第7話 怪談ナイトフィーバー
――最初にカルルナが感じたのは、ほんの小さな違和感だった。
食事をしている時の夫の所作が、何か、普段と違うように感じたんだ。
2日考えて、カルルナはやっと、フォークを持つ時の親指の位置が違うことに気がついた。
小さな、とても小さな違いだ。
逆にそれが不気味だった。
その日から、カルルナは夫の一挙手一投足から、目が離せなくなった。
そして、気付いた。
洗い場に食器を持ってくる順番が違う。
靴を履く時の、踵の合わせ方が違う。
歯を磨く時の、口の開け方が違う。
嘘をつく時に、左目がピクピクと動かなくなった。
笑う時は、右の口の端を吊り上げる嫌らしい笑みだったのに、口を軽く開けての薄い笑みになった。
違う、変わった、違う、変わった、違う、違う、違う……。
初めカルルナは、夫が怒っているのかと思っていた。
自分と、隣の靴屋のルウィンが不倫をしていることに気が付いて、自分を糾弾する機会を窺っているのか……と。
だが、夫の変化から、怒りや憎しみのような負の感情は感じられない。
むしろ、どこか喜びに近い感情すら感じられるんだ。
理由のわからない正の感情は、不気味だ。自分が不貞を働いているなら尚更。
カルルナの中で、夫がどんどん異質な存在になって行く。
あの、嫌らしい笑みが懐かしく思えるほどに。
そして、ある日、カルルナはついに聞いてしまった。
『貴方……誰……?』
言ってから、自分でもおかしなことを言ったと思った。
馬鹿にされるか、頭がおかしくなったと思われるか。
後悔しながら、夫の方に振り返るカルルナ。
『ナンデワカッタノ?』
『えっ』
目に映った夫は、口を開けていた。
腹を縦に割いて、その中にびっしりと牙の並んだ口を。
夫だったものは、一歩一歩カルルナに近づいて、やがてその口で――
「「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!」」
ロッタとエルナの、耳をつん裂くような悲鳴が、室内に響き渡った。
現在、夜の9時。
アリア達は、全員で女子部屋に集まり、怪談大会の真っ最中だった。
尚、風呂場での一件だが、アリアは気絶直前に我が身、そしてグレンの身に起きた悲劇は覚えていなかった。
必死に思い出そうとするアリアに対し、ロッタは偽りのストーリーを構築。
スポンジを取ろうとしたアリアが足を滑らせ、頭をぶつけて気絶したことにしたのだ。
エルナとロッタの、アイコンタクトのみで思考をシンクロさせた流れるような嘘を、アリアはなんの疑いなく信用。
こうして、アリアがグレンにトドメを刺した件は、存在しない歴史となった。
そこからは、全員で夕食を楽しみ、あとはそれぞれの部屋で就寝……というところで、エルナとリーザが、全員を集めての怪談大会を開催したのだ。
大会と言っても、特に景品などはない。
リーザ曰く、『頑張れば、うら若き乙女の悲鳴が聞けますわよ?』とのことだ。
そして、5番手のグレンは、乙女の悲鳴を聞くため、メチャクチャ頑張ったわけだが――
「アアアアアアアンタっ! もうちょとこう、マイルドな奴にしなさいよっっ!!」
「ここここれでちびってたらっ、寝てる間に気道を塞ぐところだったよっ!」
頑張りすぎた。
エルナとロッタは、真ん中にいるアリアにしがみつきながら、青い顔をしてガタガタと震えている。
2人のホラー耐性はまぁ、普通くらいだ。得意でも、苦手でもない。
グレンの語りっぷりが、2人の耐性を突破したのだ。
グレンが選んだ話は、実家の闇人メイド姉妹の小さい方に聞いた、彼女達の里に伝わる民間伝承、『ノーラヒルの人喰い鬼』。
隣の靴屋の若者と不倫中の女が、夫の小さな、だが数多くの違和感に恐怖を抱き、最終的に中身が人喰い鬼に入れ替わっていた夫に食われてしまう、という話だ。
グレンの話の続きは、今度は食った女に成り代わった鬼が、不倫相手の靴屋の若者を食うシーンでおしまいとなる。
尚これ、子供の躾用の怪談らしい。闇人族は、不倫の話で何を躾けるつもりなのだろうか。
「アリアは、この話は大丈夫そうだな?」
「えっ? あ、や、こ、怖かったわよ? エルナとロッタが、大袈裟なのよっ! ま、まったく、もう……!」
普通耐性の親友2人に対し、アリアの怪談耐性はゼロだ。
先ほどから、キャアキャア悲鳴を上げては、両隣の2人を力尽くで抱き寄せていた。
だが、今回はあまり怖がる様子を見せず、なぜか真っ赤になってもじもじとしている。
別に、グレンの話が怖くなかったわけではない。
むしろ、この部屋の中でもブッチギリにビビってしまったがために、別のことが気になって仕方ないのだ。
(寝てる間にっ……気道を塞いでやるわ……!)
ちびったのだ。
昼間に括約筋を酷使し過ぎたのが災いして、下着に卵型の染みを作ってしまった。
アリアは今、怪談の恐怖よりも、出口のじっとりとした感触に意識を奪われていた。
「次は私ですわねっ!」
だが着替えなぞする暇もなく、目をキラッキラさせながら6番手のリーザが立ち上がった。
アリアにとっては幸いなことに、リーザの話は、その溢れ出るノーブルオーラが怪談の邪気をかき消してしまい、全く怖くはなかった。
が、胸を撫で下ろしているところに、大トリのアネットさんが登場。
無機質な口調で語られる、恐ろしい呪いの城の話に、一同は恐怖の世界に飲み込まれた。
エルナとロッタは終始ガクブル。レオンも真っ青な顔で、リーザにしがみついている。
ホラー耐性完備のリーザ、グレンですら額に嫌な汗を浮かべていた。
そしてアリアは――
「うっ……うぅっ……ぐすっ……」
(……じゅ、10回……気道を塞いで……あぁぁぁっ……!)
男達を追い出しての、緊急お着替えを余儀なくされた。
◆◆
皆が寝静まった真夜中。
エルナはふと、自分の名を呼ぶ、震える声に気付く。
「エ、エエっ、エルナ! エ、エルエルっ、エエエエルナっ!」
寝る前の怪談大会が脳裏を過ぎる。
確か、ロッタが話していたのが、夜中に自身の名を呼ぶ不気味な声の話だったはず。
思い出してしまったエルナの全身から、嫌な汗がドッと噴き出る。
(ききききき聞こえないっ! 聞こえないわよっ! 聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない!)
「エルナっ、エルナっ、お願いっ! 起きてっ、エルナっ、エルナ……!」
(聞こえないって言ってんでしょおおおおおおおっっ!!)
自分を呼ぶ声が、強く、切迫したものになる。
ロッタの話では、答えてしまった者は、その場で声の主に魂を吸い取られてしまっていた。
殺られてたまるかと、エルナは固く目を瞑り、頭まで布団を被り――
「エルナぁっ……! 漏れちゃうぅっ……!」
(ん?)
ついに涙混じりになった声に、ようやく、エルナは声の主が悪霊でないことに気がついた。
むくっと布団から体を起こす。目の前には、両手で脚の付け根をガッチリと押さえたアリアが、泣きながら立っていた。
「エエエエルナっ! お願いっ、ト、トイレっ、一緒にっ、あっ、も、もうっ、出ちゃうっ……でちゃっ、あっ!」
三大国に次ぐとまで言われる強国、ランドハウゼン皇国の第二皇女、アリア・リアナ・ランドハウゼン殿下。
立場、才能、容姿……凡そ神が人に与えるもの全てを与えられたような少女だ。
が、その代償か、弱点も多かったりする。
例えば、17歳になってもまだ、怖い話を聞いた夜は、1人でトイレに行けなくなってしまうとか。
「あ゛ぁっ!? だめぇっ! お願いっ、早くぅ……もうっ、おしっこ、出てっ……!」
「はいはい、もうちょっと我慢しようねー」
「ああぁっ! あああぁぁっ! もうっ……げ、げん……かい……!」
間一髪、床を汚すことはなかったアリアだが、下着と寝巻きは変えることになった。
◆次章予告
――ここ、裏山じゃない。
アンリの震える声に、マークとニコルは釣られて震え出しました。
頭上の太陽は照っているはずなのに、何故か彼らの周りだけ、肌寒く、薄暗いのです。
まるで、目に見えない何者かが、光を食べてしまっているような。
そんな不気味な森を進む3人の少年は、その奥に大きな、とても暗い雰囲気の城を見つけたのです。
決して見つけてはいけない、その城を――
次章、聖涙天使シャイニーアリア。
第七章 惨烈! 呪いの城マリアベル
――ペタン……ペタン……ペタン……ペタン……。