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光の呼び名  作者: アルエル
序章
2/28

第2章 戻ってきた光


最初に違和感に気づいたのは、港湾区の夜番だった。


巡回の終わり、古い倉庫が並ぶ路地で男は足を止める。

暗いはずの角が、ほんの少しだけ明るい。


「……点いてる?」


石壁に取り付けられた街灯が、静かに光っていた。

数日前、確かに壊れていた灯りだ。金具のゆるみも、術式盤の欠けも見た。修理が入っていないことも確認している。


港湾区の街灯は魔術師ギルドの管轄だ。

術式を組み、規格を揃え、部品を管理する。だからこそ、勝手に直ることはない。勝手に直ったのなら――それは誰かが直した、ということになる。


男は近づきかけ、やめた。

光が、いつもと違う。


均一で硬い光ではない。

影の輪郭がどこか柔らかく、足元だけを選ぶように照らしている。余計な場所を明るくしない。まるで“歩きやすいように”考えているみたいだ。


「気のせいか……いや」


気のせいで済むなら助かる。夜番が余計な騒ぎを起こせば、責任の帳簿だけが増える。

男は視線を切り、歩き出した。背中に、淡い灯りがついてくるような感覚が残った。


翌朝。港湾区のギルド窓口で、男は帳面を示した。


「この街灯、修理の予定は?」

「後回しです。部品が足りません」


職員は淡々としている。慣れているのだ。港の設備はいつも足りない。


「……昨夜、点いてた」

「なら誰かが手を入れたんでしょう。ギルドの記録にはありません」


記録にない。

それが問題だった。


昼。市場で噂が育ちはじめる。

交易都市の噂は品物より軽い。軽いから、遠くまで飛ぶ。


「北の路地の街灯、直ったらしい」

「ギルドは知らんってよ」

「じゃあ誰が?」


酒場の隅で、ギルドの下働きらしい若者が得意げに言った。


「術式が残ってたんだろ。点くだけなら、たまにある」

「たまに、ってのはな」


向かいの荷運びが鼻で笑う。


「魔術は規格通りにしか動かねえ。勝手に直るなら、魔術師ギルドは困らねぇよ」


若者がむっとして言い返す。


「じゃあ魔法だって言うのか?」


その言葉で、場の温度が少しだけ変わる。

魔法と魔術は似ているようで、別物だ。

魔術は術式と道具で魔法を再現する技術で、魔術師ギルドが握っている。

魔法は資質と手管が要る。人が“精霊”から借りて起こす力だ。


だが、そこで口を開いたのは、もう少し年嵩の男だった。


「魔法は“人の力”じゃない。“精霊の力”を借りるんだ」

「精霊の気配が薄い場所じゃ、同じ腕でも同じことは起きねえ」


若者は言い返せず、口を尖らせた。


別の客が、ぼそりと続ける。


「魔法区の連中は魔術を嫌う。俺の区画じゃ禁止だ」

「だからって港湾区の街灯に、わざわざ手をつける理由があるかよ」


誰かが冗談めかして、言い切った。


「じゃあ、精霊か?」


笑い声が起きる。否定ではなく、照れ隠しだった。

けれど、その笑いは長く続かなかった。


噂の中に、ひとつだけ質の違う話が混じったからだ。


「うちの子がね、夜に目が覚めちゃって。水を飲もうとして台所まで行ったの」

「照明は魔術式で点くでしょう? でも、寝ぼけてると……起動の印がどこだったか、分からなくなることがあるのよ」


話している女は、笑おうとして、うまく笑えなかった。


「暗いって、泣きそうになったら……足元だけ明るくなったって」

「灯りみたいに全部が明るいんじゃなくて、子どもの目線に合わせるみたいに、やわらかくて」


誰かが「気のせいだろ」と言いかけて、口を閉じる。

女の表情が、冗談を許さない。


「声も、したって言うの」

「“大丈夫。ここだよ”って。急かすでもなく、命令でもなく……一緒に探してくれるみたいに」


女は少しだけ間を置き、続けた。


「子どもは怖くなかったって。ひとりで水を飲めたって」

「……私の方が、背中が冷えたわ。術式の灯りは、そんなふうに“人に合わせて”動かないもの」


笑い話にはならなかった。

気が利きすぎている。

低位の偶然では説明できない。


噂が増えるほど、面倒も増える。

誰かが得をする匂いが混じるほど、別の誰かが動きはじめる。


キーラ・ヴェルナーは、帳簿を閉じた。


キーラは二十代後半の女性だ。黒に近い茶色の髪を後ろでまとめ、港の事務所らしい実用的な服を着ている。


彼女は商人だ。

精霊や商品に対しては非情になれる。値段がつくなら、値段の話をする。

けれど、人の暮らしを壊してまで儲けたいわけじゃない――そういう線が、彼女にはある。


「港湾区の街灯が、勝手に直った。しかも“気が利く光”」


冷たさはある。けれど、焦りはない。

噂は放っておけば太る。太るほど嘘という雑味も混ざる。旨い商売にするなら、最初にやることは決まっている。


キーラは机の端を指で叩き、息を整えた。

これは指示ではない。段取りだ。自分のための段取り。


「情報を買うわ。口の固い奴に当たりましょ」


一人で動くなら、情報選びがすべてになる。

港湾区の人間で、ギルドとも市場とも距離がある者。口が固く、足が速く、金で動く。一本でいい。


頭の中で、要点だけを並べ直す。


まず、噂の核を拾う。

「光がついてきた」「声がした」「足元だけ照らした」――同じ型の話をいくつ拾えるか。

数が揃えば揃うほど、偶然の言い訳が苦しくなる。


次に、場所を押さえる。

港湾区だけか。住宅区にも出ているか。

暗がりに困る人間のそばで起きるのか、それとも“点く場所”が決まっているのか。

癖が見えれば、位階(精霊の格)が読める。――少なくとも、低位の気まぐれでは済まない。


最後に、ギルドの記録で術式の可能性を潰す。

「修理が入っていない」「部品交換もない」――そこが確定した街灯で、規格外の光が出ているなら。もう魔術じゃない。

確認できた件数が、そのまま余力の目盛りになる。 港だけでなく住宅区でも起きているなら――なおさらだ。

そして、その目盛りが大きいほど、値札は跳ね上がる。


線引きも忘れない。

目撃者の家庭には手を出さない。脅しも買収も尾行も不要。

帳簿は血で赤く染めないこと。


キーラは小さく息を吐いた。


――対象は子どもじゃない。

光だ。

その“気が利きすぎる光”の正体だけを抜く。


もし噂が本当なら。

術式ではない光が、そこにある。


もし噂が偽物なら。

誰かが仕掛けている。なら、その誰かを辿ればいい。


どちらに転んでも、損はしない。


キーラは暗がりに目を細めた。


「厄介で、上等」


誰に向けた言葉でもなかった。

ただ、商人が品物の質を見分けたときに出る、癖のような呟きだった。

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