ほぞをかむ
恋だと気づいたのは、昼休みだった。
校舎裏の自販機で、彼女が硬貨を落とした。ただそれだけのことを、なぜか目で追っていた。
それからの日常は、簡単に壊れた。
教室に入ると、まず彼女を探す。
見つけると安心して、見つからないと胸がざわつく。
授業中も、休み時間も、
彼女が笑うたび、理由もなくうれしくなった。
隣の席になった日、世界が少し近づいた。
ノートを取る彼女の腕が、何度も視界に入る。
触れない距離なのに、そこだけ空気が熱を持っていた。
彼女は時々、ちらりと視線を動かす。
その先にいるのは、いつも同じだった。
俺の友達。
何気ない冗談に、彼女は少しだけ声を高くする。
名前を呼ぶとき、柔らかくなる。
その変化を、俺は全部見てしまった。
ある放課後、三人で並んで帰った。
俺と彼女のあいだには、指一本分の距離があった。
彼女の手が、わずかに揺れる。
触れたい、という衝動が伝わってくる。
でもその熱は、俺に向いていなかった。
彼女の体は俺の隣にあって、
心だけが、斜め前を歩く友達のほうへ伸びている。
その瞬間、すべてが理解に変わった。
――ああ、俺はもう負けてる。
告白する前に、失恋していた。
声に出す必要も、確かめる必要もなかった。
彼女は何も知らないまま笑っている。
友達も、いつも通りの顔で歩いている。
俺だけが、
触れない距離を、正確に覚えてしまった。
───
卒業の日、体育館の空気は少しだけ甘かった。
校歌が終わり、名前を呼ばれ、拍手が流れる。
彼女は前の席で、いつもより背筋を伸ばしていた。
式が終われば、もう同じ教室には戻らない。
それだけで、胸の奥が忙しくなる。
校門の前で、彼女を見つけた。
友達に囲まれて笑っている。
その輪の少し外側に、あいつもいた。
声をかけようとして、喉が動く。
「好きだったよ」
その一言は、最後の切符みたいに指先まで来ていた。
でも、言わなかった。
言えば、何かが変わる気がした。
言わなければ、何も起きないと信じたかった。
彼女は振り返らずに歩いていく。
俺も、ただ見送った。
そのときの俺は、知らなかった。
告げない恋のほうが、
何十年経っても、ふいに思い出してしまうことを。
触れなかった距離と、
向けられなかった言葉だけが、
記憶の中で、ずっと温かいままだということを。




