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第12話 ……おや!? アリアのようすが……!

 ――トーマス・エンヴァート。愛称『トム』。


 この一切の面影のないありふれた名前が、『斬裂』のヴァルハイトの本名だ。


 中堅刻ながら大陸最強の騎士団を抱える、ヴァングレイ皇国に生を受けた彼の少年時代は、順風満帆と言っていいものだったろう。

 幼少期に開花させた類稀な剣の才能に、周囲は大きな期待を寄せ、ヴァルハイト……トーマス少年は『神童』の名を欲しいままにしていた。


 だが、そんな環境はトーマスを大きく歪ませることになる。

 プライドは無駄に高くなり、努力を『見苦しいもの』として見下すようになった。


 他の国なら、それでも彼が満足できる位置に立つことはできたかもしれない。



 だが、ヴァングレイ皇国は違う。


 彼の国の剣士達は皆、大陸最強にして最難関と言われる、ヴァングレイ皇式剣術に挑む求道者だ。

 素振り一つしないトーマスは次々と追い抜かれ、神童は凡人になった。

 やがてトーマスは、自分が1番になれる小さな世界だけを見るようになる。

 必死に努力した者を、何もしていない自分が叩き伏せられる、気持ちのいい世界。


 決して上を見ることなく、研鑽も積まず、ズブズブと凡人の中に埋もれていく日々。

 そんなトーマスを引っ張り出したのが、アールヴァイスの首領だった。



『君には大きな伸び代があるようだ。その力を開花させ、私を助けてくれないかい?』



 人に必要とされたのは何年振りか。有象無象から選ばれたのは何年振りか。

 本当に久方ぶりに、自分を『特別な存在』だと言った首領に、トーマスは飛びついた。


 名を、少年時代に読んだ英雄譚の主人公と同じ『ヴァルハイト』に改め、大陸でもトップクラスの実力者である『獅哮』のガウリーオの指導を受ける。

 素振りすら『見苦しい』といったヴァルハイトが他人の指導を受けるなど、そういつまでも耐えることはできなかったが、そこは才能だけはある男。

 母国でも上位の騎士達を遥かに上回るガウリーオとの訓練により、幹部として問題ないレベルの力を身につけるに至った。


 そして、時は流れ――



「がはっ!?」



 グレンの一撃に跳ね飛ばされ、ヴァルハイトは仰向けに転がった。

 何とか致命傷は避けているが、全身には至る所に切り傷がある。

 どう見ても敗色濃厚。



「いつもと変わらなかったな」


 グレンもあれ以来、一切表情を動かすことはなかった。

 他にも怪人がいるせいだろう。『さっさと終わらせよう』という意図すら垣間見える。


 だが――



「ふっ、ふっふっふっ……はははははははははっっ!!」



 ヴァルハイトは笑う。

 ボロ負けしてむしろスッキリしたか?


 ……違う。込められた感情は、もっと粘っこく、暗いものだ。


「……何かやるなら、さっさとしてくんねえかな? 残り全部パニッシャーに押し付けると、後でめっちゃ怒られそうなんだよ」


「それだ、それ。自分が負けるなどとは欠片も想像していないその態度……それが、滑稽で仕方がないのだ!」


 ヴァルハイトは、ダメージなどないかのように跳ね起き。

 そして、もう待てないとばかりに、トレードマークの一つである仮面を投げ捨てた。



「お前……その目……」


 仮面の奥から現れた目は、野生の獣の如く、白目が金色に染まっていた。



「恐れ慄け! これが貴様に勝つため、新たに手に入れた俺の力だっ!」



 ヴァルハイトの全身がザワザワと蠢く。


 頭部は人の形を失い狼のそれに。


 腰の後ろから尻尾が生え、全身に纏う衣装の中では、豊かな体毛が生え揃う。


 布の手袋は、勢いよく飛び出した爪に、内側から突き破られた。



「さぁ……ここからが、本当の勝負だ……!」



 改良怪人、幹部型オオカミ男。


 湧き上がる力のまま、ヴァルハイトが大きく雄叫びを上げた。




 ◆◆




「焦らないでね! 何かあったら声をかけるから!」


 階段を降りていく最後尾の一団に、アリアが声を張り上げる。


 3階の避難は8割ほど完了。

 4階の3年生の避難も進んでおり、後は怪人に道を塞がれた、3階東西端の教室の生徒達だ。

 西側には、ついさっきリーザが駆けて行ったので、程なく安全は確保されるだろう。

 1階はグレンが向かったので、残る問題は、今も教師達が必死の抵抗を続ける3階の東側だ。


 アリア達3人がそちらに目を向ける。

 学園の校舎はコの字型だが、廊下が内側になっているため、彼女達の位置からでも、窓から東端の様子を見ることができるのだ。


「苦戦してるね」


 ロッタが溢した通り、視界に映る教師達は目に見えて劣勢だった。


 無理もない。

 教師達は優秀だが、本職として戦闘を経験した者は一握りのはず。

 その上、フィールドで弱体化までさせられているのだ。


 アリア達が先導した避難が終わるまで、怪人を抑え込んだだけでも上出来だろう。


「アリア……言っとくけど、ここまでだよ」


 放っておけば『行くわよ!』などと突撃しそうなアリアに、エルナが先んじて釘を刺す。


 が――



「え、ええ、そうね。私たちが行っても、邪魔に、なるだけよね……?」


(おや?)



 シャイニーティアが使えなければ、アリアは1人の学生に過ぎない。

 それでも戦いに関してなら、教師達よりも上ではあるが、力が1/5にされていては五十歩百歩と言うところ。


 ……では、あるのだが。


(妙に素直に従ったわね?)


 頭でわかっているだけで納得ができるなら、人間は苦労しない。

 多少の問答は想定していたエルナとしては、正直、拍子抜けであった。


「さて、じゃあどうしようか。リーザの方が片付くのを待つかい?」


 と、ロッタ。


 4階の3年生達は、怪人のいる校舎内を避け非常階段で避難しているので、アリア達がやることはない。

 教師達の増援に行かないのであれば、現状アリア達は暇になる。

 リーザが怪人を倒せば、また西側の生徒が流れてくるが……。



「そ、そうね。でも、ええと……そう! ここにいたら、邪魔になるんじゃないかしら? 下の先生達も、心配してるかもしれないし! 一旦、外に出ない? ね?」



 ロッタの待機案に対し、校舎を出ることを主張するアリア。


 確かに、アリアの言うことも一理ある。

 やることもないのに、怪人の近くで突っ立っているのは、あまり褒められたことではない。


 西側も生徒も、リーザかグレンが東の怪人を抑えれば、落ち着いて避難することができるだろう。

 アリア達が、ここで避難誘導のために待っている必要性は、実のところあまりない。

 ないのだが、それはそれとして。


(なんか……)

(怪しい……)


 アリアの様子が、あからさまにおかしい。

 先ほどからそわそわと落ち着きがなく、言葉もしどろもどろだ。

 どうやら、とにかく外に出たいようなのだが、今思いついたような理由ばかりで、何かを隠しているように見える。

 何か人に言い辛い、だが切迫した事情を――


「「あっ」」


「えっ、な、何?」


 そこまで考えて2人は――2人にしては遅まきながら――その理由に思い至った。


「そだね、さっさと出よう」

「自分で言えるようにならないと、将来苦労するよ?」

「――――――っ!?」



 アリアは、少々差し迫った尿意に襲われていた。


 5時間目の後は殆ど尿意がなかったため教室で過ごし、6時間目の後もすぐに周りに人が集まってしまい、その後はアールヴァイスの襲撃だ。

 最後にトイレに行ったのは、昼食の前。

 40分ほど続けた避難誘導の終わり際には、意識からトイレのことを追い出すのが難しくなっていた。


 そして今、少し気が抜けたせいだろうか。

 いよいよアリアの思考が、尿意に支配され出したのだが――


「ちょ、ちょっと気になっただけよ! そんな、別に、我慢できない程では……」



 これだ。


 どうしても『トイレに行きたい』の一言が言えない上、気付いてもらえても恥ずかしさが上回り、否定してしまう。

 何度もアリア自身を窮地に陥れた、幼少期から治らない……むしろ酷くなっている悪癖。

 今や家族以上に気心知れたエルナとロッタにすら、相当切羽詰まらないと、アリアは尿意を認めない。


 強情な親友に、ロッタが少し意地の悪い笑みを浮かべる。


「そうかい? じゃあ、やっぱりリーザを待とうか。置き去りにするのも気が引けるし」


「っ!? ……そ、そうね。そのくらい、全然……」


 顔を青くして俯くアリア。

 脳内で、トイレに行けるまでのシミュレーションが、高速で組み立てられていく。


 リーザは大体35分で1体目の怪人を倒し、次の敵へ向かっていった。

 グレンは、まだ上がってこない。

 仮に、今すぐグレンがやってきて、東側の怪人に挑んだとして、倒すには同じだけの時間がかかると見ていいだろう。

 最短で、全ての学生が動き出せるまで、あと40分。


 怪人がいなくなれば教師達が動けるようになるから、避難誘導は彼らが行うはずだ。

 アリアは、最後の一団と一緒に避難することになる。


 外に出たら、恐らく点呼が始まるだろう。

 抜け出したりなどすれば、行方不明扱いで大騒ぎだ。

 解散になるまで、トイレには行けない。


 加えて、もしグレンが1階の敵にかかりきりで、リーザが3階の2体を倒すことになれば、時間は更に延長され……。


「ごめん、冗談だよ。すぐ外に出よう。先生には私から言っておくよ」


 見る見る泣きそうな顔になっていくアリアに、ロッタが舌を出しながら両手を上げた。

 強がりに対する意地悪としては、このくらいが限度だ。


「ロッタぁ……!」


 対するアリアは、涙目でロッタを睨みつける。

 加えて文句の一つも言ってやりたいところだったが、残念ながらそれどころではない。


 残り時間の計算で不安になったせいで、尿意がさらに込み上げてきてしまったのだ。

 早急に、下腹から込み上げる悪寒を何とかしなければならない。


「まったく……! ほら、さっさと行くわよ!」


「あら、それは困るわね」

「「「っ!?」」」



 外に出ようと降り階段に足を踏み出したところで、階下からの声がアリアの動きを止めた。


 美しくも怪しい、幽鬼じみた声。

 そしてアリアにとっては、今、最も聞きたくない声。




「あ……あ……あ……あ……っ」



 アリアの足は、縫い付けられたようにその場から動かない。

 対して声の主は、コツコツと靴を鳴らしてゆっくりと階段を上がってきた。

 現れたのは、黒い羊の角と悪魔の尻尾を持つ、紫色の髪の美女。



「アシュレイ……!」


「お久しぶりね。また、私と遊んでくれるかしら?」



 眼球を縦に割く、蛇のような右目がアリアを捉える。


 アリアの腰が、大きくブルルッと震えた。




 ◆◆




「どうしたの、神父様? 急に僕を呼び出すなんて」


 アールヴァイス本部、首領の執務室。

 来客用のソファーに腰掛け、適当に茶菓子を貪るジャンパール。

 その顔は、『遊びに行こうとしていたのに、家の手伝いをさせられた少年』と言った感じの、微妙な不機嫌をアピールしている。


「すまないね、ジャン。どうも幹部のみんなが、私の目を盗んでお祭り騒ぎを始めているらしいんだよ」


「神父様……人望ないの?」

「泣くよ?」



 冗談めかして言っているが、ジャンパールから見える首領の目は若干ウルウルしている。

 その表情に、少年はゲンナリとした顔でため息を吐いた。


「はぁ……全員ふん縛って、ここに連れて来ればいい?」


「あぁ、そうゆうわけじゃないんだ。もうね、ガス抜きになるんなら、ちょっとは好きにさせてあげようと思って」


 強硬手段に出ようとしたジャンパールを、慌てて止める首領。

 意図が見えないジャンパールは、『もう帰りたい』と言う顔になっている。



 でも帰らない。


 皮肉なことに、この傍若無人な少年は、恐らく幹部の中で1番素直に、無条件に、首領の『お願い』を聞いてくれる存在なのだ。


「じゃあ何? 僕、何やればいいの?」


「それはね、ジャン――」



 それを聞いたジャンパールは、今日一で呆れ返った顔をした。



「……子供か」


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