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光の呼び名  作者: アルエル
学校編
23/26

第8章 槍の間合い


地下へ降りる階段は、夏が近づくほど空気が重くなる。

地上の熱が石の間に残り、冷気と混ざって湿る。息を吸うと、肺の内側が少しだけべたついた。


許可を取った修練場の扉が開く。

訓練用に、私闘防止結界は落としてある。

今日のここは、暴発を止める場所じゃない。正式な訓練の場所だ。


ローガンはすでに中央に立っていた。

外套は脱いでいる。袖をまくり、木製の武器を二本、壁に立てかけている。


エイドは木槍を見て、足を止めた。


「……槍ですか」


ローガンは頷きもしないで言う。


「お前の手に一番残るのが、それだ」

「剣も悪くない。だが、お前は無駄が増える」

「槍は無駄が減る。間合いが取れる。お前の迷いが少ないと判断した」


エイドは木槍を取る。柄が長く、槍先があるはずの部分には木が布で巻かれていた。

柄は少し太い。握ったとき、掌のどこに力が乗っているかが分かる。木剣より、手首が勝手に動かない。肩が上がりにくい。


「構えろ」


エイドは槍先をまっすぐ前へ出す。

足幅を調整する。左足を半歩前へ。膝を落とす。肩の力を抜く。息を吐く。


ローガンは木剣を持つ。

前回までの打ち合いと違う。剣の間合いは近い。槍の間合いは遠い。

遠いぶん、動きが見える。見えるぶん、誤魔化しが効かない。


「いくぞ、まずは防御だ」


ローガンが踏み込む。


エイドは槍を引かない。槍先を残したまま、柄の根元だけを動かす。

受けるのではなく、ずらす。ずらして、次の角度を作る。


木剣が槍の柄に当たる。乾いた音が響く。

槍の柄が弾かれ、手の内が震える。

エイドは震えを逃がす。肘を固めない。肩で受けない。足で支える。


ローガンがもう一歩踏み込む。

剣の届く距離へ来る。槍が長いぶん、詰められると苦しい。


エイドは一歩引くのではなく、半歩だけ横へずれる。

槍先を相手から外さないまま、足だけで角度を変える。

間合いがずれる。剣の軌道が変わる。


ローガンが言う。


「今のだ」

「槍は、腕で勝つな。足で勝て」

「詰められたら、距離を戻すな。角度を変えろ」


エイドは短く息を吐く。

動けている。頭が追いついている。

それだけで、前よりずっと楽だ。


「よし、次は魔法を戦闘の中に織り込め」



背中に、気配が寄った。


リュミエルは隣に来る。

ただし前へは出ない。出れば、それだけで戦いが壊れるのを知っている。だから、エイドの背中の位置に浮遊するように留まる。

リュミエルが戦うときは、少しだけ浮く。床から指一本ぶんだけ距離を取る。

それだけで移動が速くなる。靴底が擦れない。踏み込みに巻き込まれない。


エイドの槍先の延長線を避けるように、背中の斜め後ろに位置を取った。

槍の柄が返る場所。踏み込みの足が来る場所。そこを外して、同じ速度で付いていける。

影が揺れないように、呼吸も音も薄い。


リュミエルも、戦う姿勢をとった。

体を起こし、視線をローガンへ据える。

口は開かない。代わりに、エイドの意図が動く瞬間を待つ。


ローガンが言う。


「詠唱が要らない。お前の強みはそこだ」

「思ったものがそのまま形になる。——今のお前たちは自分たちの意図を共有できているからだ」


エイドは頷く。

自分が“言葉”を出すより先に、意識が走る。走った意識を、リュミエルが拾う。拾ったものを、光にする。


それができるのは、リュミエルが「人の意図」を組みやすいからだ、とローガンは言う。

人と生きた中位。経験が残っている。低位の精霊より、エイドの意味を掴むのが早かった。


ローガンが踏み込む。


エイドは槍を前へ出したまま、頭の中で一つだけ決める。

——目を奪う。

——一瞬でいい。


リュミエルが動く。


眩しい光ではない。

白い板のような光が、ローガンの視線の高さに薄く出る。幅は肩幅ほど。厚みはない。瞬間だけ現れて、消える。


ローガンの目は、逸れない。

光を“見ない”。見なくても、そこに何かが出たことは分かる。


木剣の軌道が、ほんのわずかに浅くなる。

止まったのではない。避けたのでもない。

——「余計なもの」が増えた瞬間、人は“守りの余白”を作る。


エイドはその余白に合わせて突く。

槍先が肩口へ届く。ローガンは木剣で払う。払った瞬間に、槍を押し返して距離を作る。


ローガンが言う。


「普通の戦士なら一拍だけ“反応”が出る。今のはそれを狙ったな」

「派手にするな。小さく、確実に。——攪乱は視線じゃない。相手の判断を遅らせる」


エイドは「はい」と短く答える。

派手にすれば、また自分の判断が揺れる。派手にすれば、自分の“基準”から外れる。今やっているのは、最小限の力で勝つための形だ。


ローガンが次の指示を出す。


「幻影を入れろ。輪郭だけでいい」

「相手に“判断”を一つ増やせ」


エイドは槍を構えたまま、頭の中で角度を決める。

——自分の右に、半歩。

——同じ動き。


ローガンが踏み込む。


その瞬間、リュミエルが光を出す。

エイドの右側に、薄い人影が一つ立つ。実体はない。輪郭だけ。床に影は落ちない。動きだけが、遅れて付いてくる。


ローガンは迷わない。

木剣の位置を一寸だけ変える。

“本体だけを斬る”軌道から、“どちらにも対応できる”軌道へ。


角度が浅くなる。

浅くなる分、攻めが鈍る。

——それが、増えた判断の代償だ。


エイドは槍を下から入れる。

ローガンは受ける。受けたとき、幻影が同じ動きを遅れてなぞる。

木剣が「触れなくていいもの」に触れそうになる。触れそうになるだけで、手元の力が散る。


ローガンが、声だけで言った。


「それだ」

「相手が嫌がるのは“気を取られる”からじゃない」

「次の手を決める前に、余計な判断が一つ増えるからだ」


そして、すぐ続ける。


「今の形なら——お前は次にこう動け」

「攪乱を置いた瞬間、槍先を追うな。槍先は“置け”。お前の足で、相手の逃げ道を潰せ」


ローガンが距離を取って、右手を軽く上げた。


「次は、俺も精霊を出す」


ローガンの肩口に、赤い光が浮かぶ。

火の精霊――フレア。炎の玉。小さい。だが熱がある。近くの空気が少し揺れる。


「火は速い」

ローガンが言う。

「避けるか、遮るか、先に動くか。判断を落とすな」


エイドは槍を構え直す。

視野を広げる。ローガンの剣。足。肩のフレア。自分の槍先。

全部を同時に見ようとすると、何も見えなくなる。

だから優先を決める。いま一番危険なのは何か。いま一番動くのは何か。


ローガンが動く。

フレアが火を吐く。小さな炎が、直線で飛ぶ。熱が先に来る。

エイドは槍の柄を横へ払って、炎の線を弾く。木が焦げる匂いがする。

弾いた瞬間、ローガンの木剣が来る。剣が、槍の内側へ入ろうとする。


エイドは足を動かす。

槍先を置く。槍先がローガンの胸の前に残る。

残った槍先が、剣の踏み込みを止める。


ローガンは止まらない。

止まらないまま、剣を槍の柄に当てる。

当てて、押す。押して、槍の角度をずらす。

ずれた角度に、フレアの火がもう一度走る。今度は曲線だ。逃げ道を潰す。


エイドは視野を広げたまま、身体を二つに分ける。

槍を捌く自分と、火を見る自分。

同時に動く。遅れない。

遅れないために、余計なことをしない。


リュミエルが背中の位置で動く。

エイドの意図が走った瞬間に、光が生まれる。

槍先の延長線に薄い光が伸び、ローガンの足元の影をずらす。

影がずれた分だけ、踏み込みの位置が半歩だけ狂う。


ローガンは狂いを受け止める。

受け止めたうえで、次の手を重ねる。

剣の軌道が変わる。火が変わる。

戦いが、少しずつ“同時並行”になっていく。


エイドは、息を吸う。

吸って、吐く。

息が荒れない。荒れないから視野が狭くならない。

視野が狭くならないから、判断を落とさない。


ローガンが一歩引いた。

フレアが火を引く。熱が収まる。


「止め」


ローガンの声で終わる。


エイドは槍を下ろして、肩の力を抜いた。

掌が少し痛い。握った場所が熱を持っている。

けれど、その痛みが「形になった」証拠みたいに残っている。


ローガンが言う。


「剣を見ろ。火を見ろ。精霊を見ろ」

「全部を見ろ。ただし、全部を同じ重さで見るな」

「お前は今、それができかけている」


エイドは短く返した。


「……はい、先生」


修練場を出ると、階段の上から地上の明るさが落ちてくる。

夏の匂いがする。土と草と、港の潮が混ざった匂い。


エイドは掌を見る。

木槍の粗さが残っている。握った場所が少し赤い。痛みはある。だが、その痛みが「形になった」証拠みたいに残っている。


リュミエルが隣に並ぶ。

いつも通りの距離。だが、今日は少しだけ違う。


「次は、もっと速く拾える」

リュミエルが言った。


エイドは頷く。


「……頼んだ」

「うん」


言葉は短い。

短いままで、できることが増えていく。


廊下の先で、生徒たちの足音が響いていた。

授業へ向かう音だ。

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