16 侍女昇格
カルフェ村に帰った後、セリーヌはリューフェティに言われたとおり、医師の診察を受けて一日安静にし、問題ないと分かってから帰還が許された。
ドゥントスはセリーヌより一足先に医師の下に搬送され、無事に専用の薬で解毒できたようで、後遺症なく回復していた。わざわざセリーヌの下まで来て跪き、「セリーヌ様は俺の命の恩人です。何かあったらいつでもお声かけください」とセリーヌを労ってくれた。
村に戻ってきたセリーヌが一番驚いたのは、ローナとトラノの反応だった。
頭から血を流す怪我をしたセリーヌを見たローナは、「あなた、何無茶してんの!?馬鹿!本当に馬鹿なんだから!命あってのものでしょ!?」と言って泣きながらセリーヌに抱き着いてきたし、トラノもそうだそうだと号泣しながら近くで頷いていたので、思った以上に二人に心配をかけたようだと自覚したセリーヌは、素直に謝った。
王城に帰った後、セリーヌは、シュバルツとアリシラに挨拶と報告を済ませた。
遠征後は2日ほど休暇兼療養期間が与えられたので、セリーヌは、まず、蜂の頭を踏みつぶしたり、知らない暴漢に金的をしてしまった、大事な下賜品のブーツを丹念に洗った。
それから、心配をかけたローナたちへのお詫びとして、食事処の一画にある調理スペースで簡単な焼き菓子を作った。お菓子作り自体は、僧院から戻って以来、実家の館ではたまにやっていた。が、料理は本来使用人の仕事。貴族令嬢の趣味としてはあまり褒められたものではないので、身内以外にできあがった菓子をあげたことはない。
――リリアは美味しいと言って食べてくれていたけど、リリアは人に気を遣うタイプの子だもの。そもそも、本職の料理人にかなうようなものではないわ。それを知り合って間のない相手に渡したら嫌がられるかもしれない。
結局、渡すまでにほぼ半日をかけたものの、いざ声をかけてみたら、二人は、「もらってあげるから感謝してよね」「ありがとう、セリーヌ。あなたにはいつももらってばかりだわ」とそれぞれなりの言葉と共に受け取ってくれたので、セリーヌはとてもほっとした。
※※※
休暇の明けたセリーヌはシュバルツに呼び出された。
「お呼びと伺いました」
シュバルツは、形式的な挨拶を手短に終わらせる。シュバルツの部屋には、護衛のペトラとガランのほか、リューフェティと、それからアリシラもいた。
「先日は初遠征で大変な目に遭ったな。あなたの尽力で被害は最小限に食い止められ、多くのものを得られた」
「ありがとうございます。もったいないお言葉です」
「さて、今日呼び出したのはほかでもない、あなたの見習い期間が終わることについて、話がしたいと思ってな」
「お話、ですか?」
見習い侍女が侍女になれるか、侍女になった後に誰につくかは、王家や侍女頭たちが勝手に判断し、一方的に命じることだ。辞令を受ける側が意見や希望を聴取されることはまずない。
セリーヌが、シュバルツの発言の意図を組みかねて首をかしげる。
「率直に言おう。俺の侍女に付く気はあるか?」
「シュバルツ様の……侍女に、私が……?」
通常、見習い侍女が侍女に昇格できた後、最初は、王城に勤める下位の官吏に仕える。見習い時についていた主人に継続的にお仕えすることもあるが、まれに、セリーヌのように、見習い時に少々上の身分の相手についていた場合、位を落とした主人につくことがほとんどとなる。同じ主人に付くにしても、見習い侍女と侍女の間には大きな責任の差があるからだ。
そのため、見習い侍女が侍女に昇格したときに、格上の――それも、王子付きになるというのは、いうなれば、5段階以上の飛び級をするようなものだ。セリーヌは驚きで目を丸くする。
「あなたのここ半年の働きぶりは、私の想像をいい意味で超えていた。リューフェティと上手くやれたこともそう、その間に公式に魔女としてお披露目がされたリューフェティの身の回りのことをたった一人で全て整え、なおかつ、それ以上の成果をあげてくれた。あなたの有能さはこの半年でよく分かった。私は、形式的なことは苦手だ。有能ならば、どのような身分であろうと、どの程度の年次であろうと、どのような過去があろうと、取り上げたいと私は思う」
――王家の、目標として考えていた主から望まれるという、願ってもない好待遇。これ以上ない、過分なお言葉を、当初目標にしていたお相手からいただいている。
セリーヌの胸が喜びに染まる。
「……殿下、そのお話はご命令なのでしょうか?」
それなのに、セリーヌの口から出たのは、了承の二つ返事ではなかった。アリシラは細い片眉をわずかに上げたが、シュバルツは余裕の笑みでセリーヌの問いを受け止めた。
「最初に言ったとおり、私は、あなたと話をするためにここにあなたを呼んだ。命令するならあなたをここにわざわざ呼んだりはしない。あなたは何を望む?」
「もし、私のわがままをお聞き届けいただけるなら、私を、このままリューフェティ様にお仕えさせていただけないでしょうか」
セリーヌの言葉に、同じ場にいたリューフェティが驚きと共にセリーヌを見つめ、シュバルツは、面白そうに口角を上げた。
「ほう。私ではなく、リューフェティに、か。理由を尋ねたい。あなたは、私の下で働くのは嫌か?」
「滅相もございません。光栄なことだと承知しております。私は、元々、殿下にお仕えしたいと思ってこの王城に参りました。ですので、殿下にお仕えできる機会をこうしてこんなに早くご提示いただけるなんて、望外の幸せです」
セリーヌは一度言葉を切り、慎重に言葉を選んだ。
――リューフェティ様の下につきたい理由はたくさんある。でも最もお伝えしたいことは。
「リューフェティ様は私が見習い侍女に付いてくれてよかったと言ってくださいました。私にとって何より欲しいお言葉をくださる主人です。そして、私は、リューフェティ様の下でやらせていただきたいことがまだまだあるのです」
――特にリューフェティ様の恋のお手伝いとか!豊胸とか!
「そうか……まぁ、そう言うと思っていたのだが」
セリーヌが思わず「えっ?」と声を出してしまったことをとがめる様子もなく、シュバルツは、アリシラを見た。
「どうだろう、アリシラ。本人の希望もあるようだ。先日の働きへの褒美という面もかねて、私は、セリーヌの意思を尊重したい」
「そうですね。殿下からの申し出を辞退したという事実があれば、昇格したばかりの侍女が、殿下付きの魔女様であるリューフェティ様に付くということへもまだ周囲の納得を得られやすいでしょうし。それで進めさせていただきます」
アリシラはさっさと書類をまとめると、シュバルツの許可を得て部屋を出ていく。
残されたセリーヌがぽかんとしていると、シュバルツが苦笑した。
「まぁ、王城では建前というのは大事だからな」
――建前だったのか……さすがに殿下の侍女にというのはあまりにも早すぎたみたい。
セリーヌが内心ちょっとだけがっかりしていると、シュバルツが安心させるように笑った。
「とはいえ、私があなたの実力を認めているというのは嘘ではないから、安心してくれ。明日、正式に、あなたはリューフェティ付きの侍女になる。今後もリューフェティのことをよろしく頼む」
「謹んで拝命する所存です」
「じゃあそこでぼんやりしているリューフェティをさっさと部屋に連れ戻してくれ」
退室を命じられたセリーヌは、リューフェティを連れてシュバルツの部屋を辞した。
※※※
「良かったの?」
「何がでございますか?」
「シュバルツ様の侍女のお話よ」
「リューフェティ様もお聞きになったでしょう?あれは私がリューフェティ様に今後もお仕えするのに必要な建前だったんですよ。元々私が殿下の侍女になることは想定されていなかったのでしょう」
――今日はシュークリームだわ。リューフェティ様、パウンドケーキでのお茶以降、たまに甘いものを準備してくださるから楽しみ。
先ほどのやりとりを既に終わったものと考え、部屋でお茶の準備をしているセリーヌに対し、リューフェティは食い下がった。
「けれど、あそこであなたが殿下の申し出を受けていたら、殿下はあなたを侍女に迎えたと思うわ。本当にその機会を逃してよかったのかしら」
「リューフェティ様、何を気に病まれていらっしゃるのです?」
リューフェティは、少しためらった後、ずっと不安に思っていた疑問を、言葉を濁しながら思い切って伝えた。
「その……王家に直接仕えた侍女が、お、王家のお手付きになって愛人になることもあるし、それを望んでいる人もいると、聞いて……」
「……私が、殿下の愛人になるのを望んでいると?」
静かに問い直したセリーヌに、リューフェティが慌てて言い添えた。
「侮辱したいんじゃないの!もちろん、夫人になる可能性もあると思ってる。……あなたは元々殿下付きになりたくて王城に出仕したと言っていたから……そういう可能性も、ない、とは言えないし……権力を望んだ愛人というよりは……殿下にその、け、懸想している、とか……」
「殿下に、私が?」
「殿下は、ほら。何もかもをもっていらっしゃる方で、私から見ても、その……とても、かっこいいし……素敵な方だから」
握りしめた拳を震わせ、頬を薄く染め、声を震わせるリューフェティに、セリーヌははっとなった。
――急いで誤解を解かなければいけない!
「リューフェティ様。私が殿下付きの侍女――ひいては側仕えを目指していたのは、私が信念を曲げられない、融通の利かない人間だからです」
「……どういうこと?」
いぶかしげな顔のリューフェティに、セリーヌは静かに言葉を続けた。
「私が8年前に当時の主人を殴って僧院に入った話は覚えていらっしゃいますか」
「もちろん!」
「あれは、私の信念を曲げられなかったがゆえに――仕えている主人との信念の違いに耐えられなかったがゆえに起こしてしまった私の罪です」
「罪……」
「僧院に送られて以来、私がこうなってもなお曲げられない自分の信念を貫き通すにはどうすればいいのかと考えました。それで思いついたのです。方向性が同じ方に仕えればよいのだと。……少なくとも、あの場であの平民の子供を救ったという点において、私は、殿下の下であれば、自分の信念を曲げなくていい、お仕えしても問題ない方ではないかと思ったのです。だからこそ王城に来て、殿下の侍女を目指していました」
セリーヌの言葉に、リューフェティは大きく目を見開いた。
「ですから、私が殿下に、個人的な感情を向けているというのは、まったくもって誤解です!」
――私が主人であるリューフェティ様の恋路を邪魔すると思われるなんてとんでもないわ!
「そう……なの……?」
「はい。ですので、リューフェティ様がご心配なさるようなことは一切ございません」
――セリーヌ様は、シュバルツ様が好きなわけではない、のか……。そっか。
リューフェティは心の中で、「セリーヌ様はシュバルツ様に恋をしているわけではない」と繰り返して噛みしめた。
「よかった」
リューフェティが心から安堵する様子を見て、セリーヌは、疑いを確信に変えた。
――あんなに震えながら殿下の好きなところをおっしゃって、今もとてもほっとしていらっしゃる……。やはりリューフェティ様は殿下に恋をしていらっしゃるんだわ。大丈夫です、リューフェティ様、セリーヌはいつでもリューフェティ様のお味方です。誓ってライバルなどにはなりません!
「リューフェティ様。私とリューフェティ様の間には、色々と思い違いがあったようです」
「そうね」
「よき侍女というのは、主人の手となり足となるべく、主人の考えを深く知る必要があります。真に優秀な侍女であれば、何も言われずとも察するべきなのですが、未熟な私では、まだまだリューフェティ様の思いを完全にくみ取ることはできておりません。そこで、可能であれば、これからは、もう少し、はっきりと物を伝えさせていただきたいのですが、よろしいですか?」
「分かったわ。私も、もう少し、あなたに伝えられることを伝えていこうと思う」
「あまり見習い侍女として――侍女として褒められたことではありませんが、私、リューフェティ様とこうやって本音でお話しできて、とても嬉しいです」
「私もよ。これからもよろしくね、セリーヌ」
「はい、リューフェティ様。それでは、お茶にしましょうか」
「ええ!」
ご機嫌で、微笑みを交わすセリーヌとリューフェティ。
両者の考えが思いっきりすれ違っていることを知る人間はまだ誰もいない。
これにて第一章見習い侍女編は完結です。毎日投稿したかったのにできなかった。ごめんなさい。楽しんでいただければなによりです。
第二章もできる限りまとめて投稿していきたいので、お休みして、少し書き溜めてから投稿しようと思います。再開まではしばらくお待ちくださいませ。




