8 嫌がらせ
シュバルツの抜き打ち試験を受けてからのセリーヌの生活はより忙しくなった。リューフェティの身の回りの世話に加え、自身の基礎体力をつけるためのトレーニングや薬草の採取に時間を取られるようになったからだ。
加えて、お披露目を終えたリューフェティは以前よりも人前に出るようになっている。お茶会といった貴族らしい社交がない代わりに、魔女としての職務は格段に増えたようだ。
セリーヌにとってリューフェティの世話は最も大事なことだったので、本来の業務の手は一切抜かなかった。魔女と王族だけの密談での会議など、セリーヌが同席できないすきま時間を縫って、いずれくるであろうリューフェティの初遠征の準備を進めていた。
※※※
忙しい日々を過ごして1か月ほどが経った頃、セリーヌは上司であるアリシラに突然呼び出された。
「あなたは少し目立ちすぎましたね」
開口一番、アリシラは、眉間をもみながらセリーヌにそう言った。
「目立ちすぎた?身に覚えがないのですが」
「あなたについて他の見習い侍女や侍女たちから複数の告発がきています」
シュバルツについている侍女はともかく、他の侍女や見習い侍女たちとの交流はほとんどないセリーヌには思い当たるところがなかった。
「どのような告発でしょうか?」
「あなたが不正をしてリューフェティ様や第四王子殿下に取り入った、だから侍女を替えるべきだ、というものです」
「そんな!事実無根です。私は命じられた立場で私にできることを精いっぱいやっただけです。断じて不正などしていません」
アリシラは、「分かっています」と頷きながら続けた。
「もしあなたが不正の結果リューフェティ様につくことになったのであれば、とっくに私が解任していますし、リューフェティ様や殿下もあなたを解任させたでしょう」
「ではなぜ!」
「あなたはリューフェティ様の見習い侍女としてうまくいき過ぎたということです。ただでさえ、あなたは僧院から還俗した身で悪目立ちしていました。あのリューフェティ様からの覚えがめでたいことでやっかみを受けている、ということでしょう」
「そんなことを言われても……」
不満そうに唇を噛むセリーヌに、アリシラは説明を加えた。
「リューフェティ様は、前評判はともかく、魔女です。分かっていると思いますが、魔女は王家の側近という非常に重要な地位にあります。本来であれば見習いがつくような方ではないのです。それで余計に言われるのでしょう」
考えてみれば、セリーヌの他に魔女についた見習い侍女は誰もいなかった。王家はもちろん、王家に近しい方――魔女や護衛騎士は位が高いので、その分、ベテランの侍女がつきやすいことはセリーヌも知っていた。
「……私はリューフェティ様の見習い侍女から外されるのでしょうか?」
「いいえ。確かにどなたにどの侍女を付けるかを一次的に決めるのは私です。私もあなたの過去については知っていますから、あなたをあのリューフェティ様につけていいのか、悩んだ時期はありました。……ですが、私は、これまでのあなたの働きぶりを見ていて、あなたはリューフェティ様の侍女として適任だと思っています」
アリシラからの思わぬ評価に、セリーヌは目を丸くした。
セリーヌには、側仕えとして絶対に犯してはいけない「主人を侮辱し、暴力をふるった」という前科がある。いかに僧院に入れられるという重罰を受けようが、その罪を償ったと認められて還俗しようが、罪を犯した過去は変えられない。そして、セリーヌは、側仕えや侍女など人に仕える立場の人間から見たときに、そんな禁忌を犯した自分が鼻つまみ者になることも理解していた。
だからこそ、このように同じ職に就く大先輩に当たる上司から評価されるとは思っていなかった。
そういった意味で、アリシラは非常に公平な仕事人間だった。
実際のところ、仮にアリシラがセリーヌをリューフェティの見習い侍女から外したいと考えたとしても、第四王子からの強い要請があった以上、替えることはできないが、そのような事情は部外秘であるため、アリシラも口には出さない。
「……リューフェティ様の見習い侍女から外されることがないのであれば、私はあまり困らないのですけれども」
ほっとしたセリーヌの言葉に、アリシラは目をつむって首を横に振って見せた。
「いいえ。困るのはあなたです」
「どういうことですか?」
「王城という場所に最もいるのは、誰だと思いますか?侍女と侍従です。いかにあなたが第三者からの評価を気にしなくてもそれで済まされるほど単純なことではないのです。侍女のネットワークを甘く見てはいけません」
セリーヌが得心がいっていないことをすぐに見て取ったアリシラは「分かりやすくお話ししましょう」と続けた。
「このまま、あなたが、他の侍女や見習い侍女たちから反感を買った状態を解消せず、悪意が広がったとしましょう。あなたについては色々な噂が広がっていますから、正面からあなたに物理的な嫌がらせをする人はいないかもしれません。けれど、あなたに見えないところで嫌がらせをされたらどうでしょうか?」
「正面からではない嫌がらせ?陰口以外に一体どんなことがあり得るのでしょうか?」
「そうですね。……あなたは今、リューフェティ様のために薬草を集めたり、遠征の準備をしているということでしたね」
「はい」
「例えば、あなたに嫌がらせをしたいと思った誰かが、あなたが持っている薬草の種類を別の薬草に替えたら?もしくは毒草に替えたら?一体どういうことが起こると思いますか?」
想像したセリーヌが瞬時に青ざめた。
混ぜ合わせる薬草が一つ違えば、効果は全く異なってくる。セリーヌは薬草を扱う専門家ではない。作る薬のほとんどは、素人が作り方を見ながら簡単に作れるようなものだ。もし異なる効果が出たり、または思っていた効果が出なかったとしても、その原因にすぐに気が付けるとは思えない。ましてや毒草などに替えられたら――
毒に苦しんで倒れるリューフェティの姿が瞼に浮かび、セリーヌは声もなく固まる。
セリーヌがようやく問題の深刻さに気付いたと判断したアリシラは、老眼鏡越しにセリーヌを見ながら、静かな声音で続けた。
「今の例はあくまでこのままあなたへの悪評を放置し、最悪の状態に至った場合を想定した具体例です。そこまでする者はほとんどいないでしょう。が、残念なことにそういうことをする者が全くいないとは言い切れません。それに、それだけではありませんよ」
セリーヌは青い顔のままアリシラを見て、話の続きを待った。
「侍女、侍従たちは、色んな場所に出入りします。その分、様々な情報を持っているものです。情報は武器ですよ。味方になるか、敵になるか、これによって大きく変わる一つの力です」
「そう……ですね」
「新しい場所に入る時、第一印象ほど大事なものはないでしょう。私のようにあなたの仕事ぶりを知っている人間が誰一人いないところで、その場の侍女、侍従たちが、もしあなたについて、実像よりもより悪い姿を思い描いたら?あなたは思うように仕事ができるでしょうか」
掃除をするにしても、料理を運ぶにしても、管理している部門がある。その人たちがセリーヌに悪意を持って何かをすれば、セリーヌだけでなく、リューフェティにも迷惑がかかる。仮に、何か悪意を持ったことをされなかったとしても、協力的ではいてくれないだろう。スムーズに準備ができなけば、それはそれでリューフェティの仕事の妨げになってしまう。
――今、リューフェティ様の周囲での仕事に支障がないのは、アリシラが目を光らせていてくれているからだわ。けれど、いつまでアリシラがいてくれるかは分からない。
「あなたはあのデュスカレラ家から来たのでしょう。情報や味方を作っておくこと、根回しの重要性については家で十分教わったのではないですか?」
「う……。教えられましたが、私は僧院に入っていた期間が長く、鍛える時間はありませんでした。……性格上苦手でもあります」
アリシラは、さもありなん、とため息をついた。
「あなたが第三者からの評価をあまり気にしない質であることも影響しているのでしょうね。ベネディ様はそういう情報戦が特に得意だったのですが」
セリーヌは思わぬところで出てきた母の名前に驚いた。
「母をご存じでしたか」
「当然でしょう。あの子はここで一時期侍女をしていましたから。国王陛下から側仕えに、というお声もいただいていたのですが、ベネディ様は跡継ぎでしたからね。王家が泣く泣く領地に戻ることを許したくらい、非常に優秀な侍女でしたよ」
――国王陛下から望まれて、それをお断りできるだけのネットワークを作って完璧な根回しをしていたってことだわ。さすがお母様。
セリーヌは母の手腕に舌を巻きつつ、悩んだ。
そういった情報戦や人間関係の構築が得意なのは、妹のリリアであって、セリーヌではない。
「ベネディ様のことを話していても仕方がありません。今の私の話を聞いて、これからどうするつもりですか」
「……アリシラの望みは、今の段階でそういった私に対する不平不満が出ないようにすること、でしょうか」
「そうですね。彼女たちと和解するでもよし、より強い立場の者を味方にするもよし。色々とやりようはあるでしょう。ただし、私から一つ忠告しておきます。主人に頼んでどうこうしてもらうのはおよしなさい」
セリーヌがアリシラを見ると、アリシラは表情を変えないまま続けた。
「仕える者の間のトラブルはその者同士で解消するべきです。お仕えしている主に、仕える立場の者の問題を投げて上から圧力をかけても解決はしません。より見えないところに潜るだけです」
「……分かりました。なるべく早く解決できるようにいたします」
「それがよろしいでしょう。あなたの今後の働きには私も期待しています」
アリシラは話を終わらせ、セリーヌを下がらせた。
正直、リューフェティのために全ての時間を使いたいセリーヌにとっては面倒極まりない問題だ。だが、アリシラの指摘はいずれももっともだった。
アリシラとの面会を終えたセリーヌは、リューフェティの部屋に向かいながら思考を巡らせる。
セリーヌは、自覚があるように情報戦が得意でない。また、陰口をたたかれてもどこ吹く風になってしまうセリーヌには、周囲から哀れみを感じさせる一種の可愛げもなかった。
料理番や掃除番、シュバルツ付きの侍女たちに悪く思われている様子はなかったものの、さりとて庇ってくれるほどの関係性は築けていない。
「どうしましょう。どうしたらいいのか、全くいい案が思い浮かばないわ」
セリーヌはしばらく悩んだ挙句、リューフェティの部屋に向かいかけていた足を別の方向に向けた。