第14話 ノリと勢いとハッタリは大事
自分に向かってくる少女。
その背後から投げ上げられた、黒いゴツゴツした球体。
その光景は、アシュレイの脳裏に遺跡での悪夢を思い出させた。
視界を埋め尽くす、真っ白な世界。
焼かれた目の熱さに、暗闇を慣れない霊子力感知だけで進む不安。
そして、右目をくり抜かれる、筆舌に尽くしがたい痛み。
アシュレイは反射的に球体から目を逸らし、両腕で目を庇った。
その球体が、本当は何かも確認せずに。
「……しまっ――」
「はい正解っ!」
アシュレイが炸裂音も閃光もないことに気付いた時には、エルナは既に懐まで潜り込んでいた。
アシュレイの腹に向けて、思い切り拳を打ち込むエルナ。
「ぐっ、この……!」
アシュレイは頑丈な方ではないが、それでもエルナの力は本来の1/5だ。
鳩尾に走る痛みに溜まらず顔を歪めるも、なんとかその場で耐えきった。
対してエルナは、拳を振り切り隙を晒している。
アシュレイはそんなエルナに、全方位から鎖をけしかけた。
「潰れなさい!」
「まだまだぁっ!」
だがエルナとて、そんなことは百も承知だ。
拳打は囮。打撃に見せかけて押し付けた『ソレ』に魔力を込める。
最近お気に入りの制圧用衝撃弾だ。
「がはっ!?」
「へぶっ!」
巻き起こる衝撃が、エルナとアシュレイを両側の壁まで吹き飛ばす。
思い切り壁に叩きつけられるアシュレイ。
対してエルナは、ロッタが用意していた水のクッションで受け止められた。
「んべぇっ! 何これ、全身ベトベトなんだけど!? ちょっと飲んじゃったし!」
「この前の巨大スライム見てて思いついた、スライム状粘水液。通称『スラ汁』だよ」
「やめてよ、私スライム塗れみたいじゃん……」
ねとーっとスラ汁を滴らせながら、ロッタに擦り寄るエルナ。
ロッタはそんなエルナから、無表情で距離を取る。
「やってくれたわね……」
そんな2人のじゃれあいに差し込まれる、怒気を孕んだ声。
鳩尾を抑えて立ち上がったアシュレイだ。
手に灯るのは魔術の光。さすがにダメージになったようで、回復をしているのだろう。
「あれ、閃光弾じゃなかったのね」
「中々、良くできていたろう?」
閃光弾に見せかけた黒い球体。
あれは、ロッタが土の魔術でそれっぽく作った偽物だ。
失明までしているなら、さぞ嫌な思い出があるだろうと試してみたが、大成功だった。
アシュレイはまんまと自ら視界を塞ぎ、アリアの逃走と、衝撃弾のゼロ距離攻撃を許すこととなった。
「ほんと、憎たらしい……ちょっと手加減できそうにないわよ?」
回復を終えたアシュレイが、全力のプレッシャーを2人に向ける。
ビリビリと肌を指す感覚に、2人は例えフィールドがなくても、自分達に一切の勝機がないことを感じ取る。
「こっからのプランは?」
「頑張って逃げる」
「そりゃ名案だ……!」
――せめて、命がありますように。
2人は、かなり本気でそう願った。
◆◆
「はぁっ、はぁっ! うっ、くぅぅっ、はぁっ、はぁっ!」
下腹を庇い、苦悶に表情を歪めながら懸命に歩くアリア。
膀胱の余裕はあと僅か。
一歩進む度に、振動が強烈な刺激となって襲いかかる。
だが、止まるわけにはいかない。アリアを逃すため、親友2人は、あの恐ろしいアシュレイを相手に足止めをしているのだ。
(2人ともっ……もう逃げて……あぁっ! も、漏れそう……!)
だが、2人を思う気持ちの中に、時折尿意が割って入ってくる。
情けない自分に泣きたくなるが、積もりに積もった尿意は、もう気持ちだけで抑え続けられるものでは無くなっていた。
「はぁっ、はぁっ! ああぁっ!? ト、トイレっ……!」
3階への階段を降りてすぐ、目に入ったトイレの看板に、アリアは思わず脚を止めてしまう。
入りたい。入って、この悪魔のような重みを、全て解き放ちたい。
(だ、だめよ! もし、あの人が追いかけてきたら、音で、バレちゃう!)
そんなことにでもなれば、エルナとロッタの頑張りも全て水の泡だ。
そんなことは絶対に許されないと、頭を振って再び脚を動かす。
その時だった。
『ぐうううううううううぅぅぅっっっ!!!』
『あああああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!』
上階から、親友2人の悲鳴が聞こえてきた。
(エルナっ! ロッタっ!?)
アリアの足が再び止まる。
今の声は、少々の痛みで出るようなものではない。
動けない程の致命所か、最悪の場合――
(違う! そんなことない! エルナとロッタが、そんな……!)
脳裏に浮かんだ光景を振り払うように、アリアは周囲に目を向ける。
西側では、まだリーザが戦っている。東の教師達は、寧ろ押され気味だ。グレンは未だに上がってこない。
(どうしよう!? やっぱり、リーザに来てもらう? でも、彼らも、見捨てさせるわけには……あぁっ、でも……!)
最悪の想像が、意識を埋め尽くす。
何十本もの、蛇のように蠢く黒い鎖。
それらが動けなくなった2人に襲い掛かり、何度も、何度も打ち付ける。
四肢はあらぬ方向に曲がって、頭からは致命的な量の血が流れ出す。
やがて2人の目からは、光が消えていくのだ。
(嫌……嫌よ……エルナ……っ……ロッタ……!)
2人がいなくってしまう。いつだって隣にいてくれた、大切な親友が。
自分が恐怖に負けて、戦えなくなってしまったせいで。
(そんなの……だめっっ!!)
アリアを縛り付けていた恐怖に更に大きな感情がぶつかり、僅かな隙間ができる。
首元のシャイニーティアが、キラリと光った。
◆◆
「意外と、頑張ったわね」
4階の、階段近くの教室。
エルナは床に倒れ伏し、ロッタは壁を背もたれに崩れ落ちる。
立ち上がる気配は、無い。
アリアを逃した後、自分達も脱出しようと奮闘した2人だったが、その前の大健闘で思いの外アシュレイの怒りを買っていたようだ。
執拗に追い詰められ、脱出もままならずに攻め切られて力尽きてしまった。
アリアを追うのならば、エルナ達など放って置いて、さっさと教室を出るのが得策だ。
僅かな時間とはいえエルナ達の相手をしていたせいで、アリアの捜索は困難になっただろう。
特にアシュレイは、アリアも含め、彼女達が時間稼ぎを狙っていることを知らないのだ。
意識の中には、外に逃げられてしまう想定だってあるはずだ。
にも関わらず、アシュレイは2人を教室から逃さなかった。
アリアとの『お楽しみ』より、この2人を打ちのめすことを選んだのだ。
「別に殺したいとまでは思っていないのだけれど、手加減する気もないの」
影の鎖が、アシュレイの周りで暴風のように荒れ狂う。
まるで、彼女の怒りを現しているかのように。
(これは……ちょっと……!)
(さすがに……まずいね……)
エルナとロッタは、せめて頭部だけは守ろうと、両手で頭を抱え込む。
「死んでしまったら、ごめんなさいね?」
黒い嵐は、一個の大きなうねりとなって、少女達に襲いかかる。
そして――
「てえええええぇぇぇぇぇぇいっっっ!!!」
そのうねりの中心に、白いレオタードの猫耳少女が飛び込んだ。