。……外の世界で死なないために」


その言葉が、最後に現実を落とした。


冬の学園の静けさの中で、エイドは深く息を吸った。


「……じゃあ、卒業までに詰めること、山ほどあるな」


ミレイは、ようやく少しだけ柔らかく笑った。


「そう。山ほど」


窓の外で冬の風が一度だけ木々を揺らした。

塔の影が、石畳を長く伸ばしていく。


その影の先に、外の世界がある。

そこへ出るのは、卒業のあと。


でもミレイの決意は、もう動き出してしまっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ