第10章 胸の中の灯り
夜の校庭は、昼とは別の顔を持っていた。
暗がりの中にいる精霊たちが夜気となってそこにいた。
校庭の端、木陰の濃い場所に、補習の輪があった。
「声を張るな」
ローガンの声が低く落ちる。
「彼らは静けさを望む。精霊たちを驚かすな」
エイドは頷き、息を整えた。
隣でミレイも同じように肩を下げる。彼女の足元では、淡い光が揺れている。見ようとすれば見える、細い輪郭。見ようとしなければ、ただの夜気だ。
補習の内容は単純だ。
光を借りる。
どこを照らすか。どれだけ照らすか。
そして――照らさないを作る。
街は明るい。だからこそ、光の使い方が下手な者は目立つ。
ローガンが短く言う。
「今日は歩きながらやる」
彼の足元に、弱い光が灯った。術式ではない。
小さな、気まぐれな灯りが地面から浮き、ローガンの足先を追う。まるで犬のように忠実で、気まぐれのように揺れる。
低位の光の精霊。
エイドはその輪郭を直視しない。
見ようとすれば見える。けれど見つめすぎると、逆にこちらの意識が尖ってしまう。必要なのは視線ではなく呼吸だ。
「エイド」
ローガンが名を呼ぶ。
「強くしろ。――ただし、広げるな」
ローガンは指先で空を小さく切った。
丸を描くのではなく、針の穴ほどの点を示す仕草。
「夜を明るくするな」
「一点を、強く」
「舞台の中央だけを抜く光みたいに――周りは暗いままにしろ」
エイドは頷いた。言われなくても分かる。
広げた光はやさしいが、目立つ。必要なのは、夜の中に“光”を作ることだ。
エイドは手を上げない。
手振りで押せば、光はだらしなく広がってしまう。
息の中で、短い意図を作る。
(ここ。足元だけ。輪郭だけ。眩しくしない)
意図を投げる。
すると低位の光が、ふっと形を変えた。
灯りは広がらない。
地面をぼんやり撫でるのではなく、エイドの足先の一点だけを鋭く切り取る。
暗い夜の中に、小さな「明るい点」が生まれた。
「……よし」
ローガンの肯定は短い。
ミレイが小さく息を吐いた。
「すご。ちゃんと“絞れてる”」
「ミレイだって、すぐできるだろ」
「私は広がるの、分かってる。光が優しすぎるんだよね」
ミレイの灯りはふわりと滲む。輪郭をなぞるより先に、空気まで明るくしてしまう。
ローガンが一言で切る。
「甘い」
ミレイが唇を尖らせる。
「……分かってます」
ローガンは歩き出す。
二人も続く。校庭の端から、植え込みの影へ。街灯の帯の外側へ。
「照らす場所を動かせ」
ローガンが言う。
「足元じゃない。前だ」
ローガンは視線だけで前方を示す。植え込みの角、曲がりの先――何かが隠れられる場所。
「進む先を切り取れ」
「細い光を伸ばして、そこだけを拾う」
暗がりの中へ、一本の灯りを通す。
広げず、散らさず、前だけをなぞる。夜の中に“通路”を作る感覚だ。
エイドは意図を変える。
(前。三歩先。角。そこだけ)
灯りが移動する。
自分の足元を離れ、三歩先の植え込みの角を薄く切り取った。そこだけが“見える”になる。
ミレイが真似る。
彼女の灯りは少し遅れて、同じ場所を照らした。
「……いいぞ」
ローガンがそう言った、その瞬間だった。
エイドの胸の奥が、きゅっと掴まれた。
熱い。
今の補習の灯りとは違う熱だ。自分の意図で動く光じゃない。外側から胸に差し込む白。
視界の端が滲む。
(……来た)
理由が分からない。
分からないのに、身体が先に答えを出す。
エイドの足が止まった。灯りが揺れる。
低位精霊が戸惑うように、光が一度だけ跳ねた。
ローガンがすぐ気づく。
「どうした」
「分かりません。でも……」
言葉にしようとした瞬間、胸の奥がさらに引っ張られる。
方向だけが明確になる。校庭の外。街。倉庫街のほう。
ミレイがエイドの顔を覗き込む。
「エイド? 顔色――」
「……行かなきゃ」
自分でも驚くほど、声が出た。
行かなきゃ。誰かが、今、奪われる。
ローガンが一歩詰める。
「おい、待て」
短い命令。
けれど、エイドは待てなかった。
胸の中の灯りが熱い。
恐怖じゃない。
急げ、という焦げついた合図みたいなものだ。
エイドは走り出した。
背後でローガンが何か言った。
ミレイが息を呑む音がした。
だがエイドの足は止まらない。
校門を抜け、夜の町へ飛び出すところで、
夜が割れた。
白い閃光が、町の上を横に走る。
雷ではない。雲は鳴らない。音も遅れてこない。
光だけが先に来て、街灯の整った明るさすら一瞬だけ嘘にする。
あちこちで人が顔を上げた。
犬が吠え、窓が開き、誰かが叫ぶ。
エイドの心臓が跳ねる。
胸の奥の灯りが、痛いほど反応した。
――そこだ。
背後の気配が変わる。
ローガンの気配が、疑いから確信へ切り替わった匂いに変わる。
「ミレイ!」
短い呼び声が夜を切る。
続けて、命令が落ちる。
「今すぐ大人を呼べ」
ミレイの返事が返り、すぐに足音が遠ざかる。
伝令としての速さだ。真面目さゆえに迷いがない。
ローガンの足音が、今度は真っ直ぐこちらへ伸びてくる。
追う足だ。状況を切り分ける足から、現場へ踏み込む足に変わる。
「――先へ行くな!」
声が飛ぶ。
だがエイドは振り返らない。振り返った瞬間、胸の灯りが指す方向がぶれる気がした。
エイドはただ走る。
閃光の残り香が夜に刺さっている方角へ。
そして知ってしまう。
あの光は、補習で借りる低位の灯りじゃない。
街灯の術式でもない。
胸の中の灯りが、答えを知っている。
その答えが今夜、誰かに奪われようとしている。
エイドは歯を食いしばった。
追いつかなければ。
間に合わなければ。
夜の奥で、もう一度だけ光が揺れた気がした。




