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4 出会い

 リュイは魔女の子供だった。

 魔女の子供のうち、女は将来の魔女候補なので王城から出されることはない。しかし、男だった場合、「魔女にはなり得ない」ので王城から出され、孤児院に入れられ、成人したら平民となる。リュイも物心つかない時分に例に漏れず孤児院に入れられた。

 リュイ自身は自分が魔女の子供であることなど全く知らないまま成長した。

 リュイの入れられた孤児院は経営難に苦しんでいて、子供たちは一人の人間として認められる7歳になったら貴族の屋敷に奉公に出され、主に収入の高い汚れ仕事を任されていた。


 リュイも7歳になった年、貴族の家で下水処理の仕事に就いた。敷地内の下水道から汚物や酸化した料理油の混じった泥をかき集めて捨て、掃除をする仕事だ。平民の仕事の中でも特に嫌がられている、「汚い」「臭い」「きつい」の三拍子のそろった仕事だったので、給金も良かった。リュイは真面目で我慢強くこなせるということで重宝されていた。


 評判の上がったリュイはある格の高い上級貴族の家に奉公に出されることになった。


 上級貴族の家では、特別不潔でいるわけにはいかないと教えられたリュイは、仕事終わりに毎日自分の服を洗っていたが、孤児に与えられる粗悪な石鹸では、いくら洗ってもきつい臭いはなかなか落ちなかった。それでもリュイは与えられた仕事をこなすために小さな体で懸命に働き続けた。


 きっかけはほんのささいなことだった。

 リュイが仕事に励むようになって数か月が経った頃、本来会うはずのない貴族の子供たちが下働きの平民の子供たちの職場に入ってきたのだ。

 あの貴族の子供たちは、奉公に出されていた上級貴族に招待され、しばらく滞在する予定の客の子供たちだったと聞いた。


 汚れていて臭いリュイは格好の「おもちゃ」になった。

 リュイは孤児院で「貴族に逆らってはいけない」「逆らったら殺される」と嫌というほど教えられていたので、必死に貴族の子供たちからの「おもちゃ」扱いに耐えた。


 けれど、耐えれば耐えるほど「おもちゃ」を使った遊びはエスカレートしていった。


 そんな生活に何日何日も耐えたある日、リュイは、汚物交じりの泥の入った下水入りのバケツを運んでいた時に、背後から強い衝撃を受け、バケツを屋敷の敷地内でひっくり返してしまった。

 貴族の子供たちは、笑いながらリュイに地面に広がった汚物混じりの泥を手でかき集めて掃除するように命じた。

 リュイは鼻が曲がりそうな泥を必死で手でかき集めてバケツに入れた。リュイは自分を突き飛ばしたのが貴族の子供たちか、その命令に逆らえなかった平民の下働きの子供のどちらかであろうことは分かっていたが、怒りも悔しさも飲み込んで心を殺して謝罪した。

 バケツに泥を集め終わって仕事に戻ろうとしたら、言われた。


『ちょっとぉ、まだ茶色いのが残ってるじゃない』

『きたなぁい。責任もって片づけてよ。×××様に言いつけて殺させちゃうわよ?』

『手で取れないなら舐め取りなさいよ』

『うわ、きたな!あ、でも元々汚いか』

『食えよ!』


 最初何を言われているのか分からなかった。意味が分かった後にどうにか許してほしいと汚れた地面に頭をこすりつけて懇願した。でも、これまで文句も言わず従っていた「おもちゃ」が逆らったことに腹を立てた子供たちは、従わない「おもちゃ」であるリュイを殴ったり蹴ったりした。


 子供だから加減も知らなかった。

 誰も助けてくれなかった。

 平民の子供の命の一つや二つ、貴族たちにとってはなんてことはない。


 当たり所が悪く、リュイの意識は朦朧とした。

 朦朧とする意識の中で、リュイは、「死ぬのかな」と漠然と考えた。死ぬくらいなら汚物を舐めた方がいいんだろうか、と考えた。

 どうして自分はこんな目に遭わなきゃいけないんだろうとぼんやりと思った。


 その時だった。


 リュイの周囲から人が離れた。

 なんでだろうと不思議に思ったリュイの目の前に人影が立ち、周囲から甲高い悲鳴が上がった。


 痛みと熱っぽさと汚れでほとんど開かない目をぬぐって無理やり周囲を見たら、リュイを蹴り飛ばしていた貴族の子供たちが、全身汚物の泥まみれになっていた。


『皆様、お化粧をされたいと望まれておりましたね。とってもお似合いです』


 リュイの前にはリュイが集めた汚物交じりの泥の入ったバケツを持った一人の女の子が庇うように立っていた。服の質からして貴族のお嬢様だと分かる女の子がバケツの中身を子供たちにぶっかけたのだと分かった。

 お嬢様は空になったバケツを置くと、リュイから離れ、阿鼻叫喚の周囲を無視して歩くと、一番奥にいた、一番上等な服を着ていた貴族の男の子の前に立って何事かを話していた。

 その男の子は、リュイを蹴ったり殴ったりしていた子供たちではなかったので、リュイは、お嬢様が立ち去ったのだと思った。


 ところが、すぐにパァンと威勢のいい高い音が響いた。泣きわめいていた周囲がしんと静まり返った。


『あんな程度の低い客人を放置されるなんて、主人としての格が知れます。デュスカレラ家の名に懸けて、私は、あなたのような主人にお仕えすることはできません』


 凛とした声が一際大きく聞こえて、そこでリュイの意識は途絶えた。



 気付いたら、リュイはどこかの洗い場で丸洗いにされていた。貴族しか入手できない質のいい石鹸の泡でもこもこにされ、贅沢品のお湯をこれでもかとかけられた。

 いい匂いに包まれたまま、傷に触らないように気遣って洗ってくれている手つきの優しさに涙が出て、それが顔の傷に染みた。

 しばらくなすがままにされた後、ふと、自分を洗っている相手を確認し、リュイは、自分を救ってくれたお嬢様が手ずから丸裸の自分を洗っているのだと分かり、半ばパニックになった。


『お、お嬢様、いけません!俺みたいな汚いものに触っては』


 7歳ともなれば同じくらいの年の女の子に裸を見られることだって気になる年頃だったし、命令一つで簡単にリュイの命を奪えるお貴族様に洗われていることも気になった。

 全てが恥ずかしく、また、申し訳なく、リュイは必死で抵抗しようとしたが、全身の打ち身や擦り傷が傷んで抵抗らしい抵抗はできなかった。


『お嬢様……!』

『お黙りなさい』


 お嬢様は貴族らしい命令口調でリュイを黙らせると、洗い終わったリュイをタオルで拭き、どこかから用意させた服をリュイに与えた。リュイの傷に薬を付け、包帯を巻いてくれた。


『お前は幸運でした。あの後、第四王子殿下がいらっしゃらなければ、きっとお前は死んでいました。殿下はお前を拾うことにされたそうです。お前はもう殿下のもの、誰もお前に害を加えられません。もうすぐ殿下がお前を引き取りにいらっしゃいます。命の恩人に汚い姿を見せるのは悪手ですよ』


 生まれて初めて誰かに治療をしてもらったリュイはぽかんとしていて動くこともできなかった。そんなリュイに、お嬢様はにこりと微笑んでから、リュイの頭を撫でた。


『私にできるのはここまでです』


 そう言って、お嬢様は立ち上がってリュイから離れた。よく見ると同じ部屋には見張りと思われる大人が数人いた。

 お嬢様は、「待ってくださってありがとうございます」と言ってから素直に大人たちに両腕を差し出し、大人たちによって、お嬢様の両手首に腕輪を付けられた。


 まるで罪人に付けられるような黒い鉄製の腕輪だった。


『ま、待ってください、お嬢様』

『なりません。私は貴族の娘として、私自身の始末をつけなければなりません』

『せめてお名前を!お名前を教えてください』


 声を出せば口の中が痺れる。かすれた声で聞くのが精いっぱいだった。

 お嬢様はリュイの言葉に振り返り、背筋をピンと伸ばしたまま堂々と答えた。


『セリーヌと言います』

『このご恩は必ず、必ずお返しします!』


 お嬢様――セリーヌはリュイの言葉に驚いたように目を丸くし、それから柔らかく微笑んだ。


『……もう二度と会うことはないでしょう。さようなら。幸運に感謝して胸を張って生きなさい』


 それからリュイが何を言おうと、お嬢様は振り返らないまま、部屋を出ていった。

 最後にようやくはっきり見えたお嬢様の、ポニーテールにまとめられた、くるみ色の少しふわふわとした髪と、手錠を付けられても光を失わずに強く輝いていたエメラルドの瞳が、リュイの心に深く刻み込まれた。

 大人たちに連れられて出ていく時も変わらない、堂々としたまっすぐな背中が、リュイには永遠に忘れられなかったのだ。



 それからしばらくして、シュバルツが、護衛騎士見習いの少年少女――ガランとペトラを引き連れてやってきた。首の位置で切りそろえた銀色の短髪に海色の瞳をした王子はリュイよりも3つ年上だと聞いたが、威厳も目つきもまるで10歳の子供には見えなかった。

 リュイは王族というものの格の違いを肌で感じた。


 まともに話せるようになった後、一番最初に聞いたことは、自分を庇ってくれた命の恩人のお嬢様――セリーヌがどうなったかだった。


 シュバルツから、セリーヌは、上級貴族を侮辱し、暴力をふるった罪で、永遠に出られないと噂のシャペルミシェル僧院に入れられたと聞かされた。


 リュイは悔しかった。平民で何も力のない自分は、セリーヌに恩を返せない。

 小さな拳を血が出そうなくらい強く握りしめて震えるリュイを見たシュバルツは尋ねた。


『力が欲しいか?』


 即座に頷いたリュイに、シュバルツは満足そうに海色の目を細め、悪だくみをする顔でリュイに言った。


『お前に手を貸してやる。お前には拾う価値がありそうだ』


 リュイは、シュバルツから自分が魔女の子供であることを聞かされた。シュバルツから与えられた金で本を買い、死に物狂いで勉強を重ね、魔女についても研究し鍛錬を積んだ。

 文官になるための官吏登用試験に合格できるだけの実力をつけて迎えた14歳の時に、命じられるがままに魔女選別の魔導具を使って魔女としての適性が示され、リュイは即座に決断した。


 リュイは偽の魔女になることを選び、史上初めての男の魔女――リューフェティとなった。



※※※


「リュイ。官吏になればよかったと思っているか?」


 シュバルツが昔と変わらない海色の瞳でリュイに問いかけた。官吏として――一人の男として生きたかったか、という問いにリュイは首を横に振る。


「いいえ。官吏となればこんなに早くシュバルツ様のお傍にお仕えすることはできませんでした」

「セリーヌが戻ってくると分かっていても同じ道を選んだか?」

「はい」


 迷わずに即答するリュイに、シュバルツが喉の奥でくくっと笑う。


 シュバルツが、どうやってリュイが魔女の子供であることを突き止めたのか、魔女として管理されていなかったはずの男のリュイを魔女候補の名簿に載せていたのか、これまで存在しない男の子供に魔女として認められるだけの魔力があるだろうと判断し、そして賭けようと思ったのか――そういったことをリュイは知らされていない。

 しかし、リュイはシュバルツが為政者としての器であると――この国でただの王子以上の強い力を持つ人間になると直感で思った。

 そんなシュバルツが王家で生きていくために魔女が必要不可欠な力となることも、自分がそれに応えられるだけの力があることも悟っていた。


「俺は、そろそろお前を魔女として実戦に出したいと思っている」

「セリーヌ様を俺の見習い侍女から外していただけませんか?」

「だめだ」

「シュバルツ様、侍女をつければ俺の性別は遠からず隠せなくなりますよ」

「それを隠すのがお前の仕事だろう?」

「さすがに限界があります」

「だからこそ彼女を付けたんだ」


 シュバルツは空になったグラスをコトンと机の上に置き、椅子の肘置きに頬杖を付きながら長い脚を組んで、リュイを見た。


「デュスカレラ家は非常に優秀な側仕えを輩出する名門一家だ。あの家の側仕えは、仕えると決めた主人に忠実で、口も堅い。主人の秘密を守るためなら命も捨てる――そうなるべく教育されている」

「デュスカレラ家の評判は聞いたことがあります。――ただ、あの当主は良くも悪くも平凡な下級貴族という印象を受けましたが」


 ガランが、かつての記憶にあるウトランの印象を漏らすと、シュバルツは軽く笑った。


「あそこは女系一家なんだ。ウトランは入り婿で、表向きの、というと語弊があるか?普通の貴族の感覚しか持たない平凡な、いわば社交用の当主。今の実質的な当主はウトランの妻だ。そして、俺は、リュイが祝生祭を迎えたあの年、ウトランの妻――ベネディ・デュスカレラに、セリーヌを俺の将来の侍女候補にするよう打診していた」


 だからあの日、俺はセリーヌの働きぶりを見るためにあの家に行った、とシュバルツが言い、それを聞いたリュイは青くなる。


「じゃ、じゃあ。俺は、セリーヌ様だけでなく、シュバルツ様の予定まで台無しにしてしまったのでしょうか?」

「勘違いするな。その決断をしたのはセリーヌであってお前じゃない。確かに俺の予定は狂った。が、お前を手に入れられたのならそれもまた必要な犠牲だったということだろう」

「そんな……」

「大事なのは今だ」


 シュバルツは愉快気に笑う。


「どんな手を使ったのか、セリーヌは、決して出られないと評判のあの僧院から還俗し、こうして王城に来た。果たして彼女は俺の眼鏡にかなう働きぶりを見せてくれるのか、それとも、8年の間に堕落しているのか――。堕落して、ただの見習い侍女に成り下がっているのであれば俺は要らん。リュイ、お前の好きなように解任でもなんでもすればいい。俺は許可する」


 「だがな」とシュバルツは王族らしい冷たい目をして酷薄に笑った。

 

「俺の切り札とも弱点ともなり得るお前の性別を知った、もしくは疑いを持つかもしれない人間は生かしてはおけまい。しかし、解任されたただの見習い侍女がどうなろうと、お前の知ったことではないだろう?」

「シュバルツ様……」

 

 セリーヌがリュイの下につけられた時点で、セリーヌに残された道は1つしかないのだとリュイは気づいた。

 例えセリーヌがリュイの世話をしている間にリュイの性別に気づかなかったとしても、一定期間リュイの身の回りのことをすることが確定したセリーヌは、リュイについての多くの情報を得る。よく考えれば違和感も出てくるだろう。解任された後でリュイの性別に気付いて誰かに言わない保証はない。


 シュバルツに認められなければ、セリーヌはシュバルツの命で殺されるのだ。


「もし……もし、彼女がシュバルツ様のお眼鏡にかなったときは、彼女はシュバルツ様の侍女になるのでしょうか?」

「さぁな。その時の状況による」

「俺が魔女として外に出るのであれば、魔獣の討伐の場や場合によっては戦場にも出るでしょう。せめて、俺が戦闘に出る時だけでも、別の者を付けるというのはできないのでしょうか?」

「ならん。俺の近くにいる限り、超常の力を操る魔女に手を出せる者は多くない。しかし、戦場ではそうはいかん。戦場こそ魔女に隙ができる。魔女にとっては最も危険な場だ。俺はそういう隙を埋めることこそが魔女付きの侍女や側仕えに要求されることだと思っている」


 シュバルツの目がリュイに向けられた。


「もし戦場でセリーヌの身を守りたいというならお前が守れ、リュイ。だがな、戦場という極限の場でお前がセリーヌを気にかけて本来の仕事を忘れるようであれば、お前はそれまでのやつだ。お前は俺の所有物だが、俺は無能は要らん」

「……しかと、心に留めます」


 リュイがぎりと奥歯を噛みしめてから恭順の意を示すと、シュバルツはふっと力を抜いた。空気が少し緩んだことを見て取ったガランは励ますようにリュイに声をかける。


「そうだ、リュイ。セリーヌ嬢に『お嬢様』とか『セリーヌ様』とか言ってないだろうな?」

「大丈夫、です」

「男らしい口調にもならなかったか?」

「多分。女性の言葉遣いも大分練習しましたから」

「気をつけろ。セリーヌ嬢の呼び方そのものも変えた方がいいだろうな。今はお前の方が立場が上になるんだから」

「はい、分かっております」


 リュイがガランに頷くと、空気を軽くするようにシュバルツが茶化した。


「まぁ、ひとまずはその立場を楽しむといい。しばらく他の侍女はやらん予定だから密室で二人きりだ。何かあっても俺は見なかったことにする」

「な、何も致しません!」

「合法で間接キスもし放題だ、良かったな、リュイ」

「殿下からいだたいた銀の匙をありがたく使わせていただきます!」


 リュイがガランのからかいに噛みつくように答え、ペトラが汚いものを見る目でガランを見てから小さくため息を付いた。


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