2 美貌の魔女リューフェティ
料理場でリューフェティの食事を受け取ったセリーヌは、見習い侍女の身分証を片手に衛兵に道を尋ね、目的の部屋にたどり着き、ドアを叩いた。
「誰?」
セリーヌのノックとともに聞こえた声は低めのハスキーボイスだった。
「お食事をお持ちいたしました」
「今日は早いのね。入って。そのあたりに置いたら出て行ってちょうだい」
押してもいない部屋のドアが開き、セリーヌが入ると勝手に閉まる。一体どういう仕組みになっているのか、セリーヌには不思議でならない。
部屋の中はベールがかっているように靄が立ち込めていてよく見えなかったが、大量の本や何かの器具が雑然と置かれており、その奥に人影らしきものがあるのは見えた。
セリーヌは早速命令を無視し、食事の乗った銀のお盆を持って躊躇なく奥に進んだ。
「お食事です」
部屋の奥、一際靄の濃い机のあたりに人影があった。人影は、間近から聞こえたセリーヌの声に驚いたように肩を跳ねさせ、絹のように艶めいた夜色の髪がさらりと背中の上に流れた。それでも相手はセリーヌの方を向こうとはせず、背中越しに言葉を返してくる。
「……置いたら出て行ってと言ったはずだけれど。聞こえなかった?」
「聞こえております。本日はご挨拶もしたかったのでこちらまで持参いたしました」
「挨拶?」
「本日付でリューフェティ様お付きの見習い侍女となったので、そのご挨拶です」
「帰って。何度も言っているけれど、私、侍女は要らないの」
リューフェティは頑なに振り返らないまま、わずかに苛立った声音で繰り返した。
「毒見もご確認くださいませ」
「しつこいわね。毒見も要らない。何度言われても挨拶を受けるつもりはないし、私に侍女は――」
「ご確認いただかなければ私が職責を問われます。初日から針の筵に立たされるのは嫌でございます」
「……針?そんな罰を受けるの?」
見習い侍女とはいえ貴族の子女が毒見の確認を主人に拒否されたからと言って王城でそんな拷問まがいのことをされるわけがない。
――ここで追い返された後のことを考えれば嘘じゃないもの。精神的な意味では、だけど。
セリーヌが肯定も否定もせずに黙ってその場に立っていると、沈黙に負けたリューフェティがふぅと重いため息をついて椅子に座ったままわずかに体をセリーヌの方に向けた。
「仕方ないわ。自己紹介するなら早くなさい」
リューフェティはできる限りセリーヌを視界に入れないようにしているようで、顔をセリーヌから背け、髪に隠れた顔をなお袖で隠そうとする。長い前髪が邪魔をしてほとんど顔を確認できない。
しかし、セリーヌは気が付いた。
髪はつやつやとしていて、絹のような滑らかな光沢がある。袖からわずかに見える手首はやや骨が目立つものの、不健康にやせぎすというわけでもない。髪の隙間から見える小さい口は唇が薄く紅を塗れば相当色っぽいだろう。
磨かなくても美しい原石がそこにある。磨けば磨くほど光るのにどう見ても磨かれないままに放置されている。
それが、セリーヌの――人に仕える立場にある家の長女としてのプライドを刺激した。
「これはこれは……」
「は?」
「いえ、非常にやりがいがあるなと思いまして」
「やりがいなんて必要ないわ。すぐに辞めてもらうもの」
「まぁそうおっしゃらず。自己紹介の場なのです。せめて今日だけでも私の顔を見て、できれば覚えていただきたいなと思っております」
「……しれっと要求が増えていないかしら?」
「お顔を拝見できませんか?リューフェティ様のお顔を拝見しなければできないお仕事が多くあります」
そう言っても、リューフェティは態度を変えなかった。
セリーヌは一つため息をつき、強行突破することを決めた。
「仕方がございません、少々強引ですが、失礼いたします」
「ちょっ――」
セリーヌは、リューフェティが椅子に腰かけたままなのをいいことに、片方の手でリューフェティの片手首をつかんでリューフェティの背中を背後の背もたれに押し付けると、もう片方の手でリューフェティの前髪をおでこの方からかきあげるようにして正面から対峙した。
「私の名前はセリー―……」
セリーヌは、自分のことを大抵のことには動じない人間だと思っていたが、その時ばかりは自己紹介しようとした言葉も忘れた。
驚きに見開かれた形のいい目はやや切れ長の二重で、瞳は深い青と紺色の中間色。まばたきすれば長くカールがかったまつげが、ふぁさと揺れるだろう。細く形のいい小さな鼻がすっと通った先には、やや血色の足りない薄い唇。目、口、鼻、眉――小さな顔の中にある各パーツは驚くほどシンメトリーで、その顔立ちは極めて中性的だ。透明感のある白い肌は、やや不健康にも見えるものの、見せようによっては退廃的な色気も醸し出す。この肌質でそばかす一つないのは驚きだ。年の頃はセリーヌと同じくらいに見えるが、しっかり化粧をすれば、振り返らずにはいられないくらい、匂い立つような色気が出るだろう。
絶世の美少女にしばし見とれていたセリーヌは、途中で自分がまるで美少女を襲う暴漢であることに気付いてリューフェティの手首をそっと離し、前髪をかき上げるようにしていた手も元に戻すかしばし悩んで――
――この顔が見られなくなるのはもったいない。人生の損。
顔を覆っていた前髪を横に流し、そっとリューフェティの形のいい小さな耳たぶに邪魔な前髪をかけた。
セリーヌは自分の欲望に忠実な娘だった。
「失礼いたしました。お初にお目にかかります。本日からリューフェティ様にお仕えするセリーヌ・デュスカレラと申します」
暴漢もどきの態度を取っておきながら今更淑女も何もあったものではないが、セリーヌは何事もなかったかのように淑女の礼を取り、にこりと微笑んで見せた。
しかし、リューフェティはぴくりとも動かず固まっている。
「リューフェティ様?」
しばらく待ってもリューフェティが固まったままセリーヌを凝視しているので、セリーヌはリューフェティの前に跪き、しばしの逡巡の後、その白い頬にそっと手を当てた。
するとリューフェティはようやく現実に帰ってきたようにはっとして、セリーヌの手から逃れるように素早く身を引いて椅子から立ち上がった。
意外にもリューフェティは背が高く、セリーヌは見上げる形になった。
「なっ、何をするの!」
「少々手荒な真似を致しました。平にご容赦くださいませ」
「少々?強引にもほどがある、わ!」
「お顔を覚えていただかなければ自己紹介の意味がございませんもの。初志貫徹は私のモットーなのです」
「それにしたっていきなりこんなこと――」
リューフェティの白い頬と耳はほんのりと朱色に染まっていた。
その様子を見たセリーヌはふと気になった。
「リューフェティ様。初対面で大変ぶしつけな質問ではございますが、大切なことなので確認させてくださいませ」
「一体なに?」
「リューフェティ様は今おいくつになられますか?」
「……そんなこと、なぜ必要なの?」
「では単刀直入に。リューフェティ様は殿下のご寝所に入られたことはございますか?」
警戒したようにわずかに眉をひそめた後、リューフェティの顔はほとんど真っ赤といっていいくらいに赤くなった。
「んなっ……!ない!あるわけないでしょう!なんということを聞くの!?」
「失礼いたしました。見習い侍女としては非常に重要なお話になりますので」
「なんで!?」
「殿下のお渡りがあるとなれば、早急に、お洋服、お化粧、お部屋の準備……それにその他にもそれ相応の準備がございますので」
「なっ!それ相応の準備って……!」
「それはもちろん、ご年齢によってはお子様ができる可能性が――おや。もしや、リューフェティ様は子供の作り方をご存じない?ご希望があれば詳細をお話しいたしますが」
「いいい要らない!」
――てっきり殿下とのそれを思い出して赤くなったのかと思ったけど違ったみたい。
セリーヌは少々驚きをもって目の前の美少女を見つめた。
魔女。この世界にいる不可思議な存在の一つ。元々、遠い昔に異大陸からやってきた存在が祖先と聞いているが、詳細はよく分からない。魔女は、人間の女性の中でも、魔力と呼ばれる不思議な力を自在に操り、常人には考えられない超常現象を起こせると聞いている。その不可思議さゆえに、魔女は一般的に恐れられている。
大昔、魔女が反乱を起こしたこともあったそうだが、魔女はとても数が少ないので、時の国王が多大な人員を投入して魔女たちを制圧し、完全な管理下に置いたのだとか。それ以来、魔女は王家の所有物だった。
魔女は貴族でも平民でもない、特別な立場にあり、仕える王族の許可がない限り、婚姻は許されない。その有用性から主人である王家が手放さず、一生を独りで過ごすこともあるし、王家のお手が付いて愛人という立場になることも比較的多いと聞いていた。
これだけの美貌だ。リューフェティに第四王子の手が付いていてもおかしくはない。
が、言葉遣いまでわずかに幼くさせ、羞恥のあまり茹だこのようになっているリューフェティの様子を見ると、嘘をついているとも思えない。
「加えての質問になりますが、リューフェティ様は、普段、こちらのお部屋の中で執務をされていらっしゃいますか?」
「……そうだけど?」
「人前に立つことは?」
「……今はまだないわ。殿下のご命令があれば今後は変わるでしょうけど」
――ふむ。リューフェティ様は私と見たところ同い年くらいなのにほぼ男性と接触する機会がなかった、ってことかしら。それどころか見習い侍女に触れられるだけで赤くなるなんて……すごく初心なんだわ。貴族ご出身ではないのかも。それに、もしかして、殿下に恋心を持っていらっしゃる?それなら殿下との寝所を想像させるようなことを言ったら動揺してしまうのも当然よ。私ったら。
一人で納得したセリーヌは、「リューフェティ様を外に出すときには変な虫がつかないように気を付けなければ」と決心した。
「あ、そうでした。リューフェティ様。お毒見させていただきますね」
「ちょっと!本当に大丈夫だから!」
「そういうわけには参りません。先ほども申し上げたでしょう?私の仕事であると」
抵抗しようとするリューフェティから皿を遠ざけ、持ってきた食事を一皿一口ずつゆっくりと口に含んで飲み込んだ。
――まずはスプーン。匂い、見た目、問題なし。お皿の、手が触れそうなところも何かが塗られた様子はないわね。中身の食事も、舌がピリピリする感じも苦みもない。あとは遅効性でなければ――
セリーヌが毒見に集中する間、リューフェティは何とも言えない複雑な顔でそれを眺めている。
しばらく時間をおいても異常を感じなかったセリーヌは、毒見を終えた食事の皿を渡したが、リューフェティは困ったような顔をしたまま手を付けなかった。
「お毒見は、侍女の基本的な職務の一つのはずなのですが……初めてでございますか?」
「あなたほど強引な人はいなかったから」
「慣れてくださいませ」
「……あなた、本当にここで働くつもりなの?」
「えぇもちろんです。本当でしたら、リューフェティ様ほどのご身分になれば、侍女が複数名体制でお世話差し上げるのですが――」
言葉に出した途端、リューフェティはとんでもないと言わんばかりに嫌そうに激しく首を左右に振った。
「今のところ私しかおりませんので、全てのことは私がさせていただきます」
「断ったら?」
「針の筵ですね」
「…………」
リューフェティは眉をしかめて考え込む様子を見せ、その後に大きなため息をついた。
「……仕事の邪魔はしないで。あと勝手に魔道具に触らないで」
「もちろんです。ありがとうございます」
セリーヌは今日一番のいい笑顔で挨拶し、翌日以降の段取りを確認した後、粘り勝ち取った見習い侍女一日目の仕事を終えた。