第一話
郊外に建てられた白い洋館で、夫を亡くした伯爵夫人は家令の父子と暮らしていた。
芝生で囲まれた洋館には、低層の薔薇を中心とした花園が広がり、その向こうには雑木林が広がっている。
花園にあるガゼボで、晴れた日は午後のお茶を嗜むのが、夫人の日課であった。
家令の息子は、名を佐納 律という。
律は、まだ身長も伸びきらず、声変わりもしていない子どもであったが、父を手伝いよく働いていた。
今日も、庭先のガゼボ内にある丸いテーブルにクロスをかけて、お茶の準備を行っている。
伯爵夫人の元には、よく菓子折りが届く。
干菓子、カステラ、羊羹、クッキー、葛餅、金平糖。
これらはみんな亡くなった甘党な伯爵の好物。
伯爵の古い知人が訪ねてきて、仏壇に手を合わせて帰る時も、菓子折りを置いていく。
亡き夫の好物を邪険にすることもできず、溜まっていく菓子類を伯爵夫人は三時のお茶うけにしていた。
今日の茶うけは、四角い可愛らしい花模様の缶に入ったクッキーだ。
律は、缶の蓋をあけて、中身をあらためる。
奇麗に敷き詰められた菓子からは甘い香りが漂ってきた。
満足した律は再び蓋をしめる。
紅茶を淹れるティーセットも準備できている。
後はお湯をもってくれば万端だ。
律は、台所へと取って返す。
律が屋敷の裏口に向かっていくとテーブルの端にぴょこんと狐の耳が立った。
恐る恐るテーブルの端から顔を出したのは、狐の耳を持った少女だった。眼球を右に左に動かしあたりを伺う。
狐の名は、彩という。
彩は、律が開いた蓋から漂ってきた香りに誘われて出てきてしまった狐の子ども。甘くて、美味しそうな香りにはもっぱら弱かった。
律に睨まれるのは怖くても、お菓子の香りがしたら、いてもたってもいられなくなった。
(きょうのお菓子はなにかな)
テーブルの上の缶を両手で持って、そっと引き寄せる。
律の所作を木陰に隠れて見ていた彩は、同じように開けようとした。
缶の蓋はぴったりくっついてどうしても開かない。
狐の手じゃなくて、人間の子どもの手になっているというのに。
(あかない、あかない)
なかを見たくて、食べたくて、乱暴になっていく。
なかのクッキーが缶に当たってカタカタ鳴る。
彩が缶に夢中になっている時だった。
「こら!」
律の声が庭先に響いた。
驚いた彩はぴょんと飛び跳ねた拍子に翻り、花園奥へと消えていった。
「まったく油断も隙もない」
プンプン怒り顔の律が、拳を腰に当てて、どんと丸テーブルにお湯が入ったポットを置いた。
以前から、律は、寄り着いてくる狐を追っ払いたくて仕方がなかった。
今日はなにも盗られずにすんだものの、過去には、ふきんをかけて隠しておいた皿から金平糖や干菓子が減ったり、木箱から出しておいたカステラがすっかり消えていたりしたこともあった。切り分けたホールケーキの一切れが食べかけになっていたこともある。
思い出すだけで律は、腹立たしい。
(これじゃあ、任せられているお茶の準備をちゃんとできていないようじゃないか)
犯人が分かっているのに捕まえられないのにも理由があった。
面白くない気持ちを抱える律は、歯がゆくて仕方がない。
紗紬を着た初老の伯爵夫人が、家令とともに庭に出てくる。
この屋敷全般の管理を任されている家令は律の父だ。
ガゼボのテーブル席につくと、律が淹れた茶を一口含み、伯爵夫人は「美味しいわ」とほほ笑んだ。
褒められた律は得意げになる。
「良かったな」
父にも褒められ、律はなお嬉しい。
きちんと言いつけを守って、仕事ができていると認められたようで、誇らしい気持ちに包まれた。
その時、テーブルの縁に小さな手が乗った。
律の心が一瞬で陰る。
女の子がひょっこり顔を出すと、伯爵夫人の顔がぱっと明るくなった。
「きょうも来てくれたのね、彩ちゃん」
「はい、奥様」
「どうぞ、こちらに座って」
「一緒にお茶とお菓子をいただきましょうね」
「ありがとうございます」
伯爵夫人は、彩と名乗る少女が近所に住んでいる娘で、お菓子に誘われて毎日遊びに来ていると思っている。
父より律はそう聞いていた。
(違う、違うんだ)
彩の正体は姑息な化かし狐。
(盗人猛々しいとはこういうことを言うのだ)
伯爵夫人と楽し気に話す彩を律は睨みつける。
伯爵夫人のお気に入りの彩が実はお菓子を盗む張本人。その秘密を知っているのは律だけだ。
【登場人物】
伯爵夫人:柊 苑子
家令:佐納
家令子息:佐納 律
狐:彩
狐獣人:彩ちゃん
犬獣人:佐納と律くん
子ども:七条隼太
本日19時に完結。
ブクマして、最後までお付き合いいただけますと幸いです。