1 悪名高い見習い侍女
新連載、楽しんでいただけたら嬉しいです。
――ついにこの日が来たのね。
1年遅れの門出にセリーヌ・デュスカレラの心は沸き立っていた。
王城に向かう馬車の窓から見上げる空は快晴。青空は澄み渡っていて雲一つない――だというのに、一緒に馬車に乗った父ウトランの顔は先ほどから見事な曇り模様だ。
「セリーヌ、これから行くのは王城だ。何かあったらただじゃすまない。分かっているね?」
「もちろんよ、お父様」
「いいかい?冗談ではなく首が飛ぶのだから、何か不都合があったらすぐにお暇申し上げなさい。私からも口添えするから」
「大丈夫よ、お父様、そんなことにはならないわ」
「頼むセリーヌ。少しでもまずいと思ったらそうしておくれ。私はお前を城にやると思うと胃に穴が開きそうだ」
「お父様ったら心配性ね」
セリーヌがくすくすと笑うと、ウトランは一度深く嘆息し、胃のあたりを手で擦った後、真剣な目でセリーヌを見つめた。
「いいかい、セリーヌ。父も母もお前が心根の真っすぐな娘に育ったこと自体は良いことだと思っている。あの僧院から還俗し王家に出仕できることになったお前が誇らしいとも思う」
「ありがとう、お父様」
「だが、お前は少々度が過ぎる。そもそもそれが原因で僧院送りになったことも忘れていないだろう?」
これまで耳にタコができるくらい繰り返されたやりとりに飽き飽きし、セリーヌは口をとがらせて答えた。
「終わった話だわ。ちゃんと罰も受けたもの」
「お前は今でも自分の行ったことを本当に悪いとは思っていないんじゃないか?」
――そうね、やり方はもうちょっと選べばよかったと思っているけれど。
そんな内心を呟いたら本当にお父様の胃に穴が開きそうだなと思ったセリーヌが、笑みを浮かべて「そんなことないわ」と貴族らしい模範解答をすれば、ウトランは、すぐに「嘘をついてはいけない」とたしなめた。
「お前の根本はあの時から何も変わっていないと私は確信している。むしろ悪化している」
「終始一貫しているのはいいことだって教わったわ?」
「時と場合によるだろう。お前は自分が決めたことを貫くためには手段を選ばない節があるからな。王城でも何かやらかすんじゃないか―――いや確実にやらかすだろうと思うとお前を私の手元に置いて婿を取って家を継がせるのが一番なのは分かっているだが……」
「お父様ったら。お母様とも何度もお話ししたでしょう?私の性格では私が家を継ぐのは無理よ。リリアが適任だわ」
「自信を持ってそんなことを言うものではないよ、セリーヌ」
2歳違いの妹のリリアは、根回しや貴族らしい社交が得意で、愛らしく、柔軟で優秀な子だ。そんなリリアと、どんなに不利な立場になろうと自分の信念を曲げられないセリーヌのどちらを跡取りとした方がデュスカレラ家にとっていいのかなんて、誰がどう見たって答えは一つしかない。
そうなればセリーヌに残された選択肢は2つ。どこかの家に嫁ぐか、デュスカレラ家より上の位の家に奉公に出るしかない。しかし、自分の家を継がせることも難しい娘だ。外に出すなら第二夫人以下が妥当なところになるが、第二夫人となればなったで、第一夫人との関係調整にはより慎重さが必要になるし、格上になればなるほど第二夫人にもそれなりの責任が生まれてくる。そんなところにセリーヌを放り出せるほどウトランは非情にもなれず、面の皮も厚くなかった。
幸い、デュスカレラ家は、代々名門貴族の側仕えを輩出してきた名門の一家であり、セリーヌは側仕えとしての仕事を天職だと思っていた。
「デュスカレラ家出身の名を背負うに足りる教育はしっかり受けてきたもの。あの厳しいおばあ様からも合格をもらっているのよ?」
「だから、お前に関してはそういう意味での心配ではなく――」
ウトランはなおもセリーヌに言い募ろうとしたが、先に馬車が目的地についてしまった。二人の乗った馬車はゆっくりと動きを止める。
「旦那様、お嬢様、到着いたしました」
御者が声掛けとともにドアを開けたので、ウトランは開きかけた口を閉じ、渋々外に降ると、セリーヌの手を取ってエスコートしてくれた。
王城の、貴族用の出入口付近でお小言を言うわけにもいかないウトランが何か言いたげに口を動かしながら、それでも口を開けずにいるうちに、セリーヌは、降り立った馬車の前で、習ったとおり、長いスカートの裾をわずかに両手で持ち上げ、美しい淑女の礼を取ってからお父様の前を離れ、王城に足を踏み入れた。
――ごめんね、お父様。辞退してほしいと思っているのは分かっているけれど、それには従えない。私は、ここで第四王子殿下の側仕えになるのだから。
※※※
王城の貴族用の出入り口から入って案内された先の小部屋に入ると、灰色の髪をひっつめにし、眼鏡をかけ、背筋がピンと伸びた50代くらいの女性から名前を確認された。
「セリーヌ・デュスカレラですね」
「はい」
「待っていました。私は筆頭侍女頭のアリシラ。アリシラ・ストリプトです。ここではアリシラで結構。主に侍女の教育、管理を行う立場ですから、あなたにとっては上司に当たるでしょう。ではこちらへ」
アリシラに連れられて、他に到着していた数人と一緒に見習い侍女のいる部屋に案内される。同僚になるのはざっと30人くらいのようだ。
貴族の子女たちは、これから約半年間の見習い期間を過ごした後、正式に採用されれば、王城の侍女になれる。そこからの出世は人次第で、側近である側仕えになることができるのは働きぶりが評価された一握りの人間だけ。
アリシラは基本的な今後の流れのほか、王城で働くにあたっての注意事項などを伝えた後、見習い侍女たちにネックレス型のタグを与えた。
「それはあなた方の身分証明にあたるものです。王城の中でも特に警備の厳しい王家の方々が執務を行われる本棟や王家の方々の居住区である白の棟一帯に出入りするにはそれが必要になるので片時も離さずに身に着けるように。それではあなたたちの所属を伝えます」
アリシラの言葉にそれまで淑女らしく静かに話を聞いていた見習い侍女たちがにわかに色めき立った。
見習い期間にどこで働くことになるのかはまさに見習い侍女たちにとっては死活問題といえ、当然と言えば当然の反応なのか、アリシラは特に反応を示すことなく、淡々と手元の紙を読み上げていく。
「セリーヌ・デュスカレラ」
セリーヌの名前が読み上げられると周囲の女の子たちの目が一斉にセリーヌに向き、ざわめいた。
「デュスカレラって……もしかしてあの側仕え一家の?」
「祝生祭の歳で問題を起こした子ってあの子?」
「たしか僧院に入れられてたんじゃなかったかしら」
「ということは、あの子が仕えていた主人と客を蹴飛ばして怪我させたっていう?」
「え。そうなの?主人の客に毒を盛ったって聞いたけど」
「私は主人に馬乗りになって失神するまで殴り続けたって聞いたわよ」
「やだ、そんな野蛮な人と一緒に働きたくないわ!」
この国では、生まれて7歳を迎えるまで、一人の人間としては扱われない。そこまで生き延びられない子供も数多くおり、国が把握しきれないからだ。7歳になる年を迎えて初めて「子供」として認められる。その歳に行われるのが祝生祭だ。7歳になれば、外に奉公に行くことも許されるし、仕事の見習いをすることもできる。見習いといっても、今日こうして王城に出仕した見習い侍女たちのような正式なものではない、あくまでお試しだ。
――騎士志望でもない7歳女児が同い年の子供を失神させるまで殴った、ですって?どれだけ武闘派だと思われているのかしら。そんなことを本当にしてたらきっとショックでお父様の髪の毛が今頃一本もなくなっていたはずよ。
尾ひれどころか背びれもわんさかついた噂を聞いて、実の父のハゲ頭を想像したセリーヌは、プルプルと肩を震わせながら笑いをこらえた。
幸い、セリーヌの腹筋が限界を迎える前に上司になるアリシラの「静粛に」の一言が投げかけられ、見習い侍女たちもすぐに静かになった。
「セリーヌ、あなたには第四王子付き魔女様――リューフェティ様の見習い侍女になってもらいます。よろしいわね」
「謹んで拝命します」
読み上げられたセリーヌの主人となる貴人の名前に一層周囲がざわつくが、セリーヌは気にせずに腰を落としてその命を受けた。
辞令が終わると、セリーヌたちは見習い侍女の自室になる部屋に案内された。貴族という身分を考慮された分それなりに整えられてはいるものの、この王城にいる貴族の中で最も地位が低くなるセリーヌたちに用意されたのは4人部屋で、自分の家の使用人を使うことも許可されない。自分で自分の身の回りをするようにとの注意を受けながら移動する。
「ねぇ、魔女のリューフェティ様って、確か侍女嫌いで有名な方じゃなかった?」
「どんなベテランも数日の間には辞めさせられるから最近ではついてないって聞いたけど」
「あの子もきっとすぐに解任されるわ」
「外れもいいところね」
「ていうかリューフェティ様ってほとんど表に出てこないんでしょう?本当はそんな人いないんじゃなくて?」
「実在するかも分からない人の見習い侍女ってことは実質干されてるってこと?」
「魔女様っていったって、そんな存在感のない魔女様じゃあ、ねぇ?」
「僧院に入れられるようなことをしたからこその人選でしょ」
移動の際、傍にいるセリーヌの耳には入るくらいの大きさでそんなひそひそとした噂話が聞こえてくる。しかし、セリーヌはそんな噂を気にする様子もなく指定された部屋に入った。
「本日の業務はありません。各自身の回りの整理をなさい。明日からの動きについてはお仕えする方にそれぞれ伺うように。それでは解散」
アリシラから解放されたセリーヌは、手早く自分の区画を掃除し、ベッドを整えた後、支給された制服に袖を通す。
汚れの目立たない黒のワンピーススカートに白いレースのあしらわれたシンプルな制服はドレスのように体を締め付けることはなく、伸縮性もあって動きやすい。
――これはありがたいわ。
セリーヌは満足げに微笑むと足早に外に出ていく。
「え、ちょっと。どこに行くの?」
「ご主人様に挨拶してくるの」
「今日は業務なしって言われたじゃない?」
「でも、ほら。私、外れらしいし」
同室の子たちが気まずそうに、でも腫れ物に触りたくないという顔で下がるのだってセリーヌには気にならない。
――だって一番お近づきになりたかった第四王子殿下付きの魔女様よ?大当たりじゃない。鼻歌まで歌いたいくらいよ。
「ゆ、夕食は先に取るわよ?」
「どうぞ!」
長いクルミ色の髪をシニヨンにまとめて身支度を済ませたセリーヌは、早速移動することにした。