3 再会の裏側
ベークライト王国第四王子シュバルツ・カトル・シーザ・ベークライトは、一日の仕事を終え、休憩のお茶を取っていた。
シュバルツは今年18歳となったが、本人の意志により未だに婚約者はいない。シュバルツが夜会に出れば、その非常に整った容姿も相まって、貴族の令嬢たちの口の端に上らないことはない。そんな憧れの的であるところのシュバルツは、今、お気に入りのおもちゃを待つ子供さながらの表情を浮かべていた。
給仕の侍女はとっくの昔に下がらせ、傍にいるのは護衛騎士のガラン・カエサルとペトラ・サモエルの二人だけだ。この二人は、シュバルツにとって、気の置けない臣下であり、かつ友人でもある者たちだった。
「そろそろ来る頃ではありませんか?」
時刻を確認したペトラがそう言ったまさにその時、部屋の入口から王子付きの魔女リューフェティが入ってくる。王子であるシュバルツの部屋に許可なしに立ち入れるのはガランとペトラとリューフェティだけだ。
「シュバルツ様、お話がございます!」
美貌を歪め、今にも嚙みつきそうな表情で足早にやってきたリューフェティをどうどうと止めたのはガランだ。
「リューフェティ。いかに殿下がお許しになっているとはいえさすがに礼儀は忘れるな」
「存じております」
リューフェティはもどかしそうに魔女の長いローブをさばきながらシュバルツの元にやってくると臣下の礼を取る。シュバルツは鷹揚に礼を受けるとリューフェティを椅子に座らせ、お互いのグラスにワインを手ずから注いだ。
「もどかしいのはなしだ。今日はお前が来るのが楽しみで仕事にも身が入らなかった」
「えぇそうでしたね、集中力が欠けていらっしゃいました」
ペトラが呆れたようなやや冷たい瞳をシュバルツに向ける。美人のペトラが冷たい表情をするとかなり迫力があるが、慣れているシュバルツは軽く肩をすくめて見せるだけだった。
「やはり彼女を私に付けたのはシュバルツ様の差し金ですね?」
「差し金だなんてひどい言い草だな。大体、彼女がお前の見習い侍女になることについては事前に通知だって出していただろう?なぁ、ペトラ」
「確か他の書類と一緒に昨日リューフェティの下に届けさせたと思いますが」
「どうせこいつは見習い侍女の選任通知なんて見ていなかったんだろうさ」
ぐぅっと言葉に詰まるリューフェティ。いかにリューフェティが侍女を拒んだとしても、長期間にわたり世話役を誰も付けないのは外聞が悪い。適当な頻度で適当な者を形式的に付けさせては、リューフェティが解任するということを繰り返していた。
即日解雇することになると決めつけている相手の名前に興味が持てず通知の文書を見ずに放置していたのはリューフェティだ。
「殿下もお人が悪い。どうせリューフェティがろくに通知など見ていないのを分かってやられていたのでしょう?」
「まぁな」
幼少期からシュバルツを見ているガランはシュバルツの頭の回転の速さも底意地の悪さもよく分かっている。たまに悪乗りをするものの、やりすぎにならないように止めるのはガランの役目だった。
シュバルツは、手元のワインをゆっくりと口に含ませてから、にやりと人の悪い笑みを浮かべてリューフェティを見やった。
「せっかくお前の初恋の相手を付けてやったというのに不満そうな顔だな」
「初恋なんかじゃありません!」
噛みつくように言い返したリューフェティの白い首筋が朱色に染まっているのを見てシュバルツは愉快そうに海色の目を細めた。
「楽しみにしていたんだ。今日何があったか話して聞かせろ、リューフェティ……いや、リュイ」
自分の本当の名を呼ばれた以上、シュバルツが無礼講を許しながらも拒否権を与えていないことをリューフェティことリュイはよく分かっていた。
シュバルツはリュイの主だ。リュイを拾ったのも、この地位に上げたのも、リューフェティという魔女としての名前を与えたのも、全てシュバルツだ。リュイがシュバルツに逆らうことは許されない。
リュイは形のいい眉を顰め、唇を噛みしめてから、セリーヌが突撃訪問してきたときのことを途切れ途切れに語った。
一番隠したかったことは意図的に省いたが、シュバルツは甘くなかった。巧みな話術と尋問で、リュイは結局セリーヌとの全ての会話を一言一句漏らさずシュバルツに話して聞かせることになった。
「お前が俺の寝所に入っているか確認された?あまつさえ子供の作り方が分かっていないんじゃないかと心配された?あははははははっ!」
腹を抱えて涙を流しながら笑い転げるシュバルツを前に、何の羞恥プレイだとリュイは天を仰いでいた。
「……さすがに笑いすぎではございませんか?」
「これが笑わずにいられるか。初恋相手と運命の再会をしたかと思えば、間近で顔を確認されたのに綺麗さっぱり忘れられてるなんてな」
「ですから、初恋などというものでは――!」
「お前が男だとばれなかったのはまぁ仕方がない。一目で看破されてはむしろ困るし、男の魔女という俺の切り札がやすやすと正体を晒すわけにはいかないしな」
リュイ個人に女装の趣味はない。シュバルツがリュイに女装をさせるのも、女の言葉遣いを身に付けさせたのも、リュイが外に出歩かないことや侍女をすぐに解任することを許すのも、全てリュイの性別が外部に漏れる危険性を最大限減らすためだ。
「だがいくら女だと誤解されていたからとはいえ、男と寝たかどうか、よりにもよって初恋の相手に確認されるとは……。くくっ、そりゃ固まって動けなくもなる。なぁ、ガラン、ペトラ?」
「……コメントは差し控えさせていただきます」
黙ってむくれるリュイに、ガランからは哀れみの視線が投げられた。
ペトラはいつも通りのポーカーフェイスだったが、そっと追加のワインが注がれたので、リュイはやけくそ気味にグラスをあおった。
「今日は彼女のせいで食事だって食べられておりません」
「なぜだ?毒見してもらったんだろう?」
「されたからこそです!」
リュイが真の性別を隠さず過ごせるのはこの三人の前だけということもあり、リュイの酔いは早く、いささか砕けた口調になっている。
「意味が分からん。どういうことだ。まさかセリーヌが毒を盛ったわけじゃないだろう?」
毒見されたものを食べるのが当たり前のシュバルツが心底不思議そうに尋ねると、リュイは白い頬をわずかに赤く染め、言葉を濁し、目をそらしながら言いにくそうに答えた。
「その……彼女が口を付けた道具に俺が口を付けるわけには……」
「ぶはっ」
途端に噴き出してせき込み、言葉の発せなくなったシュバルツに代わり、ガランが呆れたような口調で言った。
「リュイ、お前、殿下から銀食器をいただいていただろう。それを使えばその問題は解決できたんじゃないか?」
「……あ」
ペトラは処置なしと言った顔で肩をすくめてから一言「……むっつり」と呟き、墓穴を掘った上にとどめを刺されたリュイが真っ赤な顔で机に突っ伏した。
シュバルツは、その背中をバンバンと叩き、笑いすぎてこぼれた涙をぬぐった後、呼吸を整え、深く椅子に腰かけ直した。
「あれから8年か」
リュイがセリーヌに初めて会ってから約8年が経つ。二度と会えないと思っていた憧れの人が自分の見習い侍女になるなんてまさに青天の霹靂だった。
リュイは8年ぶりに会い、ためらいなく自分に触れてきた今日のセリーヌのことを思い出す。
全体的に整ってはいるが、華はなく、美しく煌びやかな令嬢たちの中では埋没するような、どちらかというと地味な容姿のはず――なのに、はっとするほど目が惹きつけられるのは、彼女の気の強さをそのまま表したような、強く輝くエメラルド色の目のせいだろうか、背筋の伸びた誇り高い背中のせいだろうか。
もっと見ていたかった。話したかった。彼女が明日からも近くにいてくれるということが、困るというのに。遠ざけたいとも思っているのに。それでも明日も彼女に会えることが嬉しい。
「セリーヌがあの僧院に入った時はもう二度と見かけることはないと思っていたが――」
「そう、ですね」
リュイは苦々しく、そして懐かしく、自分の人生の転機を思い出した。