第7話 暗澹に響く水音
「くっ、くぅぅっ……ま、待って……マーク君っ……だめよっ、前に出ちゃ……っ」
前に出てしまったマーク君を、声を絞り出して引き止める。
それだけで、お腹に余計な力が入って、我慢しているものが出てしまいそうだ。
「え~、また……?」
対するマーク君は不満顔。
それは……そうだと思う。
彼は別に、元気に走り回っているわけではない。
ただ普通に歩いているだけなのに、私が付いて行けていないのだ。
でも、だめ。これ以上脚を開いたら、私……っ。
「ちゃ、ちゃんと、警戒しながらじゃないと、んんっ! あ、危ないっ……から……!」
「はぁ……」
マーク君と城内の探索を始めてから、どのくらい歩いたんだろう。
尿意は時間を追うごとに高まり、私の歩みはどんどん遅くなっていった。
太股をくっつけて、出口を塞ぐようにして歩かないと、今にも漏らしてしまいそう……っ。
それに、振動でお腹が揺れるのにも耐えられなくて、どうしても摺り足になってしまう。
今はもう、マーク君の小さな歩幅にも付いて行けなくなって、何度も待たせてしまっている。
適当な理由を付けて、誤魔化してはいるけれど、彼にはもう、私が『ちょっとしたい』どころじゃなくて、漏らしそうになっていることが、バレてしまっているかもしれない。
「ふぅぅっ……ふぅぅっ……くひぃっ! うっ……ふぅぅぅっ……!」
あぁ、腰を引いて、膀胱のスペースを空けたい。
それにっ……本当なら、出口もっ……手で……!
あぁっ! だめよっ!
私は帝国でも、皇国でも、法律上では成人しているんだから……!
子供の、しかも男の子の前でっ……そんなっ……みっともない……!
で、でもっ……でも……!
ジョロロッ。
「くうぅあっ!?」
「お姉ちゃん!?」
あ、だ、だめだ。
何もないのに、ゆっくり歩いているだけなのに、少しだけ、下着に出してしまった。
これ以上、強がってたら……この子の前で……お、お、お漏らしを……!
「マ、マーク君っ! あの、私、その、実は、えっと、あのっ……あ、あ、あの……!」
「わかってるよ。おしっこでしょ? いいよ、先にトイレ行こ」
あぁぁっ……情けない……!
やっぱり、私が漏れそうになっていたことは、マーク君にバレてしまっていた。
その上、結局自分で言えなくて、自分の半分以下の歳の子供に言ってもらうなんて……っ。
恥ずかしさに涙を零しながら、私は少しだけ、腰を後ろに引いた。
これで少しは希望が見えて来たけど、まだ大きな不安が残っている。
私はまだ、この城の中でトイレを見たことがないのだ。
今すぐトイレが見つかればいいのだけれど、もし、この後も全然見つからなかったりしたら――
「っ!? マーク君こっち!」
「えっ、ちょっと!?」
私はマーク君の手を掴み、手近な角を曲がって、適当な部屋に飛び込んだ。
急な動きで、漏れてしまいそうになるのを必死に抑えて、ガタガタと震えながらマーク君の頭を抱え込む。
「声を、出しちゃだめよ……っ」
いた。
あの、暗闇の向こうに。
分隊長を食べた、あの異形が。
あの、空洞の目が、私を、見て……!
「んんっ!」
だ、だめっ……怖くて、お腹がっ……おしっこがっ……!
悲鳴を上げそうになる口を左手の甲で押さえ、右手で下腹をさすって温める。
――ペタン……ペタン……。
アイツが近付いてくる。
距離があったはずなのに、角を曲がるのを見られていたんだ。
――ペタン……ペタン……。
こっちに……こっちに来る……!!
震えも、涙も止まらない。
声を出してはいけないのに、呼吸がどんどん荒くなっていく。
右手は、いつの間にか脚の付け根を押さえていた。
指先から、ショートパンツがジュワッ、ジュワッと濡れていくのが伝わってくる。
――ペタン……ペタン……。
お願い、通り過ぎてっ……どこかへ行ってっ……!
――ペタン……ペタン……。
お願いっ、お願いっ、お願いっ!!
――ペタン……ペタン……ペタン……ペタン…… …… ……。
足音が聞こえなくなるまで、私の全身は凍りついたように動かなかった。
い、行った……助かった……っ。
助かった……けどっ……あぁっ……もう……!
ジョロロロッ!
「ん゛ん゛むっ!」
水門がこじ開けられる感覚に、閉じた口の中で悲鳴が弾けた。
湿り気は、指先から指の付け根まで広がっている。
ここに逃げ込んだ時点で私は、本当にもう、漏れる寸前だった。
なのに……あんなに怖い目に遭わされて……お腹が、何度も縮こまって……。
その度に、必死に押さえ込んできたけれど……それもっ……もうっ……限界……!
ジョッ、ジョッ!
「ん゛ん゛っ! ん゛ん゛ぐっ!」
押さえているのに……おしっこが、ちゃんと、止められない……!
どうしようっ……もう漏れちゃうっ……漏れちゃう……!!
「ねぇ……もう、ここでしちゃえば?」
マーク君が言った言葉を理解するのに、私は数秒を要してしまった。
「ばっ、馬鹿なこと言わないでっっ!! そんなことっ、あ゛ぁっ!? で、できるわけが……!」
「大丈夫だよ、俺も向こうでするからさ」
「そうゆう問題じゃないのっ!」
本当はわかってる。
それしか方法がないことは、私だって、わかってるの……。
今すぐこの場で、ショートパンツと下着を下ろしてしゃがみ込まなければ、私は腰から下をびしょ濡れにする醜態を、この小さな男の子の前で晒してしまう。
そんなこと、絶対に許されない。
わかってる……わかってるけど……でも……!
「女の子はっ、こんなところでっ、くうぅあっ! お、おしっこ、なんてっ……でき、ないのぉっ……!」
「そんなこと言ったって……ここ、もうパンパンだよ?」
決心がつかず嫌々と首を振る私に、マーク君は何を思ったのだろうか。
彼はすっと人差し指を立てて、それを私のパンパンに膨らんだ水風船に向けて――
「ほら」
――ツン、ツン。
ジョォォォォォォォォォッッ!!
「ん゛あ゛あ゛ぁっっ!!? や゛め゛てえ゛っっ!!」
「うわああぁぁっ!?」
マーク君にとっては、背中を押すついでに、ちょっと悪戯をする程度のつもりだったのだろう。
でも、そのほんの小さな意地悪は、私にとっては耐え難い暴力だった。
ショートパンツが濡れる感触が、手のひら全体を満し、さらに大きく広がっていく。
「うわああぁぁっ!? ごごごごめんっっ!!」
一瞬でお尻の辺りまで濡れていくショーパンツに、マーク君が慌てて飛び退く。
まさか、ちょっと突いた程度で、私がこんなに出してしまうとは思いもしなかったんだろう。
ダメっ……もう間に合わない……!!
「ごめんなさいっ、もう動けないっっ!! 向こうへ行って!! 耳も塞いでっっ!! お願いっ、早くうぅぅっっ!!」
追い詰められた私は、とうとうベルトを外しにかかってしまった。
こんな、建物の中で。
部屋のど真ん中で。
でもっ、もうっ、出ちゃ――
――カツンッ、カツンッ、カツンッ、カツンッ……!
あぁっ……もう許してっ……!
私の我慢はもう限界を超えていて、今すぐしないと、本当に漏らしてしまうのに……新たな足音が、私達のいる部屋に近付いてきた。
私達の制服のブーツよりも硬質な、金属を思わせる足音。
私の仲間じゃない、何かの足音。
ジョッ、ジョロッ、ジョロロッ!
「ん゛っ、む゛っ、ぐぅっ……!」
おしっこが、秒刻みで溢れて来る。
一度出そうとしてしまったから、お腹の中の水が一斉に出口に押し寄せていてるんだ。
もう、どうにも抑えきれない。
――カツンッ、カツンッ、カツンッ、カツンッ……!
お願いっ、早くどこかへ行って……!
1秒でも早く通り過ぎて……!
でないと……私……!
――カツンッ……。
そっ……そんな……!
足音は、私達のいる部屋に続く扉の前で止まった。
そして少しの間をおいて、ドアノブが回る音が耳に届いた。
◆◆
部屋の中を、何かが歩き回る音が聞こえる。
私達はそれを、部屋の隅のクローゼットの中から聞いていた。
足音が扉の前で止まった瞬間、マーク君が、崩れ落ちそうになった私の手を引いて、ここに押し込んでくれたのだ。
おかげでまだ、足音の主には見つかっていない。
でもっ……あぁっ、でも……!
『お姉ちゃん……声、出さないでね』
ごめんなさいっ、マーク君っ……せっかく頑張ってくれたのに……!
ジョォォォッ!
『ん゛むぉぉっ!』
どれだけ声を抑えてもっ……おしっこが……っ。
おしっこが、もうっ……ダメなの……!
ジョォォォォォッ!
部屋の中の何かが出て行くまで、私のお腹はもたない。
門が、こじ開けられてっ……全部っ……全部出ちゃう……!
ジョォッ、ジョッ、ジョジョッ、ジョビビビッ、ジョビィィィッ!
『ん゛んっ! んんっ、ん゛ぐひぃっ!』
きっと、凄い音がするわ。
恥ずかしくて、本当に死んでしまいたくなるくらい、もの凄い音が。
水溜まりも、こんなクローゼットじゃ収まり切らない。
いっぱい、外に溢れて……!
ジョォォッ、ジョォォッ、ジョォォッ、ジョォォォッ!
『ん゛んっふぐっ! ん゛ぐふっ!』
ごめんなさい、マーク君。
貴方を巻き込んでしまって。
貴方1人なら、見つからずに、隠れていられたかもしれないのに。
私が、不甲斐ないせいで。
私が……お漏らしをしてしまうせいで……!!
ジョォォォッ! ジョォォォォォッッ!!
『ん゛っ……ぐっ……む゛っ……!!』
ごめんなさい、もう出る、本当にごめんなさい! あぁ、出る、出ちゃう、全部出ちゃう、出ちゃう出ちゃう出ちゃう出る出る出る出る出る出る出る出るで――ぁっ。
『ごっ……め゛ん……っ……な゛さ……ぃ……!』
『お姉ちゃん……?』
私の我慢は、水の暴威に屈した。
ジョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!!!!!
バジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャッッッッ!!!!
『お、お姉ちゃん……っ……これ……!?』
『ごめん……なさい……っ……ごめんなさい……!』
出てるっ……おしっこ……出てる……!
押さえてるのに……力、抜いてないのにっ……止まらない……!
ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!
足音が近付いてくる。
もう、逃げられない。
おしっこも止まらない。
恐怖とお漏らしで力が抜けたせいで、脚は今にも崩れ落ちそう。
でもっ……でも……!
「マーク君は逃げてっっ!!」
「え?」
私はクローゼットの扉を開け放ち、おしっこを漏らしながら、すぐそこまで迫っていた何者かに飛びかかった。
「おっと」
――え……?
無情にも、私の命懸けの特攻は、あっさりと躱されてしまった。
そのまま足をもつれさせて、床に倒れ込んでしまう。
「ああぁっ!?」
咄嗟に両手を前に出して顔面は守ったが、上半身を強く床に打ち付けてしまった。
肺から空気が絞り出され、一時的に呼吸が苦しくなる。
でも、それより、今の声は……!
床に這いつくばった姿勢のまま、首だけを動かして背後に目を向ける。
そこにいたのは恐ろしい化け物ではなく、見知った顔だった。
色素の薄い、肩までの髪を少し内巻きにした、氷のような印象の女性。
今は驚いたせいか、僅かに目を見開いている。
そして、そんな冷たい雰囲気に似つかわしくない、歩いただけて中が見えてしまいそうなミニスカートに、胸元が完全に露出した面積の小さい鎧。
「い、いんぐりっど……!」
秘密結社アールヴァイスの幹部。
『氷華』のイングリッドが、私を見下ろしていた。
◆アリア
※失禁時
膀胱:大、括約筋:強、121%