第10話 仮面の断罪者
アシュレイの遊技場への乱入者は、かなり奇抜な格好をしていた。
恐らくベースは、富裕層向けのカジノにいるような、所謂『バニーガール』だ。
赤いレオタードにタイツ、ハイヒールの代わりにロングブーツを履き、上には丈の短い袖無しジャケットを纏っている。
豊かな胸部がジャケットで押し上げられ、大きく開いた胸元からこぼれ落ちそうだ。
頭には、鍔の広い黒の羽付き帽子を被り、そこから自前のものなのか、うさ耳が飛び出している。
後頭部から背中までに広がるのは、ウェーブのかかった長い金髪。
目元を隠す赤いアイマスクには、シャイニーティア以上の認識阻害能力があるらしく、一切の表情を窺い知ることはできない。
でもアリアは、一瞬自分に向けられた顔が、自身を気遣う友のものに思えた。
「貴女……もしかして……っ」
「通りすがりの乙女の味方、ですわ」
「……あ、あはは……」
特徴的な口調を隠そうともしない自称好敵手に、アリアも自身の惨状を忘れて苦笑いだ。
口調だけではない。
その佇まい、醸し出す貴人のオーラ……名を隠し、纏う衣を変えても、エリザベート・フラウディーナは、どこまでも彼女だった。
「どちら様? 素敵なお嬢さんが来てくれたのは嬉しいのだけれど……私、今はその子と遊んでいるの。邪魔をしないでもらえるかしら?」
突然の来客にも、余裕の態度を崩さないアシュレイ。
だが、楽しみを邪魔されたことには苛立っているのだろう。最後の一言には、有無を言わせぬ威圧感があった。
「悪党に名乗る名は、持ち合わせておりませんわ。どうしても不便とおっしゃるなら……『パニッシャー』、とでもお呼びあそばせ」
対するリーザは、それに気圧された様子など微塵もない。
ピンと背筋を伸ばし、正面からアシュレイのプレッシャーを受け止める。
「『断罪者』……随分と傲慢な名前ね。自分が正義だと、信じて疑わないタイプかしら?」
「絶対の正義など存在致しません。私の裁定は、あくまで私の主観によるものです」
『ですが』と言葉を切って、リーザは手にした剣をアシュレイに突きつける。
「私の大切な方々にとっての正義であろうとは、常に心がけておりますわ」
「生意気な娘ね……っ」
アシュレイが、内心の苛立ちを声に乗せ始める。
ここまでのやり取りでアシュレイは、リーザが『嫌いなタイプ』だとハッキリ認識していた。
善性を振り翳し、悪を否定する点に於いてはアリアも同じだが、アリアはオモチャとしては最高だった。
だが、彼女は違う。
こうゆう、最終的な心の拠り所を『自分』としている手合いは、『他人』がどれだけ苛め抜いても、中々心を揺らすことはない。
そして、揺れた後は一瞬で壊れる。
アシュレイが最も好む『堕ちかけ』の姿を見せないのだ。
アシュレイとしては、どう付き合っても何の楽しみもないタイプ。故に――
「貴女はもういいわ……消えなさい!」
アシュレイの選択は『即排除』。
6本の黒鎖を生み出し、不規則な軌道でリーザにけしかける。
余計なことをされる前に倒して、早くアリアとの『お楽しみ』に戻る腹積りだ。
「しっ!」
リーザは迫る黒鎖に対し、高速の6連突きを放つ。
連続した衝突音が響くと、全ての黒鎖が半ばで分断され、その制御を失った。
この機を逃さず、一足飛びでアシュレイに飛びかかるリーザ。
「馬鹿な……っ!」
対するアシュレイは驚愕を隠せない。
影属性が生み出しているのは、実際には黒い鉱物粒子。
水属性の様に流体として扱うのが基本だが、術者の腕次第で強固な固体にもなる。
アシュレイの鎖の強度は、金属ならミスリル以上。
グレン少年と言い、目の前の馬獣人の少女といい、こうもあっさりと破壊されては、アシュレイの自身も揺らぐというものだ。
何かタネはないかと迫る切っ先を凝視すると、アシュレイはその刀身全体が、一切の光を反射しない黒一色に染まっていることに気が付いた。
「影属性……!」
それは、アシュレイの鎖と同じ影属性魔術の黒。
それがリーザの剣に被せる様に、極薄の刃を形成していた。
通常の金属ではあり得ない切れ味じに、アシュレイの鎖は繰り出した端から切り裂かれていく。
一太刀受ける度に一歩後退するアシュレイ。
リーザは勢いを緩めず押し込んでいく。
「くっ、このっ、うっ――なんてね。シャドウバインド」
劣勢だったはずのアシュレイがニヤリと笑う。
直後、リーザの周囲から黒鎖が現れ、突き出したばかりの右腕に襲いかかった。
魔術の発動箇所は、手の平を中心に、術にもよるが最長で3mほど。
発動した魔術は、基本的には手の平が向いた方向に進んでいくが、高レベルの術者ならそれも自由自在。
アシュレイ程に影属性を使いこなした術者なら、懐に誘い込んだ相手を鎖で囲むなど容易いことだ。
如何に優秀と言えど、リーザは本物の命のやり取りの経験は殆どない。
迂闊に踏み込んだ自分に内心舌打ちしながら、この経験も財産と切り替え、剣を手放し素早く腕を引き戻す。
――人の頭部くらいの火球を置き土産に。
「無発声っ!?」
音も無き魔術発動に、アシュレイが驚愕する。
魔術の発動は、詠唱からの術名発声が基本だ。
詠唱の破棄に関しては、多少難しいが皇立学園で上位に食い込むなら必須技能。
アリアやロッタもそこまではできるし、アシュレイとて息を吸うようにやっている。
だが術名の破棄は、本職の魔術師ですら使い手は殆どいない高等技術だ。
自身も至っていない領域の技を見せられ、アシュレイの動きが一瞬止まる。
その一瞬で火球を鎖が貫き、周囲に爆炎を撒き散らした。
爆風に煽られ、壁際まで飛ばされるアシュレイ。
リーザは若干タイミングをずらして炎に飛び込み、所々コスチュームを焦がしながら、剣を拾い上げアシュレイに迫る。
アシュレイは体勢を崩しており、リーザの渾身の刺突は避けられない。
必殺のタイミング――だが。
「あっ!?」
アシュレイが左手に持った何かを握り潰すと、突如リーザの全身から力が抜けていく。
アールヴァイスお得意のドミネートフィールドだ。
アシュレイが潰したのは、部屋の外に配置した結界班に合図をするための、使い捨て魔導具。
一気に動きの鈍ったリーザに、アシュレイが四方から鎖をけしかける。
リーザは自由にならない体で床をゴロゴロと転がり、何とか鎖から逃れていく。
「ざぁんねん! 惜しかったけれど、貴女では私達とは戦えないわ」
弱体化した獲物に、早くも舌舐めずりを始めるアシュレイ。
対するリーザは、圧倒的な劣勢に関わらず、仮面の下の表情に絶望の色はない。
(さぁ、役に立って下さいませ)
彼女は、別に酔狂でこんな露出過多な衣装を纏っているわけではない。
これこそが、リーザが未開放領域で手に入れた、ミータ・バニフリック『生涯の恥』。
変身型魔導戦闘服『マスクドパニッシャー』。
レヴィエムのシャイニーティアに迫らんと作られたそれは、一学生に過ぎないリーザに、アールヴァイスという脅威と戦うだけの力を与えた。
身体強化の底上げは勿論、強力な魔術の補助もある。
先ほどの無発声魔術も、半分はこの補助効果の力だ。
影の刃も剣の機能。
そして今、自身の身を縛る弱体化フィールドの効果をも打ち破る何かがあると、リーザは確信していた。
(あんな仰々しい物言いをして、『打つ手なし』とは言わせませんわよ!)
そして、マスクドパニッシャー……いや、ミータ・バニフリックはそれに応える。
"隷属回路への不正アクセスを検出"
"ヒロイン補正』余剰36%で遮断可能。実行しますか?"
「何を言っているかわかりませんが、お任せしますわ」
"了解。ヒロイン補正機能、調整開始します。3、2、1……"
――ゼロ。
「ふっ!」
カウントダウンの完了と共に、マスクドパニッシャーが淡い光を放つ。
リーザの四肢に力が戻り、魔力が巡り出す。
目前まで迫っていた鎖は、間一髪で黒い剣閃が切り裂いた。
「っ!? ……なるほど。その服、レヴィエム・クラフトね?」
「さて、それはどうでしょう?」
突如勢いを取り戻したリーザに、アシュレイは改造バニースーツの正体をレヴィエムの遺産と紐付ける。
実際は、似たようなものではあるが製作者が違う。
とは言え、わざわざ教えてやる必要もないので、適当にはぐらかすリーザ。
「その影の剣も、無発声魔術も、全部魔導具頼みというわけかしら? 偉そうにしている割に、情けないことね」
「我が身の至らなさに、恥入るばかりですわね。仮面でも被って顔を隠したい気分ですわ」
「ちっ……本当に嫌な娘……っ」
ドミネートフィールドは無効化され、楽しい狩りの時間は一瞬で終わった。
挑発も軽く返され、アシュレイの表情は益々険しくなる。
リーザの婚約者は、この国の第三皇子。
卒業後はすぐに結婚となり、その後は皇族として、策謀渦巻く宮中が彼女の戦場となる。
テロリストの安い挑発など、微笑み一つで返せなければ、とてもやってはいけない世界だ。
狭い部屋の中を駆け回るリーザを、アシュレイの黒鎖が追いかける。
追い付いた端から鎖は斬り飛ばされていくが、アシュレイはすぐに次を生み出し、リーザに休む暇を与えない。
心理戦では一時優位に立ったリーザだが、実際の戦闘ではアシュレイに近付けなくなっていた。
会話で苛立ちを煽りつつ、ここぞと言う時にマスクドパニッシャーの能力を見せつけ、アシュレイのペースを乱していたのだが、
フィールド展開で仕切り直されたことで、アシュレイも徐々に落ち着きを取り戻し、自力の差が出始めたのだ。
(やはり、優位を取れている内に、有効打を与えておきたかったですわね)
この距離では自慢の剣技も届かないし、迂闊に近付けば周囲を鎖で囲まれる。
無発声魔術も、接近戦での不意打ちは強力だが、距離が開く程に対応は容易になっていく。
防戦の中、次の手立てを考えるリーザが、意識だけを自身が開けた天井の穴に向けた。
実は、その穴の向こうにはエルナが待機している。
そもそもリーザがここに来れたもの、偶然エルナを見つけて、例のストーキング魔導具の恩恵に預かったからだ。
本来なら、隙を見てエルナがアリアを救出し、リーザが殿を務めつつ全員撤退、と言う流れが理想だったのだが、タイミングが訪れないまま、フィールドが展開され動き辛くなってしまった。
が、だからと言って、エルナも手をこまねいて見ているだけではない。
現場の状況、アシュレイとリーザの動きと、弱体化した自分の力。
それら全てを把握して、自分の取るべき行動を見定め、タイミングを図っているのだ。
エルナは勉強ではおバカだが、土壇場の頭の回転は早く、何より度胸は人一倍。
リーザもそれを知っているからこそ、『次の一手』をエルナに任せ、アシュレイの攻撃を凌ぎ続けている。
「ふふふっ、さっきまでの威勢はどうしたの? ほら、ここ近付けそうよ? なぁんてね、残念」
リーザを自身の距離に抑え込んだことで、アシュレイは上機嫌だ。
相変わらず反応がないことに、多少苛立ちを覚えてはいるが、戦況は思い通りに進んでいる。
アシュレイは不足の事態に備え、鎖2~3本分の余力は残しつつ、今の距離を保てるように絶え間ない攻撃を仕掛けていく。
移動先の選択肢を狭め、リーザの動きをある程度コントロールし――ついに、彼女を『そこ』に追い込んだ。
「はい、捕まえた」
「はっ!?」
突如、リーザの右足に絡みつく一本の鎖。
彼女に切り飛ばされた鎖の内、一本だけ消さずに制御を繋ぎ直していたのだ。
ここまでの攻防も、全てリーザをそこに誘い込むため。
アシュレイとしては、まさに子ウサギでも追い詰めているような気分だった。
罠にかかった獲物を相手に、余力を残す必要はない。
先ずは全身を絡め取ろうと、アシュレイは四方八方に鎖を散らし、蛇のように畝らせながらリーザの四肢を狙う。
「くっ……!」
迎撃を試みるリーザだが、足を止められていては、いつまでも凌ぎ続けるのは不可能だ。
笑うアシュレイ。呻くリーザ。
そして、エルナが動いた。
天井からリーザの後方に飛び降り、倒れたアリアに駆け寄る。
「ダメよ、まだ連れて行っちゃ」
まだ最後の『お楽しみ』が残っている。
アリアを奪われまいと、アシュレイは数本の鎖を生み出しエルナにけしかけた。
精密に操れる本数は超えているため、力も速度も中途半端だが、フィールドに囚われた獲物を絡めとるには十分だ。
アリアに触れることなく、エルナは宙に吊り上げられた。
次はお前、とばかりにリーザに視線向けるアシュレイ。
――その目が、奇妙な物を捉えた。
(ボール……?)
ゴツゴツした黒くて丸い塊――何故かリボンが撒かれている――が、リーザの頭部から飛び出したのだ。
「お――い! グレ―く―!」
理解不能な状況に、アシュレイの思考が固まる。
アリアが何かを叫んでいたが、それも頭には入ってこなかった。
そして、彼女がその正体に気づく前に、黒い塊は音もなく破裂した。
――辺りが、強烈な光に覆われた。