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光の呼び名  作者: アルエル
学校編
17/28

第2章 測定事故


春の鐘は、地上で鳴っていた。


新入生の列が校門へ吸い込まれていく。揃えた制服の肩、浮ついた声、花の匂い。入学式という言葉が似合う明るさが、空気そのものに混ざっている。


——事件から数日。


街を白く塗った光の余韻は、もう目には見えない。けれど噂は消えない。見えないものほど長く残る。エイドは選択を間違えたとは思わない。あの時、迷う余地はなかった。ただ、迷惑を掛けた自覚はある。だからこそ、春の明るさが余計に刺さった。


エイドの隣を歩くリュミエルは、地上の賑わいを珍しそうに見ていた。目を細めるでも、怯えるでもない。ただ、光の精霊らしく、眩しいものを眺める目をしている。


「人が多い日ね」

「入学式だ」

「春の始まりって感じ」

「……俺たちは、訓練だ」


そう、今日もまた訓練のはずだった。


あの事件の後から、訓練は始まっている。ローガンの指示は淡々としていて、毎回同じ順番で、毎回同じところで止められるように作られていた。出すためより、止めるための手順。エイドとリュミエルはそれを弱い力で繰り返してきた。今日も、地下へ降りて、同じ床の円に立って、同じ合図を切る。そう思っていた。


だから、ローガンが廊下の影で待っていても、エイドは少しだけ安心した。顔を見るだけで「いつもの流れ」に戻れる気がした。


「エイド。行くぞ」

ローガンが言う。責める声ではない。仕事の声だ。


「はい。お願いします」

エイドは背筋を正した。目上には、いつも通り短く答える。


地下へ向かう階段を降りるほど、地上の春が薄くなる。鐘やざわめきが遠ざかり、湿った冷気が濃くなる。石の匂いが肺に入る。祝祭から隔離された場所。学園のもう一つの顔だ。


地下修練場の扉が開くと、広い空間が口を開けた。天井は高く、床には円が刻まれ、円の外側に沿って細い線が幾重にも走っている。装飾ではない。結界を構成する刻印だ。壁にも同じように符号が並ぶ。


私闘防止結界は暴発を止める安全装置。緊急停止刻印はその結界が暴走しないように用いる制御装置。

——この地下では、それが当たり前だった。


エイドは慣れたように息を整えた。リュミエルも当然のように隣にいる。


円の近くには教師が数人、計測器のような器具を整えていた。金属の箱と針、水晶。訓練の道具とは違う。


「……今日は、いつもと違うんですか」

エイドがローガンに小声で尋ねる。


ローガンは答える前に、器具を見た。

「俺も今知った」


そこへ、計測器のそばに立っていた教師が一歩前に出た。ローガンではない。背はローガンほど高くないが、眼鏡の奥の視線が落ち着いている。


「エイド、リュミエル。今日も元気かい?」

その教師は、気さくだが、軽すぎない口調だった。


ローガンが軽く顎を上げる。

「アーヴィン先生。……今日はこっちか」


「久しぶりだな、ローガン」

アーヴィン教師は頷き、エイドにも目を向けた。

「エイドも、もう最高学年か。——訓練は続けていると聞いた。だが、君の精霊がどれほどの魔力量か、こちらに“目安”がないと運用ができない。——新入生向けに使う計測器具がある。今日は測定にしないか?」


エイドの喉が乾く。


測られたくない気持ちと、測られなければ知らずに暴走するかもという気持ちが、同じ場所でぶつかる。エイドは選択が間違っていないと思う。けれど、周囲に迷惑を掛けた自覚もある。だから、拒否する言葉は出なかった。


「……わかりました」

エイドは短く答えた。


リュミエルが首を傾げる。

「測るの?」

「安全のためだ」

アーヴィンが言う。

「安全装置も制御装置も、想定の範囲で動いている限りは強い。——想定の範囲、というのが重要だ」


この場の空気が、少しだけ硬くなる。ローガンが床の円を一度見て、口を開いた。


「条件を出す。事故は避けたい」

ローガンは淡々と言った。

「一割で出せ」


段階的に上げるのではない。最初から力の量を決める。ローガンも興味があるようだ。だが、事故を避ける方向に寄せる。そこに迷いがない。


「はい」

エイドは即答した。


リュミエルがエイドを見る。

「一割って、私の感覚で?」

「……うん。やってみてほしい」

「うん。言われたらすぐに弱めるよ。そのへんはやれるはず」


できる。手順としてはできる。

だが——それでも規格外が残るのが怖い。


ローガンが言った。

「円の中心へ。リュミエルは線の中。エイドは線の外だ」


リュミエルが円の中心に立つ。床の線が薄く明滅する。見張られているというより、測られている。結界がリュミエルを“認識”する。


「始めるよ」

アーヴィンが言う。計測器の針が静かに震えた。


リュミエルは光を喉の奥で整えるみたいに、静かに間を作った。

「いくよ」


リュミエルが指先を軽く振る。光が生まれる。


眩しいというより白い。白が空気に混ざる。温度が上がり、床の線が淡く反射した。計測器の針が大きく動く。教師たちが息を止める気配が伝わる。


次の瞬間——床の外縁が一斉に明るくなった。


私闘防止結界。


暴発していないのに、安全装置が「危険」と判断して閉じようとしている。空気がきゅっと縮む。見えない蓋が落ちるような圧が走った。針が跳ねる。数字が、想定の動き方をしていない。


エイドは即座に言った。

「リュミエル、弱めて」


「うん」


返事は早い。光はすぐに薄くなる。減光はできる。手順としては、問題ない。


——なのに。


薄くなったはずの白が、まだ厚い。空気の密度が戻らない。結界の明滅が収まらない。安全装置が止まらない。


エイドは喉の奥を締めて、もう一度言った。

「……もっと弱めて」


「うん、分かった」


光はさらに引かれる。それでも“まだ”残る。残ってしまうこと自体が異常だった。


ローガンが眉を僅かに動かした。

「……緊急停止刻印を」


制御装置が動く。壁の刻印が光り、命令の線が走る。結界が暴走しないように、こちらが止める——はずだった。


焦げた匂いがした。


壁際で緊急停止刻印を扱っていた教師が、刻印盤から反射で手を引っ込めた。

「——っ」

短いうめき声。掌の内側に、熱い線が走ったのが見て取れた。皮膚が赤く盛り上がり、刻印の余熱が“人間の手”に逃げてきたみたいに、じり、と痛みが遅れて追い付く。


教師は歯を食いしばりながら、もう片方の手で小さく印を結ぶ。

水の精霊が、淡い冷気とともに現れた。指先から滲む水膜が、焼けた掌を包む。じゅ、と小さな音がして、薄い湯気が立った。教師は息を吐き、うめきながらも水で患部を抑え込む。応急処置——痛みを押さえ、皮膚が裂けるのだけは防ぐための、慣れた動きだった。


その間にも、刻印は耐えきれずに——


一瞬で、刻印の光が黒へ変わった。焼き切れた。紙が燃えた匂いではない。皮膚と金属が同時に焦げる匂いだ。止める仕組みが、仕組みとして成立しなくなる瞬間が、沈黙の中でやけに大きい。


誰も言葉を出せなかった。


安全装置は反応した。制御装置は焼けた。

——止める前提が、崩れた。


リュミエルは完全に光を引く。白がすっと引いていく。床が元の色に戻る。圧がほどける。結界の線が、ゆっくり眠る。


静けさだけが残った。


ローガンが、確認の声で言った。

「……この間。街を照らした光は、どの程度の力を使った」


リュミエルは少し考える仕草をした。指先を見て、空気を見る。自分の呼吸の量を数えるように自然に。


「二割くらいかな」


針が止まる音がした。紙を押さえる音が消える。教師の喉が鳴る。エイドの胃が沈んだ。


二割。——あれで。


そのとき、扉が開いた。


地下修練場の管理教師が入ってきた。顔を歪めている。空気の匂いと刻印の焼け方だけで、何が起きたかを理解した顔だった。


そして、歪めたまま言った。


「……ふざけるなよ」


その声は怒鳴り声ではない。抑えた怒りだった。抑えなければ、この場が壊れると分かっている怒り。


管理教師はローガンにも、アーヴィンにも視線を投げる。

「ここを何だと思っている。安全装置は反応する、制御装置は焼ける。——この修練場を焼く気か!何をやった!?」


ローガンは言い返さない。責めない男が、責められることを受け止める姿勢だけを見せた。


エイドは一歩前に出そうとして、——近くにいたローガンが小さく手を伸ばして制した。

「……エイド、いい。今は——」

声は低い。責めるためではなく、場を壊さないための制止だった。まるで、「お前のせいじゃない」と言う代わりに触れたみたいに。


エイドは唇を結び、止まった。

選択は間違っていない。だが迷惑を掛けた自覚はある。その両方が舌の裏で重い。


管理教師が言った。

「上へ報告する。——来い。事情を聞く」


“事情聴取”という言葉はまだ出ていないのに、意味だけが先に刺さった。


地上の春は続いている。

鐘も歓声も、まだ響いているはずだ。


だがエイドの耳には、刻印が焼ける匂いと沈黙の音だけが残っていた。


扉の向こうへ続く廊下は、さっきより暗く見えた。

エイドは背筋を正し、短く答えた。


「……はい」


そして歩き出す。

扉の先に何が待っているかを、まだ聞かされる前のまま。

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