第6話 アリアちゃん夏の大作戦ファイナル
「ワタシハ、シニマシタ」
「今度はどったの?」
「ぐすん……っ……ずびびっ」
「アリア、きたない」
ロッタの膝枕に横たわり、涙と鼻水を垂らすアリア。
理由を答えないアリアに、親友2人はそれ以上何も聞かない。
とりあえずロッタの太股の窮地を救わんと、エルナが絵面的にばっちい方の水分だけを拭き取る。
「ありがと……もう聞かないの……?」
アリアが落ち込んでいるのは勿論、海水浴後半のほぼお漏らし、加えて放尿シーンをグレンに見られたことである。
乙女の心を深々と抉り抜いた凄惨な事件。話したくはないが、1人抱えているのも辛い。
そんな傷心のアリアに対し、親友2人の反応は驚くほど淡白だ。
「ま、大体わかったし。話したいなら聞くけど」
「いつものアレだよね? 話したいなら聞くけど」
「ぐすんっ!」
2人にとっては、アリアのおトイレトラブルなど日常茶飯事。一々共に涙していては、顔面が干からびてしまう。
最近は立ち直るのも早くなったことだし、こうゆう『大したことじゃないからね』って態度で接するようにしている。
「で、『あの作戦』どうすんの? 顔合わせづらいなら、中止にするよ」
『あの作戦』の一言に、アリアの猫耳がピクリと動く。
この海水浴、アリアは水着以外に、グレンとの距離を縮めようと色々考えていたのだが、あの聖水イベントで半分くらいは吹き飛んでしまった。
傷心の少女としては、このまま眠ってしまいたいところだが、恋する乙女としては、これ以上の中止はあり得ない。
「……それはやる」
「よかったですわ! 私楽しみにしていましたのっ」
夏の思い出を取り返すため、不屈の闘志で立ち上がるアリア。
そんなアリアの姿に……というわけではなく、ただ単にウッキウキのリーザ。
アネットも満足気にウンウンと頷いている。
「私は、中止でもよかったんだけど……」
そして、唯一乗り気ではなかったロッタは、割と本気でそう言った。
◆◆
――ダバァァーーーーーーッッ!!
両端に設置されたライオンの像の口から、絶え間なく湯が流れ出る。
それを受け止める大きな浴槽の中にいるのは、贅沢なことに男が2人だけ。
「いいんですかねぇ……こんなとこ、2人だけで貸切とか……」
「お前は一々、考え方が庶民くさいな」
「庶民ですから」
「この広大な空間を、サイズ的には一つの点でしかない俺達が支配する……何とも心地がいいじゃないか」
「殿下は……そうゆうとこはノーブルですよね」
「ノーブルだからな。ここは親父に似なくて、家臣達は安心していたよ」
親父――勿論、ノイングラート帝国現皇帝、リチャード3世のことである。
何故か放浪癖と冒険家気質が強かったリチャードは、若い頃の大半を国の外で一冒険者として過ごした。
因みに、この世界でギルドから仕事を斡旋され、その報酬で日々の糧を得る職業は『傭兵』と定められている。
リチャードのはそうゆう感じではなく、1人鞭を片手に秘境に潜り、まだ見ぬ文明の痕跡と、時に財宝を見つけて凱旋する、どこぞの考古学者のようなスタイルだ。
そんな破天荒な男に、このレオンハルトはとにかくよく似ていた。
見た目ではなく、言動がだ。
故に、若い頃の皇帝を知るものは、期待と不安を合わせたような、複雑な視線をレオンハルトに向けている。
「皇帝、なるんすか?」
「さあな。兄貴――もちろんウィルのほうな? あっちがやる気なら、俺はパスだな」
帝国の皇位継承に序列はない。
皇位継承権を持つ者達が、皇帝、貴族院、国民の順で選挙にかけられ決まるのだ。
レオンハルトは現在2番人気。
1番人気が、長兄のウィリアムだ。
剣術、魔術、知識、交渉術など、ほぼ全方面でトップクラスの能力を見せる『怪物』ウィリアムに対し、理屈抜きで支えたくなる人徳で追いかけるレオンハルト。
次期皇帝は、この2人のどちらかで決まると言われている。
「お前は、どっちに皇帝になってほしい?」
「帝国民になるなら、ウィリアム殿下。統合軍として付き合うなら、レオン様ですね」
「はははははっ……そこはどっちも俺って言っとけよおおおぉぉぉぉっっ!!」
「俺、嘘つくと蕁麻疹出るんで」
「楽しそうですわね」
突如会話に飛び込んできた声に、グレンがバッと振り向く。
そこにいたのは、また昼とは違う水着を纏ったリーザだった。
「おまっ、それ……!」
「ほぅ……!」
リーザの着ている水着は、スク水に近いワンピースの紺色ベースの水着なのだが、レッグが深い『競泳水着』という奴だ。
元々はその名の通り、競泳と共に神代から復刻したのだが、今は競泳は廃れ、シンクロと飛び込みで使われている。
競泳の名残で、水の抵抗を減らすため胸を締め付けるようになっているのだが、リーザが着ている物は実際の競技用ではないので、胸の辺りがしっかりと盛り上がっている。
競技用ではないのなら何用かと言われれば、ナニ用だ。
「待て、お前がいるってことは……!」
リーザは、上位貴族としては異質な程に、肌を見せることに抵抗のない女だ。
高貴なるものとして、幼少期から世話役に肌を見せるのが当たり前だった環境と、婚約者のレオンの性質がおかしな化学反応を起こしてしまったのかもしれない。
が、それにしても、水着を着ているにしても、他の男がいる風呂場に1人で突撃してくるとは思えない。
いや、やりかねないが、教育の結果の『知識』として、それが公爵令嬢に相応しくない行為だということは知っているはずだ。
今の状況が、既に相応しいのかという疑問は、この際置いておこう。
とにかくグレンの意識としては、『さすがに1人で来てねえよな?』と言ったところだ。
予想は、大当たり。
「お邪魔するよー」
「失礼致します」
「ぐっ……あんまし見るな……っ」
リーザに続いて現れたのは、エルナ、アネット、ロッタ。
3人はリーザと違い、普通に競技用の競泳水着だ。
エルナとアネットは少々胸が苦しそう。
ロッタはいつも通りだ。
「余計なお世話だよっ!」
そして彼女達の背後から大慌てで現れ、グレンの視線と、主にロッタの脚の間に割り込む少女。
「ロッタだけは先に行かないでっ!」
「とんでもなく警戒されている……!?」
アリアだ。
ちなみに彼女の競泳水着はナニ用。ぴっちりと体を締め付けながら、リーザに負けず劣らずの山がバルルンッと存在を主張する。
昼間の水着とはまた違った方面の露出度。風呂場に競泳水着というミスマッチが生み出す、どうしようもない如何わしさ。
そして――
「そ、そんな、まじまじと見ないで……っ」
「っ!」
グレンは、青黒い生命の波動を纏った。
「グレン、光るの早っ!」
「最近、射精感が高まるとオート発動するようになったんだ」
どうやらグレンは、アリアと学園生活を送るようになってから、公衆の面前での射精を防ぐため、生命波動を多用するようになったらしい。
そんな経験が積もり積もって、ついに意識しなくても下半身と連動して体が光るようになったのだ。
これもまた、武の極みである。
全力で技術を無駄遣いしたグレンの視線が、恥ずかしそうに身を揺するアリアに突き刺さる。
(し、視線が……っ……視線がぁぁぁ……!)
新たな装い、新たなシチュエーションに、普段より圧を増したグレンの視線。
反射的に胸と脚の付け根を隠しそうになるが、最近上がってきた乙女力でぐっと堪える。
視線が熱いなら、ここは攻め時なのだ。頑張れアリア、負けるなアリア。
手は体を隠さないよう後ろで組み、胸を張ったまま少し腰を後ろに引き、上半身全体を僅かに前に傾ける。
「ぬぅん!?」
当たりだ。グレンの光が少し強くなる。
今までの経験から、アリアはグレンが好きそうなポーズは粗方把握していた。
後は、一つ一つの所作を完璧に決め、冷静に、狡猾に、蠱惑的に。目の前の男を誘惑するだけ。
顔が熱いのは風呂場の熱気のせいで、心臓が破裂しそうなのは気のせいだ。
アリアは一歩一歩グレンに近付き、グレンが背を預けている浴槽の縁に腰掛ける。
ちょうど、グレンの顔の横に尻を置く形だ。
大迫力のビューに、グレンの視線と鼻息が強くなる。
「アリアっ、これはそのっ、どうゆうサービス……!?」
「あ、エッチなことを考えてるわね? これは、競技の選手や騎士団の訓練でも使う正式な水着よ。いらやしい目で見ないでっ」
「無茶をおっしゃるっ!?」
「ふふふっ」
グレンの反応に、一瞬恥ずかしさを忘れ、楽しそうに笑うアリア。
「グレン君、夜は1人の時間が増えちゃうと思って……殿下が来ることも、知らなかったし。だから、せめてお風呂くらい何とかならないかなって……それでまぁ、こんな感じになりました、と」
「アリアに感謝しなよ。『混浴にしよう』って言い出したのも、この子なんだから」
「アリア……ありがとな」
「うん……どういたしまして」
グレンが、視線をアリアの脚から顔に向けた。
顔は熱い、心臓は破裂しそう。
だが――心が躍る。
(そうよ、グレン君。余所見をしないで、こっちを見て……!)
自分の気持ちを認めてからのアリアは、本当に積極的になった。
混浴作戦はアリアの発案だし、競泳水着の『競技用』と『夜の競技用』の選択を迫られた際は、躊躇なく後者を選択した。
そして、そんなアリアは、この状態からまだ攻め手を緩めない。
むしろ、これからが本番なのだ。
「じゃあ、今度は私がお礼をする番ね。来て……背中、流してあげる。」
「おおおお礼っ!? え、ちょ、それって、なんの――」
「いいから来る! ……それとも……嫌……?」
「是非お願いします」
腰にタオルを巻き付け、すっと立ち上がるグレン。因みに、ここまで光りっぱなしだ。
アリアはそんなグレンの手を引き、洗い場まで連れて行く。
尚、アリアの『お礼』は今日のトイレでのことと、先日の体育の後、失禁寸前で動けなくなったアリアを、保健室で『緊急避難』させた件だ。
どちらも内容が内容なので、恥ずかしさから、感謝を述べる機会を逃していた。
グレンは一々気にしないだろうし、むしろ彼の方が『ありがとう』とか言い出す始末だったが、アリアの心情的に、何もなしというのは胸の支えが大き過ぎる。
よって、ここでまとめて解消すると共に、夏の急接近計画の一部にしてしまおうという魂胆だ。
(覚悟を決めなさいっ……やるわよっ……やるわよ私っ!)
グレンを椅子に座らせると、アリアは口をグレンの耳元に寄せ、体をぐっとその背中に押し付ける。
――ムニュッ。
「ほうぁっ!?」
「どどっ、どうしたの? グレン君」
「え、あ、いや、えっと」
背中に当たる柔らかい2つの感触に、グレンの体がビクンと跳ねた。
アリアはとぼけたような声を出しながら、背後からグレンの反応をつぶさに観察する。
「変なグレン君。背骨の辺りを中心に、洗っていくからね。くすぐったかったら言って」
「よ、よろしくお願いします……!」
上々の反応に手応えを感じ、アリアは『一旦』、グレンの背中から体を離した。
「……ふぅ」
(よし……いけるわ……!)
今回のアリアのテーマは、ズバリ『胸』、おっぱいだ。
アリアは、自分の胸が男の視線を集めるのに、十分な大きさがあることを自覚している。
勿論、グレンの視線もそこに吸い込まれて行くのだが、やはり対グレンの主力は脚、太股だ。
胸に裂かれる時間は、太股に比べればごく僅か。
胸だろうと太股だろうと、自身への視線誘導ができていればいいだろう、と思うかもしれないが、太股は胸と違い、ライバルが多いのだ。
今この場にいるロッタもその1人。グレン好みの、むっちりとした下半身を持っている。
脚一本で攻めるのはあまりに危険。ライバルの少ない武器である胸も併用するべきだ。
そのためには、グレンにおっぱいの良さを改めて教え込まねばならない。
この背中流しイベントは、そのために仕掛けた秘策なのだ。
「よし……背中は、このくらいね……」
「背中は?」
「えいっ!」
グレンの疑問には答えない。
アリアは目を瞑り、1つ深呼吸をして、グレンの背中に飛びついた。
――ムニュゥンッ!
「おっふ!」
再び背中を襲う暴力的な柔らかさに、血流が加速したのか、グレンが気色の悪い悲鳴を上げる。
対してアリアは、その反応に一切構わず、自分の胸を押しつけながら、手を前に回してグレンの胸を洗って行く。
「あ、あの、アリアさん? これはっ……?」
「ま、前もっ、洗って、あげようかなって……!」
もちろん、グレンが聞いたのはそうゆうことではないし、アリアもわかっている。
だが、はぐらかす。そして勢いで押し切る。
いくら全力でアプローチをすると決めたとは言え、普段のアリアには、ここまで大胆な行動に及ぶことは不可能だ。
夏の海の開放感、旅行という日常とは離れた環境、風呂の熱でのぼせ上がった頭、ついでにトイレの一件が原因の自棄っぱち感。
その全てが合わさったからこそ決行できた、奇跡の『あててんのよ!』。
ここから先は、止まることは許されない。
下手な会話で冷静になり、自分の今の姿を省みて、羞恥に蹲るわけにはいかないのだ。
「どう、グレン君……ちゃんと洗えてる……?」
「ははははいっ! それはもうっ!」
故にアリアは攻める。ただ攻める。
手を動かすたびに体の位置を上下、前後に動かし、グレンの意識を背中に縛り付ける。
男の背中に胸を擦り付ける友の姿を、エルナ、ロッタ、アネットは、感慨深く眺めていた。
あの意地っ張りで恥ずかしがり屋の、自分の気持ちを認めるのにすらあれだけ苦労していたアリアが、こんなに大胆な行動をとっている。
絵面だけ見ると相当に浅ましい光景が、彼女達の目には、寂しくも誇らしい、雛鳥が巣立つ瞬間のように見えた。
頑張れアリア。心のまま、突き進むんだ。
もし万が一、ここでおっ始めるようなことがあっても、自分達は最後まで見て見ぬふりを通してやる。
尚、リーザは少し前にレオンを連れて、アリア達とは逆方向の洗い場に消えて行った。
『声は抑えますわよ』
ナニをするつもりなのかは、誰も聞かない。
ただアネットだけが微笑みを浮かべ、『お楽しみ下さい』と見送った。
「 」
エルナ達には何も聞こえない。聞こえないったら聞こえない。
「ま、ますいぞアリアっ!」
グレンの声だ。こっちはちゃんと聞こえた。
どうやら相当切羽詰まっているらしい。
「ふふっ、どうしたの? くすぐったい……?」
「そ、そろそろっ、生命波動でもっ、抑えきれなっ、くっ、ううぅんっ!」
もじもじと腰を揺すり、時たま悶えるグレン。
絵面が汚い、声は気色悪い、とにかく地獄のような光景。だが、アリアは止まらない。
何故なら、止めてはいけないからだ。止めたら、(自分が)正気に戻ってしまう。
「大丈夫……っ……大丈夫よっ……んっ……もうすぐっ……終わるから……!」
「終わっちゃう! その前に俺が終わっちゃう!!」
対してグレンもノンストップだ。こっちは、止まりたいのに止まれない。
グレンの力なら、変身していないアリアなど、引き剥がして逃げることは容易だ。
だが、それもできない。手荒な真似はしたくないし、何より背中を襲うおっぱいの柔らかさが、離れようという意志を奪っていくのだ。
どれだけ理性が逃げろと叫ぼうと、本能がそれを拒絶する。
『例えこの場で果てようとも、1秒でも長くこの感触を』と。
アリアのおっぱい大作戦は、大成功と言っていいだろう。
「こらっ、あんまり動いちゃっ、んっ――あっ」
グレンの身じろぎが、アリアの胸に想定外の刺激を与え、アリアがスポンジを取り落とす。
グレンの脚の上でワンバウンドしたそれを、空中でキャッチしようと手を伸ばすアリア。
だが、突然のことで手元が狂ってしまった。
アリアの手が掴んだのは、スポンジではなく、グレンの前方にある硬い棒状の何か。
「んほぅっ!?」
「きゃっ!」
グレンの汚い雄叫びに、まるで中和するかのように、アリアの可愛らしい悲鳴が重なる。
突然体を跳ね上げたグレンに驚いたアリアは、握っていたものを離――さなかった。
驚いて指が固まってしまったのだ。
アリアは、泡のついた手でそれを軽く握ったまま――
――スポンッと、上まで擦り抜けた。
「おぅふっ」
「えっ?」
グレンの、切なさと、悲しみと、幸福感と、あとナニカが弾け飛ぶ。
「――――あ゛っ」
そして、自らの右手にベットリとついたものを認識したのを最後に、アリアの意識は闇に落ちた。
アリア姫の夏の大作戦は、この時をもって終了となった。




