14 奪還
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リュイたちが遠征に出かけてちょうど10日目の昼頃。王城の一室で、シュバルツは、紅茶の入ったカップ片手に次々と書類を片付けていた。
「今頃リュイが初陣を飾っているころでしょうな」
ガランが参考資料となる本を運びながら時計を見てそんなことを言ったのに対し、シュバルツは、書類から目を上げることなく同意した。
「灰牙猪2体程度にあいつがやられるはずがないし、仮に数体増えようがリュイの敵ではないからな」
「いっそ騎士や兵士をつけない方が良かったのでは?あれにとっては巻き添えにしないように力を制限する方が面倒でしょう」
ガランの言葉にシュバルツが笑う。
「あいつの足かせにするために、あえて騎士たちを付けたのさ」
「それにしては、なかなか見込みのある騎士や兵士たちを付けましたな」
「だろう?俺の派閥に入れたい面々だ」
シュバルツは、書類にサインしていた手を止めると、リュイに付けた騎士や兵士たちの身上、勤務態度等をまとめた報告書を手に取ってめくりながら続けた。
「足を引っ張りすぎる無能を付けてリュイがお前ら以外の騎士たちを守る対象と見なくなっても困るだろう?要らん騎士でもリュイが見殺しにしたらそれはそれで魔女としての評判が落ちるからな」
昔からのリュイを知るペトラとガランが、シュバルツの言葉に沈黙して同意を示す。
「今ここで、これ以上リューフェティへの注目を集めても何もいいことがない。無能と思われても見くびられるし、力を見せつけすぎて兄上たちに目をつけられるのもかなわん。顔はいいが、実力はそこそこ――俺が魔女にしたのも納得できる程度に思わせておかんとな」
持っていた書類を棚に放り投げた後、シュバルツは「それに」と続けた。
「セリーヌの前で張り切られすぎて、素材が何も取れなければそれはそれで困る」
魔獣討伐には国家から専用の予算を付けられている。が、王家の国庫と言えど、無尽蔵ではない。誰をどの任務に派遣するのかは王族の話し合いで決まり、任務を引き受けた王子や姫が、その際にどのくらいの規模で魔女に騎士や兵士をつけるのか、誰を付けるのかを独断で決める。そして、既定の予算額を超えた出費のある場合、それは派遣主となる王族の個人負担となる。
一方、討伐で得られた魔獣の素材は派遣した王族個人のものとなる。王家――国に売却するもよし、身内で使うもよし。これも派遣主たる王族に決定権があった。
魔獣討伐には突発的な不確定要素が多いため、この予算配分に関する見極めは非常に難しい。派遣する騎士や兵士たちが少なすぎれば、魔女ごと全滅する危険もあり、逆に多すぎれば赤字となる。
「リュイは俺の懐具合に対する理解はまだまだだからな」
「好きな相手の前でいい恰好がしたい年頃ですしね」
セリーヌの前で張り切るリュイの姿を思い浮かべたガランがくくっと笑い、ペトラが呆れたようにガランを見てから、シュバルツに漏らした。
「……純粋な戦闘力という意味において、私は、時々リュイが恐ろしくなります。あれが敵に回れば手に負えません」
「敵には回らんさ。そうなるように、俺が育てたんだから」
リュイは、ペトラやガランにとって、同じ主に仕える盟友である。近くで長くリュイを見てきた二人は、リュイのシュバルツへの忠誠心は本物だとよく分かっているし、疑ってもいない。むしろ逆だ。リュイは、シュバルツにしか従っていない。
そもそも、とペトラはため息をもらした。
「リュイは、貴族にはもちろん、他の王家の方々にすら、時々ひやりとするくらいに無関心です」
「多少取り繕えるようになっただけマシだろう」
「そうですね」
同意した後、ペトラがわずかに微笑みながら付け加えた。
「セリーヌが来てからのリュイを見ていると、そういう意味では年相応でほっとします」
「そうだな。こう、遠い過去に置き去った青春に胸がくすぐられるな!」
「ガランは俺の4つ上なだけだろう。お前、ただでさえ老け顔なんだからあんまりそういう発言をしない方がいいぞ」
「やはり私、老けて見えますかね。ペトラ、どう思う?」
「熊にも青春があったんだな」
「意見を求めたのはそっちじゃない……」
片思い相手の様子に一喜一憂し、年齢なりの下心を持ちながらも奥手なリュイは、年相応の純朴な少年だった。リュイの違う側面に慣れているペトラとガランは、その様子に驚きと共に安心を感じていた。
「――その分、セリーヌが何者かに傷つけられた時の反動が怖いのですが」
ペトラが、誰に言うでもなくポツリと漏らした。
※※※
突然襲われて拉致されたセリーヌは、意外にも冷静だった。
――どれくらい移動したのかしら。大体時間にして15分くらいだと思うから、走る速さと森の中という場所柄を考えると数キロ、というところだと思うのだけど。人一人抱えて走り続けるにはそろそろきつくなってきたかもしれない。
セリーヌの予想通り、セリーヌを拉致した男はまさに「この辺だよな」と言って、セリーヌを肩から降ろそうとした。
――さっき、相手は即座にみぞおちを狙ってきた。リューフェティ様の身体強化での防御がなかったら意識を失っていたかもしれない。相手は手慣れたプロ。となれば――
逃げる途中、叫び声一つ上げず身動きもしないままになっていたからか、男は途中からセリーヌが気絶しているのだろうと思い込まされているはずだ。セリーヌの狙った隙はそこだった。
男の肩から降ろされる直前、セリーヌの体が男の前あたりに来た瞬間に、セリーヌは、男の顔を思いきり殴った。
「がぁっ!」
身体強化されたパンチの威力はそれなりのもので、男が鼻血を出して思わずのけぞる。セリーヌは、手を離されて地面に着地するや、体勢を一気に低くして、その男に足払いをかけた。それにより、男が仰向けに転倒し、近くの何かに頭をぶつけたのか、ぼくっと嫌な音がして、起き上がらなくなった。
セリーヌは口に詰められた布を取り出した後、おそるおそる倒れた男に近寄って呼吸を確認する。
「し……死んでない、よね?」
「この女っ!」
――仲間がいた!
背後から襲い掛かってきた別の人間に対し、セリーヌは、とっさに右側のブーツの中から、先ほどドゥントスに刺さっていた毒針蜂の折れた針を取り出し、逆手でそれを後ろに向かって突き出す。
「ぎゃっ」という悲鳴が聞こえ、どこかに針が沈む感触を感じたセリーヌは、すかさず反転し、痛みで前かがみになるもう一人の男の急所を下から思いきり蹴り上げた。結果、もう一人の男は声も出せずに悶絶して倒れた。
「終わった、かな?」
男たちがいずれも起き上がってこなかったので、セリーヌは殴った手を擦りながら今度こそ一息ついた――その油断が失敗だった。
直後、セリーヌは後頭部に身体強化されていてもなお耐えられないほどの強い衝撃を受けて意識を刈り取られ、どさりと草の上にうつぶせに倒れた。
セリーヌを殴って意識を失わせた三人目が、一人目と二人目の男を起こす。
「お前らなに油断してんだ」
「いってぇ、やられた。解毒剤くれ!」
「このくそアマっ!ぶち殺してやる!」
「やめろ。生きたまま引き渡せって依頼だろうが」
倒れていた二人が起き上がってセリーヌに向かっていこうとするのを三人目の男が止める。三人目の男はセリーヌに近づき、セリーヌの髪をつかんで持ち上げると、まじまじとセリーヌの顔を見た。
「これ、本当に魔女か?」
「魔女だろ。女は3人しかいなかったし、そいつ女にしてはすげぇ速さで走ったり、大の男一人抱えたり、でけぇ火柱あげてたりしてたぞ。魔女じゃなくてなんなんだよ」
「だけどよ、ベークライト王国は魔法が発達してない分武器系は多彩って言われてただろ」
「知らねぇ」
「確認してねぇのかよ」
「騎士共もほかの女共も離れてて、あれが一番いいタイミングだったんだよ」
「人違いだったら意味ねぇだろうが!ベークライト王国のお尋ね者になるんだぞ!顔見られてねぇだろうな!」
「覆面はしてたぜ」
「つーか、魔女ってあんな肉弾戦できんのか?」
「そういう魔女もいるんじゃねぇの」
「というか、こいつ、戦闘中はどこにいたんだよ」
「あーなんかテントみたいな中にいた気が……」
「いくら前に騎士や兵士がいるからって、魔女が討伐中に魔獣の近くにいないなんてことあるか……?」
「……そういえば、最後魔法使ってこなかったな」
「てことは人違いか……?くそっ!なんなんだよこの女、影武者かよ!」
三人目の男がセリーヌを地面に叩きつけるように乱暴に髪から手を離した。
「ちっ、魔女を生きたまま捕まえろって依頼だぞ。どうすんだ」
「どうするもこうするもまた狙うしかねぇだろ」
「おい、こいつどうすんだよ」
「捨ててけよ。この森だ。放置してたら勝手に獣に食われて死ぬだろ」
「でも俺はこいつに急所つぶされそうになったんだぜ?」
「そうだ、俺だって顔をやられたんだ。このままじゃ気が済まねぇ、無茶苦茶におかし――え?」
男が、怒りと下卑た考えの下にセリーヌに歩み寄ろうとした。
が……なぜか足が全く動かない。違和感に目線を下に落として足を確認すれば、なぜか自分の両足から大きな氷柱が生えていた。
その氷柱は、まるで樹木のように何股にも枝分かれしており、男の足にいくつもの穴をあけながら男を地面に縫い留めるように固定して、噴き出た血すらも冷やし固めていた。
痛みを理解する前にそんな信じがたい光景が目に入って、男は絶叫を上げる。
他の男たちに助けを求めようとしたが、他の男たちも同じ状況であることに男は絶望し、周囲を見回して、攫った女の近くに騎士のような恰好をした男が立っていることにようやく気が付いた。
男――リュイは、「セリーヌ様!」と呼びかけながら、倒れ伏すセリーヌを抱き起こし、脈と呼吸を確認していた。リュイは、頭から血を流しているもののセリーヌがただ意識を失っているだけであることが分かると、ほう、と安堵したような息を漏らし、壊れ物を扱うようにセリーヌをそっと抱き上げた。
「こんなに怪我を……。殴られたのは、頭と……頬ですか。他にもあるかもしれない。こんなに腫れて、泥まみれになって……」
頬を殴ったのはセリーヌ自身であるということを突っ込める人間はここには誰もいない。
泥と血のついたセリーヌの顔を自分の服の裾でぬぐっていたリュイに、痛みにうめく男たちが声をあげた。
「て……めぇ」
「あぁ。まだ生かしてたんだっけ」
羽虫でも見るような温度のない目でリュイが男たちを眺め、男たちの背筋にただの恐怖を超えた得体のしれない怖気が走る。
本能的に背を向けて走り出したいのに、凍らされた足は全く動かない。
「本当はもっとぐちゃぐちゃにしたかったんだけど……セリーヌ様がお前たちからあふれた血で汚れたらいけないだろ?だから血をこぼすわけにはいかなくてさ」
「ばけもの――!」
「口利いていいなんて、一言も言ってないよ、俺」
人を人とも思っていない冷たい瞳が男たちを貫き、その瞬間、男たちの肺に焼けるような痛みが走った。
「お前たちさ、もう、息しなくていいよ」
リュイがそう言うや、男たちは、全身の血が沸騰するような感覚に襲われ、口からごぼごぼとあえぐような音を出し、全身の穴という穴から血液を噴き出させた後、すぐに絶命した。
リュイはそんな男たちの末路を見届けることすらなく、大切な女の子を抱き抱えてさっさとその場を立ち去っていた。