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ボーイ・ミーツ・エレベーターガール

作者: 雉白書屋

 ――お、おお……いた。


 エレベーターのドアが開いた瞬間、胸の奥が跳ね上がった。息が詰まり、思わず一歩後ずさる。おれは慌てて顔を引き締め、平静を装って中へ踏み込んだ。


「あ、あの、一階までお願いします……」 


 声が裏返った。我ながら情けない。いい歳した男が、ここまで緊張するなんて。

 だが仕方がない。おれの永遠の憧れ――エレベーターガールが、今、目の前にいるのだから。

 カチリとボタンを押す音がして、静かに扉が閉まった。エレベーターはゆっくりと動き始めた。

 もう一基のエレベーター――昇りのときにはいなかったから、どうせこっちにもいないだろうと思っていたが……ああ、なんて美しいんだ。

 黒のタイツに、ひざ丈のスカート。淡いグレーのジャケット。頭には、丸みを帯びた黒い帽子。そこからのぞく、整ったショートボブ。白い手袋。そして、背筋の通った立ち姿。

 まさに、理想のエレベーターガール像そのものだ。


 幼い頃、親に連れられて行ったデパートで、初めてエレベーターガールを見た。

 彼女は『どちらまでですか?』と少し腰を落とし、柔らかく微笑んだ。立ち振る舞い、声、そのすべてに優しさが滲んでいて、心臓が跳ね上がった。あのときの感覚は、いまだに忘れられない。そう、あれが恋の始まりだった。

 それ以来、どこのエレベーターでも彼女たちを探すようになった。母親曰く、『お母さん、このマンションにはエレベーターの人いないの? 呼んでよー』と毎回のようにせがんでいたらしい。

 だが、時代の流れは無情だった。その必要性に疑問が持たれ、彼女たちは次第に姿を消していった。何もできない悔しさに、子供ながら歯を食いしばったものだ。

 もっとも、合理化の流れは理解できる。だが、彼女たちが生み出す安心感――あれだけは、なにものにも代えがたいのではないだろうか。「どちらまでですか?」と、子供相手にも丁寧に尋ねてくれる、あの優しい声。まるで聖母のような包容力――


『一階です』


 ああ、もう着いてしまったのか……。


「……あ、あれ買うのを忘れてたなあ。すみません、最上階までお願いします」


 おれは一度降りかけて、すぐに戻った。閉館間際で人影もまばら。乗客は、おれと最初からいた男の二人だけ。迷惑にはならないだろう。

 扉が閉まり、再びエレベーターは上昇を始めた。


 ……それで、おれはデパートを見かけるたびに立ち寄っては、エレベーターに乗り続けてきた。どこかにいる、またあの運命的な出会いがあると信じて。

 そして今日ついに、この古びた百貨店でようやく彼女を見つけたのだ。これが興奮せずにいられるか。

 だが、もうすぐ閉店か……。もっと早く来ていれば……!


『七階です』


 ああ、また着いてしまった。仕方ない、一度降りて時間を置こう。できれば、彼女と二人きりになりたい。

 ……待てよ。妙だぞ。

 この男、さっき一階に着いたとき降りなかった。そして今も降りる気配がない。彼女のすぐ後ろに無言で立ったままだ。

 まさか……彼女が目当てか? 


 ――痴漢。


 その言葉が脳裏をかすめた瞬間、おれの全身を熱が駆け巡った。ああ、なぜもっと早く気づかなかったんだ。彼女はずっと壁のほうを向いて、不安げにしていたではないか。

 おれは静かに男の背後へと回り込んだ。そして――


「うっ!?」


 男の背中を勢いよく押し、外へ突き飛ばした。男は転げ出て、床に手をついた。おれは間髪入れず『閉』ボタンを押し、続けて二階のボタンを押した。

 よろめきながら立ち上がる男の顔が一瞬見えたのを最後に、扉が閉まり、エレベーターは静かに降下を始めた。


「も、もう大丈夫ですからね……」


 おれは彼女に微笑みかけた。だが、彼女は相変わらず壁に項垂れたまま。それだけ怖かったのだろう。


「あ、すみません、勝手にボタンを押しちゃって。仕事取っちゃったな……なんて、ははは」


 緊張で手汗が滲む。密室に二人きり――よく考えれば、これはかなりエロティックな状況なのではないか。

 官能的な雰囲気が漂い、おれは彼女のやや癖のかかった髪先を指でそっとさらった。カーテンのようにふわりと揺れて、すぐに元の位置に戻った。


「あの、急に何言ってるんだって思うかもしれないけど……おれは君のことが……」


 おれは少し変なのかもしれない。だが、恋に焦がれた男は少なからずおかしくなるものだ。おれは彼女にそっと顔を近づけた。


『五階です』


 五階? ……ああ、誰か乗ってくるのか。惜しいところで……。まあいい。答えはあとで聞こう。彼女と二人きりになったときに……。

 それにしても、少しくらいこっちを見てくれてもいいじゃないか……えっ。

 彼女の顔を覗き込んだその瞬間、おれは息を呑んだ。


「マネキン……?」


 顔も、瞳も、よくできたただの人形だった。

 これは、どういうことだ……。彼女は確かにボタンを……。

 おれは周囲を見渡した。そして気づいた。男が立っていた位置の壁に、もう一つ操作パネルがあることに。

 あの男が代わりにボタンを押していた……? じゃあ……彼女はただの飾り?

 いや、あの男がこのマネキンを持ち込んだんだ。だが、なぜそんなことを……いや、決まってる。おれと同じように、エレベーターガールに憧れて――。


「あっ……」


 違う。同じじゃない――おれ以上だ。

 扉が開くと、向こうにさっきの男が立っていた。

 その顔は、今にも人を殺しそうなほど歪んで――

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