第11話 開けて
「ルルミラなの!?」
『あぁっ、皇女殿下っ……生きておられたのですね……よかった……!』
扉の向こうから聞こえた声は、私の実習先の新人隊員、闇人の少女ルルミラだった。
だが、様子がおかしい。何故かルルミラは扉を開けようとせず、ずっとドアノブをガチャガチャとさせている。
「どうしたの!?」
『それが……こちらからだと、開かなくて……! 申し訳ありませんが、開けていただけないでしょうか……!』
おかしいわね……鍵は閉めた覚えはないのに。
でも、実際に扉は開かないらしい。
ドアノブを鳴らす音からは、かなり焦った様子が伝わってくる。
「ちょっと待っていなさい」
『お早く、お願い致します……! おかしな子供達に囲まれてっ……必死に逃げ出してきたんです……! あぁっ……あの子達が来る前にっ……!』
――ガチャガチャッ、ガチャッ、ガチャッ!
子供達……また、子供達だ。
マーク君も、『体のどこかがない子供達に襲われた』と言っていた。
結局、彼は人とは思えない存在だったから、あの発言も私を怖がらせるための嘘かと思っていたけれど……そうではないというの?
『副長も、ジネット先輩もやられてしまいました……! お願い致しますっ……お早く……!』
「副長達まで……!?」
――ガチャガチャガチャッ! ガチャガチャッ!
これで部隊の生き残りは、実習生の私と、新人のルルミラだけになってしまった。
これ以上の犠牲を出すわけには行かない。
私は急いでドアノブに手をかけて――
「待て、アリア」
イングリッドの、とても緊迫した声に、動きを止めた。
「お前は……何と話しているんだ……?」
「あぁ、ごめんなさい。彼女はランドハウゼンの騎士の――」
「そうじゃないっ!」
イングリッドが声を荒げる。
私を見る目に宿るのは、戸惑いと、恐怖……?
「いいかアリア。私には、お前が扉に向かって、一人で喋っているように見えた」
「えっ」
「もう一度聞くぞ。お前は、『何と』、話しをしているんだ?」
扉から一歩後ずさる。
そして瞼を閉じて、精霊の目を開けたら、答えが見えた。
何もない無の空間に浮かぶのは、私とイングリッドの2人だけ。
扉の前には――誰もいない。
ガチャガチャッガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!!!!!
「ひぃっ!?」
狂ったように回されるドアノブに慄いて、私は盛大に尻餅をついてしまった。
コレはもうルルミラじゃない。この城に囚われてしまった『何か』だ。
扉を一枚隔てただけのところから、私を見ている。
私を……っ……連れて行こうと……!
「アリア!」
右手に温かい感触。イングリッドだ。
私は空いている左手も回して、全力で彼女の腕にしがみついた。
彼女の暖かさが、恐怖で飛んでいきそうな私の意識を、辛うじて繋ぎ止めてくれる。
『開ケテ……開ケテ……開ケテ……開ケテ……』
――ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!!!
ごめんなさいルルミラ! 貴女はもう、連れて帰ってはあげられないの! ごめんなさいっ、ごめんなさい……!
『開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ開ケテ』
――ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!!!
怖くて声も出せない私は、せめて頭の中からこの音を追い出そうと、必死にルルミラを拒絶する。
そうして、どのくらいの時間が経ったろう。いつしかドアノブからの音はやみ、扉の前にいた気配も消え去っていた。
諦めた……の……?
全身から力が抜け、ヘナヘナとイングリッドにもたれかかる。
「ありがとう……」
突き放すようなことをいいながら、結局寄り添ってくれた。
そんなお人好しな彼女の顔を見ようと、首を後ろに反らせ、視線を上に向ける。
「アリア?」
イングリッドの顔を見るはずだった私の目は、天井の一点に吸い込まれた。
「開イタァ」
ほぼ真上。
いつの間にか空いていた通気口から、辛うじてルルミラだとわかる何かが、空洞の目で私達を見下ろしていた。
「あ゛……あ゛ぁぁ……っ」
ルルミラが口を開けて、両手をこちら向ける。
腕と指が冗談の様に長く伸びて、どんどん私達に近づいてくる。
その手が、私より高い位置にあるイングリッドの頭の横にまでのびると、彼女は顔に空いた3つの穴を、笑うようにニタァっと歪めた。
「だめえええぇぇぇっっ!!」
「おわっ!?」
無我夢中だった。
私は半狂乱になって、しがみついていた腕を強引に引き寄せ、彼女を床に投げ飛ばした。
間一髪で難を逃れ、ルルミラの手が空を掻く。
だが、すぐに私達の方に手のひらを向け、今度こそ捕まえようと更に長く伸びてくる。
「アリア立て!」
イングリッドは、あの状態から受け身を取っていたらしい。
既に立ち上がっていて、床にへたり込む私を引き上げてくれた。
そのまま私の手を引いて、外へ続くと扉へと駆け出す。
そっちに行くってことは……!
「見えてるの!?」
「あぁ、お前に腕を引かれた直後からなっ!」
手に手を取って、部屋の外へと急ぐ私達。
でも、ルルミラの手の方が少しだけ早い。
だめっ……このままじゃ……くっ!
「スプラッシュ!」
私の真後ろから水柱が上がり、巻き込まれたルルミラの腕が僅かに速度を緩める。
でも、少しだけだ。
あの一瞬で、1番威力の出せる魔術を選んだのに、やっぱりイングリッドの言った通り、まったく効いていない。
「だめっ! 来るっ!」
「いいや、よくやった!」
でも、どうやらイングリッドが次の手を打つ時間くらいは、稼げたらしい。
私を抱え上げると、イングリッドは急激にスピードをあげた。
ルルミラの手が、どんどん後ろに遠ざかっていく。
一体何が……あっ!
「知っているだろう? 得意分野だ」
イングリッドの足元を見ると、具足からブレードが飛び出していた。
私との戦いでも見せた、スケーティングによる加速だ。
しかも今回は、ブレードから氷を生み出しながら床を滑っている。
廊下に出たイングリッドは、空中から壁にかけて、氷の道を作りながら急カーブ。
スピードを緩めずに床に戻り、部屋から離れていく。
追ってきたルルミラの手は、そのまま一直線に壁に激突して、あらぬ方向にへし折れた。
◆◆
「撒いたな」
「ええ、また、んっ……助けて、もらっちゃったわね……」
ルルミラに襲われた部屋からかなり離れた後、イングリッドは足を止め、適当な部屋に身を隠した。
「いや、今回は私も助けられた。あんな状況で、よく私の腕を引いてくれた」
やっぱりルルミラが手を伸ばした時には、イングリッドには彼女が見えてなかったんだ。
間一髪だったけれど、助けられてよかった。
でも、その……あぁっ、やっぱり……っ。
「それに、あの水の魔術も……どうした?」
「わ、悪いんだけど……その、先に、『そこ』……行って来ても、いい……?」
もうダメ……うまく、力が入らなくてっ……出っ……!
「『そこ』……? っ! ば、馬鹿っ、急げっ!」
「あ、ありがっ、と……ああぁぁっ……!」
私は、まるで天啓のようにそこにあった扉の奥――トイレに駆け寄った。
もうダメ……っ……出る……!
天井のルルミラと目が合った瞬間、私は完全に恐怖に飲まれて、身動きが取れなくなっていた。
でも、恐怖が限度を超えすぎた。
下着から、不快で生暖かい、濡れた感触が伝わってきて……それで意識が現実に引き戻されたのだ。
それで動けたのはよかった。
でも、問題はその後。
私の括約筋は、城に入る前からの我慢で、もう完全に力尽きていた。一度開いてしまうと、もうずっとは閉めていられない。
そんなところで、更に水の魔術まで使ってしまった。
シャイニーティアをこの身に宿した時から、私は水の魔術を暴発させてしまうようになったのだ。
膀胱におしっこを生み出すと言う、ある意味最悪の形で。
撃ったのはたった1発だけど、私のお腹には今、それなりの量のおしっこが溜まっている。
普段なら全然、我慢できないような量じゃない。
でも今の出口が開けかけた状態で、この尿意は致命的だ。
中からの水圧が強まって、一気に出そうになってしまって……。
もしそれに負けてしまったら、下着が濡れるくらいでは済まない大惨事になる。
イングリッドに抱えられている間、ずっと我慢していたけれど……私はもうっ……限界で……!
この部屋にトイレがあって本当によかった。
でなかったら、危うくまたお漏らしを――
――ガチャガチャッ。
「えっ?」
個室には鍵がかかっていた。
――ドンドンドンドンッ!
「おいアリアっ!?」
「開けてっ! お願いっ! もうっ、出ちゃいそうなのっ! お願いっ、変わってええぇぇぇっっ!!」
もう出来ると思っていた私の体は、辛うじて塞いでいた尿道を開きかけている。
右手で出口を押さえているのに、じわっ、じわっとおしっこが染み出してくる。
もうダメ……もう、秒読みが……!
「出てるっ! 出てるのっ! あぁぁっ、お願いっ! 開けてぇっ! もうっ、漏れちゃうぅぅ……!!」
ジョジョジョジョッ!
トイレの中から返事はない。押さえた手から濡れた感触が伝わってくる。
力が、抜けていく。
「あ゛ぁっ……もぅ……だめぇ……っ」
――ガチャッ。
何とかかき集めた私の尊厳が、またしても粉々に砕け散ろうとしたその瞬間。
私の声がようやく届いたのか、トイレのドアが遠慮がちに開いた。
暖色系の明かりが付いた室内にいたのは、見るからに衰弱しきった2人の男の子。
――アンリ君、ニコル君。
私達が探していた3人の子供達の、残りの2人。