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10 正々堂々と

 リューフェティたちから助言をもらった翌日。セリーヌは、いつもは時間をずらして使っている侍女の食堂に、夕食まっさかりの時間に赴いた。この侍女の食堂は、席の場所は区別されているものの、アリシラのような管理職に当たる侍女を除いた貴族出身の侍女も、平民出身の侍女も使っているので食事時にはたくさんの人が集まる。

 案の定、セリーヌが向かった時、食堂は人でごった返しており、たくさんの侍女たちがせわしくなく行き来し、食事をしながらおしゃべりに勤しんでいた。そんな中、セリーヌは机の並んだ食堂の前にある壇上にのぼった。そこからはざっと100人以上には及ぶだろう、たくさんの侍女や見習い侍女たちが一望できる。


 ――もし伝わらなかったら。他に思いついた方法はないのに、これでも意味がなかったら……。


 さすがのセリーヌでも、もし失敗したらと思うと、喉まで出かかった声が一度引っかかってしぼみかける。

 セリーヌにとっては、ここで自分の話をして一斉に悪意を浴びることよりも、事態が悪化してリューフェティの見習い侍女でいられなくなることの方がよっぽど怖かった。


「リューフェティ様……」


 祈るように思い出した昨日のリューフェティの声が、あの時のリューフェティの真摯な瞳が脳裏をよぎる。


 ――アリシラは私を解任するつもりはないと言ったもの。私がしたことを、思っていることを、正々堂々と伝えればいい。それでだめならだめでまた考えればいいのよ。


 セリーヌの決意は固まり、握りこんだ手の震えは止まった。



「私はセリーヌ・デュスカレラ。皆さんの中で私にいい感情を抱いていない方がいるのは知っています。その方々にも、そうじゃない方々にも、少しお話をさせてほしいのです」


 拡声器を使っているわけでもないのに耳に自然と入ってくるセリーヌの朗々とした声が食堂に響く。出された名前に気付いたいくつもの目が驚いたようにセリーヌの方を向いた。


「まず私は謝りたい。正直に言うと、私は皆さんから何と言われようと、どんな噂が流れてどう思われようと、自分が知っている真実があればどうでもいいと思っていました。だから、皆さんにとって不快な態度を取ったこともあるでしょう。なりたての見習い侍女が取る態度ではなかったと思います。申し訳ありませんでした」


 頭を下げて一呼吸置いたセリーヌは多くの目が向く中で話を続けた。


「噂の件ですが、私が当時の主人に暴力をふるい、侮辱したことは事実です。――ですが、私は、主人の客に毒を盛ったことも、主人に馬乗りになったことも、蹴飛ばしたこともございません」


 セリーヌの言葉に食事場がざわつき、どこかから「嘘よ!」「聞いたもの!」という声が響いた。


「私は、主人の客人に汚物交じりの泥をかけ、主人を一度手でひっぱたき、職を辞する旨を伝えました」


 それだけでもかなり周囲は引いたようだ。ざわめきが大きくなり、侍女や見習い侍女たちが一斉に顔を見合わせてその顔を強張らせる。


「ただ、それには私なりの理由がありました」


 セリーヌは、上級貴族の家に侍女の見習いために奉公に出たこと、その家の次期当主の子供についていたこと、その家に招待された貴族の子供たちが行ったことなどを淡々と述べていく。唯一、シュバルツのことは伏せた。


「あなたは貴族でしょう?なぜ平民を庇ったのかしら?」


 一番近い席に座っていた年かさの侍女がセリーヌに尋ねた。


「間違っていると思ったからです。家のために真面目に働いている子供を、瀕死になるまで蹴ることが、将来領地や国を主導していく貴族の行うことなのでしょうか?私にはそうは思えませんでした」

 

 別にセリーヌは、王城にいる侍女全員に話をしようと思ったわけではない。そもそも、侍女たちは交代で食事をとるので、全員に話を聞かせるのは不可能だ。ただ、自分に悪い感情を持っている相手が誰か特定できなかったので、なるべく多くの人に話そうと思っただけ。

 それでもいまや食堂中がセリーヌの話に注目しており、遠くにいた他の侍女からも声が上がる。


「けれど、あなたの当時の主人はその貴族の子供たちを諫めなかったのでしょう?」

「えぇ」

「私たちは侍女。主人の命令に従う存在よ。主人の命令が『放置しておけ』なのであれば、平民の子供がどうなろうと、私たちはその命令に従うべきだったのではないかしら?」


 主の命令は平民の子供の命よりも重い。それは貴族出身の者であれば常識ですらあった。

 その意見に賛同するように、他の侍女からも声が上がる。


「私たち末端が知り得ることには限度があるわ。主人は主人の考えで行動されているの。そういう様々な事情も知らない侍女が、自分の価値観でもって主人に歯向かうばかりではその家は成り立たないでしょう?主人の命令に従うことは意味のあることよ」


 セリーヌは一度目を閉じてから、ゆっくりと目を開いて周りを見渡した。


「……確かに、皆様のおっしゃることもよく分かります。正しいとも思う。私たちは主人の手足となって動く存在です。主人の命令は絶対。それが大原則だと思っています。――けれど、例えば、主人からの命令が『自分の家族を殺せ』だとしても、私たちはそれに従うべきなのでしょうか?」

「それは――」

「ほとんどの人は、従わない――いえ、従えないでしょう。私たちは、主人の命令にただ盲従するだけの存在ではありません。それでは心のない道具と同じです。自分の意見を持つことだってあっていい。『従わない』という選択があっていい。それを主に伝えることだって許される――私は、家でそう教育を受けてきました。ただし、無条件でというわけではありません、解雇されることを覚悟の上でしろと言われました」


 だからこそ、デュスカレラ家では、側仕えとしての信念が重視されている。


「意見を申し上げて、一侍女の言葉を主人が受け入れてくださるかは分かりません。おっしゃるとおり、受け入れられないことの方が多いでしょう。ですから、私は、あの時、立場を辞しました。――心を殺しては十二分なお仕えはできませんから」

「辞職を願い出た経緯は分かったわ。それで、あなたは自分が主人を殴ったことを間違っていないとでも思っているの?」


 その問いは、僧院でセリーヌが師匠から問われた質問と同じだった。


「いいえ。貴族の娘としても、侍女を目指す者としても、それは間違っていたと思います。ですから、私は罰を受けた」


 感情では正しかった。後悔はしていない。それは事実だ。でも、主人を殴った行為は自分の昂った感情に任せた行動だった、とセリーヌは認識している。セリーヌは僧院送りという罰を当然のことと甘受していた。


 ――伝えたかったことの半分は伝えられた。あと半分だわ。「当たって砕け!」ですね、ガラン様。


 セリーヌは、ふぅと息を吐いてから再びざわつき始めた周囲に向かって顔を上げる。


「侍女を目指す立場である以上、私は、罰を受けるなら、自分がお仕えしたいと思う主人のために行動した結果として受けるべきだとつくづく思いました。ご存じのとおり、私は今、第四王子殿下付きの魔女リューフェティ様にお仕えしています。私は、この立場になるにあたり、不正などしていないと胸を張って言えます。私のようなひよっこがそのような大役を賜ることを、気に食わない方もいらっしゃるかもしれません。けれど――」


 動物は、相手を弱いか強いか、よく見ている。目をそらしたら負けだ。お前は弱いと思われる。目をそらすな。見続けろ。目は口程に物を言う。負けないという強い自分の意思を目で示せ。そんでもって、人も動物だってことを忘れんな――そう教え込んだ師匠の言葉がセリーヌの耳に蘇る。


「リューフェティ様は今私がお仕えしていることを歓迎してくださっています。もし、この私に不満があるがゆえにリューフェティ様につながる不利益をもたらすような方がいれば――私は自分の主人のため、私の全てをかけてその相手にご対応いたしましょう。一度はあのシャペルミシェル僧院に送られた身ですもの、何も怖くありませんわ。やるなら正々堂々、私に直接喧嘩を売ってくださいませ」


 セリーヌの言葉に、食事場がしん、と静まり返った。


「ご清聴ありがとうございました」


 ペコリとお辞儀をして壇上から降りたセリーヌに近寄ってくる者は誰一人いなかった。


 後日、セリーヌは、アリシラから、セリーヌにかけられた不正の嫌疑の告発が全て残らず取り下げられたと聞かされたのだった。



※※※


 セリーヌが自身の問題を解決して数日経った朝、セリーヌがいつものようにリューフェティの部屋に日参すると、リューフェティが険しい顔をしていた。


「リューフェティ様、どうかなさいましたか?」

「早朝に国王陛下から辞令が出たの。第四王子の名代として、カーレア地方にあるキアヌの森で出現した魔獣灰牙猪(グレイボア)2体を駆除せよ、とのことよ」


 カーレア地方とは、ベークライト王国の北の地方のことを指す。キアヌの森といえばここから同行者全員が馬で駆け続けて1週間といったところだろうか。長い旅程になる。

 リューフェティの言葉に、セリーヌは表情を引き締めた。


「ご出発の日時はいつになりますか?」

「今日の昼。陛下にご挨拶に伺ってからになると思うわ」


 となると、見習い侍女であるセリーヌに残された時間は数時間しかない。そのわずかな時間のうちに、セリーヌは、リューフェティを謁見用の恰好に整え、終わればすぐに旅装に替えさせた上、リューフェティ及び自身の荷物をまとめておき、さらには路中に立ち寄ることになる貴族の屋敷への宿泊依頼の予告をしなければならない。

 そもそもが一人で行うことが想定されていない仕事量だが、セリーヌが表情を変えることはなかった。


「かしこまりました。まずは陛下と謁見するための準備を整えましょう」

「それからこれは殿下からの指示なのだけど。……あなたを連れて行くようにって」

「承知いたしました。私の準備は後程、手が空いた時に済ませます」


 セリーヌがリューフェティの正装用の魔女のローブを取りに行こうとすると、リューフェティがセリーヌの腕をつかんで止めた。眉の寄ったその表情は渋い。


「私が魔獣討伐の際にリューフェティ様に付き従うことは予め殿下から言われていたことではありませんか」

「魔獣討伐の時には、統計上、少なくとも1人は犠牲が出るのよ?」

「でしたらなおさらです。リューフェティ様がどなたも犠牲になさらずに職務を遂行できるように私が尽力いたします。リューフェティ様はどうか、魔獣討伐にのみお心を傾けてくださいませ」


 主人の命に加え、本人も行く気満々である以上、リューフェティに何かを言えるはずはない。リューフェティは目をつぶってため息をつくと、代わりにブーツをセリーヌに差し出した。


「これは、ある魔獣の皮で作られている旅装のブーツよ。足のサイズと形に合わせて自動的にちょうどいいサイズに変わってくれるから、普通の靴よりも疲れにくいの。撥水性も抜群だし、外側の皮の部分は、獅子の歯でも貫けないくらい固いから、強い衝撃からも足を守ってくれる。あげるからこれを履いていきなさい」

「このような高価なもの、いただいていいのですか?」


 魔獣の出現率の比較的低いベークライト王国でも、討伐した魔獣の皮などを装備品などに加工する技術はあり、素材が得られたときは、専ら王家が管理して、騎士に褒賞として与えている。

 王家は、討伐で得られた素材の一部を市場に流すこともあるため、それを元にした魔獣素材でできた武器や防具も市場にわずかに出回っているはいるものの、品質が段違いで希少価値が高いため、貴族でもおいそれと手が出せないぐらい高価だ。

 こんな高性能のブーツなど、セリーヌはかつて一度も聞いたことがなかった。おそらく王家から直接賜っているはずだとセリーヌは直感する。


「使ってくれないと心配で気が散るわ」


 値段も付けられないほどの高級品なだけではない。大事な主人からのせっかくの下賜品だ。汚したくないという気持ちがよぎる。リューフェティはそんなセリーヌの思考を見事に見て取り、眉根を寄せた。


「いい?それはただの靴なんだから、もったいないと考えてはダメ。普通の靴と同じように考えて。汚したくないなんて馬鹿げたことを考えてぬかるみを走れずに逃げるのが遅れたりしたら許さないから」

「分かりました、ではありがたく使わせていただきます」


 セリーヌはブーツを受け取ってから手早くリューフェティの髪を整え始めた。


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