第7話 あの日の背中に追いつくために
エルナもロッタも、自分達では歯が立たないことはわかっている。
それでも、命――ではないが、乙女として大切なものを散らす寸前の親友を、放っておける彼女達ではない。
アリアを絡めとる蛸足を引き剥がそうと、エルナが飛びかかり、ロッタは魔術を放つ。
「だ、だめよ、2人とも……!」
だが怪人は慌てることなく、先ずは2本の蛸足でロッタの魔術を散らす。
その間にエルナが距離を詰めるが、その途中でガクンと動きを鈍らせた。
これが、今はアリアが戦わざるを得ない理由だ。
怪人に一定以上近付くと、体も魔力も思うように動かなくなり、致命的に弱体化してしまうのだ。
今のところまともに戦えるのは、シャイニーティアを纏ったアリア唯1人。
ロッタのように、範囲外から撃った魔術は影響を受けないが、魔術が苦手で飛び込むしか無いエルナは、その影響をモロに受けてしまった。
怪人は、ロッタの魔術を防いだ2本を振り回し、エルナに打ち付ける。
「がはっっ!!?」
吹き飛ばされる先には、次の魔術の詠唱を始めていたロッタの姿。
エルナは落下防止用の壁を突き破り、ロッタ諸共2階の壁に打ち付けられた。
「え、エルナ……っ! ロッタ……!」
(私は、何をやってるのっ……! こんな、情けないっ!)
恐怖に縮こまり、刺激に悶えている間に、大切な2人に怪我を負わせてしまった。
悔しさに、目から涙が溢れる。
それを諦めと取ったか、タコ男は2本の触手を、ついに両脚の付け根に向けて動かした。
「ひっ!? や、やめっ……くっ!」
(違う! そうじゃないでしょっ!? 私がこんなだから、エルナとロッタに、あんな無茶をさせたのよ!?)
恐怖を押し殺し、迫る蛸足をキッと睨みつける。
(負けないっ! こんな恐怖に、刺激に、負けたりなんか、しないっっ!!)
「このおおおぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」
手脚にあらん限りの力を込め、なりふり構わず全力でもがく。
アリアの脳裏に浮かぶのは、あの恐怖の日の記憶。
濡れた下半身の生温かい感触と、広がる水溜まり。
迫る触手と、その先端の悍ましい顎門。
そして――
――そんな絶望を一撃で切り裂いた、強く鋭い、銀色の光。
(そうよっ! 私は……私は……!)
光を纏った、同い年くらいの少年は、恐怖で脚が動かないアリアを背にしながら、こう言ったのだ。
『頑張ったな。大丈夫、なんとかするさ』
その瞬間、アリアは、自分の命全てを、その少年に預けた。
(私はっっ!!)
心に小さな、だが強い火が灯る。
僅かだが、手脚に力が戻ってくる。
(『彼』のように……誰かを救える、本物になるんだからっっっ!!!)
「はあああああぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」
「ナニィッッ!!?」
アリアの叫びに呼応するように、その手脚が光を放ち、彼女を絡めとる蛸足を、光の粒子に変えていく。
戒めから解き放たれ、宙に投げ出されたアリアは、そのまま床に落下。
「あぁぁっ!?」
何とか着地するも踏ん張りが効かず、床に崩れ落ちてしまう。
「はぁっ! はぁっ! くっ、ああぁぁぁぁぁっっ!!」
(あと、少しだけでいいのっ! 動いてええぇぇぇっっ!!)
震える脚に鞭を打ち、タコ男に向けて駆け出すアリア。
「キサマアアアアァァァァァァァァァァッッッッ!!!!」
タコ男も、思わぬ抵抗に怒り浸透で、残り4本の蛸足を繰り出す。
「ふっ! はっ!」
右のハイキックから、勢いのまま回転し、左の飛び回し蹴り。
ヒットの瞬間、先ほどと同じ光が瞬き、2本の蛸足が足の形に大きく消し飛ぶ。
着地と同時に迫る一本は、光を纏わせた腕でガード。
「ぐぅっ!」
相手も無傷では無いが、アリアも衝撃に耐えきれずよろけてしまう。
そこに迫る最後の1本。
「ふっ!」
上半身を狙ったそれを、体をかがめて回避。
そのまま床に手をつき、体を上下に反転させる。
更に横の回転を加えての開脚蹴りで、最後の1本を弾き飛ばした。
「ヌオオオオオアアアァァァァァァァァッッッ!!!」
全ての足を失ったタコ男は、残った人の腕でアリアに殴りかかる。
下から抉り込む、腹を狙うコース。
それに対しアリアは、敢えて更に下を行く。
両脚を180°に広げ体勢を落とし、体を仰け反らせた開脚スライディングで、タコ男のボディブローを潜り抜ける。
その手には、蛸足に捉われた時に手放してしまった光のリボン。
タコ男の足元に落ちていたそれを、ボディブローを躱しながら回収したのだ。
アリアは膝を曲げながら半回転し、しゃがんだ姿勢のまま、リボンをタコ男の全身に巻き付ける。
「ナッ!? ムグォォォォォッッ!!」
「今度こそ終わりよ! 浄化ッ!」
リボンが強く発光し、タコ男の全身から光の粒子が立ち昇る。
「グワアアアアアァァァァァァァァァァッッッッ!!!!」
やがて光が止み、怪人だった男は、ただのジョルジュに戻り倒れ伏した。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
アリアも肩で息をしている。
結局ダメージは負っていないし、それほど激しく動いたわけでもない。
が、トラウマを掘り起こされ、大勢の前で晒し者にされ、身体は一度、絶頂寸前に追い込まれたのだ。
心身を奮い立たせて持ち直したが、敵を倒したことで、緊張の糸が切れてしまった。
アリアの身体はフラフラと揺れ、今にも倒れる寸前だ。
(くっ……もう、これ以上は……!)
――パンッ、パンッ、パンッ、パンッ……。
「だ、誰っ!?」
突如鳴り響く乾いた音。
アリアは警戒を露わに、音の出どころ――食堂の奥を睨みつける。
ちょうど影になったそこから現れたのは、怪しげな仮面をした、まるで舞踏会にでも出るような服装の男。
「『美しい』……とは言えないが、見事な逆転劇だった」
男はアリアの十数歩手前で足を止め、ダンスを申し込むかのように一礼した。
「私は『斬裂』のヴァルハイト。君達が言うところの、『怪人』を生み出している結社、『アールヴァイス』の一員だ」
「なっ!?」
それは、明確に『敵』であるという表明だ。
ヴァルハイトと名乗った男に対し、アリアはリボンを構える。
が――
「はぁっ……っ……はぁっ……! あっ、くぅっ!」
アリアはもう、心身共に限界だ。
膝はくの字に曲がりガクガクと震え、何度もよろけては、必死で踏ん張りを効かせる。
(ダメ……っ……立っていられない……! 今、こられたら……ま、負ける……!)
それでも、最後に残った気力でヴァルハイトを睨みつけるが、ヴァルハイトは余裕の笑みを崩さない。
「そう警戒しないでくれないか? 今日は、ただの挨拶なんだ。君と雌雄を決するのは、今ではないらしい」
そう言ってヴァルハイトは、右手側の窓に切り付ける。
軽い魔術なら弾く強化ガラスが砕け散り、人1人分通れる程の穴が空いた。
「逃げるのっ!?」
「強がるのはやめたまえ。立っているのも辛いのだろう?」
「な、何を……っ!」
「では、さらばだ」
ヴァルハイトが窓の穴から飛び出すと、程なく外から喧騒が届いてくる。
外の警備員と戦闘になったのだろう。
やがてそれも止むと、アリアの体が、ぐらりと大きく揺らぐ。
「あぁぁぁ……っ」
今度こそ限界。アリアは膝を突き、前のめりに床に倒れ込む。
リボンからは光が消え、カラカラと床に転がった。
(だ、だめ……まだ……ここから……離れなきゃ……)
ここは学園。もう命の危険はないだろう。
だが、アリアはただでさえ衆目にシャイニーティアを着た姿を晒した上、大股開きにされて喘ぐ姿まで見られたのだ。
もしかすると、先日の酒場での痴態も、広まっているかもしれない。
これで正体まで知られてしまったら、明日からどんな顔をして外を歩けばいいのか。
(うごかなきゃ……うごいて……にげな……きゃ……)
例え気絶しても、魔力がある限り、シャイニーティアは勝手に解除されることはない。
が、いかに認識阻害のバイザーがあっても、至近距離から中を覗き込まれれば、かなり効果は薄まってしまう。
何とか体を動かそうとするが、完全に限界を超えた体はプルプルと震えるだけ。
(だめ……もう……いしきが……)
最後に何かが弾ける音を耳にして、アリアの意識は闇に落ちた。