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光の呼び名  作者: アルエル
学校編
38/77

第29章 責任の行き先

冬の学園は、一気に騒々しくなる。


朝の鐘はいつもより澄んで、廊下の足音はバタバタと、吐く息はまだ白くならないのに、空気だけが先に冷えていく。窓辺の木々は葉を落とし、枝の影が石壁に細い線を刻む。


試験が終わった生徒たちは、戻ってきたその日から「冬の準備」に入った。


契約した精霊と向き合うこと。

相性を確かめること。

将来を考えること。


同じ寮に集められるのは、そのためだ。精霊は言葉で手懐けるものではない。日々の沈黙の中で、相手の“特性”を知っていく。怒る時の空気の張り方、喜ぶ時の光量、眠い時の気配の薄さ――そういう細部が、進路そのものになる。


そして、測定が行われた。


地下修練場。あの計測器具。金属の箱と針、水晶。

入学時と同じ器具で、契約後の精霊を測る。属性。出力。適合度。三つの数字が、等級になる。


結果は廊下の掲示板に貼り出された。


名前。属性。出力。適合度。等級。

五十人分が縦に並ぶ。数字は嘘をつかない。


四級が多い。三級が数名。五級もいる。

どの名前の横にも、針が刻んだ数字と教員の署名がある。

四級なら港湾やギルドの補助。三級なら護衛や調査団。数字が、卒業後の道を決める。


ミレイの欄を見た。風。出力中。適合度高。三級。

三級は十分な成績だ。実戦に出せる水準。

ミレイの顔を見ると、いつも通り何も崩れていない。ただ、視線が一瞬だけ掲示板の別の場所を探して、すぐに戻った。


エイドの欄を探す。


名前はある。属性欄には「光」。

出力欄と適合度欄は、空白だった。

等級欄に、短い文字だけが残っている。


「測定不能」


署名はアーヴィンのものだった。


周りの空気が変わる。掲示板の前に立っている生徒が、二人、三人とこちらを見る。

見て、すぐに目を逸らす。逸らし方が、一年前と同じだった。


測定不能。

あの日、一割で安全装置が反応し、制御装置が焼け落ちた。同じ器具で測れるはずがない。

分かっていた。分かっていても、空白は空白だ。


制度の中に、また居場所がない。


廊下では誰かが笑っていた。

部屋のどこかで、低位精霊がくしゃみみたいな音を立てる。

窓の外を風が撫でて、金具が小さく鳴く。


平和の音だ。



三日後、アーヴィン先生が廊下でエイドを呼び止めた。


「少し、付き合ってくれないか」


地下修練場。結界の線。計測器具。

あの日と同じ場所。同じ匂い。石の冷えが足裏から上がってくる。


違うのは、アーヴィンの隣にローガンがいること。そして二人とも、焦りではなく準備の顔をしていること。


「特殊測定を試す」

アーヴィンが器具を調整しながら言う。

「通常の測定では器具の許容を超える。だから方法を変える」


ローガンが短く補足する。

「一割の一割で測る」


リュミエルがエイドの隣で首を傾げた。

「一割の一割って、百分の一?」


「そうだ。そこまで絞れば、針が動く範囲に収まる」

アーヴィンが計測器具の針を指で弾く。金属の震えが止まるのを待ってから、続けた。

「出力の下限だけ測る。上限は分からない。だが下限が分かれば、等級の"最低ライン"は出せる」


エイドは息を整えた。


「リュミエル。百分の一」

「うん。……合わせるの、上手くなったよね。私たち」


軽い。軽い声のまま、リュミエルが円の中心に立つ。

結界の線が薄く明滅する。前と同じだ。けれど今度は、二人の間に手順がある。


「いくよ」


光が生まれた。

白ではない。白になる前の、金の粉みたいな光。

薄い。薄いのに、針が動く。


動き方が、普通ではなかった。


アーヴィンの眉が上がる。ローガンは眉を動かさない。動かさないことが、逆に答えだった。


「……止めていい」


リュミエルが光を引く。秋の空気が戻る。


アーヴィンが針の位置を記録し、計算する。紙の上でペンが走る。走り方が、途中で一度止まる。


止まった理由を、アーヴィンは淡々と言った。


「下限で二級相当」


ローガンが息を吐いた。短い息。驚きではない。確認の息。


「上限は」

「分からない。器具の限界を超えている。だが下限だけで二級に届く」


二級。一学年に数人。教員候補やギルド正規の水準。

それが、下限。


エイドの掲示板の欄は「測定不能」のままだ。だが台帳には「暫定二級以上」と記録される。

暫定。以上。どちらも、収まらないことの別名だった。


アーヴィンが器具を片付けながら、独り言のように言った。


「この器具は、君のために作られていない。……まあ、ほとんどの制度がそうだ」


ローガンは何も言わない。

言わないまま、修練場の扉を開けた。地上の光が差し込む。


リュミエルが小さく笑う。


「ね。合わせるの、上手くなった」


同じ言葉を二度。

一度目は軽さで。二度目は、確かめるように。


エイドは頷いた。

数字は出た。出たけれど、収まらなかった。

収まらないまま、次の季節に入る。



けれどエイドの頭の中は、その逆に渋滞していた。


(何を話せばいい)

(どこまで話していい)

(どう話せば“信じてもらえる”)


大人の会議。証人として。

自分がそこへ呼ばれる理由は分かっている。禁測地で襲われた。砦で起きた。教会の影がある。――だからだ。


分かっているのに、口の中が乾く。


机に向かって、エイドは何度も言葉を組み替える。

「私は――」から始めては、止まる。

「敵は――」と言いかけて、止まる。

「犯人が――」で喉が引っかかる。


言葉は、形にした瞬間に責任になる。


背後で、光がふわりと広がった。


「また、ひとりで悩んでる」


リュミエルの声は、いつも通り軽い。軽いのに、ここ数日エイドの心臓の奥に刺さって抜けない音を、簡単に指で弾くみたいに言う。


エイドは机から目を離さずに言った。


「そりゃ悩むよ……なにを話したらいいんだよ」


リュミエルは椅子の背に腰をかけるように、机の端に座った。もちろん椅子も机も、精霊の重みを受けてはいない。けれど“座っている”という態度だけで、空気の落ち着き方が変わる。


「考えすぎだよ」


「……考えなきゃだろ」


「言葉をひとつひとつ考えていたって、緊張してたら上手く言葉になんてできないよ」


エイドの指が止まる。紙の上に、ペン先だけが残る。


「ほんとのことを話せばいいの。あなたは悪いことをしていない。人を守って、胸を張れる行いをした。――それだけ」


“それだけ”が、一番難しい。

でも、その言い方は、手順に聞こえた。


(ほんとのこと)

(守った)

(胸を張る)


胸を張れるほど、手は震えたのに。


リュミエルは続ける。


「それにね。大人の会議は、上手い言葉で勝つ場所じゃない。……大人が、責任を分け合う場所でもある」


「責任を、分け合う……?」


「うん。だからあなたは、あなたの分だけ話せばいい」


その言い方は、祈りじゃない。

命令でもない。

ただの現実だ。


エイドは頭を振った。言葉の準備は、ここまでにするしかない。



数日後、会議の場は、港に近い石造りの建物だった。


窓は厚く、外の海鳴りは届かない。代わりに聞こえるのは羽根ペンの擦れる音と、椅子の軋みと、人が息を整える音。壁には湾口の地図が掛けられ、荷の流れを示す線が赤と黒で引かれている。


入った瞬間、エイドは分かった。


ここは、戦場とは違う。

でも、逃げ道は同じように少ない。


前方の席に、港湾の代表がいた。ドリス・ハンセン。数字で物語る、と噂される男だ。机の上に積んだ紙束が、そのまま鎧に見える。隣には商業組合の代表、ルーカス・フェイン。笑顔のまま目だけが動く男。


そして、魔法側の席。


森の座の長老――エルヴァン・グリーンウッド。

水の座の長老――セレナ・ミルフィーユ。

火の座の長老――グラウス・バルディン。


三人が揃っている。いるべきものたちが、いる。


セレナは静かに座っていた。水面みたいに澄んだ目で、部屋全体を“落ち着かせている”。

グラウスは腕を組み、椅子に深く座る。怒っているようで、怒りの置き場を探している顔。

エルヴァンは普段と同じ穏やかさのまま、しかし森のように動かない。


(学長がいる)


エイドの中で、ひとつの緊張感が解けた。


「座りなさい」


学長が軽く顎で示す。エイドは席についた。対面には、もう一人――教会側の人間がいる。


ノア・シュタイン。


神官衣。表情が乏しい。姿勢が低い。

目の奥に、怯えが残っている。


“彼”ではない。

彼女だ。


エイドはそこで、ようやく自分の中の前提を正す。ノアはプラム神官長の副官。実務を回す手。命令伝達。――そういう存在。


(神官長は来ないのか?)


教会の責任者を呼ぶ、と聞いた。エイドは当然、プラム神官長が来ると思っていた。けれどここにいるのは副官。しかも、椅子に座っているのに“縮こまっている”みたいに小さく見える。


会議が始まった。


「本件は、禁測地における襲撃、砦への侵入、そして教会奥での殺害未遂――この三点が連続していると判断する」


エルヴァン学長の言葉は、順序が整っている。森が道を作る時みたいに、余計な枝を払いながら話が進む。


「まず証言を。エイド・マーマン。君が見たものを、ありのままに」


喉が鳴った。


エイドは、ほんとのことを話す。


禁測地で生徒が襲われたこと。

外套の人物が最後に灰になったこと。

学長が言った「内通者」の可能性。


言葉にすると、部屋が少しだけ冷える。

それは誰かの罪が増える冷え方だ。


次に、砦の件。


「……捕まえた炊事係は?」


ドリスが聞く。声に感情がない。感情がないのに、港が止まれば街が止まる、という確信だけが重い。


アーヴィン先生は学長に一目見て答える。結論に辿り着いている目。


「死にました」


短く言うと、グラウスが舌打ちした。セレナはまばたきを一度だけする。


「消滅の術式は、封じていた」


アーヴィン先生は続ける。ここは訂正の場だ。誤魔化す場所じゃない。


「魔術は封じましたが――喉に毒を仕込んでました。……詰めが甘かった」


誰かが紙に書く音がした。

“術式ではない”という一行が、責任の方向を変える。


「口を割らせる前に?」


ルーカスが笑顔で言う。笑顔のまま、舌だけが冷たい。


「はい」


先生は視線を落とさない。


その時、グラウスが椅子を鳴らした。


「そもそもだ。教会側の責任者はどこだ。神官長を呼べと言っただろうが」


怒鳴らない。けれど火の圧が部屋に乗る。

熱ではない。意思の熱だ。


ドリスが淡々と返す。


「プラム神官長は現在、行方不明です。呼べるのは、“証人”としてのこの者だけ」


その瞬間、ノアの肩が小さく跳ねた。

“証人”という言葉が、彼女を刺したのが分かる。


エイドは思う。


(証人)


どこかで聞いた言葉みたいに、胸の奥に残る。


セレナが静かに言う。


「では、その証人に聞きましょう。ノア・シュタイン。あなたは、今回の件をどこまで知っているの?」


ノアは一度だけ息を吸った。

吸ってから、遅れて声が出る。


「……なにも知りません」


声は小さい。

小さいのに、嘘の感じがしない。


「禁測地を荒らすなど、本来……宗教国家は、絶対しません」


ノアの言葉は“正しさ”の言葉だ。

でも、正しさは、起きたことを消せない。


「けれど、ことを起こした」


グラウスが吐き捨てる。


ノアは俯きかけて、踏みとどまる。俯いたら終わる、と身体が知っているみたいに。


「私は……教会に来てくださった方のために働いていただけです」


その言い方が、どこか痛い。

自分の意思を持つのが怖い人間の言い方だ。


エイドは思い出す。

リュミエルの言葉――大人の会議は責任を分け合う場所。


なら、この場は、ノアの責任まで背負わせる場所ではないはずだ。

でも現実は、そんなに綺麗じゃない。


「もう一つ」


学長が言った。声は変わらない。変わらないから、次の言葉が重い。


「教会奥での殺害未遂。ノア・シュタイン自身が狙われている」


部屋の空気が、ひとつ止まる。


ドリスが眉を動かす。ルーカスの笑顔が薄くなる。グラウスが短く息を吐く。セレナはただ、視線を落とす。


「教会の中で、教会の人間が、教会の副官を殺す?」


「名をもたぬ者たちが動いたのだろう」


学長の推測は、推測に聞こえない。森が記録した道を辿るみたいに、確率の高い方へ置いていく。


「証拠隠滅だ。首謀者として生贄にする。……そういう話が見える」


グラウスが、机を指で叩いた。


「なら尚更、港だ。危険物の侵入経路は港だろう。なんで荷と人を通した。検査をすり抜けたのか?――誰の責任だ」


矛先が、ドリスに向く。

ドリスは顔色ひとつ変えない。


「たしかに、港の責任だ」


即答だった。


「不自然な荷を、教会名義で素通りさせた。外から来た素性の知れぬ人間を、港が通した。こちらの落ち度だ」


責任を分け合う、というより――責任を“受け取った”言い方。


「で?」


グラウスが促す。火は怒るだけではない。燃やした後の形を求める。


ドリスは紙束を一枚、前に滑らせた。


「以後、荷物検査を徹底する。大使館名義の貨物でも例外を作らない。検査は立会いを義務化し、中身も開けさせる。倉庫も分ける。港内で一時保管する区画は、魔法側の協力で監視を常駐する」


「教会が拒否したら?」


ルーカスが笑顔のまま聞く。


ドリスは、数字の人間らしく言った。


「拒否するなら、通さない。それだけだ。港で止まればもやつらも止まる。――港は止めないためにも厳しくする」


その言葉に、セレナが小さく頷いた。水が削るのは、こういう時だ。


議論は、次へ移る。


禁測地の管理。

試験手順の見直し。

砦職員の身辺管理。


エイドはそこまでを聞きながら、ずっと胸の奥が落ち着かない。


(港)

(教会)

(街)


全部が繋がっているのに、全体が見えない。

見えないから怖い。


そして、見えないまま“街の形”だけが決まっていくのが、もっと怖い。


最後に、エルヴァン学長が言った。


「ここから先は、街の内側だけで完結しない」


その一言で、部屋の空気が少し変わる。

“外”が入ってくる気配。


「宗教国家と魔術国家。どちらも、精霊をそれぞれの論理で扱う。今回の件は、こちら側が目を逸らしてきた摩擦が、形になって出たものだ」


ルーカスが静かに息を吐く。

ドリスが目を細める。

グラウスが笑う。笑いというより、燃料を見つけた顔。


セレナだけが、穏やかに言った。


「なら、もっと目を向ける必要がある。外を。……こちらの水面の外側を」


学長が続ける。


「正式な使節は、今は難しいだろう。連邦政治はいつも遅い。教会は“外交の盾”を持っている。」


学長の視線が、エイドに落ちる。


「エイド・マーマン」


喉が鳴った。

今度は、逃げられない音だ。


「君は今回、精霊と向き合い、生徒の命を守り、自分も命を奪われかけた。――だが、生きている」


「街の会議に出てほしいと言ったのは、これを伝えるためでもある。君は立派に試験を完遂した。そして、もう来年には卒業だ。だからこそ、考える余地がある」


“余地”。


エイドの胸の奥で、その言葉が響いた。

森の中で、逃げ道を消される恐怖を知った。

でも今度は逆だ。余地がある、と言われた。


それは自由ではない。

責任の別名だ。


「……俺が、外の世界へ?」


言葉が勝手に出た。

出た瞬間、リュミエルの声が耳元で笑う。


(ほら。準備した言葉じゃなくても、出る)


会議はその場で決定しない。大人の会議は、すぐに決めない。責任を分け合うために、いったん持ち帰る。


けれど、自分の中で方向だけは決まった。


外へ。


エイドは会議室を出る時、窓の外を見た。

港の様子。荷車。白い息。

海の向こうに、何かがある。


今までのエイドは、リーベの中だけで生きてきた。

学園と港と、石畳と、朝の鐘の音。


でも、禁測地で襲われた。教会の奥で誰かが誰かを殺そうとした。

それは全部、“外”から来た。


外の世界に興味を持つのは、好奇心じゃない。

必要だ。


生きるために。

精霊と向き合うために。

そして、また誰かを守るために。


石の階段を下りながら、エイドは自分の手を見た。


震えている。

でも、槍を握った時みたいに、ただの恐怖だけじゃない。


そこに、ほんの少し――前へ出る覚悟が混じっていた。


リュミエルが隣を歩く。歩いていないのに、歩くみたいに。


「ね。ほんとのことを話せたでしょ」


エイドは短く息を吐く。


「……次は、話すだけじゃ済まない気がする」


「うん」


リュミエルは、楽しそうでも能天気でもない顔で頷いた。


「だからこそ、見に行こう。外の世界へ」


その言葉が、冬の空気の中で白くならずに残った。

残ったまま、エイドの胸の奥で、ゆっくり形になる。


学園は守れた。守れたから、次がある。

等級は「測定不能」のまま。暫定の二級は台帳にしか残っていない。

掲示板の空白は、まだそこにある。


――旅に出る。

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