第二話
「律、準備はできたか」
「はい」
家令の父に呼ばれ、鏡を見てタイの位置をなおしていた律がふりむく。廊下に消えようとしている父の背を追いかける。
今日は特別な客人を迎え入れる日であり、前を向く父の横顔がいつもりより緊張しているように見えた。
「父さん」
不安げに呼びかけると父が尻目を律に向ける。
「心配するな。律も頼むな、頼りにしているぞ」
「うん」
律と父は玄関へと向かう。
外に出て父と隣り合って、玄関先に並ぶ。
公道から屋敷に通じる左右に木々が生えた細道が真っ直ぐ玄関先に続いている。玄関の横には砂利が敷かれた駐車場があり、その向こうは庭が続く。
細道を走ってくる自動車が見えた。
これから来る客人は親子連れだ。子どもは律と同い年。
伯爵夫人の血縁者だが、律は詳しい関係を知らない。
夫とのあいだに子どもがいなかった伯爵夫人はまだ正式に爵位の譲渡者を決めておらず、今回の訪問者はその候補者である。
伯爵夫人がお亡くなりになった際の、律親子の受け皿になってくれる方々でもある。そういう意味で、粗相ができない方々だ。
律と父は獣人である。
八百万の神々や道祖神、妖怪などのモデルとなったと言われている獣人は、ひっそりと山里で暮らしていたり、人間世界に入り込んで暮らしている。
世間的に人間より下位に置かれており、人間世界ではあまり獣へ変化せずに暮らすのが一般的だ。人化していれば見た目も知能も区別がつかない。
車が駐車場に止まり、父が傍へ向かう。
律は玄関前で待つ。
父が家族連れを屋敷の入り口へと案内してくる。
目の前に来た客人に緊張が背を走った律は大きく息を吸って、挨拶をした。
「ようこそお越しくださいました」
紳士淑女の雰囲気を纏う夫婦の間に茶色がかった黒髪の少年がいた。背格好は律と同じぐらいだ。
挨拶し、顔をあげた瞬間、ばっちり目が合う。
「なーんだ。子どもいるじゃん」
いきなり指をさしてきた少年がにかっと笑う。
ずんずん目の前にやってきて、律の目の前に立つ。律は半歩退いた。
「俺、隼太。一緒に遊ぼうな」
うんともすんとも言えずに律は固まってしまう。横から父に袖を引かれ、姿勢を正す。
「佐納律と申します。よろしくお願いします」
慌てて律はぺこりと頭を下げた。
すかさず、手が差し伸べられる。
「よろしくな」
「……よろしく、お願いします」
いいのかどうか分からないまま、差し出された手を軽く握る。隼太と名乗った少年は、律の手をきつく握り返した。
律は隼太の顔を見た。
隼太はにっと目を細めて笑うなり、振り向いた。
手は握ったままである。
「父さん、母さん。律と遊んできていい」
「もちろん、いいわよ」
にこやかな隼太の母に律の方が面食らう。
「でっ、ですが、僕はこれから、お茶の準備を……」
焦るあまり言い訳をし始めてから、律は客人に反発する物言いになっていると気づく。語尾がしぼむ。
「律」
横から穏やかな父の声が響く。
「隼太さまに、お菓子を選んでもらえばいいんじゃないか」
「「お菓子!」」
素っ頓狂な律の声と歓喜に震える隼太の声が重なる。
(そうか、そういう手があったか)
父を見る。律に分かるようにだけ、かるく頷く。
「あら、いいわね。隼太も律君のお手伝い、頑張ってね」
「うん」
隼太の母と隼太が合意すれば、律は否定できない。
こうして、隼太の父母を家令の父が伯爵夫人の元へと案内し、律と隼太は外から庭をまわり、ガゼボと台所へ通じる裏口へ向かうことになった。
先を歩く律の後ろを隼太は両手を後頭部に当てて、悠々とついてくる。
「なあ、律」
(律って、もう呼び捨てかよ)
馴れ馴れしい相手に内心悪態をつきつつも律は顔に出さずに、笑顔をむける。
「なんでしょうか」
「俺、何をしたらいい?」
「そうですね。お菓子の箱がありますので、まずはそのなかからお好きなお菓子を選んでください」
ガゼボを示し、あそこでお茶をする旨を告げた律は、そのまま流れるように台所の裏口に到着した。
隼太を待たせるわけにはいかない律は、真っ先に日持ちがする菓子類を入れた箱を出した。続いて、日持ちがしない菓子類が入ったもう一回り小さな箱を出す。
隼太にそれぞれの箱の特性を説明し好きな菓子類を選んでほしいと頼むと、律はテーブルクロスとしぼったふきんを持って庭に出た。
丸いテーブルをふきんできれいに拭き、テーブルクロスをかける。端をつまみ、風に飛ばされないようにピンでとめた。
再び台所へ戻ると、隼太が箱から出した菓子をいくつかを作業台に並べて、眉間に皺を寄せ難しい顔をしている。
戻ってきた律に気づいた隼太が顔をあげた。
「なあ、律。この中から一つしか選ばないといけないのか」
「そんなことはないですけど……」
「じゃあさ、これ全部食べたい」
子どもらしい隼太に律は面食らうものの、客人の言うことを尊重するため、父に似た柔らかな面立ちでほほ笑んだ。
「かまいませんよ。では、それらを盛るお皿を選びましょう。それから茶器やお茶を準備します」
棚から律は皿を物色する。
その後ろに隼太が立つ。
「いっぱい皿あるなあ。あっ、これ、これ、これがいい」
隼太が手を伸ばして大皿を取り出す。
その皿は、色とりどりの花が描かれており、律なら絶対に選ばない大皿だった。
乱暴に傾けながら、隼太は色鮮やかな皿を眺めまわす。
律は手を滑らさないかハラハラしてしまう。
「このお皿に、お菓子をいっぱい並べたら、すっげえきれいじゃん」
隼太はとんと皿を作業台に置く。
律はほっと胸をなでおろした。
笑顔に戻し、律は告げる。
「では、その皿にお好きなお菓子を盛り合わせてください。僕は取り皿やカトラリーなどその他諸々を準備します」
「おう」
その後も、色鮮やかなティーセットや華やいだ取り皿を選ぶ隼太に律は内心驚きっぱなしだった。白磁の皿を好む律とは真逆の感性だったが、客人の意向を尊重しながら、律はお茶の用意をすすめる。
隼太は律とお茶の準備を遊びのように捉え、楽しんでいた。
隼太がいるため、台所に残してきたポットに茶葉を入れ、そこでお湯を注ぐと決めた律は台所の時計を確認する。
隼太とガゼボに品々を運ぶ。
めいっぱいお菓子を積み上げた大皿を持ち、ゆっくりと歩く隼太。
律はその間に数度台所を往復し、取り皿からティーカップ、カトラリーまで運びきり、並べ終えた。
額に汗して運んできた隼太が、テーブルに皿をとんと置く。
「律、早いな。俺はこれからどうしたらいい」
「もうすぐここに皆様いらっしゃいます。座ってお待ちください」
「律は?」
「ポットにお茶を淹れて持ってきます」
「手伝うか」
「いいえ、あとはポット一つですので、大丈夫です」
「そっか」
納得した隼太が椅子に座る。
律は台所に戻り、沸かしていたお湯を茶葉を入れたポットに注ぎ入れた。それをおぼんにのせて、ガゼボへと運ぶ。
茶葉が無用に揺れないように、今まで以上に慎重に歩いた。
ガゼボが近づき、人影が見えたところで、律が足を止めた。
化かし狐の彩が隼太と並んで立っている。
隼太が二言三言彩に話しかけたと思うと、大皿にかけていた白いふきんをばさっと取り払った。
皿に盛られたお菓子の山に、彩の表情が一気に華やぐ。
嬉しそうな彩と得意げな隼太。
足を止めた律がむっとした表情に変わる。
化け狐の彩はどこまでも律の天敵だ。