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光の呼び名  作者: アルエル
学校編
33/77

第25章 風が戻る


静けさは、まだ森に貼り付いていた。

鳥も、葉も、息さえも、途中で薄くなる。


外套の人物が踏み込む。

足音がない。――“来た”という結果だけが、刃の影と一緒に落ちてくる。


エイドは槍を構えたまま、ミレイの位置を視界の端に置いた。

背中を預けるというより、同じ線の上に立つ感覚。


ミレイの手首の輪が、熱を帯びる。


「追い風よ、彼に助けを」


風が、背中に触れた。

強く吹きつける風じゃない。押す方向だけを決める風だ。迷いを削って、足の出方を揃える風。


――身体が軽い。


エイドは一歩で加速した。

槍の白が、風に引かれて細く伸びる。長い武器が“長さ”ではなく“速さ”になる。


槍は、速いほど強い。

止まればただの間合い。

走れば、点に質量が集まる。


外套の人物が斬る。

音がない。刃の気配だけが、肌に刺さる。


だが、そこに白い光が割り込んだ。


リュミエルの光が、槍先から薄く広がる。

壁じゃない。盾でもない。

「ここは通すな」という拒絶だけを、空気に刻む。


見えない斬撃が、そこで逸れた。

逸れた線が幹を削り、樹皮の青い匂いが立つ――匂いだけが残って、音は落ちない。


足元のいたちが尾をしならせた。

ひゅ、と短い風が走り、斬撃の“続き”を叩く。逸れが、もう一段ずれる。


“当たらない”だけでいい。

エイドの前進が止まらないだけでいい。


エイドは槍を突いた。


狙いは胸じゃない。

刃を握る腕の根――力が逃げない場所へ。


外套の人物は、受けない。

刃を返して槍の柄に絡め、奪って崩す軌道を取る。無駄のない動きだった。迷いがない。


だからエイドは、引かない。


突く、ではなく――押し込む。

槍先を点で入れ、止めずに“流れ”で押す。ミレイの追い風が足を前へ運び続けるから、槍の白は痩せて、硬くなる。


絡め取ろうとした刃が、噛み切れない。

外套の人物の手首が、ほんの僅かに浮いた。


その瞬間、視線がミレイへ滑る。


言葉はない。

けれど意図は明確だった。


――後ろを崩せば、前は遅れる。


刃が振られた。ミレイの方へ、音のない刃が来る。


ミレイは逃げない。

輪がほどけ、薄い“壁”を作る。受け止めるための壁じゃない。通る角度を横へずらすための面。


ぱき、と空気が割れた。


(……いま、音が)


ほんの一拍。

世界が「鳴った」。


しかし次の瞬間、また薄くなる。

音が広がらない。届かない。裂けたはずの空気の気配が、途中で潰れて消える。


リュミエルが、エイドの耳元へ言葉を落とした。


「種明かしをしなくちゃね」


声は落ち着いていた。戦いの最中なのに、授業の声みたいに冷静だった。


「音は“消す”ものじゃない。――届かせないことができる」


エイドは歯を食いしばる。刃を捌きながら聞く。


リュミエルは続けた。


「光も同じ。霧があれば、光は弱くなる。光そのものが消えたわけじゃない。届く道が潰されるだけ」


一拍。


「音は空気の波。波は、空気が動くから広がる」


リュミエルの視線が、外套の人物の周囲を示す。


「――あの人は、風を止めてる。だから、音が途中で死ぬ」


ミレイの指が、震えた。

震えは恐怖じゃない。理解が速すぎて、身体が追いついていない震えだ。


(風を止めて……音の広がりを止めてる)


ミレイは息を吸った。

そして、短く置く。


「――それなら」


命令じゃない。お願いでもない。

“私がやる”という宣言だけ。


輪が縮む。

縮んで、次に広がる。


広がり方が違った。

ただの追い風ではない。森の中で止められた空気の筋道に、もう一度流れを吹き通す風。


止められた場所に、風穴を開ける。


ざわ、と葉が鳴った。

枝が擦れる。

遠くで鳥が跳ね、羽音が遅れて届く。


一時的に音が、戻った。


静けさの膜が、裂けたまま戻らない。


外套の人物の動きが、ほんの僅かに変わる。

焦りではない。修正だ。――でも修正が必要になったという事実が、こちらの利になる。


ミレイは叫んだ。声が届く世界で。


「エイド、今!」


エイドは頷かない。頷く余裕を削って、足に回す。


追い風が強まる。

背中を押すだけじゃない。足元の空気まで運び、踏み込みの“抜け”を消す風。


加速がもう一段上がる。


槍の白が、細い線になる。

線が、点になる。

点に、重さが集まる。


エイドは突く――のではなく、突き“続ける”。


止めない。止まらない。

槍は止まった瞬間に弱くなる。だから止まらない。ミレイの風がそれを許す。


外套の人物は斬撃で迎え撃つ。今度は音がある。予備動作が音で分かる。

ひゅ、と空気が裂ける。


その裂け目を、光が縁取る。

リュミエルが刃の通り道だけを白く浮かせる。見えるから、ずらせる。


ずらした先に、いたちの風が叩く。

斬撃の角度が半分だけ狂う。


半分で十分だった。


エイドの槍先が、刃を握る腕の根へ触れる寸前まで届く。

刺さない。だが、避けられない距離を作る。


外套の人物が腕を引こうとした瞬間、ミレイの風が“横”へ回った。

追い風ではない。体勢の逃げ道を一瞬だけ削る風。


足が、わずかに滑る。


滑った音が、はっきり鳴った。


エイドはその音を合図にした。

槍先を点で当てず、槍の横っ腹で払い、押し込む。

腕の根を押され、刃が外へ流される。


外套の人物が、初めて一歩だけ退いた。


退いた距離は小さい。

でも、森が鳴っている今、その一歩は大きい。


次の瞬間。


森が、動いた。


木々が揺れたのではない。

風でもない。音でもない。

地面の下から、何かが“位置”を変える手触り。


根が、這う。

土が、盛り上がる。

逃げ道と、踏み込みの線が、同時に書き換えられていく。


外套の人物の足が止まった。

止まったのは恐怖ではなく――「森の都合」に足が逆らえないからだ。


その場に、影が落ちた。


木の間から、ひとりの男が現れる。

老人のようで背筋は伸び、優しさの中に芯のある強さが宿っていた。目だけが、全員を捉える。


そこには、ここいないはずのエルヴァン学長だった。


声は低い。怒鳴らない。

けれど、森がそれに従って静かになる。


「――そこまでだ」


音のある森で、言葉が落ちた。

戦いの熱が、ひとつ、確かに冷えた。

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