第9話 イングリッドお姉様
私が衣服を整えると、イングリッドはすぐに廊下に出ると言い出した。
「この部屋は、お前が一緒にいたという少年に知られている。長居は避けるべきだ」
言われてみればその通りだ。
マーク君……その姿をした何かはいなくなったけれど、最後に聞こえた声からは、諦めは感じられなかった。
ここにいたら、また彼や、分隊長を食べたアレが現れるかもしれない。
イングリッドの言う通り、なるべく早く出るべきだろう。
私達は廊下に出て、出口を探し始めた。
出口を探そう、と言ってくれたのもイングリッドだ。
「いいの? 貴女は、何か目的があったんじゃ……」
「そっちは、お前をここから追い出してからだ。悪の秘密結社が求める秘密を、ランドハウゼンの姫に見られるわけにもいかないからな」
イングリッドは冗談めかして言うけれど、要は私が帰るのを最優先にしてくれるということだ。
本当に、なんて『悪の秘密結社』が似合わない人だろう。
尚、並びはイングリッドが前で、私がその斜め後ろを付き従う感じ。
隊長と部下。保護者と子供。完全に上下関係がはっきりした位置関係。
一応私は皇女だから、騎士と姫にもできるけど、どちらにしろ有事の際に指示を出すのはイングリッドだ。
でも、文句はない。というより、言えない。
何しろ――
――ペタンッ……。
「ひっ……!」
「こっちだ」
足音にすくみあがった私を、イングリッドが手近な部屋に引っ張り込んでくれる。
私はされるがまま、両手で口を押さえ、青い顔でガタガタと震えるだけ。
足音がする度に体を震わせ、出し切ったはずのおしっこが、尿道を通る幻の感覚に襲われた。
……このザマである。
さっきまでは、マーク君がいて強がるしかなかったのと、なにより尿意に意識の殆どを持って行かれて、かなり恐怖が薄らいでいたらしい。
それが全部なくなった今、怖がりで、特にホラーがダメな私が、完全に目を覚ましてしまった。
もう暗い廊下を歩くだけで泣いてしまいそう……っ。
この城にいる間は、イングリッドお姉様に付いて行くしかないのだ。
「行ったか……足音の感じからして、私の部下や、お前の隊長をやった奴で間違いないだろう。あれは化け物だ。斬撃も魔術も効かなかった。絶対に戦おうなどとは――思わなそうだな。それでいい」
「(こくこく)」
「歩けるか?」
「(こくこく)」
お姉様――じゃない。イングリッドは、ガチガチと奥歯を鳴らす私に苦笑しながら、スタスタと廊下に戻って行く。
置いて行かれたら泣く自信のある私も、慌ててついて行った。
「……スカートの裾を掴むのは、どうにかならないか? その、さすがに恥ずかしい……」
「ご、ごめんなさいっ……その、他に掴めるところがなくて……」
「掴むのは確定なのか……はぁ、好きにしろ」
やれやれといった様子のイングリッド。
確かに、短すぎるスカートが捲れ上がって、ボーダーの下着とプリッとしたお尻が、半分以上見えてしまっている。
申し訳ないとは思うけれど、私もギリギリなのだ。怖くて。
お許しが貰えたのなら、ありがたく掴ませてもらう。
「でも……本当に、なんなのかしら……この城……」
「重要情報は教えてやれないが……ここは『マリアベル』だ。聞いたことはあるだろう?」
「『呪いの城』……!?」
『呪いの城マリアベル』
多くの行方不明者を出している謎の『災害』で、生還者が語る怪奇性から、怪談としても広まっている。
かく言う私も、先日の海水浴の夜に、アネットからこの話を聞かされたばかりだ。
その時は、アネットの語り口調のあまりの怖さに、その……下着と……パジャマが……っ。
「……好きにしろとは言ったが、握りしめるのは、やめてもらえるか……?」
「あっ、ご、ごめんなさいっ!」
屈辱の記憶に、無意識に力が入ってしまったらしい。
イングリッドのお尻が完全に露出してしまっていた。
それにしても、イングリッドのこの鎧……の、ようなものって、レヴィエムの遺産よね?
好んでこんな短いスカートと、縞々の下着を選ぶとは思えないし……私のシャイニーティアは使えなかったのに、彼女のものは起動条件が違うということ?
気になるけど……『なんで起動できたの?』なんて聞くのも不自然だし……。
「あぁ、そうだ。魔術や魔導具を使う時は気をつけろ。ここでは何故か、魔力が回復しない。使い切ったらそれまでだ」
「魔力が……!?」
それは、かなりまずい。
戦えないにしても、逃げるために魔術を使うことはあるだろう。
時間を置いても魔力が回復しないというのは、致命的だ。
ただ……彼女のミニスカート鎧の話を聞くには、チャンスかもしれない。
「その鎧は大丈夫なの? レヴィエム・クラフトだと思うんだけど、ずっと具現化しているわよね?」
「よく知っているな? 私のこれは、あのティアとか言う少女のものと違って、変身タイプではないんだ。だから着ているだけなら、特に問題はない」
――いちいち着替えないといけないのは、困りものだがな。
そう彼女は続けた。
どうやら有事に備えて、本部内でも常にこの刺激的な姿でいないといけなくて、男性スタッフの視線が気になるらしい。
少し前の私なら、よく知りもしないのに、その男性スタッフ達に嫌悪感を抱いていただろう。
でもグレン君と過ごすうちに、私も少しだけ、『理解』と『歩み寄り』というものを覚えたつもりだ。
イングリッドのようなスタイルのいい美人が、歩く度に下着をチラチラさせていたら、見るなと言うのは無理な話だ。
私は、イングリッドと本部の男性スタッフ、どちらにも同情の念を抱いた。
「それにしても……魔力の件は何とかしたいわね。どうしてそんなことに――あっ」
"周囲の霊子力濃度が不足しています"
シャイニーティアのエラーメッセージ!
「どうかしたか?」
「うん。少し、待ってもらってもいい? 精霊の目で、周囲の霊子力の状態を見てみるわ」
私達は、周囲の霊子力を吸収して、魔力として体内に留めている。
霊子力濃度が極端に低いのと、魔力回復ができないこと……関係がないはずがない。
うまく霊子力濃度の濃い所を見つけられれば、魔力の問題は解決できるかもしれない。
今こそ、保留にしてた霊子力感知をやるべきだ。
私は目を瞑り、視覚を斜段。
精神を、目に見えぬ力に集中させた。
――無。
「ひぃむっ!」
出かかった悲鳴を、咄嗟に手で押さえ込む。
私は目を開くと、すぐそこにいたイングリッドに、必死でしがみ付いた。
「どうした!? 何が見えた!?」
「見えなかった……何もっ……何も見えなかった……!」
「何も……?」
精霊の霊子知覚は、大気中の霊子力を見るだけではない。
霊子力は全ての根源。
生物、無機物、大気を形成する気体でさえも霊子力を帯びている。
でも、見えなかった。
私の未熟な霊子知覚が捉えた周囲2m程の世界は、私と傍のイングリッド以外、一切の無だったのだ。
じゃあ、この床は、この壁は、この城は、いったい何でできているの?
今吸っているこの空気は、いったい、何でできていると言うの……!?
「落ち着け」
「あっ」
気付くと私の頭は、柔らかくて、暖かいものに埋められていた。
何だろう、安心する。
もっと、もっと深くに……。
「んあぁっ……ま、待て……!」
「えっ……? あ、あ、え、い、イングリッド!?」
「おっと」
私は、イングリッドに抱きしめられていた。
慌てて離れそうとする私を、イングリッドがガッチリと押さえつける。
「まだ震えている。もう少し、こうしていろ」
「で、でも……っ」
その、もう一度言うが、柔らかくて、暖かいのだ。
イングリッドは甲冑を外して、胸を曝け出していた。
「金属の板では、落ち着かないだろう。女同士で2人きりだ、気にすることはない」
そう言ったイングリッドの顔は優しくて、頬にあたる感触も心地よくて。
「……うん」
私は、抵抗するのをやめた。
目を瞑り、胸に顔を埋める私の頭を、イングリッドが撫でてくれる。
「……やっぱり……あの子に似ているな」
「あの子……?」
「選手時代の後輩だ。お前と同い年だった」
「…………その子も、ホラーが苦手だったの?」
「そこじゃない。少しでも懐くと警戒心をゼロにする、危なっかしいところだ」
「うっ」
それは……ちょっと、自覚あるけど。
「私は悪の組織の女幹部だぞ? そんな無防備な姿を晒して……気を許しすぎだ」
「は、裸で抱きしめて、その上頭まで撫でておいて言う台詞?」
「私はいいんだ。女幹部は、要人を籠絡するものだからな。お前を骨抜きにして、未来のランドハウゼンを裏から操ってやる」
「あっ、それずるいっ!」
私だって、懐く相手はちゃんと選んでる……つもりだ。
イングリッドは揶揄うように笑っている。
子供扱いしているわね?
いいわ、とことん子供になってやる。
「そもそも、あっさり私に主導権をおふぁああぁっっ!!?」
「ほうひはほ?」
「ば、ばかっ、吸うなっ、んんっ!? あ、赤子かっ、ぁんっ! や、やめろっ、舐めるなっ、んんはぁっ!」
いえいえ、私は子供ですので、思いのままいかせてもらいます。
エルナとロッタの悪戯に対抗するために鍛え抜き、アシュレイの舌使いをこの身に受けた、私の技巧に溺れるがいい。
「んっ……んふぅっ……ふあぁっ……あっ、あっ……や、やめっ、ああぁっ……あああぁぁっっ!!」
イングリッドが『ビックン!!』と大きく震えるまで、私は責め続けた。
――そのあと、頭にゲンコツを落とされた。
◆◆
「まだ痛いわ……」
「自業自得だ。それに、少しは気持ちもほぐれたろう」
頭の天辺をさする私に対し、一切悪びれる様子のないイングリッド。
まぁ、調子に乗った私が悪いんだけど……。
「少し力を込めすぎたのは、悪かったから。むくれていないで、アリアも周囲を見てくれ。夜目はお前の方が利くだろう」
「はーい……あ」
言われるがまま周囲を見回すと、トイレを見つけた。
我慢しているときは全然見つからなかったのに、漏らしてしまった後は結構目にするのはどうゆうことだろう?
そんなことを思いながら歩いていると、今度は曲がり角の向こうに、雰囲気の違う扉を見つけた。
他の扉と違って装飾もなく、凄く無機質な感じ。
「イングリッド、あの扉……」
「あれは……神代の遺跡では、よくある型の扉だな」
神代……シャイニーティアが作られた先史文明時代よりさらに前、雷を主な動力としていたとされる、魔法のない科学の文明だ。
イングリッドは、その辺りは教えてくれなかったけれど、呪いの城マリアベルは神代の遺跡なの……?
「行ってみよう。私の目的の物か、脱出のヒントか……何某かがあるかもしれない」
目星が付いている……という程ではないが、かなり期待している様子で、イングリッドが扉を開ける。
これまで見つけた部屋は、全て客間や私室といった感じで、役に立つような情報はなかった。
本当に、ここに何かあればいいのだけれど……。
私も、イングリッドを追って部屋の中へ踏み込んだ。