第19話 バイバイお漏らしお姉ちゃん
――槍が投げられた時点で、私はもう限界だった。
両手の助けを失い、脚とボロボロの括約筋だけで堪えること、1分と数十秒。
その僅かな時間で、私はもう、おしっこが止められなくなってしまった。
目の前に槍が迫る。
「ひっ……!」
この、あまりに情けない悲鳴が、自分の口から出たのだと理解する頃には、私と槍の間にグレン君が立っていた。
守られた安心感と共に、『またグレン君の前で漏らしてしまったら』と言う不安が湧き上がる。
槍はグレン君に弾かれ、少し軌道を変えた。私の左の髪を掠め、後ろに飛んでいく。
命は、助かった。
でも私の体は、遅れてやってきた死の恐怖で、完全に竦み上がってしまった。
心臓が、肺が、体中の臓器が次々と縮こまっていく。
肝臓、腎臓、そして――パンパンに膨らんだ膀胱が、キュッと縮んだ。
「あ゛あ゛っっ!!」
――膨れ上がる水圧に、私の水門は耐えることができなかった。
ジョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!
◆◆
バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャッッ!! ジャバババババババッッ!! ビジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャッッ!!
突如校庭に響く水音に、ジャンパールはポカンと口を開けたまま固まり、仮面の男も凍りついたように動かない。
そして、グレンがジャンパールに意識を残したまま、チラリと背後を伺うと……。
「あぁっ、あぁぁっ! 嫌……見ないでっ……!」
アリアの脚の付け根、必死に締め続けた水門から、夥しい量の『涙』が迸っていた。
ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!
ジャババババババババババババババババババババババババババババッッ!! ジョバババババババババババババババババババババババババババババババババババッッッッ!!!!
『涙』は滝となってアリアの足元を穿ち、琥珀色の湖を広げていく。
その中心で、アリアはもうどうすることもできず、震えながら上と下から涙を流していた。
「ぷっ、ぷははっ! えっ、嘘っ、ぷははははっ! 本当に? お姉ちゃん、怖くて漏らしちゃったの?」
「やっ、あ、あの、これはっ……違うっ! 違うのっ!」
隠しようもないレオタードの股布から、今もジャバジャバと溢れさせながら、何が違うと言うのか。
だがジャンパールは、そんなアリアの言葉を受けて、更に救いのない言葉を投げつける。
「えっ、じゃあ、まさか……おしっこ我慢できなかったのっ!? ちょっとぉ、お姉ちゃん幾つ?」
「あ、あぁ、嫌、言わないで……! 嫌っ、嫌ぁぁぁっ!」
浴びせられた容赦ない言葉に、アリアの心が悲鳴を上げた。
目を瞑り、顔を背け、非常な現実を拒絶するようにかぶりを振る。
「止まってっ……止まってぇ……! あぁ、嫌っ……止まらないぃぃ……!」
小水の噴き出す出口を両手で押さえ込み、この醜態を止めようと必死に力を入れるアリア。
だが、一度解き放たれた濁流はもうそんなものでは止まらず、押さえた両手の隙間という隙間から小水が溢れ出す。
アリアの抵抗は、出口を押さえる姿を晒すだけの、余計に惨めさを助長するだけの結果になってしまった。
「あっはははははははははははっ! なぁにそのか――ちっ」
そんなアリアに、更に言葉による責めを重ねようしたジャンパール。
だがそれは、空気を伝い襲いくる青黒い光の刃に遮られる。
ジャンパールはそれを片手で弾き、その斬撃を放ったグレンを睨みつける。
「なんのつもり?」
「言い過ぎだ、ガキが。好きな子に構って欲しくて虐めるタイプか?」
「は? 馬鹿なのお兄ちゃん? てか、ボロボロなんだから、隅っこで這いつくばっててよ」
ジャンパールの言う通り、グレンは一目見ただけで満身創痍だった。
全身傷だらけで、生体魔法による治癒も追いついていない。左腕は先ほど槍を防いだ代償に、あらぬ方向に曲がっていた。
が、それでもグレンは、アリアの前から一歩も退く気配を見せない。
「ムカつくなぁ……ムカつくから……殺しちゃおうか、お兄ちゃん?」
その『正義の味方』とでも言いたげな姿は、いじめっ子気質のジャンパールをひたすらに苛立たせた。
ジャンパールはグレンを排除しようと、先ほどよりも更に大きな力を右手に集める。
そこから生み出されるのは、言葉通り手加減なしの、殺傷を目的とした強烈な一撃だ。
「ジャン、待って」
「わっ、ちょ!」
そんな破壊の力を込めた右手に、ジョゼが静止の声と共に手を添える。
突然の危険行為に、ジャンパールは慌てて集めた魔力を霧散させた。
「やめてよ、そうゆう危ないこと……」
「ごめんごめん。でも今日は、2人の回収と挨拶に来ただけだから。それに、私はジャンに、泣いてる女の子を虐めるようなことは、して欲しくないな」
ジョゼの言葉に、ジャンパールは内心では納得していないのだろう。とても忌々しそうな目を向ける。が――
「……はぁ。はいはい、神父様の前では、いい子にしてますよ」
それでも『神父様』の言うことは聞くようで、矛を収め、両手を頭の後ろで組んだ。
場が落ち着くと、ジョゼはようやく放水を終えたアリアを一瞥し、グレンに視線を向ける。
「さて、このまま話をするのはちょっと可哀想なんだけど……私もせっかく出てきたんだし、一つくらい質問とかしてくれないかな? このままだと私、何しにきたかわからないし」
ジョゼの様子に、何かを企んでいたり、揶揄っている様子はない。
少なくともグレンは、強烈な『構ってオーラ』しか感じ取れず、困惑の表情を浮かべた。
「『正義のヒロインの前に姿を現す悪の親玉って、燃える展開じゃない?』とか言って、ノープランで出てくるからこうなるんだよ」
「いや、だって、いきなり、その……しちゃうとは思わないでしょ?」
「っ! うっ……うぅっ、うあぁぁぁあぁっ……!」
失禁を指摘され、しばらく沈黙を守ってきたアリアが泣き声を上げる。
足元の大きな水溜まりに、ずぶ濡れの下半身。見ないようにしていた自分の姿を、強く意識してしまったのだ。
「マジでもうちょっと気ぃ使えよっ! あぁ、もう、じゃああれだ、『お前達の目的は?』。ほら、さっさと答えて帰れっ!」
「うんうん、悪の組織の首領向けの質問だね。投げ槍なのが凄い気になるけど」
『悪の組織の目的より、アリアを宥めるの方が大事』、とでも言わんばかりのグレンの物言いに、釈然としない様子のジョゼ。
だが会話が続いたことに気を良くしたのか、聞かれたことを素直に語り出した。
「我々アールヴァイスの目的は、シンプルに『世界征服』だよ。一周回って、新しくないかな?」
「できると思っているのか? フィールドが解明されれば、お前達の戦力はそれ程でもないだろう」
「そうだね……確かに、私達に世界と戦うだけの力はない。だから戦わない」
「なに?」
ジョゼの言葉に強い疑問を抱くグレン。
対するジョゼは、ようやくグレンの意識が自分の方に向いたことに、心なしか嬉しそうだ。
「ジャン相手に頑張ったご褒美と、話に付き合ってくれたお礼に、教えてあげよう。私達は――全人類に呪印を施す準備をしている」
「っ!?」
『呪印』――人の心に反応し、肉体を縛り、結果として精神も縛る、人とそれ以外を分ける忌むべき紋章。
それを全人類に刻み、支配権をアールヴァイスが持つならば、確かに世界征服も容易いだろう。
「そんなことが……できるってのか……?」
「できる」
グレンの疑問に、ジョゼは雰囲気を一変させ、強い口調で断言した。
「我々人類が何者なのか。何故、人間にだけ呪印が施せるのか……それが解明できれば、必ずできる」
そこに込められた意思に、夢想や妄想のようなふわふわしたものはない。
あるのは強い確信と、隠しきれない狂気。
この一見緩い男が、本当に『悪の組織の首領』なのだということを、グレンははっきりと理解した。
「では、またね。と言っても、次に私が君達の前に現れるのは、計画の完遂後になると思うけど」
「僕は、その前に遊びに来るかもよ? お兄ちゃんは生意気で気に入らないし、お姉ちゃんは面白いしね」
ジャンパールは、右手にヴァルハイト、左手にアシュレイを抱えて、最後にジョゼを背負う。
そしてもう一度、グレンとアリアに爛々と光る視線を向けた。
「バイバイ、お兄ちゃん、あと、お漏らしお姉ちゃんも」
「っ……!」
最後に、またしてもアリアの表情を歪ませて、3人を抱えたジャンパールは、校舎を飛び越え去っていった。
校庭には、アリアの啜り泣く声だけが残った。
◆◆
ところ変わって、高等部校舎3階東側。
「ぜぇっ、はぁっ、ぜぇっ!」
全身刺し傷だらけで横たわる怪人を、険しい目で睨みつける仮面の淑女。
「ふ、ふふっ、3体、倒してやりましたわ!」
ありがとうパニッシャー。強いぞパニッシャー。
その活躍が一切描写されなくても、学園の平和は、6割強は君のおかげで守られた。




