第4話 真説・聖水皇女の夏休み(前編)
海で起こるイベントと言えば、なんだろうか?
水着が波で流されるラッキースケベ。
夕暮れ時の人の減った浜辺を2人で歩き、開放的な格好も手伝い、いい雰囲気になっちゃうやつ。
はたまた、想い人と一緒に津波に攫われ、無人島で共に助け合い絆を深めたり。
どれも、いい夏の海の大イベントだ。
その他細々したものでも、ビーチバレーやスイカ割り、沖合の浮まで競争など、定番のものもある。
実際、アリア達は大体やった。
ビーチバレーでは、アリアのバルンバルンに気を取られたグレンの顔面に、強烈なスパイクが突き刺さったし、
女子5人競泳では、アリア、エルナ、リーザの体育3強を、ロッタがここぞとばかりにごぼう抜きにしていた。
スイカ割りでは、グレンがジャンパールに放った、あの飛ぶ斬撃でスイカを真っ二つにしたし、アリアのブラも空気を読んで波に攫われた。
尚、回収したのはグレンだ。
目を血走らせ、バタフライで迫るグレンを、アリアは赤面しながらも、大人しく待っていた。
青少年に相応しい、健康で、健全で、ちょっとエッチな海水浴イベントを、アリア達はしっかりと満喫したのだ。
この日のことは、美しい青春の思い出として、彼らの中に長く残り続けることだろう。
が……本当にこれで、終わりでいいのだろうか?
大事なイベントを、忘れてはいないだろうか?
お忘れの方はいないと思いたいが、この物語の主人公は、聖水皇女アリア様だ。
ならば、絶対に外してはいけない、メインイベントが存在する。
即ち――
(あぁぁぁっ……早くっ……早く進んで……!)
海のトイレ、大行列イベント。
開放的な気分と暑さにより飲み物を飲み過ぎ、スイカ割りのスイカの水分を甘く見て、海遊び中に少し海水を飲んで、余計な塩分まで摂取してしまう。
更に、水着姿や海の中にいたりするせいで、外気の暑さに反して意外と体は冷えるのだ。
夏の海には、トイレが近くなる要素は、実は十分に出揃っている。
これだけの条件を揃えておいて、我らがアリア様が期待を裏切るなどあり得ない。
見事全てのフラグをブチ立て、またカキ氷なんぞを食べているタイミングで、少々切羽詰まった尿意に襲われてしまったのだ。
アシュレイ戦で、精神的に成長したっぽい感じだったアリアだが、実際のところは、傷付いたメンタルの自動回復スキルを手に入れた程度。
未だクソ雑魚ガラス張り豆腐メンタルのアリアは、当然のことながら『トイレに行きたい』の一言を言うことができなかった。
それでも女子だけならヤバくなる前に白状できたのだろうが、今日は男性も2人いる。
あまり交流のなかったレオンハルトは勿論、恋心を認めた相手であるグレンも、アリアの声を失わせるには十分な障害だ。
既にお漏らしを2回見られた上、やり手水で放尿までさせられているが、それで開き直れるほどアリアの乙女心は安くはない。
結局、アリアは我慢に我慢を重ねることになった。
全身を岩の様に固め、必死で平静を装うアリア。
それでも耐えきれず、腰をブルッと震わせてしまったところで、グレンがレオンとソーセージを買いに行くと言い出したのだ。
そのまま、流れは自然と自由行動へ。
アリアは仲間達から逃げるように、トイレに向けて駆け出した。
先ほどのカキ氷も存在を主張し始め、走っている間にも尿意は急速に膨れ上がっていく。
それでも懸命に大噴射を押さえ込み、ようやくトイレの看板を見つけたアリア。
震える脚で最後の数mを駆け抜け、何とか耐え抜きハッピーエンド。
――とは、いかないのがまた、アリアのアリアたる所以だ。
『そ、そんなっ……列が……っ』
『偶然にも』駆け寄った海のトイレの前には、長蛇の列ができていた。
本日最長、40分待ちである。
寄せては返す尿意の波は、徐々に勢いを増している。
最後尾に並ぶアリアの表情は、不安の色に染まっていた。
それから、僅か10分。
(ど、どうしようっ……もうっ……漏れそう……っ)
アリアの尿意は、我慢のならない水位にまで達していた。
全身の震えは止まらなくなり、脚も一人でにもじもじと動いてしまう。
顔面にびっしりと脂汗を浮かべ、行列を睨みつける表情はあまりにも険しい。
列の横を通り過ぎる男性客は例外なく、水着が食い込む尻を淫らに振り回すアリアに視線を向けていく。
暇な何人かはその場に居座り、アリアの窮地を肴に談笑を始めていた。
(見ないで……見ないでっ……! あぁぁっ!? だ、だめ、漏れるっ! 漏れ、あ、あっ)
「あぁぁっ!?」
アリアの体が、ビクッと震える。
キツく締めたはずの尿道が、一瞬だけ、開いてしまいそうになったのだ。
(だめ……もう我慢できない……! こ、こうなったら……!)
ノロノロと進む列を睨みつけるアリア。
行列の進みは思っていたより悪く、尿意は予想以上の速さで強まっている。
このままトイレに並んでいても、最後まで我慢し通せるとは到底思えない。
「っ……くぅっ……!」
アリアは後ろ髪を引かれながらも、意を決して行列を飛び出した。
◆◆
「はぁっ! はぁっ! ひっ!? あぁっ……! くっ……はぁっ! はぁっ!」
(トイレっ……どこか……トイレ……!)
行列を飛び出したアリアは、トイレを求め、海岸を駆け回った。
だが、見つかったトイレはどこも長蛇の列。
そこに並ぶくらいなら、僅かな可能性に賭けて、最初のトイレの列に残った方がマシなくらいだ。
そして今、最後の望みを託した海岸東端のトイレの、その前に連なる特大の行列を前に、アリアはガクガクと脚を震わせていた。
「あぁぁっ、そんなっ……ここも……!?」
行列は、最初に並んだトイレの倍はあるだろう。
ここまでの道のりで、アリアの膀胱は限界近くまで膨らんでしまっている。
今からここに並んでも、その2割を進むこともできず、耐えているものをぶち撒けてしまうだろう。
かといって、今から地図にも載っていないようなトイレを探す時間は、もうアリアには残されていない。
脳裏に浮かぶのは、海岸のど真ん中で無様に果て、公衆の面前で小水を撒き散らす自分の姿。
目尻に溜まった涙が、小水に先んじてポロポロと零れ落ちる。
膝がくの字に折れ曲がり、気丈に直立を保っていた腰が、後ろに突き出されていった。
(だめ……だめよ、そんなのっ……! こんなっ……ところで……!)
「お困りですかぁ? おじょーさんっ♪」
「っ!?」
絶望に崩れ落ちそうなアリアの前に、如何にも軽薄そうな男達が現れた。
小麦色に焼けた、そこそこ筋肉質な体をした4人組。
顔にはハッキリと『ナンパしに来ました』と書いてある。
(そんなっ……あぁっ、こんな時に……!)
普段なら、全員蹴り倒してお終い。
だが今のアリアは、ほんの少し膀胱が揺れただけでも、膝から崩れ落ちてしまいかねない状態なのだ。
か弱い街娘の方が、まだマシな抵抗ができるだろう。
「か、構わないで……あぁぅっ……!」
身の危険を感じたアリアは、男達から逃げようと歩き出した。
だが、早歩きの足から伝わる衝撃に膀胱が揺さぶられ、情けない悲鳴が漏れてしまう。
それでも歯を食いしばって足を進め――
「空いてるトイレ、連れてってあげよっか?」
その背にかけられた一言に、ピタリと足を止めてしまった。
「俺ら地元民でさ。ちょっと汚いけど、観光客が使わない穴場、知ってんだよ。おじょーさん、おしっこ我慢してるんでしょ?」
アリアは、こんな都合のいい言葉を100%信じるほど、迂闊な女ではない。
これまでの人生で、自分の顔と体が、大多数の男性にとって『性的』に好まれるということも自覚している。
トイレを餌に人気のない場所に連れ込んで、如何わしい行為に及ぼうとしている可能性は、決して捨ててはいけない。
「だいじょーぶ、何もしないから。トイレ空いてなくて、困ってるみたいだったから、声かけただけだって。善意だよ? ぜ・ん・い」
だが、それでも、『トイレに行ける』という希望に、アリアの体は、滑稽なほど素直に震えてしまった。
「こ、ここから、どれく、ぅっ……どれくらいっ……?」
「5~6分、ってところかな。大丈夫? 我慢できそう?」
6分……行列に並ぶより遥かに希望はあるが、今のアリアにとってはギリギリの時間だ。
だが耐え抜くしかない。できなければ、この男達の前で水溜まりを作る無様を晒すことになる。
「ば、馬鹿にしないでっ! でもっ……あぁぁっ、早くっ……連れて行って……っ」
「かしこまりぃ。じゃ、善は急げってことで」
「こっちこっち♪ おじょーさんヤバそーだし、ちょっと急ごっか」
終始軽薄そうな笑みを浮かべたまま、男達は歩き出す。
一瞬、本当に着いていくか、今一度悩むアリアだったが――
(だ、だめ……トイレ……!)
下腹から広がる震えに抗えず、結局、その背中を追いかけることに決めた。