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光の呼び名  作者: アルエル
序章
13/28

第13章 遅れてきた者たち


倉庫街の路地は、夜の底に沈んでいた。

光の余韻はすでに引き、石畳は再び影を受け入れている。潮と縄と、濡れた木の匂い。昼の名残は消えきらず、夜気の中に粘りついていた。


路地の入口で、足音が止まる。


隠すつもりのない歩き方だった。

音を立てないためではなく、状況を測るための歩幅。


外套を着た男が、一歩、影の中へ踏み込む。

短剣はまだ抜かれていない。だが、距離の測り方が、すでに“戦う側”のそれだった。


マルクス。


その半歩後ろに、キーラがいる。

周囲を見回すことはない。必要なものだけを拾い上げる目だった。


「……魔術印の痕跡では、ここね」


声は低い。

感想ではない。事実確認だ。


エイドとリュミエル。

夜に隠れなくなった光。

均一な街灯の外側で、はっきりと“異物”になっている輪郭。


キーラは一瞬で理解する。

もう隠しきれない。

この場は、処理の段階に入っている。


「…………契約、された?」


「ああ」


マルクスは即答した。

躊躇のない声。結果を結果として置く口調。


「はぁ?」


短い一音に、商人の感情が詰まる。


「ちょっと待って。まさか――しくじった、なんて言わないわよね?」


「違う」


マルクスは路地の奥から目を離さない。


「想定外が起きただけだ。だが――」


一歩、踏み込む。

靴底が石畳を噛む音が、夜に落ちる。


「小僧を消せば、また商品だ」


その言葉が落ちた瞬間、

路地の空気が、目に見えない形で沈み直した。


音が消えたわけではない。

潮の匂いも、遠くの車輪の軋みも、まだある。

それでも、この場所だけが、夜の底へ引きずり込まれたようだった。


エイドは喉の奥が乾くのを感じた。

恐怖ではない。逃げたいとも思っていない。

ただ、ここで何かが選ばれようとしている――その気配が、胸の奥を圧している。


逃げることはできる。

光を強めれば、道は開けるかもしれない。

だが、それは夜を裂く。

この場所を、ただの戦場に変えてしまう。


「待ちなさい」


キーラが、鋭く遮った。


「あのね、条件を忘れたの?」

「殺しはなし。それに、契約者を殺したら精霊は“マナの欠落”よ。価値は落ちるわ」


声は強いが、踏み込まない。

ここで一線を越えれば、この街は“事件”を持つ。


「マナ欠落の中古よ。位階が落ちた精霊なんて、欲しがる人間は少ないわ」


キーラは分かっている。

損益はもう赤だ。

それでも、ここで赤い血を足せば、帳簿は二度と戻らない。


帳簿は、血で書き換えられない。

少なくとも、彼女のやり方では。


「なら、どうする」


マルクスは短く言う。


「あきらめるのか?」


感情を挟まない声。

だが、挟まないからこそ分かっている。

ここで一線を越えれば、戻れない。


キーラは一瞬、言葉を止めた。

商人が計算する間。

損と現実を並べ替える、短い沈黙。


「……ちょっと待って」


視線を、エイドとリュミエルへ向ける。


「あんたたち。今すぐ、契約解除する気はある?」


「するわけないだろ」


エイドは即答した。

声に迷いはない。


少年は弱い。

だが、弱いまま折れる種類ではない。


「でしょうね……」


キーラが息を吐いた、その瞬間。


マルクスが動いた。


短剣が、低く構えられる。

距離が、一気に詰まる。


「早く決めろ、決められないなら――」


その言葉を、低い声が断ち切った。


「誰を殺すだと?」


路地の奥から、影が飛び出し前に出る。


重い。

だが、濁っていない。


ローガンの肩口に、赤い火花がひとつ寄り添っていた。

小さな炎――低位精霊フレア。

揺れているのに、暴れない。熱だけが、きちんとそこにある。


次の瞬間、ロングソードが闇を切る。


横薙ぎ。

振り切らない。刃の途中を当てにいく斬り。


マルクスは短剣で受ける。

金属が擦れ、火花は出ない。だが衝撃が骨に響く。


「……重いな」


確認の声。


ローガンは前に出る。

逃げ場の少ない路地で、距離を潰す。


突き。

胸ではない。肩口。振れなくする角度。


マルクスは半歩引き、弾く。

だが、腕に痺れが残る。


(受け続けるのはまずい)


マルクスが壁沿いへ流れる。

影を使い、線をずらす。


――そこへ、熱が先に落ちた。


フレアが、小さく息を吐くみたいに揺れる。

路地の石畳に、薄い熱が這う。

温度だけが上がり、煙は出ない。


マルクスの足が、ほんの一瞬だけ遅れる。


ローガンは、その一瞬だけを拾う。


剣の柄が飛ぶ。


斬撃ではない。

“置いた”一打。


肩をかすめる。浅い。

だが、次の動きが一瞬遅れる。


マルクスが短剣を返す。

ローガンは受けない。受ければ手が止まる。

刃の線を外し、剣先で距離を締める。


その間に、フレアがもう一度揺れた。


火ではない。光でもない。

刃に触れない温度だけが、短剣の金属を舐める。


マルクスの手が微かに跳ねる。

熱い、ではない。握り続けるのが嫌になる温度。


「……小細工か」


「暴漢対策だ」


ローガンの声は平坦だ。


振り下ろし。狙いは足。

マルクスが跳ねる。刃が石畳を割る。


距離が開く。


マルクスは背後を見る。キーラがいる。動けない距離だ。

ローガンも視線を一度だけ、エイドに置く。

守るべき場所を確認するだけの一瞬。


フレアが、細く揺れる。


路地の端。壁際に積まれた縄の束が、端だけ焦げた。

炎が上がらないように、熱が絞られている。

煙も、ほとんど出ない。


だが匂いは残る。

焦げは、進路の印になる。


マルクスの足が、自然に“避ける側”へ寄る。

避けた先は、ローガンの剣の線だ。


ローガンは追わない。

追わずに、詰める。

剣先が微動だにしない。


その差で、結論は出た。


「……だめだ」


マルクスの声は平坦だ。


「手練れだ。しかも、守る側の剣だ」


ローガンは一歩も踏み出さない。

勝てる。だが、ここでの優先は“倒す”じゃない。


「引くぞ」


マルクスはキーラを抱えた。


「え? ちょっと――!」


抗議は最後まで出ない。


跳躍。

路地の奥から、一息で距離を切る。


焦げた匂いだけが残り、二人の気配が消える。

残された静寂の中で、

ローガンは剣を下ろした。


「……魔術師か」


それだけ言って、追わない。


剣を収め、エイドへ向き直る。


「で?」


短い問い。


「状況は?」


エイドが口を開こうとした、そのとき。


「説明は、こちらで引き取ります」


街灯の下から、二つの影が現れる。


神官長プラム。

その後ろに、補佐官ノア。


祈りの匂いが、路地に落ちる。


リュミエルは静かに息を整えた。


世界は、納得しない。

それだけは、最初から分かっていた。


それでも。


エイドの胸の奥で、灯りは消えていなかった。



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