表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光の呼び名  作者: アルエル
学校編
27/34

第12章 夜の会話


夕方の訓練場は、夏の熱気をまだ抱えていた。

陽が傾くほどに石床の熱が戻り、汗の匂いが薄く残る。けれど風は、どこか乾いてきた。肌に触れる空気が、ほんの少しだけ軽い。


槍の柄を握る手が、前よりも迷わなくなっている。

エイドは息を整えながら、足裏で床を探った。


――腕力で勝つな。足で勝て。


ローガン先生の言葉が、頭の中で反復される。けれどそれは、もう「教訓」ではなくなりつつあった。

今なら、分かる。


腕力で勝とうとすると、相手の間合いに入る。

槍は長い。長いからこそ、相手より先に「立ち位置」を取ったほうが勝つ。

相手が踏み込むなら、その斜め前を取る。

相手が避けるなら、避けた先の地面を先に押さえる。

槍先よりも先に、足が勝つ。


エイドは一度、突きを止めて槍を引いた。

呼吸が荒い。だが息切れは、前ほど不快ではない。身体が、戦いの中で考えることに慣れてきている。


「……今の、ちょっとだけ良かった」


背後から声がした。

リュミエルだ。エイドの背中の位置に、わずかに浮くように留まっている。近いのに邪魔にならない距離。槍を振るえば、彼女がそこにいることを忘れるくらい自然な位置だ。


「ちょっとだけって」

「うん。ちょっとだけ」


褒めているのか、ただの事実なのか分からない口調。

それでも、エイドの胸の奥が少し軽くなる。


「槍は、立ち位置と間合い……か」

「腕力で勝とうとすると、すぐ疲れるものね」


リュミエルは淡々とそう言って、訓練場の壁際に視線を流した。

教官たちのいる場所。監視ではなく、見守り。だが見守りの中には「危険」の線がある。


エイドは槍を下ろし、汗を拭った。

槍を握ったまま考えると、思考が戦いに寄り過ぎる。だから一度、道具を床に立てかけ、息を整える。


秋の禁測地。

卒業試験。

その言葉が、いまは遠いようで、近い。


戦いの間合いが、少しは分かってきた。

魔法も、整えれば出る。


――それでも、足りない。


足りないものが何か、分からないのが怖い。

分からないまま近づいていくのが、もっと怖い。


その夜、寮の部屋は静かだった。

窓の外の蝉の声が、少しだけ弱くなっている。夏はまだ終わっていないのに、夜はどこか次の季節の準備が始まっている気がする。


エイドはベッドに横になったまま、目を閉じていた。

眠れないわけではない。

眠れるのに、頭が勝手に動いてしまう。


禁測地で必要なのは、戦闘だけじゃない。

迷わないこと。

迷っても戻れること。

仲間を守る動き。

精霊に近づき過ぎない距離。


――俺は、何ができる。


考えているうちに、胸の内側がざわつく。

自分でも、うるさいと思う。


「……ねえ、エイド」

暗い部屋の中、声がした。


エイドが目を開けると、リュミエルが枕元にいた。

灯りを点けていないのに、彼女の輪郭だけはわかる。薄い光があるからではなく、エイドの目が「そこにいる」と知っているからだ。


「起きてた?」

「起きてるというか……」

リュミエルは言葉を探して、少しだけ眉を寄せた。

「あなた、さっきからずっと、考えごとしてる。うるさい」


うるさい。

精霊に言われると、妙に刺さる。


「……ごめん」

「謝らなくていいの。でも、頭の中が渋滞してる」

「渋滞って……」

「止まってるのに、動きたいがたくさんある感じ」


妙な例えなのに、的確だった。

エイドは苦笑して、枕を抱え直す。


「禁測地のこと、考えてた」

「ふうん」

リュミエルはエイドの胸のあたりを指先で軽く示した。

「ここ。引っかかってる。足りない、足りないって」


エイドは息を吐いた。

言葉にすると余計に情けなくなる気がして、黙っていたところを、見抜かれた。


「……足りないものが分からないんだ」

「分からないなら、整理すればいい」

「整理?」

「何が欲しいのか。何ができるのか。何を捨てるのか」


リュミエルの口調は、やけに実務的だった。

精霊というより、昔誰かと暮らしていた人の言葉に近い。


エイドは、少し躊躇ってから言った。


「リュミエル。契約した精霊ってさ……人を強くする方法ってあるのか?」

「あるよ」

即答だった。


「先生は……たぶん危ないからって、教えたがらない」

「うん。あの先生は正しい」

「正しいのかよ」

「危ないものは危ないもの」


納得しかけて、納得できない。

エイドが黙ると、リュミエルは小さく息をついた。


「でも、教えてあげるわ」

「……え」

「あなた、うるさいから」


理由がひどい。

だがリュミエルは真面目な顔だった。


「契約精霊はね。魔力を、具現化できるの」

「具現化?」

「魔力武器。――私の魔力を、あなたの手に渡す形にする」


エイドは上体を起こした。

寝る前のおとぎ話じゃない気がする。


「作れるの?」

「作れるよ。材料は魔力だけ。必要なのは、イメージ」

「イメージ……」

「あなたが“こうしたい”って思う形。私が“こうする”って思う形。その二つの一致が、具現になる」


リュミエルは指先を立て、空中をなぞる。

そこに何かが浮かびそうで、浮かばない。まだ出さない。出せば、話が別の方向へ跳ねるのを知っている。


「でも、それって……」

エイドは言葉を選んだ。

「リュミエルの魔力で作ったら、どうなるんだ?」


「うーん……」

リュミエルは、歯切れが悪くなる。

「たぶん、今のあなたには扱いきれないと思う。扱えなければ壊れる。あなたが。周りも。――だから先生は止める」


怖い話を、怖くない声で言う。

それが余計に怖い。


「じゃあ、なんで教えたんだ」

「作るとは言ってない」

リュミエルが首を傾げた。

「知るだけ。選べるようにするだけ」


そして、エイドの目を見て言った。


「まず、整理」

「何をやりたいか。何を守りたいか。何を、できるようになりたいか」

「それがまとまったら、武器はただのイメージになる。イメージだけなら、危なくない」


エイドは、胸の奥が少しだけ落ち着くのを感じた。

力の話をしているのに、落ち着く。

それは多分、「未知」が少しだけ言葉になったからだ。


「……ありがとう」

「うん」


リュミエルは満足そうでもなく、当然のように頷いた。


それから、少し間を置いて、彼女が言った。


「ねえ、秋の禁測地って、どんなところ?」

「……そっちのが気になるのか」

「気になる。精霊が多いんでしょ」


エイドは枕を抱えたまま、天井を見る。

禁測地の説明は、授業でも聞いた。先輩からも聞いた。

けれど、説明するのは初めてかもしれない。


「未契約の精霊が多い」

「精霊にとって居心地がいい大自然がある」

「だけど、人間には危険だ」


リュミエルは楽しそうに目を細めた。

危険という言葉の意味が、彼女には少し違うのだろう。


「禁測地は、級で分かれてる」

「第三級から第一級まで」

「数字が小さいほど、強い精霊がいる」


「強い精霊」

リュミエルが繰り返す。


「強い精霊は、人に優しくない」

エイドは言った。

「ほとんど排他的だ。近づくと、追い払われる。下手したら殺される」


「精霊が?」

「精霊が、というより……自然ごとだな」

言いながら、エイドは少しだけ眉を寄せた。

「方位が分からなくなる。霧もよく出る。変なところで道順が分からなくなる。戻れなくなる」


「霧?」

「霧。――視界だけじゃない。距離感も狂う」


精霊が多い場所は、人の感覚が当てにならなくなる。

それを「試験場」にするのは、魔法学校が魔法学校である所以だ。


「三級は、一番安全」

エイドは続けた。

「卒業試験は基本そこ」

「だから最適って言われてる」


ただ――と、胸の内側で小さく釘を刺す。


「本来なら、俺は禁測地に行く意味がない。もうリュミエルと契約しているから」

エイドは言った。


「じゃあ、なんで行くの?」


「行かないと卒業できない」

エイドは短く答えた。

「禁測地に行かずの卒業はないって。規定はみんなと同じだ。……それに、俺だけ別の試験があるらしい」

「詳しくは、まだ聞かされてない」



「じゃあ、安心?」

リュミエルが首を傾げる。


エイドはすぐに首を振った。


「危険がまったくないわけじゃない」

「三級でも、下手すれば死ぬ」

「精霊が多いってことは、気まぐれも多い」


リュミエルは、少しだけ楽しそうに言った。


「気まぐれは、私もそう?」

「……違う」

「違うの?」

「お前は……分かっていってる」


エイドがそう言うと、リュミエルは小さく笑った。

声を出さない笑い。喉ではなく、気配だけが揺れる。


「高学年になると、戦闘魔法が増える理由が分かった?」

エイドが言う。


「うん。危険があるから」

「それだけじゃない」

エイドは言葉を選びながら続けた。

「戦うためだけじゃなくて……逃げるためでもあるんだ」

「切り開くためじゃなく、撤退するため」


槍は足で勝つ。

魔法も、足で勝つ。

前へ出るだけが勝ちじゃない。引くことも勝ちだ。


エイドはふと、息を吐いた。

また考え始めている。

けれど今度は、少し整理されていた。


「……俺、禁測地に向けて」

「何が足りないか、考えてた」


リュミエルは、眠そうに目を細めた。


「考えるのはいい」

「でも、渋滞はだめ」


「じゃあ、どうすればいい」

エイドが聞く。


リュミエルは、当然のように言った。


「ならべること」

「やりたいこと、守りたいこと、怖いこと」

「順番に並べる。それが整理」


精霊に言われる助言としては、あまりにも現実的だった。

けれど、その現実的さが、いまは助かる。


「……明日、考えてみる」

「うん、今はおやすみ」

リュミエルは満足したように頷いた。


そして、ベッドの端に軽く腰掛けるような仕草をして、言った。


「秋の禁測地。楽しみ」

「お前は楽しむな」

「でも居心地いいんでしょ」

「居心地いいのは精霊だ」

「じゃあ、私のために行くの?」

「……違う」


エイドは言いかけて止めた。

違う、と言い切るほど簡単でもない。


リュミエルがそこにいることが、もう「特別」ではなくなりつつある。

けれど「当たり前」にするには、まだ足りないものがある。


それを埋めるために、秋へ向かう。

足で勝ち、戻るための強さを身につける。


エイドは目を閉じた。

今度は、少し眠れそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ