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第4話 優しさは時に悪意より残酷である

 5月末から6月にかけて、ここノイングラート帝国皇立学園では、武術、魔術といった戦闘向けの実技科目が活性化する。

 学園の目玉科目、遺跡調査実習が行われるからだ。


 まだ魔獣や警備人形といった脅威が残る先史文明の遺跡に潜り、日頃の学習、訓練の成果を見せるこの実習は、関連した各教科の最終成績に大きく影響する。

 そのため、生徒達はこの時期になると、評価に直結しそうな戦闘能力を高めようと、そういった科目に力を入れるようになるのだ。



 この判断は、正解であり、間違いでもある。


 実習には高位の傭兵や帝国の騎士が同行するのだが、彼らに『死亡』と判定される状況に陥った生徒は、評価を大きく落とすことになる。

 どれだけの能力を持っていたとしても、死んでしまえば無意味だからだ。

 実技が苦手な生徒は、最低限『生存』判定で実習を終えられるよう、死に物狂いで訓練に励まなければならない。


 が、ある程度力のある生徒は、むしろ座学に力を入れるべきだ。

 遺跡の構造への理解を深める魔導学や考古学、一歩引いた位置からパーティの指揮をするための戦術論等、評価を上げる手段はいくらでもある。


 とは言え、やはり周囲がやる気満々だと、自身も気合が入るというのが人間というもの。

 選択武術の授業を控えた訓練場は、どこも生徒達の熱気に包まれていた。


 アリア達もまた、そんな熱気に当てられ、皆普段よりやる気のある顔を見せていた。



 彼女達5人組は、皆武術の選択はバラバラだ。

 ロッタは相性がいいとかで棒術、アネットは隠し持ちやすいからと短剣術、リーザは幼少期から続けてきた剣術を選択。

 アリアとエルナは格闘術だが、アリアは打撃、エルナは組み技中心のため、やはり別科目だ。

 ついでにグレンは、実は1番訓練の質がいいと、不人気の斧術を選んでいる。


 そんな彼女達だが、今日は珍しく3人が同じ訓練場に集まっていた。

 実習を前に、異なる武術同士での実戦稽古を、ということで、剣術と打撃格闘術で、合同訓練を行うことになったのだ。

 更に生徒達に刺激をと、数ヶ月前の編入試験で1位を掻っ攫ったグレンも、剣術の教師に呼ばれていた。


 上位陣を中心に、特にプライドの高い者が多い剣術の生徒達は、既に全身から対抗意識が迸っている。



「ですが、なんでわざわざこの日に? 合同訓練では、貴方のお相手は打撃格闘の生徒になるのではなくて?」


「合同訓練じゃないと、アリアの体育着姿が拝めないじゃないか」

「なぁっ!?」



 対するグレンは今日もギンギンマイペース。

 体育に舞踏、護身術と、ほぼ1日1回はブルマから伸びる太股を堪能してはいるが、どうやらこの男の辞書には『満足』という言葉は存在しないらしい。


 グレンはこの一時を楽しむため、実りある斧術の1時間を捧げたのだ。

 だが、そんなグレンの至福のひと時に水を差す、無遠慮な足音が近づいて来る。



「おや? なんだこの鼻の曲がりそうな臭いは?」


「薄汚い平民の臭いだろう、ダミアン」


「しかも、役立たずの持たざる者(ノービス)のな!」


「なるほど、どおりで臭うわけだ!」



 多分に蔑みの色が混ざった声の出どころは、如何にも『いいとこの跡取り』と言った感じの3人組。

 ニヤニヤと笑みを作りながら、アリア達――というよりグレンの方に近寄ってくる。


 明らかに敵意を向けられたグレンは――



「なぁ、俺臭い?」


「6時間目の殿方としては、薄い方ではなくて?」


「すんすん……そうね、気になる程ではないわよ」


「ちょっと待て。それって少しにお――」

「こっちの話を聞けぇぇっっ!!」



 素直に体臭を気にした。そして2人の気遣うような反応に、とても不安そうだ。

 対してダミアンは、視線を向けようともしないグレンに怒りを露わにする。



「わざわざ声をかけてやったのに、この俺を無視だと? 平民は挨拶すらまともにできないと言うが、貴様は――」

「こんにちは」

「そぉゆうことではなぁいっっ!!」



 どうにも会話が思った通りに進まず、ダミアンが更に声を荒げる。


 そんなダミアンに対し、友人2人は意外にも冷静だ。

 興奮するダミアンを宥めながら、忌々しそうにグレン、そしてアリアとリーザを見比べている。


 彼らは元々、グレンに勝負を挑みにきたのだ。

 編入試験で自分達をごぼう抜きして以来、斧術などというマイナー武術に引きこもったグレンが、再び剣術の場に現れた。

 彼らにとってこれは、グレンが1位を取ったのは何かの間違いで、実際は自分達の方が優れていると知らしめる絶好の機会。



 ――先ずは挑発も兼ねて、ここに集まった者達の前で盛大に貶めてやろう。



 そんな考えで足を向けた時、アリアとリーザの姿が目に映った。


 彼らは3人とも伯爵家の長男で、剣術も学年で10位以内に入る中々の実力者だが、さすがにランドハウゼンの第二皇女と、フラウディーナ公爵令嬢は雲の上の存在だ。

 そんな天上の2人に、何とグレンが声をかけているではないか。


 3人は思った。



 ――武術の成績を鼻にかけ、無謀にもお2人に言い寄っているのだろう。


 ――お2人は迷惑しているに決まっている。


 ――あの身の程知らずを排除すれば、お2人とお近づきになる切っ掛けになるのでは?



 と。


 だが実態は、彼らの目論見とはかなり異なっていた。

 アリアもリーザも、グレンに対してかなり気安い態度を取っている。



 特にアリア。


 彼女は元々、男子生徒に対してのパーソナルエリアが少し広い。

 そして、体育着のような露出の多い装いになると、それがさらに広がるのだ。

 そんなアリアが、自分からパーソナルエリアの内側に踏み込みんだ上、何の抵抗もなく胸元に顔を近づけ、臭いまで嗅いでいた。

 気安いどころか、『親密な関係』まで疑わなければならない距離感だ。


 最初の無視で頭に血が昇っていたダミアンはともかく、残りの2人はアリアのこの態度に驚愕し、すぐに自分達が、非常によくない状況に置かれていることに気が付いた。


 アリアとリーザが、彼らの味方をすることはない。

 様子を伺っていた周囲も、2人の淑女の反応を見て、今は伯爵家の3人組に憐れみの視線を向けている。



「だ、大丈夫よ! お父様の方が、もっとキツい臭いがするわっ!」

「がっふ!?」


「アリアさん、そろそろやめて差し上げたら……?」



 アリア達はもう、3人組を見てすらいない。

 このまま引き下がってしまえばいい笑い者だが、だからと言って格上のアリアとリーザの談笑を、声を荒げて止めるわけにもいかない。


 この何ともし難い状況で――ダミアンが動いた。




「グレン・グランツマン! 俺と勝負しろっ!」




 思いっきり声を荒げて割り込んだ。

 最初の挑発からここまで、延々グレンに無視された怒りは、結局治ることなく爆発した。

 会話を邪魔され、明らかに不機嫌顔のアリアに、友人2人の顔面が真っ青に染まる。


 対してグレンは、アリアの『優しさ』に抉られ続け、彼とは無関係なところで大いに傷付いていた。

 声に反応し、死んだ魚のような目をダミアンに向ける。



「……じゃーんけーん」

「ちがぁぁぁうっっ!!」


「冗談だ。体臭の話とかしてねえで、最初からそう言え」


「体臭の話でもなかったんだがなっ!?」



 煽るつもりが最後まで煽り倒され、ギリギリと奥歯を噛み締めるダミアン。

 友人2人も、当初の目的を思い出しグレンを睨み付ける。


 彼らとしては、現状は盛大にアリア、リーザからの不況を買ってしまった最悪の状態。

 これをひっくり返すには、グレンが無様に負ける姿を見せつけ、彼女達の目を覚まさせるしかない。


 想定外に進退のかかった話になってしまったが、実際に戦えば自分達が勝つに決まっている。

 最後は余裕を取り戻した彼らは、授業開始後の対戦の約束を取り付け、現れた時同様に、上からの笑みを残して去っていった。





 ――授業開始間もなく、彼らは3人仲良く地べたを舐めることになった。




 ◆◆




 黒檀の木剣が空気を貫き、伸び上がる様な蹴りがそれを迎え撃つ。


 剣術・格闘術間の対戦訓練が始まると、当然の様にアリアとリーザはペアを組んだ。



「相変わらず、重たい突きね! てぇいっ!」


「貴女は慎みが足りませんことよ! そんなに脚をっ、大きくっ、広げっ、てっ!」



 尚、リーザはともかく、アリアすらグレンの対戦は見ていない。

 今更、同級生にグレンが負けるとは思っていないからだ。

 そちらを気にするより、リーザとの対戦に集中することにしたのだ。


 が――



「何を呆けておりますのっ!」


「あっ!? ご、ごめん!」



 アリアが、ちょいちょい上の空になるのだ。

 リーザとしては当然捨ておけない。ここぞとばかりに急所を狙いつつ、叱責の声を上げる。


「グレン君に! 何か! 香水とか勧めようかなって!」


「そんなに! 気に! なりましてっ!」


「わ、私は、別に……おわっと!? 嫌いじゃなかったけど! 気にしちゃってたら! 可哀想かなって!」


 戦闘は気にならないが、自分が抉った心の傷はとても気になっていたらしい。

 時々思考をそっちに持って行かれては、リーザの鋭い一撃に慌てて意識を引き戻す。



 リーザの剣術課程での順位は学年3位。


 刺突メインのとにかく速く、鋭い剣技は、本来そんなフワッフワした気持ちで凌げるものではないのだが――



(まったく……! 嫌になりますわね!)



 アールヴァイスとの実戦で、心身共に鍛えられたアリアは、そんな状態でもリーザの猛攻を寄せ付けない。

 見事なものではあるが、それをやられるリーザはとても穏やかではいられない。

 あしらわれているのも腹立たしいが、何より目の前の自分より、男に意識を向けられるのが気に食わない。


 ならばこそ、つい意地の悪いことを言ってしまうのも、仕方のないことだろう。



「よろしいのではなくて! お花の香りでもさせれば! 今よりもっと! おモテになるでしょうし!」



 ただ、ちょっとばかり意地悪が過ぎて、押してはいけないスイッチを掠めてしまう、なんてこともあったりなかったり。


 今日はポチってしまったようだ。


 一気にアリアの目が座り、動きが速く、攻撃的なものに変わっていく。


「ちょ!? ア、アリアさん!? くっ! このっ!」


 全身を使った踊る様な蹴りの連打。動きは軽やかなのに、衝突音は『ゴスッ!』、とか『ボゴッ!』とか、とにかく重い。


 ズンズンと押し込まれるリーザ。

 苦し紛れに放った刺突は、体勢を落として躱され、地面に手をついた倒立蹴りで剣を弾き飛ばされる。


 武器を失い、リーザの体勢がぐらつく。

 だが、ギリギリのところで持ち堪え、くるりと上下を入れ替えて着地したアリアに、拳を握って飛びかかった。


「武器を奪われたくらいで(わたくし)が――」

「引き下がるわけないわよねっ!」

「っ!?」


 だが、それはアリアも予想済み。

 突き出された拳打を体を横にずらして回避。強烈な踏み込みと共に、リーザの鳩尾に肘を突き付ける。


 寸止めされたが、込められた必殺の気迫は本物だ。

 リーザは、胸から背中を貫かれたような感覚を覚えて、溜息と共に両手を上げた。


「降参ですわ……でも、やはり拳法ですのね?」


「や、やっぱりって何よ……?」



 拳法は、現代ではかなりマイナーな格闘技。学園でも使う者は数えるほどしかいない。



 例えば、グレンとか。


 見様見真似ができるほど見ていたのか、どこぞでマンツーマン指導でも受けていたのか――まぁ、後者なのだが。


 これはこれで、ライバルが男に染まっていくようで、呆れつつも寂しさを覚えるリーザであった。




 ◆◆




「で、香水はどうしますの?」


「男の子が、そんなナヨナヨと臭いを誤魔化すなんて、やっぱりよくないと思うわ!」


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