6 お披露目と試験
リューフェティのお披露目の日、セリーヌは準備を万全に整えた。
夜空色の真っすぐな髪は、束ねずに長く流し、顔周りの短くなった髪だけを軽く整えた。黒を基調とし、銀色の縁取りのある魔女のローブには、第四王子付きであることを示す青の貴色が入っている。リューフェティだけが身にまとえるローブは、女性としては背の高いリューフェティの美しさを引き立てていた。
元々の透明感のある肌はそのままに、目元や頬にアクセントとなる色を足し、唇に淡い紅を引いただけで、毎日リューフェティを見ているセリーヌですらうっかり魂を抜かれそうな色気があった。
――もうリューフェティ様について存在感がないだのなんだの文句は言わせないわ。
セリーヌは自分について何を言われても全く気にならなかったが、主人であるリューフェティが陰で侮辱されていたことだけは許せなかった。セリーヌの恨みは深い。
セリーヌの予想通り、お披露目会でリューフェティがシュバルツの魔女として王城の中庭で紹介されると、会場がどよめいた。
「リューフェティは私の魔女だ。今後は公的な立場で顔を出すことも増えるだろう。特に騎士団の面々は関わることも多いかもしれぬな。まだまだ至らぬ未熟者ゆえよろしく頼む」
シュバルツの牽制と根回しを含んだ紹介を受けた今日のリューフェティは、王城の人間の視線を一身に集めた。
セリーヌは、内心「そうでしょう、私の素晴らしい主人を見なさい」とばかりに謎の親心で鼻息を荒くしていたが、まるで光に集まる蛾のように予想以上の数の貴族男性たちがリューフェティに群がったのを見たときには若干ひやひやしていた。
幸い、リューフェティが常にシュバルツと共に行動し、しつこく絡まれることはなかったので、セリーヌは心底ほっとした。
むしろ絡まれたのはセリーヌの方だった。
見習い侍女や侍女たちからかけられる「ねぇ、どうやってリューフェティ様に取り入ったの?」「お金でも積んだ?」といった嫌味には、全て「まさかまさか、下級貴族の我が家にそれほどの財力はございません。実力でございますよ」と慇懃無礼な返事をしていた。
前科が前科なだけに、王城に入って以来、セリーヌに実力行使で嫌がらせをしてくる者は皆無だ。せいぜい厭味ったらしく陰口をささやかれた程度だったので、セリーヌはそよ風ほども気にしていなかった。
一方、「リューフェティ様に取り次いでほしい」という依頼や言伝てについてはセリーヌの一存で跳ねのけるわけにもいかず、リューフェティやその主人であるシュバルツに報告する必要があった。
セリーヌは、今日の主役であるリューフェティをシュバルツに付いている複数の侍女に一時的に任せ、来場客から渡された手紙の安全を確認するため、一時的にその場から離れた。
手紙に毒物や危険物が入っていないか確認するのも見習い侍女の仕事の一つである。
人混みから離れ、渡り廊下を通って王城の一室に向かっていた時だった。
「!」
セリーヌは、背後から突然何者かにつかまり、口をふさがれ、首にナイフを押し付けらえていた。
暴漢はセリーヌよりもかなり大柄だった。セリーヌの前襟あたりを後ろからつかんでセリーヌの首元を絞めている右腕は太く、筋肉が盛り上がっているのが分かる。男性だろう。しかも鍛えている。力では勝てないのは明らかだった。
「騒ぐな。静かにすれば命を取りはしない」
セリーヌは、自身が置かれた状況を冷静に見て取ると、暴漢に抵抗せず、もたれかかるように全身の力を一瞬抜き、後ろに体重をかけた。暴漢が予想外のセリーヌの動きに動揺したその一瞬の隙に、セリーヌは重心を下に落とし、ナイフを持っていない暴漢の右腕の下をかいくぐる。そのまま暴漢のやや右後方あたり足を進め、セリーヌの首元をつかんだままの暴漢の右手首の関節に本来曲がるべき方向とは反対方向から体重をかけた。
「っ!」
暴漢はセリーヌが手首関節を破壊しようとしていると気づくや、その筋肉を生かして、セリーヌを払いのけるように手首を逆にひねった。すると今度は体重差のあるセリーヌが不利だ。セリーヌはそのまま無理をすることなく、つかんだ手を離し、暴漢の動きに合わせて跳ねるようにさらに後方に体を移動させた。
――手首を壊して捕まえるのが一番いいと思ったのだけど、今の動きにすぐに対処されるってことは相手は体術に慣れた「本物」ってことだわ。私が一人で捕まえるには手に余る。そうであれば、次にすべきは――
暴漢がこちらにナイフを突き出してくる前にセリーヌが息を大きく吸う。
すると、暴漢は何かを察したのか、セリーヌが大声で助けを呼ぶ前に、さっと身を翻して去っていった。
「……これは後でリューフェティ様にご報告しなければいけないわね」
セリーヌは引っ張られて乱れた服を直し、襲われた時に落として少し汚れてしまったリューフェティ宛ての手紙の埃を手で払ってから、足早にその場を離れた。
※※※
セリーヌが襲い掛かられた件を除けば、お披露目会が恙なく終わり、セリーヌはリューフェティと共にシュバルツに呼び出された。
「素地はいいと思っていたが、リューフェティは大分化けたな。お前のおかげだと聞いたぞ、セリーヌ・デュスカレラ。面を上げよ。挨拶を許す」
「お目にかかれて光栄です、殿下。ご満足いただけてなによりでございます」
リューフェティの側に跪いていたセリーヌはシュバルツに言われて顔を上げた。
シュバルツは、自室の客間の椅子に深く腰掛け、ひじ掛けに頬杖を付いて興味深そうにセリーヌを眺めた。シュバルツが8年前に少しだけ見かけた時と同じ、意志の強そうなエメラルドの瞳の輝きは失われておらず、むしろより強く輝いているように見えた。
「あなたがリューフェティの見習い侍女として付いて3か月ほどが過ぎたか。慣れたか?」
「はい。できる限りの力を尽くしております」
「実は私があなたに会うのは初めてではない。8年前に一度あなたの屋敷でお会いしたが、覚えているか?」
「はい、覚えております。きちんとご挨拶できず、申し訳ございませんでした」
「よい。こういう機会ができたということは、また会う運命だったということだろう」
シュバルツのすぐ後ろには護衛のペトラとガランが控えていた。ペトラは一括りに束ねた金髪に薄い水色の目をした涼やかな、細身の麗人で、女性騎士の制服姿が非常によく似合う。一方のガランは体格がよく、腕も胸も足も制服を押し上げるくらい筋肉でぴちぴちになっていて巨漢と呼ぶのがふさわしい。ペトラと並ぶと少々暑苦しい印象だ。
セリーヌは、ふと、自分を襲った暴漢を思い出した。
――あの暴漢、確か、とても筋肉質で、大柄な男性だったわ。ちょうどガラン様のような――あら?
セリーヌは、シュバルツの横に立つガランがわずかに右手首を押さえているのが気になった。
――そういえば、あの暴漢はどうして私を襲ったのかしら。リューフェティ様はまだお披露目したばかり。元々評判が良かったわけでもないリューフェティ様の見習い侍女として襲われるには早すぎる。動きから見て、決して私に後れを取るような素人じゃなかったわ。私が何をしようとしているのかすぐに気づいたし、自分の関節をどの方向に動かせば壊されないか分かっていて、すぐに対応できるような冷静さもあったもの。それくらいのことは兵士や騎士なら可能でしょう。それに、ナイフを持った左手は自由だった。私を刺そうと思えばいつでも刺せたし、仮に刺せなかったとしても私の抵抗で偶然当たってもおかしくなかったのに当たらなかった。どうして――?
「殿下。一つご報告しなければならないことがあります」
「なんだ。申してみろ」
「実は先ほど、先のお披露目会でリューフェティ様から一時的に離れた際、暴漢に襲われました」
「ほう。それが事実なら一大事だな。怪我はないか?」
「はい、無事です。それについて申し上げたいことがあります」
「なんだ」
「その暴漢は、非常に大柄で、筋肉質で、体術にも心得があるようで、私のような素人など到底太刀打ちできないプロに見えたのですが――不思議なことに、追撃されることもなく、殺意も敵意もなかったのです。むしろ私に怪我をさせないように、気を付けているようにさえ感じました」
「それで?」
「ガラン様、失礼ながら、右手首を痛めていらっしゃいますか?」
「何が言いたい?」
シュバルツの眼光は鋭く、セリーヌを貫くようだった。セリーヌは一瞬気圧されたが、自分の考察を信じて言葉を続けた。
「シュバルツ様がガラン様に命じて私を襲わせたのではありませんか?」
セリーヌの言葉にリューフェティは目を見開いてセリーヌを凝視した。それに対し、シュバルツは怒りも驚きも感じさせない瞳のまま、セリーヌに問うた。
「私にはあなたを襲う理由があると?」
「具体的には分かりかねます。ですが、ガラン様が独断で私を襲ったとは到底考えられません。それこそ理由がございません。ガラン様が動くとしたらシュバルツ様の命ではないかと思いました。もし、シュバルツ様がお命じになってガラン様に私を襲わせたのであれば、何かしら理由があるはずですし、こうしてお呼びいただいたこともそれに関係するのではないかと思い、発言いたしました」
「その発言、私に罪の疑いをかけたということになるがそういう理解で良いか?もし冤罪であればどうなるか――その意味をあなた以上に分かっている者はいないだろう。今なら撤回を許すぞ」
暗に上級貴族への侮辱の罪により僧院送りになったセリーヌの過去を匂わせ、シュバルツは続けた。
「もう一度尋ねよう。それでも発言の撤回はしないのか?」
王子を侮辱したとのことでもう一度罪に問われたら、セリーヌは二度と貴族社会に帰ってこられないだろう。しかし、僧院での生活で鍛えられたセリーヌの直感はここで発言せよと告げている。セリーヌは自分を信じ、ごくりと唾をのんだ。
「……罰されることは覚悟の上です」
セリーヌを見下ろすシュバルツの目が一層鋭くなる。
「お待ちください」
シュバルツが口を開く前に、シュバルツとセリーヌの間に入ったのはリューフェティだった。リューフェティはセリーヌを背に庇って跪き、シュバルツを見上げた。
「なんだ、リューフェティ」
「お願いがございます」
「なんだ?自分を罰してセリーヌを罰するなとでも言うのか?」
「いいえ」
リューフェティは紺色の瞳を自分を見下ろす主の海色の目に合わせた。
「私は私で、セリーヌに好きに発言させた主人としての責任を取ります。今のセリーヌの発言は、私の意見でもあるとお考え下さい」
「なぜだ?」
「セリーヌが根拠もなく他人を侮辱することのない娘と信じているからです。きっと先ほどの発言にも理由があるはずですし、彼女なりの根拠も持っているはず。私は彼女のこれまでの働きぶりを見てそう思いました。もしセリーヌが今この場で言わなかったとしても、同じことをきっと私からお伝えしていたことでしょう」
「リューフェティ様……」
セリーヌは、ここに来るまでに、暴漢について一度もリューフェティに相談も報告もできていなかった。セリーヌはリューフェティから寄せられた信頼の厚さに胸を打たれ、同時に、自分の発言が主の名誉をも傷つける可能性に今更ながら気が付いて胃のあたりが急速に冷えていった。
――これまでは私一人が罰を受けることでなんとかなっていた――いえ、本当はあの時だって、殿下があの子供を拾わなければ、デュスカレラ家も連座で処分を受けていたんだわ。
私一人の責任でできることには限りがある。今後はもっともっとそれが重くなる。
セリーヌは、思わず、前にいるリューフェティのローブの裾を強く握りしめた。
しんと、部屋が静まり返り――それから、シュバルツが徐に拍手した。
「……殿下?」
「合格だ、セリーヌ。では、改めて本当の顔合わせでもしようか」
シュバルツがにやりと意地悪く笑って見せた。