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光の呼び名  作者: アルエル
学校編
19/28

第4章 風に触れる


測定から日が経っても、彼らの訓練は途切れなかった。修練場は許可制になり、二人の“基準”が、毎日確かめ直された。

リュミエルは合わせる。エイドが怖くないところで止めるために。前の契約者の時と同じ手順で。



ミレイは、その訓練を「見ないふり」で通り過ぎた。


見ないふりは無関心ではない。あれは必要な時間だと分かっているからこそ、横から触らない。視線や助言は、本人の手順を崩すことがある。特に今は、言葉ひとつで空気が変わる。


だからミレイは、いつも通り自分の場所へ向かった。


校舎の裏手。春の草がまだ柔らかい土を隠しきれず、踏み跡だけが濃く残る場所。訓練場ほど整ってはいない。整っていないからこそ、手順を持っている者の差が出る。


ミレイは鞄を下ろし、外套を畳む。手袋を外す。指先を見て、爪の端を確かめる。小さな準備の順番はいつも同じ。順番が崩れると、今日は“風の機嫌”が悪い。


風というのは、気まぐれで、繊細だ。


——刺激すると、逃げる。


ミレイは息を吸って、吐いた。吐いた息を、春の空気に溶かす。自分の魔力を外へ押し出す前に、まず体の内側のテンポを整える。風に触れるための呼吸。


それから、掌を少しだけ開いた。


魔力が出る。出るが、派手には出さない。見せるためではない。手順を揃えるためだ。ミレイの魔力は、火花のようには弾けない。その代わり、布を伸ばすように広がる。


掌の前、空気が一瞬だけ軽くなる。


風が来たのではない。風が来やすい“形”に、空気が並ぶ。


ミレイはそこで止める。


——止められることが、強さだ。


一歩、横へ。二歩、斜めへ。三歩、後ろへ。足音は小さい。土を掘らない。草を倒さない。足の置き方で流れが変わるのを、ミレイは知っている。


次に、指先で小さく空を切った。


風が動いた。


音が立たない。見た目にも派手ではない。だが、草の先が一斉に同じ方向へ倒れ、次の瞬間には元へ戻った。刃ではなく、手刀。切断ではなく、整列。


——最高学年の魔法は、見せ場じゃない。


過剰に出さない。狙った範囲だけを動かす。周囲を巻き込まない。人に見せなくても成立する精度。ミレイの風はそこに力を積んできた。


背後で、足音が一つ止まった。


新入生だ。制服がまだ固い。肩の力が抜けないまま、迷いながら立っている。目が泳いで、ミレイの手元と草の揺れを何度も往復している。


「……今の、何をしました?」


声が小さい。聞こえるかどうかを試すような声。


ミレイは振り返らずに答えた。

「風を動かしただけ」

「でも……風って、今、吹いてませんよね」

「吹かせたの。ほんの少し」

「魔法、ですか」

「そう」


新入生は息を飲む。


——見えないはずのものが、揺れで見える。


ミレイはこういう時、説明を増やさない。増やすと、相手は“意味”に寄りかかって、手順を覚えなくなる。自分で触れて、自分で失敗したほうが早い。


「やってみる?」

ミレイが言うと、新入生は慌てて首を振った。

「い、いえ……」

「じゃあ見て」


ミレイは掌を閉じ、また開いた。今度は、先ほどより少しだけ強い。強いといっても、教室の窓を鳴らすほどではない。ここで鳴らす必要がない。


草の先が、同じ方向へ倒れる。


先ほどより長く倒れる。戻るのが遅い。風の“残り香”が空気に薄く留まる。新入生の髪が、遅れて揺れた。


「……すごい」

新入生が呟く。

「怖い、じゃないんだ」


ミレイはそこで、ほんの少しだけ口元を緩めた。

「怖くしないのが一番大事」

それは誰かの言葉でもあった。今、学校中がその言葉を必要としている。


新入生が言う。

「ミレイさんって、最高学年なんですよね」

「そう」

「やっぱり、違うんですね」

「何が」

「……余計なことをしないところが」


ミレイはその言葉に、少しだけ胸の奥が熱くなった。


余計なことをしない。

それは、努力を努力として見せないやり方だ。積み上げが派手にならない代わりに、失敗も目立たない。誰も拍手しない。けれど、こういう場で残る。


「余計なことをしないために、余計なことをいっぱいした」

ミレイは淡々と言った。

「何度も失敗した。……今もする」


新入生は目を丸くした。

「でも今、失敗してないじゃないですか」

「今はまだ、させてないだけ」


ミレイは息を吸って、吐く。


風は、気まぐれだ。繊細だ。刺激すると逃げる。


だからこそ——寄り添い方を覚える。


「今日はこれで終わり」

ミレイが言うと、新入生は慌てて一歩下がった。

「ありがとうございました」

「礼はいらない。……誰かに言うなら、大げさにしないで」


新入生は戸惑いながら頷いた。

「はい」


ミレイは最後にもう一度だけ掌を開き、ほんの小さな風を作る。草の先が揺れる。動いたのは草だけ。土も、花びらも、髪も揺らさない。


——このくらいなら、風を荒立てない。


ミレイはそうやって、春を毎日繰り返していた。


エイドの訓練は、止めるための訓練だ。

自分の訓練は、触れるための訓練だ。


どちらも、同じ場所へ向かっている。


——事故を起こさないために、強くなる。


ミレイはまた掌を開いた。

春の匂いの奥に、青い熱が混じった。

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