9 助言
セリーヌが向かったのは、鍛錬場だった。
解決策を一人で見つけることができなかったセリーヌは、さっさと思考を切り替え、他人に聞いてみることにした。しかし、交友関係の狭いセリーヌが相談できる相手は限られている。そしてその二人と、シュバルツを除いて会うことができる場所と言えば鍛錬場しかなかった。
――もしいらっしゃらなければ別の機会に行けばいいもの。「ぐるぐる考え込んでいても何も解決しない。その時間があるならさっさと行動しろ。行動しながら考えろ」って師匠にも言われたものね。それにしても、僧院に属する僧侶にもかかわらず、「祈れ。さらば救われん」の教えを「くだらねぇ」の一言で切って捨てるとは思わなかったわ。あれでよくバチが当たらないものね。
そんなことを呑気に考えながら向かった鍛錬場では、ちょうどガランが汗を拭いているところだった。
「ガラン様」
「セリーヌ嬢か。どうした?」
ガランはセリーヌが近づくと、笑顔で手を振ってくれる。表情は非常に爽やかだが、全身からはむっとするほどの熱気が漂っていて爽やかとは程遠い状態だった。
「鍛錬を終えられたところですか?」
「そうだ。いい汗をかいたぞ。ところで、こんなところにこんな時間にどうした?セリーヌ嬢がここを使っているのは早朝だったはずだが」
「ガラン様方に伺いたいことがあって参ったのです。もしお時間が許せば、少しだけご相談に乗っていただけないでしょうか?」
「構わない。そろそろペトラと交代の時間だからな。手短に聞こう」
ガランは快諾し、二人は鍛錬場近くにある休憩所まで移動した。移動した先でセリーヌが切り出す。
「ガラン様、もし、殿下を護衛していらっしゃるときに、遠方から小さな攻撃――そうですね、すぐには致命傷には至らないけれど、たくさん受けたら傷ができるような攻撃を複数名から同時に受けたらどう対処されますか?」
万が一にもガランがシュバルツに報告することのないよう、セリーヌなりにガランの立場に置き換えて尋ねてみる。すると、ガランはあごのあたりに触れながら答えた。
「殿下の護衛中は、大抵は俺とペトラが必ず二人でいて、そういう遠方の敵はペトラが正確無比にとどめを刺していくから俺が出ていくことはあんまりないんだが……もしペトラが撃ち残した敵がいて、何らかの理由でその撃ち残しを仕留めきれない状況で、そいつらがちまちまと殿下に攻撃を続けてきたら――そりゃあ、正面突破だな」
「正面突破、ですか?」
「俺はそういう技量面ではペトラに劣るからな。ペトラを殿下の近くに置いておけば殿下の安全は問題ない。俺が行くなら正面から当たって砕けろ、ならぬ、当たって砕け!だ」
明るく笑ったガランが軽く腕を曲げて、盛り上がった力こぶを叩いて見せた。ぱぁんと張りのあるいい音がした。とても説得力があった。
「なるほど……」
「ちょうどペトラが来たぞ。ペトラにも聞いてみるといい。ペトラ!」
ガランから合図されたペトラは、セリーヌとガランの近くまで来ると、胡乱気な目でガランを見て、セリーヌを背に庇うように立ってからガランに対して腰の細剣を抜いて構えた。
「こんな日の高いうちからセリーヌ嬢を襲う気か?」
「どうしてそうなる」
「筋肉熊が見習い侍女相手に覆いかぶさるような体勢になっていれば誰しもそう思うだろう」
「冤罪だ。セリーヌ嬢から相談を受けていただけだ」
「筋肉熊に相談事?セリーヌ嬢、それは明らかに人選ミスだ」
残念なものを見る顔でペトラに見られたセリーヌは、そんなことはないと力いっぱい首を横に振る。
「いえ、非常に有意義なご意見をいただけました。ガラン様、ありがとうございました」
「気にするな。じゃ、ペトラ、後は任せたぞ」
ガランは、ペトラにいかにひどい言葉を言われようが何も気にする様子もなくさっさと鍛錬場を後にする。セリーヌは、今の会話は二人にとって挨拶のようなものなのだなと思った。
「それで、セリーヌ嬢はガランに何を相談したかったんだ?」
「ちょっと悩み事がありまして……ガラン様から、ペトラ様は、遠方の敵を的確に仕留めるのが上手いと伺いました」
「あぁ、私は後衛――殿下のお傍から離れずに護衛する立場だからな。それがどうかしたかい?」
「もし、遠方の敵を仕留めたい時に、手元に何も武器がない時はどうされるんでしょう?」
「武器がないというのは、一見武器に見えるものがない、という前提でいいのかな?」
ペトラの質問の意図が分からず首を傾げたセリーヌに対し、ペトラは腰に付けたポーチから片手で握れるような小型の投てき具を取り出して見せた。
Y字の枠の間にゴムのようなものが張られたそれは、さすがに子供のおもちゃとは質が違うものの、構造はほとんど変わらない。
「弓やボウガンがあればそれを使うけれど、それだけだと今セリーヌ嬢が言ったように打つべき矢がなくなると無力だ。非常事態時には矢が手元にないことだってある。そういう事態に備えて、私は常にこれを持ち歩いている。だから手元に武器が何もないということは基本的にはないんだよ」
「これは、武器なのですか?」
「武器に見えないだろう?でも、これは特別な魔獣素材で作られていてね。馬鹿にできない威力になる。それに、こういう一見質素単純なものは、なんでも飛ばせるから意外と汎用性があるんだよ」
ペトラは近くにあった適当な小石を拾うと、素早く投てき具につけ、ゴムとみられる部分を強く引いて、それを弓矢の訓練に使われる的に当てて破壊して見せる。それを何度か繰り返した。
「鉛、鉄の塊、毒の入った玉――仮にそういうものが何一つなくても、小石一つで相手の目をつぶすことくらいはできる。殿下を狙う暗殺者も暴漢も、目がつぶれればひるむ。私の一番重要な任務は殿下の身の安全を守ることだ。目をつぶすだけでも威嚇になるし、つぶせなくても襲撃を一時遅らせるくらいの時間は稼げる。遠方から確実に削って相手の襲う気を失わせるのは私の大事な役目だからね」
その速さと正確さにセリーヌは感嘆の息を漏らしてから、ペトラの細剣に目を向けた。
「弓矢もボウガンも投てき具も細剣も使えるのですか。ペトラ様は万能なのですね」
セリーヌの言葉にペトラは苦笑した。
「万能などではない。細剣を使うのは、普通の剣が使えないからだ」
「使えない?」
「実用レベルではね。私は見てのとおり、他の騎士に比べて力に劣る。どんなに鍛えてもガランのような筋肉ダルマになることはできないんだよ」
確かに、すらっと細いペトラの腕にはしなやかな筋肉が付いているものの、その太さは、ガランと比べたら3分の一もないだろう。
「実戦で本来後衛の私が接近戦をするとすれば、殿下のお近くに敵が迫っている状態だ。殿下をお守りするためには一撃必殺でなくてはならないが、普通の剣では少々私の手に余る。一方、細剣なら的確に急所を狙えば相手を行動不能にできる。細剣は防御には全く向かないが、致命の一撃は与えやすいからね」
――ペトラ様はご自分のなすべき役割と自分の能力をよく分かっていらっしゃる。そして、普通武器と思われないようなものを武器として使えるよう、自分を鍛えていらっしゃるのね。だからこそあの殿下の護衛騎士でいられるのだわ。
「まぁ、普段はガランが相手を撃破する間の補助が私の役目だ。私が殿下をお守りし、援助すれば、あいつは必ず敵を排除してくれる。殿下の近くに敵を近づかせなどしない」
「ガラン様を信頼されていらっしゃるのですね」
セリーヌが微笑むと、ペトラは「あれでも背中を預けられる相棒だからね。その点では信頼しているよ」と笑う。そのタイミングで鍛錬場からペトラを呼ぶ声が聞こえた。
「時間か。悩み事まで聞けなかったな。ごめんよ」
「いいえ、十分です。お時間いただき、ありがとうございます」
「何かあればいつでも来ていい。いきなり抜き打ちで試験をされて、殿下のことを怖く感じるかもしれないけれど、あれでも殿下はあなたをかなり買っている。そうでなければあなたをリューフェティにつけたりしないから」
「ペトラ様……」
シュバルツやガランといるときは口数少なめなペトラが饒舌に話してくれたのは、どうやら心配してくれていたからだと分かり、セリーヌはペトラの優しさに頬を緩めた。
「信頼という意味で言うなら、リューフェティもあなたを信頼している。悩み事の相談はリューフェティにしてはどうだい?」
「リューフェティ様にはお話しできない内容なのです」
「そうか。悩み事が何か分からないから安易なことは言えないな。……ただ、リューフェティはあなたが困ること、してほしくないことはしないだろうから、意見を聞くのも一つの助けにはなると思うよ」
そう言い残すと、ペトラは颯爽とセリーヌの前を去った。
※※※
セリーヌは、殿下との行動を終えて部屋に帰ってきたリューフェティが一息ついたタイミングで、ペトラに背中を押してもらったとおり、リューフェティにも相談することにした。
――アリシラは、仕えている主に問題を解決させるなとは言ったけれど、助言をもらうことは禁止していないもの。
「リューフェティ様。私、一つ悩み事があるのですが、ご助言いただけないでしょうか?」
日頃ほとんど雑談をしないセリーヌから話を持ち掛けられ、リューフェティはまず驚きで目を瞬かせた。それから、セリーヌが自分を頼ったのだと気づき、心の中で喜びに踊り跳ねた。
が、セリーヌに自分の気持ちをばらすわけにはいかないと思っているリューフェティは、一つ咳ばらいをすると、つんと澄ました顔のまま、セリーヌに椅子を勧めた――
「いいわ。そこに座って。ついでにお茶にしましょう。客間に用意して」
つもりだったが、頼ってもらえた喜びで口角が上がっていたので、喜んでいることはセリーヌには丸わかりだった。
――助言を求めても嫌がられてない。リューフェティ様は本当に優しい方だわ。恥ずかしくて素直になれないだけなのね。
セリーヌは若干的外れな受け止め方をしてリューフェティの優しさにほっこりしながら、お茶を用意し、勧められた椅子に座った。
「それで、悩み事ってなに?」
「私の武器を知りたいのです」
セリーヌの質問に、リューフェティが途端に嫌そうに顔をしかめた。
「あなたの武器?仮に戦場に連れていくことになっても、あなたに戦闘をさせるつもりはないわ」
「いえ、そうではございません。武器と申し上げると誤解を招きますね。えぇと、例えば、リューフェティ様には言うまでもなく魔力という不可思議な力が、ペトラ様には正確な投てきの技術が、ガラン様には筋肉がありますよね。ですが、私はただの見習い侍女です。もちろん、自信をもって主人にお仕えできる程度の技量を持って、常に全力で臨んでいると自負しておりますが、その仕事一つとっても、まだ決して一番になれるものではありません。特に卑屈になっているわけではないのですが、他の方と比べてこれこそが一番だと言えるような力や特技が見つけられず……」
セリーヌの言葉に、リューフェティは「あぁ、そういうこと」と言ってから、くすっと軽い笑いを漏らした。
「私、何か面白いことを申し上げましたか?」
「いえ。まさにそういうところがあなたの一番の武器じゃない?と思って」
「そういうところ、とはなんでしょうか?」
「自信をもって、全力で見習い侍女という仕事に臨んでいると言い切れるところ」
リューフェティは、何かまぶしいものを見るかのように目を細め、首を傾げるセリーヌを見た。
「あなたは自分に誇りをもって仕事をしている。あなたは、あなたの信念を貫いて生きていて、その生き方を誰にも恥じていない。8年前のこともそう。あなたは誇りをもって行動し、一人の人間を救った。結果、あなたは罰を受けることになったけれど、そのことを後悔していない……と、この前、殿下に言っていた、わよね」
リューフェティは、夢中になりすぎてつい女性の言葉遣いを忘れそうになるのを自覚し、無理やり語尾を整えた。
だがセリーヌはリューフェティの話の内容に集中していたようだった。語尾の違和感を聞き逃したままエメラルドグリーンの瞳を大きく見開き、その中にリューフェティを映した。
リューフェティはその様子を見て言葉を続ける。
「だからあなたはいつ見ても正々堂々と生きているし、あなたの背中はいつもまっすぐに伸びている。少々強引なところはあるけれど……その強引さも含めて、それはあなたの武器だと私は思う」
――俺はあなたのそういうところに焦がれた。あなたの武器は強力だった。あなたの武器に俺は救われたんだ。直接は伝えられないけれど、それを忘れないでほしい。
リューフェティ――リュイは、本当に伝えたい――けれど決して伝えてはいけない言葉を飲み込んだ。
伝える代わりにセリーヌの手を握って、どうか伝わってほしいと願いながら、真っすぐに紺色の瞳でセリーヌを見た。
リューフェティの熱のこもった視線に、セリーヌはなぜか頬が熱くなった。緊張で自分の瞬きがいつもよりも多くなっているのを感じる。
――いやね、私、どうして心拍回数が多くなっているのかしら。リューフェティ様のお顔がこんなにお綺麗だから?リューフェティ様がこんなに真っすぐに人の目を見てお話しされてびっくりしたから?あら。リューフェティ様の手って私の手よりもずっと大きいのね。……って私、一体何考えているのかしら。混乱してきたわ。手を握ってこんなお顔でじっと見つめられたら男性ならひとたまりもないわね。リューフェティ様、ご自覚されてるのかしら?こういうこと、殿下以外にされていないかしら?いろいろと心配だわ。
取っ散らかった思考がセリーヌの頭の中を飛び交う。
「リュ、リューフェティ様……」
「おぉい、リューフェティ。シュバルツ様から――」
セリーヌがおそるおそる口を開きかけたまさにその時、突然、部屋のドアが開き、ガランが書類を持ったまま入ってきた。部屋に入りながら書類から顔を上げたガランは、リューフェティがセリーヌの手を握っているのを見て、一瞬固まり、「……すまん。出直そう」と言って引き返した。抜き足差し足。ガランにしては繊細過ぎる動きにより、音もせずにドアが閉まる。
「ガラン様!問題ないので入ってきてください!今すぐに!」
耳まで赤くなった二人の声が重なった。